SS×SS 6月8日(日)大和「万が一にも」
一周年アンケートのお礼SS×SS(ショートストーリー×サイドストーリー)です(*'▽')
たっくんに1票ありがとうございました!
PCの画面から目を離し、脇に置いたコーヒーを飲もうとして、すっかりぬるくなっているのに気が付いた。
時間は既に夕方の5時を過ぎている。
どうやら作業に没頭していたようだ。
さて、今日の晩御飯のメニューはなんにしようか。
確か冷蔵庫に、ナスとズッキーニが残っていたはずだ。あぁ、鶏もも肉も残っていたな。トマトホール缶はストックルームにあるはずだし……。
よし、トマト煮込みでも作るか。
(レシピは……)
愛用のタブレットを手に取り、検索するとブックマークにはズラリと料理のレシピが並んでいた。
今までもかなりの回数作ったからな。
以前は通いの家政婦さんが来ていたのだけれど、作家を生業としている両親は締切が近くなると他人が家の中にいるという環境が執筆活動に集中できないというので、仕方なく俺が料理を始めたんだっけ。
普段は母親が作るんだけれど、こうしてブックマークを見ると、俺もだいぶレパートリーが増えたものだ。
(お。これは良さそうだな)
たくさん並んだトマト煮込みのレシピの中でも、特に材料を買い足す必要もなく作れそうなレシピを選ぶと、俺はそれを新たにブックマークに追加した。
「あら、鷹臣」
「お母さん」
キッチンに向かうと、そこにはエプロンをつけた母親がいた。
「俺が作るよ」
「え?大丈夫よ。お母さん、脱稿したから!」
今回はかなり厳しかったのか、目の下のクマが目立つけれど、達成感からか表情は明るい。
でもせっかくだから、ゆっくりしてもらいたかった。
「いいって。お母さんは休んでて。俺が作るから」
「でも……今から? もう5時過ぎよ?」
「間に合うって。最近手際が良くなったの知ってるだろう」
「そうねぇ……。あ、じゃあ一緒に作りましょうか。ね? お母さんこういうの憧れてたのよ」
そう言うと、母は俺が持っていたタブレットを覗き込み、いそいそと準備を始めた。
こうも嬉しそうにされては、休んでいて、なんて言えるはずもなく、俺は愛用の深いブルーのエプロンをつけた。
「鷹臣、最近は本当に料理の腕を上げたわよね。お母さんビックリしてるのよ。前から味はとても良かったんだけど、なんて言うのかしら……ほら……」
「前は手際が良くなかったからね。午後の大半を費やして、やっと夕飯に間に合っていた」
出来上がった料理を、両親は美味しいと言って食べてくれたけれど、キッチンは毎回戦場のようになっていた。
何度か、母が大切にしていた食器を割ってしまったこともあるし、本当に申し訳ないことをしたと思っている。
でもなぜか、あの時は考えているように手が動かず、脳からの伝達がうまく届いていないとしか言いようのないおかしなことになっていた。
でももう大丈夫。
見かねた両親がお隣の綾さんに助けを求め、通うこと1年。俺は苦手を克服しつつある。
「今日はチキンのトマト煮込みを作ろうと思っているんだ」
「まあ、いいわね!」
ストックルームからホールトマト缶を持ってくると、プルトップのリングに指を引っかけると、一気にフタを開けた。
「あっ!」
「きゃあ!?」
気が付いた時には、缶を持っていた手の指はフタでザックリと切れ、床にはトマトソースの池が出来ていた……。
「鷹臣! 大丈夫!? 血、血がすごいじゃないの!」
「あ、ああ……うん。だい、じょうぶ」
* * *
「それでもミスは減ったじゃないか」
夕食のチキンソテーを頬張りながら、父が言った。
床に捧げたトマトソースは、あれが最後の1缶だったため、メニューの変更をせざるを得なかったのだ。
あの後、騒ぎを聞いて駆け付けた父親に無理やり車に乗せられ、病院へと向かうはめになった。
結果的に、指は5針縫われ、ガーゼと包帯、さらにその上からネットを被せられた。
