6月17日(火)探さないでください
夜に送ったメールが気になって、なかなか寝付けなかった私は遅刻ギリギリで教室に飛び込んだ。
「あっ……。のどかちゃん、おはよう」
「お、おはよ……。疲れた……」
バス停は正門の近くにあるとはいえ、この学園は丘の上にある。バス停から続く坂道を走って、私の足はもうガクガクだった。
「珍しいね……のどかちゃんがこんなに遅いなんて……。なにかあったの?」
鋭いね、茅乃ちゃん。
でも、これは言うわけにはいかないんだよ。茅乃ちゃんは諏訪生徒会長とお付き合いを始めたけれど、周りの反応を気にしてか、諏訪生徒会長もまだオープンにはしていない。でも、これは別に保身のためではなく、きっと茅乃ちゃんのためだろうと思うんだよね。なんとなくだけどね。
図書館ラウンジの鍵を私に預けたこととか考えると、茅乃ちゃんが矢面に立たないようにって考えなのかな~と思う。あとは、私を巻き込むことによって、私は諏訪生徒会長から茅乃ちゃんのことを任されたのかな~とも思ってる。
学園は行事も多く、諏訪会長はなかなか多忙な人らしい。それに加え、校舎の大きさや学年の違っていて教室のフロアが違うことから、諏訪会長と茅乃ちゃんは、学園内でバッタリ偶然会うということもないわけだ。諏訪会長は茅乃ちゃんを近くで見守ることは出来ないわけだよ。だから、お昼休み以外の時間は頼んだよ。ってことかなって。だって、茅乃ちゃんが会長とのお付き合いを私に報告したこと、会長は事前に知ってたと思うんだよね。
茅乃ちゃんは外部入学ってことで、学園内にはまだまだ知り合いは少ない。私を茅乃ちゃんの親友として認めることで、茅乃ちゃんの気持ちを楽にしてあげたかったし、自分も安心したかったんだろうな、と。
まぁ、そんな感じで受けとった図書館ラウンジの鍵だけどさ。茅乃ちゃんと諏訪会長がふたりきりでお昼休みを過ごすようになった今、それは茅乃ちゃんに渡してるけどね。
(それにしても、よく私にそんな役割を任せようと思ったもんだなぁ……)
私は今では諏訪会長と知人以上友達未満の関係ではあるけれど、私も外部入学生だ。
諏訪会長とは、彼が茅乃ちゃんと知り合った藤見茶会で茅乃ちゃんを通して知り合いになったに過ぎない。あの中には、内部生で諏訪会長自身が以前より知っている人たちだっていた。丞くんも風斗くんも、山科さんだって昔から知ってるはず。なのに、なんで私だったんだろう。
そこまで考えて、ふとある可能性に気づいてしまった。
諏訪会長は、丞くんがライバルだって見抜いてた――?
それなら、私を選んだのも納得だ。
自分よりも接点の多い丞くんに茅乃ちゃんを頼んで、より親しくなられちゃ困るだろうし、風斗くんは丞くんの気持ちに気づいていたら諏訪会長に協力はしないだろう。山科さんという手もあったけど、まだお互い名字で呼び合う仲だ。
だとすると……鍵を受け取った時点で、私は諏訪会長に協力したことになるのか……。
うわぁ……。諏訪会長は凛々しくて品性方向で非の打ち所がない人物だと思っていたけど……もしかして、ものすごい策士では……?
私はそんな策士に昨晩ドエラいメールを送ってしまったんじゃなかろうか……。
いやいや、考えすぎかもしれない。うんうん。
ただ単に、私が頼みやすかったのかもしれない。うん、きっとそうだ。
「……あの、のどかちゃん?」
「えっ? あ、ごめん。なにか言った?」
おっと。すっかり考えこんでしまってたみたいだ。茅乃ちゃんが心配そうにこちらを見ている。
「あの……今日のお昼は、一緒に食べれるかな?って……聞いたの……」
「え? 今日? 勿論、大丈夫だけど……いいの?」
最後の「いいの?」は小さな声で聞いた。すると、茅乃ちゃんはすぐに頷いた。
「……うん。朝、連絡がきて……今日は篁副会長と用事があるからって……」
思わぬ返しに胸がドキッとなったよ!
