6月8日(日)説明を求めます!
手のひらに乗る、殆ど重さの感じないほどの小さな小さな鍵。
私はそれをなんとなしに眺めていた。
(まさか開くなんて思ってなかったんだもんなぁ)
ただ、この鍵のような小さな小さな鍵穴を見たら、なんとなく入れてみたくなったんだ。
まさか本当に開くなんて、私も拓真先輩も思っていなかった。
あの後、ふたりでポカンと口を開け、次の瞬間「なんで~~!?」って叫んだんだ。
そしたら、当たり前だけど拓真先輩のお父さんもお母さんも、お兄さんもやって来て。最期の引き出しが開いたタンスを見て同じようにポカンとしていたっけ。
中に入っていたのは、たくさんの古い手紙だった。
そう感じたのは豪快ながらも流れるような達筆な文字を見て古い時代の物だなとわかっただけで、長い間外の空気に触れていなかったそれは、とても綺麗な状態だった。
メールやメッセージアプリに馴染んだ私からすると、手紙っていうのはとても秘められたものだという印象がある。
だってさ、想いを伝えるのに数日かかるわけでしょ。現代でも、最低1日はかかる。昔はもっと時間がかかったわけでしょう? 当時はそれ以外手段がなかったとはいえ、届けたい気持ちがすぐに届かないっていうもどかしい気持ちも含め、メールやメッセージよりもズシリと重みを感じる。
それは拓真先輩も同じだったのか、引き出しを開けたはいいものの内容を確認しようなんて思えなかった。
だから、私たちの声を聞いてやってきた拓真先輩のお父さんにそのままお願いすることにした。
そしたら今朝、拓真先輩から手紙の件で電話があったんだよね。
それがなんとも驚きの内容だったのです。
手紙の殆どは男性から女性に宛てた恋文だったそうだ。きっとその女性があのタンスの持ち主だったんだろう。
それだけなら私にわざわざ知らせる必要なんてないんだけど、その手紙の差出人というのが『小鳥遊輝一』だったんだって。
その名字と、鍵を持っていたことからして、私に関係のある人物ではないか?ということだったらしい。
そして、宛名は『篁ヨシ乃』
――篁……総帥と同じ苗字だ。鍵を持っていたことからして、総帥にとって近い人で間違いないだろう。でも、なんで私に鍵を預けたんだろう? それに、ずっと大事に鍵を持っていたわりには引き出しは長く開けられていなかったわけで……。
そもそも、どうしてそのタンスが拓真先輩の家に?
拓真先輩のお家は画廊を経営している。扱う美術品は絵画や彫刻を中心に、アンティークの家具にインテリア雑貨と幅広い。そんな仕事柄、どこかから手に入れたものだろうかと思っていたら、なんとこのカラクリタンスは昔から拓真先輩のお家にあったそうなんだよね。
「商品じゃないんだよ。昔……それこそ俺が生まれる前からこの家にあったんだ」
おじい様の代で今の洋館に建て替えた際、引き出しもが開かないこともあって物置部屋に置かれたんだそうだ。
そんな昔のことだから、タンスの由来を知っている人は八重樫家にはもういないらしい。
拓真先輩の話を聞いてう~んと考え込んでしまった私に、更に驚きの言葉が投げかけられた。
「知っているとすれば、小鳥遊家かと思ったけど、のどかの反応からして知らないっぽいし。そうなると確実なのは篁千太郎氏だろうな」
「総帥? 確かに鍵は総帥が持ってたけど……。でもどうして確実に由来を知っているとなるの?」
「手紙の中に、未開封の物があったんだ。差出人は『篁ヨシ乃』そして、宛名は『篁千太郎』なんだ」
なんですと。
タンスの持ち主らしき人の名を聞いて、これってもしかして総帥の親戚縁者じゃないの?とは思ったけれど、本人の名前が出てくるって、もう思いっきり関係してるんじゃん!
