黒檀の魔女の森
リリアヴェルは騎士達と共に馬を駆り、国境を目指していた。
吹きすさぶ風は氷のように冷たく、頬をまるで刺すような痛みが襲うが、その痛みさえ感じる間もなく。
規則的な馬の足音を聞き、馬に揺られながらリリアヴェルはメグレンの安否を祈り続けた。
防寒用の装備をしているとはいえ、夜の森で過ごすには心許ないのである。
魔女が庇護する皇太子を害すとは思えないが、凍えるようなこの寒さからも護ってくれるという保証はない。
北の魔女様にもご助力をお願いするべきだったかしら?
いえでも、他の魔女様の場所ですもの。
それに人間達の事で魔女様が手を貸して下さる事の方が珍しいと聞くわ。
不確かな事に時間をかけるよりも、今はメグレン様の元へ一刻も早く駆け付けないと。
ぐるぐると色々な思考や迷いが頭の中を駆け巡るが、最後に落ち着くのは常にメグレンの傍へと馳せる事。
それが一番確実であり、自分がすべき事のようにリリアヴェルは感じた。
ああ、メグレン様、どうかご無事でいらして。
国境を難なく通り抜けられたのは深夜であり、黒檀の森に辿り着いたのは夜明け前だった。
森は国境付近から続いているが、皇族達が出入りをする為の森の入り口まで数時間かかる。
まだ朝陽も登らぬ暗い中、森の前に佇む騎士達に迎えられて、リリアヴェルは馬を下りた。
「それでは、わたくしが森へ参ります」
「お待ちください。我々も同道いたします」
ラウレンツを始め、公爵家から付いてきた騎士達が前に出るが、リリアヴェルは少し逡巡した後、首を左右に振った。
「元々こちらの森は皇族以外は立ち入ってはならぬ森です。大勢で詰め掛ければ魔女様も警戒なさいますでしょう。わたくしと護衛にアニエス、侍女のメツィアを連れて参ります。メツィアは北の魔女様にもお目通りした侍女ですので、問題ありませんでしょう。女性だけならば、きっと」
居並ぶ騎士達を見渡せば、皆顔を見合わせてから頷く。
魔女と事を構えてはならないと、帝国の騎士達は重々分かっている。
公爵家の騎士達も、帝国の臣下達が従うのを見れば、反論は出来なかった。
「どうか、お気をつけて」
「ええ。皆様も凍えぬようにきちんと暖をとってくださいませね」
自分の身が危険に晒されるかもしれない中、騎士達の身まで案じて見せたリリアヴェルに、ラウレンツはしっかりと頭を下げた。
その視野の広さと寛容さは、多くの臣下の心を掴むだろう、とラウレンツも感嘆する。
騎士達もラウレンツに倣うように最敬礼を捧げた。
「メツィ、手土産は用意出来ていて?」
「ええ、お嬢様、こちらに」
名を呼ばれた侍女は笑みを浮かべながら、小さな箱を目の高さに上げて見せた。
手土産って何だろう?
思わず騎士達も不思議そうにその光景を見る。
ああ、あれか。
そう頷いたのは北の魔女の道行きに同行した公爵家の騎士数人だけだ。
その差異を見取って声にしたのはラウレンツである。
「何時の間に、用意なさったのですか?それは……」
「魔女様には贈り物が必要なのですよ」
にっこりと微笑んだリリアヴェルは、確かに北の魔女に気に入られている唯一の公女である。
何だかよく分からない安心感が、帝国の騎士にも伝播していく。
「古よりこの地に根付きし魔女様に申し奉ります。我が名はリリアヴェル・リル・ハルヴィア。黒檀の魔女様が庇護を与えしアキュラム皇室に連なる者にございます。どうか、我が願いをお聞き届けください。皇太子殿下の無事を確認させて頂きたい、ただそれだけの願いでございます」
凛とした美しい声に答えは無い。
だが、迷うことなくリリアヴェルは森へと入って行った。