それは……私が送ったメールが原因じゃないかな? そんな気がする。
うわぁ、どうするんだろう? 生徒会長室を調べるよね? うわー! どうなるんだろう??
「う、うん! じゃあ、今日は久しぶりに皆で食べよう!!」
なんとか平静を装ってそう返事をしてけれど、私は会長がどうするつもりなのか、今後が気になって仕方がなかった。
* * *
結果、来てしまいましたよ。資料室。
諏訪会長たちよりも早く着いておきたかったので、ホームルームが終わって走ってきました。今日は走ってばかりだな……。
もしかしたら、お昼休みの間に解決してるかな?とも思ったんだけど、お昼休みは時間が限られている。だから、メールの内容を確認してカメラを外しに来るなら放課後かなって思ったんだよね。
なので、今日私がここに来た目的は、盗み聞きだったりする。
万一を考え、資料を出して新聞部の作業をするなんてこともしません。今日はただひたすら、息を殺してお隣の様子を窺うのです!
阿久津先生に教えてもらった棚も確認。うん、今も中は空だから、万が一の時はまたここに身を隠そう。少しの物音も立てたくない。スマホもマナーモードからサイレントモードに変え、私は隠れ場所の棚の引き戸を開けたままにすると、そこに腰かけた。イスを引くようなちょっとした動作も、音が怖いんだよ。
すると、少ししてカチャリと生徒会長室のドアの鍵が開く音がした。
私は思わず膝を両手で抱え、顎をのせた。
誰も見ているわけではないのに、思わず身を縮こまらせる。
「なぁ。それって本当か? イタズラじゃないのか?」
聞こえてきたのは和沙さんの少し不機嫌そうな声だ。
続いて、諏訪会長の落ち着いた声が聞こえた。
「イタズラにしては、色々知りすぎていた。このメールアドレスの持ち主が僕であること、そして……机の上に置時計があることも」
ゴトリと重いものを動かす音がしたと思ったら、「……見つけた」と呟くような諏訪会長の声がした。
「ほんとか!?」
「ああ。もう一か所はどうだい?」
「ちょ、ちょっと待って……」
ガラガラと乱暴に棚が開けられる音がする。続いてドサリドサリと音が響いた。
「おい、和沙。それはこの学園の歴史だ。もっと丁寧に扱って――」
「あった!」
諏訪会長の声を遮り、和沙さんが叫ぶ。
「映像はどこかのパソコンに直接送っているのだろうか。カメラの中にメモリーカードが入っていれば有難いんだが……」
「あったぞ。マイクロSDカードが入ってる!」
「よし。確認しよう」
パソコンを用意してきたのか、生徒会長室にはパソコンも置いているのか、どちらなのかよくわからないけれど、どうやらふたりはこの場で確認するようだ。
(確認するって言っても……生徒会長室でのふたりが写ってるだけなのに……)
そう思っていると、耳障りな声が大音量で流れだした。
『え~? そんなこと、えりな言った?』
あっ!と思わず声を出しそうになり、慌てて口を手で覆う。
そうだ。1台は追加で後から設置したカメラ。その取り付けの様子が、先に設置してある1台が撮影してるんだ!
取り付けに来たふたりはそれを失念していたのか、会話は続く。
『え~っと? もう一台つけたいんだけど? ねえ、どこがいい?』
『えっ? 増やすの? そ、それはどうかと思うよ……』
『なに? なにか言った? えりなが言ったことに、もしかして反対した?』
『い、いや……。ええと……この棚はどうかな』
「このふたりか……」
「なにかしでかすと思ったら、こういうことをするとは――」
「和沙。黙って。誰か来る」
ガチャリと静かにドアが開く音がする。
「やあ、カメラは見つかりましたか」
「――阿久津先生」
「あ、センセー。来てくれたんですか?」
天使・和沙が復活する。
毎度、見事な切り替えだと思わず感心してしまう。
「ええ。これでも、生徒会顧問ですからね。どうでした? おやおや。このおふたりですか……」
「はい。日付は昨日。我々が揃って聖マリアンヌに出かけると知っていたからでしょう」
「まったく。ひどい話だよ。僕らは仲間なのに」
天使・和沙が心底傷ついたように悲し気な声をだした。
(和沙さん……! あなた、俳優になれるよ……! マジで!)
