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ファーストキスを捧ぐ

 コースケはどこに行ってしまったのだろう、だとか、緑達と仲直りする機会はあるのだろうか、だとか、考えてしまうことは色々とある。

 けれども、時間は止まってくれない。

 考えている一分一秒の間にも時間は過ぎていく。


 だから、僕は今目の前にある課題に取り掛かろうと、姿見を見ながらネクタイを締めていた。

 優子とキスをしよう。

 それが僕の当面の目標である。


 そんなことをしているなら緑と仲直りしろ、と言われそうだけれども、両者の間にある溝はあまりにも深い。

 例えるならば、昆虫食を可とする人間と不可とする人間の間にある食卓上の溝だ。

 だから、それよりはまず、恋人との関係を進展させることに時間を使おうと思った。


「コトブキさん、そろそろ遅くなりますよ」


 恵が扉越しに声をかけてくる。

 僕はもう一度姿見を見る。

 映された優男はあまり美形とは言い難い。

 凡人、脇役、特徴がないのが特徴。


 けど、今はコンプレックスになどかまっていられるか。

 僕は鞄を片手に持つと、恵と一緒に家を出た。


 まず、第一の難関がこのナンバース所属の護衛をどうやって引き離すかだ。

 それについてはもう考えがある。


「よう、コトブキ。おはよーさん」


 そう言って、袋に包んだ潮風斬鉄を担いだ徹が軽く片手を上げる。

 恵が目を丸くする。


「珍しいですね、徹さん。こんな場所で合流するなんて」


「いやな。今日はちょっと恵さんに相談したいことがあってだな」


「相談? 私に?」


 徹はポケットから手を取り出し、小さく親指を立ててグッドサインを作った。

 後は頑張れと言った次第だ。


「僕は優子と合流してくるよ。今の状況じゃ一人は危険だし、遅刻しちゃうし」


「うーん」


 恵は暫し考えこんだが、頷いた。


「仕方がないですね。一人での行動を許可します」


「ありがとう。行ってくる」


 駆け足で優子の家へと急ぐ。

 丁度、優子は家を出たところだった。


「あら、コトブキじゃない。走ってきてどうしたの?」


「いやな」


 コホン、と咳払いをする。

 そして、頭が真っ白になった。

 どう切り出したものだろう。

 今からキスをしよう、なんて言っていいものだろうか。


 主人公の器たる徹はそれを可とさせる雰囲気作りにも長けている。

 脇役の僕は昨日必死に考えた台本を一瞬で頭のなかに白紙に変える錬金術師だ。

 この差があらためて考えてみても悲しい。


「いや、その、あのさ。話したいことがあってだな」


「話したいこと?」


「そう。話したいこと」


「どんなことさ」


 優子のどんぐり眼が好奇心に輝く。

 それを曇らせてしまうのではないか、という躊躇いが口を重くさせる。


「ま、察しはついてるんだけどね」


 そう言って優子は宙空に視線を向ける。


「察し?」


「うん。コトブキが言いたいことはわかるよ。どうせなら私がいいよね」


「そうだよ。優子以外考えられない!」


 僕は力を込めて言う。


「コトブキがそこまで言ってくれるなんて以外だな。徹を選ぶと思ってた」


 何故そこで徹。

 もしや、こいつ腐女子か。


「徹は徹で上手くやってるよ。小鈴さんがいるし、今は恵さんと相談してる」


「そっか、徹と恵もいいコンビだもんね」


「僕は……俺は、優子がいいんだ」


 ちょっと格好つけて、俺、なんて言ってみる。

 優子は、顔を赤面させた。


「ちょっと困っちゃうな。私でいいのかな。けど、時間もないしね」


 そう言えば、今は登校の途中だった。

 しかし幸いだった。ここまで優子の察しが良いとは。


「わかったよ。私はコトブキと出るよ。今度のペア対抗トーナメント戦に」


「……へ?」


 僕の中で目標が変わった。

 ペア対抗戦で優勝したら優子にキスを迫ろう。

 その方が記憶にも残るし、僕の格好良い姿を見せられるしで良いではないか。


 結局のところ、僕は優子の純粋さに敗走したのだった。

 悲しくても現実は続く。


「さ、登校して登録申請書出さなきゃね」


 そう言って、優子はうきうきしながら登校路を歩いていった。

 敗残兵はその後を黙々と、きっと誰かが見たら死んだ魚のような目をしていたと表現するだろう姿をして進んでいった。




続く

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