帰宅すると、既に夕食は出来上がっており、トマトまみれになった俺のスリッパも新品と交換。床も綺麗に拭かれていた。
どうして、今日に限って以前のようなミスをしてしまったのだろう。
「そうよ。今日はたまたま、缶のフタが勢いよく開いてしまったのよね」
「最近はとても手際がいいと、綾さんも褒めていたぞ? なんでもホラ、一緒に料理を習うようになった綾さんの姪っ子さんだったか? 初心者の彼女をサポートできるまでになったと……」
「アイツは危なっかしいんだ。卵を割ればカラを粉々にしてボウルの中に入れるし、包丁を無造作にその辺に置くから、ハラハラする。かといってミスをしてもあっけらかんとしているし、俺がしっかりしなければいけないんだ」
今日のミスがたまたまなのは分かっている。
俺としたことが、周囲の状況をきちんと確認していなかった。結果、アイツのようなくだらないミスをしてしまい、母に全てまかせることになるなんて情けない。
今日のことは反省しなければならない。
それに、こんなことがあって急遽メニューが変わった場合も含め、綾さんに対処法を教えてもらわなければ。
その時は勿論、アイツも強制参加だ。俺以上にアイツはなんの対処もできないだろう。
片付けと怪我の治療、更にメニューの変更があった上で、夕飯の時間は守らなければならない。
アイツは全く対応できないに違いない。血も苦手そうだしな。それ以前に、俺の前で怪我されては困る。アイツには、缶詰を開けるのはまだ早いと助言しなければ。
よし、明日早速綾さんに予定を聞こう。
すると、両親が手を止めて俺を見ているのに気が付いた。
「なに。ふたりとも、どうかした?」
「鷹臣……お前、彼女を気にいったのか?」
締切に追われ、疲れきっているとはいえ、それでも父が言葉に詰まるなんて珍しい。一体、なにをそんなに驚いているんだろう。
「彼女? 一体誰のことです?」
「綾さんの姪っ子さんよ! お名前なんといったかしら……ええと」
「小鳥遊のどかだよ。お母さんも一緒に綾さんから聞いただろう」
そう言うと、ふたりは驚いたように目を見開いて顔を合わせた。
「鷹臣……お前、名前を覚えているのか!?」
「当たり前でしょう。一体ふたりともさっきからなんです?」
「だってあなた、ソフト部に入部したっていう女子生徒の名前、言える?」
「…………」
「生徒会に無理やり入って来たという、女子生徒は?」
「…………」
ソフト部は確かに俺が部長をやっているが、俺は文化部部長も兼任しているから、実質的な部長の役割は副部長に任せている。だから、知らなくても問題はない。
生徒会の方だって、俺はあくまで時々出入りする文化部部長、という役職で、生徒会役員ではない。したがって、これもまた覚える必要はない。
「名前を覚えている女性、というのなら、他にもいます。綾さんだってそうだし、新聞部の九鬼だってそうだ」
「綾さんは置いておいて……。じゃあ、九鬼さんの下の名前は?」
「……なんだったかな」
「ほら見ろ! やっぱりそうだろう! お前の表情も、口調の割にはいつもより柔らかいし、お前は自覚していないだけなんだよ」
「眼差しも優しかったわ。あら~。青春ねえ。今度ちゃんとのどかちゃんと話してみたいわ」
止めてくれ!
一体なんなんだ。そんなことあり得ない。断じてあり得ない。
これだから作家コンビは困る。少しの表情の変化を、すぐになにかに結び付けようとする。
俺の表情が柔らかかった? 眼差しが優しい? そんなはずはない。
もしあったとしても、それは単なる日常的な表情の変化でしかない。
母が作ったチキンソテーは、俺が好きな母お手製のガーリックソースがかけられており、スライスして両面を軽く焼いたナスとズッキーニにもとてもよく合った。俺の表情が緩んだのなら、きっとこんな理由だ。
俺が小鳥遊のどかを気にいっている?
そんなこと、万が一にもあり得ない。