「それで……、どうします? 相手は学園理事長の愛娘です」
「関係ありません。生徒会はやめてもらいます。いくら理事長が可愛がってると言っても、映像と声が残っています。反論はしないでしょう」
「ご丁寧に、名前も名乗ってるしね」
「そうですか。――険しい表情をしているから、対応を迷っているのかと思いましたよ」
「いえ、これは……。メールで知らせてくれた人物を考えていたんです。僕のプライベートのアドレスを知っていて、カメラが取り付けられた場所まで正確に知っていた。今回は僕たちは助けられましたが、一体目的はなんでしょう」
少しの間、沈黙が流れた。
あっさりとカメラ設置犯のペナルティーが決まるとは想定外だった。しかも、論点が私に移ってるし! それは困るんですけど!
「そうですねぇ……。では、こうしませんか。この場所は閉鎖しましょう。元はと言えば、紫藤さんの行動によって生徒会の仕事が滞ることが原因でここを使うようになったんですから。その紫藤さんが生徒会を去れば、生徒会室で仕事ができるでしょう?」
「まぁ……そうだけどぉ」
和沙さんはなんだか納得がいっていないようだった。
「だって、なんだか気味が悪いよ。ね? 雨音もそう思うだろう?」
(なんだと! ピンチを教えたのに気味が悪いとは失礼な!)
「いや。気にはなるが、今回は正直助かったのだから、少し様子をみよう。では先生、ふたりの後任の件も含め、後で相談に乗ってもらえますか」
「勿論ですよ。さ、ではこの部屋の鍵を預かりましょう。どうやら合鍵が存在するようですから、鍵も取り換えなければいけませんしね」
「鍵……ですか。そういえば先生。この部屋と繋がっているのは新聞部の資料室でしたね? 資料室の鍵は、アプリですか? それとも昔からの鍵ですか?」
ドキドキが止まらない。
助けたはずなのに、追い詰められてるってどういうことだ。
額にじわっと汗がにじんでるのに、指先が冷たいよ。
アプリって、どういうこと?
私はこの資料室に鍵を使って入ってるけど……。
「そうですか……。では、入室記録が分かりますね」
「ソフト部の協力があれば、できないことはありませんが……プライバシーの侵害にはなりませんか?」
「僕らのプライバシーだって漏れてるんだから、これ位はお互い様だよ!」
「そうですねぇ……。あまり表立ってやらないでくださいね」
「ええ。わかっています。では、この部屋の鍵をお返しします」
ドアが開く音がして、静寂が訪れた。
全員が出ていったんだろうか? 会話の方向が思わぬ方に向き、私はまだ動けずにいた。
この流れで、もし廊下なんかで鉢合わせしたらと思うと怖くてまだ資料室を出れない。たとえすぐ外の廊下ではなく、ここから離れた場所で出会ったとしても、挙動不審になる自信がある。
とにかく、今はじっと大人しく時間が経つのを待つしかない。
すると、しばらくして阿久津先生の声がした。
「アプリを使わなければ、入室記録には残りません」
(えっ?)
思わず振り返るけど、当然棚の向こう側は見えない。
「鍵を失くさないでくださいね。それと……あまり、無茶はしないでください」
向こう側で、先生が苦笑しているのが分かった。
「……はい」
小さな声で返事をする。
緊張からか、思った以上にかすれた声になったけれど、先生には聞こえたらしく、返事が返ってきた。
「お礼は愛用のパジャマでいいですよ」
もう! 台無しだよ変態めっ!




