皇后の微笑みと帝国貴族の誤算
リリアヴェルという暴走馬が去って一月、皇后は予想外の反応に密かに笑みを湛えていた。
王国という中小国から嫁いだ皇后は、侮る人々を知略と謀略と暴力によって跳ねのけ支配してきたのだ。
背後にある王国への侮りは、けれど皇后一個人の評価によって払拭されたのである。
だが、ここにきて皇太子がまたその王国から妻を娶る事となり、しかも王国の王子に捨てられた公爵令嬢だという噂が蔓延することによって、再び皇后への疑念と皇太子妃候補のリリアヴェルへの侮りとが再燃した。
はずだった。
まず篭絡されたのは、自分にもその価値があり、皇太子妃となるべく育てられた令嬢達である。
相思相愛の二人を見て、身を引いた……といえば聞こえは良いが、違う。
はっきり言えば、恐ろしいほどの重い愛情と、全身全霊で愛を叫んでいるリリアヴェルに対しての恐怖だ。
淑女教育は完璧である。
外面は取り繕えているのだが、容姿の美しさよりも、あの強い愛情を向けられていた皇太子に自分がそれ以上の愛を捧げるという自信が根こそぎ引っこ抜かれたのである。
村人が数十人かかってひっこ抜いた大きな蕪だって、リリアヴェルは秒で抜いてしまうだろうと思える程の剛腕。
控えめに言っても怪物である。
更に、美味しいお菓子に胃袋を掴まれてしまった令嬢達が続出した。
その上、次の日には王都菓子目録が家に届くという、有能ぶりに令嬢達は震撼したのである。
ついでに、女主人である貴族夫人達もまた驚愕した。
内容が、今までになく斬新なものであったからである。
細かく描かれた絵は食欲をそそり、味についての詳細な但書もまた、味を想起させるもので。
令嬢達に聞けば、思い出したように蕩ける笑顔を浮かべるのだから、手に入れたいと思わざるを得なかった。
そして注文して届いた菓子は、淑女達の期待を裏切らないものだったのである。
帝国貴族の夫人と令嬢の間では、瞬く間に王国の菓子の取り寄せが流行となってしまった。
そこに、其々の領地へ菓子に使用される果物を栽培させるという手配、である。
王国から嫁入りと共に、帝国各地へ送る苗や生産職員を連れてくるのだ。
これには淑女達だけでなく、当主である貴族達も喜色を浮かべた。
数年先になるとしても、利益が出る事は良い事である。
更に、その優秀さを目の当たりにした人々によって、ある噂という名の確信めいた話が皇后にも伝わって来た。
曰く、リリアヴェル・リル・ハルヴィアは元から皇太子妃となるべく動いていたのでは?
という疑問だ。
何せ、容姿も麗しく優秀な王太子妃候補を、王太子が廃す訳がないのである。
普通に考えれば。
そう、普通に考えただけでも、だ。
普通でないのを分かっているのは皇帝や皇后、外交官だけである。
権謀術数に長ける帝国貴族が故に辿り着いた答えでもあった。
子爵令嬢レミシアは、今やハルヴィア公爵家の養女となり、王太子妃教育を受けている。
つまり、自国の優秀な低位令嬢を育てて王室へと繋ぎ、高位令嬢である優秀なリリアヴェルを帝国へ嫁がせることで権勢をほしいままにするハルヴィア公爵家の出来上がり、という訳だ。
それも、普通であれば分かる。
普通は、自分や家族の婚約者を奪った相手を養女にした挙句、王太子妃にするべく教育したりはしない。
罠だったのか、王家との密約か何かなのかは判断出来ないが、侮れない令嬢であるという事は広まったのである。
ゆえに、高位貴族達は方針転換を、した。
令嬢達の希望もあって、帝国内での婚約が激増したのである。
今まで皇太子妃にと婚約を渋っていた高位貴族の令嬢達が、帝国内外の高位貴族の令息の求婚を受けて婚約が成立し始めた。
また、低位貴族の間でも相思相愛の二人が眩しかったのか、婚約者との恋愛が流行している。
こっそりと小人形も流行し始めていた。
これほどまでに人心と経済を動かす令嬢などいるだろうか。
それを射止めた息子の審美眼たるや。
「ふふ。未来が楽しみなこと」
そう。
息子の皇太子が暴走馬なみに重い愛情を育てていた事は、皇后も知らぬ事だったのである。
ハルヴィア公爵家ってやり手なんですって!
メグレン様が何をしてるのかは後日(割ととんでもない)




