第10話 魔族令嬢は、自身の脆さに気付く
魔王様とデズモンドことを思うと、胸が苦しくなる。あの中で、凛と輝く薔薇であることを望まれた私は、こんなにも脆かったのか。
フェルナンドの薔薇と呼ばれた日が、果てしなく遠く感じる。
ぎゅっとエドワードの手を握りしめる。
「魔族は……戦うために生まれ、魔王様に仕えることを喜びとしています」
「リリアナ?」
「なのに、私は……この平和な街を美しいと、思ってしまった」
デズモンドにはない平和、そこで笑い会う人々。
なんと穏やかな景色だろう。こんなにも輝いた世界があるなんて、知らなかった。でもそれは、心の中でずっと願っていたこと……
夢の中、私の手を引く人影を思い出す。
あの人は私を輝く世界へと導こうとしていたのかもしれない。それは、私の心深いところにあった願望なのかも。
でも、魔王様に仕える貴族として、それは許されないことではないか。
頬を伝った涙が、ドレスの胸元を濡らした。
震えていると、エドワードの手が私の肩にそっと触れた。抱き寄せられ、ハンカチで目元を拭われる。
「大丈夫だ、リリアナ。君は私の薔薇だ」
「……旦那様」
「少し、落ち着けるところへ行こうか」
優しい若葉色の瞳に見つめられ、さらに胸が締め付けられた。
こんなみっともない姿を見せて、エドワードは幻滅しただろうか。息抜きにと連れてこられた街の視察なのに、私は彼の妻として振る舞えていないんじゃないか。──フェルナンドの薔薇として、失格だわ。
黄色いドレスのスカートを握りしめる。
このドレス……エリザ様だったらもっと似合ったのかもしれない。涙で汚すなんてことも、なかったのかも。
エドワードに引かれるまま、路地を曲がった。石畳を進んでしばらくすると、立ち止まった彼は「ここのケーキが美味しいんだよ」といった。
顔をあげると、店の軒先に花籠が下げられ、小さな銅製の看板にハースローゼと書かれていた。
店内に入ると、エプロンドレス姿の女性が出迎えてくれた。私よりもうんと年上で、お母様と同じくらいかもしれない。
「あら、ぼっちゃま。早いお越しですこと」
「ダリア、その呼び方はやめてくれと、いっているだろう。私ももう二十八だ」
「可愛い奥様を泣かせてしまうようでは、まだまだ子どもですわ」
「そ、それはだな……とにかく、少し休ませてくれ」
困った顔をして私を見たエドワードは、耳元で「彼女には頭が上がらないんだ」と小さくいった。
後で聞いたのだけど、彼女はエドワードが幼い頃の家庭教師だったそうだ。今は、趣味の園芸とお菓子作りが高じて、パサージュの一角に花を楽しめるカフェを出しているのだとか。
案内された先は、ガラスの向こうに美しい花壇を楽しめる席だった。二人掛けの長椅子にエドワードとならんで座る。
横を見ると、少し離れた席にデイジーと護衛騎士の方も座ったところだ。デイジーは、こちらを心配そうにちらちらと見ていた。
「本日はお越しくださり、ありがとうございます」
「今日のケーキはなんだい?」
「ぼっちゃまのお好きなチーズケーキですわ」
「それはいい。リリアナ、ここのチーズケーキは絶品だ。それでいいかい?」
訊ねられ、私はただ頷いた。
今はなにかを食べる気分ではなかったけど、せっかくのご厚意を無碍にするのも申し訳ないし。
「一緒に、ハーブティーを頼む」
「かしこまりました。特性ブレンドをお持ちしましょう」
にこりと微笑んだダリアさんが席を離れると、無意識にほっと吐息をこぼした。
静かな店内に、私たち以外の客はいない。
「少しは落ち着いたかな?」
「……はい。お恥ずかしい姿を見せて、申し訳ありません」
「リリアナ……話してくれないか? 私は、君の瞳を曇らせる理由を知りたい」
大きな手が私の頬に触れ、涙の痕を擦った。
優しく微笑む姿に胸が苦しくなり、自分がこんなに弱かったのだと気付かされる。
話したら、私はエドワードに嫌われてしまわないだろうか。
私たちの結婚は、アルヴェリオン国王の意思。魔族の令嬢を望んだということは、強さを求めたともいえる。その強さを、私は持っていないと知ったら……
どう伝えたらいいかわからず、震える指を握りしめた。
「私は君に笑っていてほしいんだ」
「……エリザ様のように?」
無意識だった。
言葉にしてしまったことにハッとし、エドワードを振り返る。そこには、少し驚いた顔があった。
「あ、あの、申し訳──」
「エリザは関係ないよ」
膝の上で握りしめていた拳を、エドワードの温かい手が覆う。
「いや、全く関係ないわけではないか……私の話を聞いてくれるか?」
もしかしたら、それを知ったら私は惨めな思いをするかもしれない。だけど、知らないままではいけないとも思う。
フェルナンドの薔薇は、どんなに厳しい環境でも咲かなければならないのだから。
震える声で「はい」と答えれば、エドワードは私の手を両手で握りしめた。
次回、本日13時頃の更新となります
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