「でも、相手が相手だからな~」
「拓真先輩。――それ、私に預けてもらえませんか?」
これはしっかりはっきりと説明してもらわなきゃ。
なにがしたくてこんなことをしたのか……どうして私が巻き込まれなきゃいけないのか。
「おぉ、すまんな。待たせたの」
「いえ。私こそ突然連絡してしまってすみません」
手のひらの鍵を思わずぎゅっと握りしめる。
すると、目の前の席に座った総帥はその手をそっと撫でた。
「もしかして、もう見つけたのかね」
「――はい」
「そうかそうか。君にあの子の面影を感じてこの鍵を託したんじゃが、間違いではなかったらしい」
「あの子って誰ですか? ヨシ乃さんって人ですか?」
すると、総帥はチラリを後方に視線を送った。
その先にいたスーツ姿の男の人が立ち上がり、奥へと消えた。
あ、秘書さんか、ボディーガードの人かな? そうだよね。篁グループの総帥だもん。ご高齢でもあるし、まさかひとりで来るわけないもんね。
パパとママに拓真先輩からの電話の内容を話し、総帥に直接確認したいと言うと、パパは早速総帥の秘書さんに連絡を取ってくれた。まさか当日中にその機会が訪れるとは思ってなかったけど、モヤモヤした気持ちを抱えて数日過ごすのは気持ち良くないから、願ったり叶ったりだ。
で、呼び出された有名ホテルのラウンジに乗り込んだというわけです。
ここまではパパが送ってくれたんだけど、微妙な表情でね。車から降りる時に「総帥に直接聞きなさい」とだけ言われたよ。益々気になる。
すぐに戻って来たスーツの男性は、先ほどより更に離れた席に座った。
こ、これは……アレじゃないですか。「○○、人払いを」的なアレじゃないですか? さすが総帥ですね!
「ヨシ乃というのはね」
あっ。ハイハイ。本題ですね。
スーツの男性とは視線だけでやり取りできちゃうとか、凄いですね総帥!
「儂の妹で、のどかちゃんの曾祖母にあたるんじゃ」
「えっ!」
しわしわの枯れ木のような手で、総帥が一枚の古い写真を差し出した。
縁がボロボロの白黒写真で、写っていたのは今の時代でも豪華だと分かる着物を着ている女性。
少し丸顔だけれど、私と違って目鼻立ちのハッキリしたその人は、はにかんだような微笑みを浮かべていた。
ただ……彼女もまた、見事なモコモコ頭だったのだ。
面影って……まさかコレ……ですか?
「よく似ているじゃろう?」
「あはははは……」
「ヨシ乃はただひとりの妹でな。篁の姫と大事に大事に育てられた。そして、一族で相応しい夫を選んだんじゃ。それが八重樫繁造氏。現当主の祖父にあたる人物じゃ」
「はぁ……」
周囲がどんどん結婚話を進めていく中、実はヨシ乃には想いを通わせていた人物がいたのだと言う。それが、うちの曾おじいちゃん、小鳥遊輝一だったのだそうだ。
だけど、輝一は篁家で雇われていた職人。今では考えられないけど、当時では身分の差というのがふたりに立ちはだかり、とてもではないけれど公表できなかったのだそうだ。
ふたりはこっそりと文を交わし、気持ちを確かめあっていた。
そんな中、ヨシ乃の輿入れが決まる。
名門、篁家からの輿入れとあって、たくさんの花嫁道具が八重樫家に運び込まれることになった。
そしてその騒ぎに乗じて、ふたりは駆け落ちをはかったのだそうだ。
結果、八重樫家に花嫁道具が運び込まれたが、肝心の花嫁が消えてしまったというわけだ。
同じく姿を消した輝一に疑いがかかり方々を探し、同業者にも捜索を依頼したが、輝一はそれを予想してか取引のなかった遠い地方へと逃げていた。
数年経ってやっと捜し出した時、既にヨシ乃のお腹には赤ん坊がおり、総帥のお父さんはヨシ乃さんを勘当したのだという。
以前、曾おじいちゃんが仕事で苦労したと言っていたのはこのことだったんだ……。
「……儂にもどうにもできんかった。それに、当時はなんてことをしてくれたもんかと、そう思ったもんだった。じゃが、儂も人の親になり、祖父になり……儂より早く人の親になったヨシ乃に、どうして手を差し伸べられんかったかと、後悔した。全てが遅かったのは分かっておる。じゃが、ヨシ乃の残した子たちの人生に、少しだが関わり、何か手助けをしたいと思ったんじゃ」
「…………」
時代だろうなぁと思う。私の感覚では勘当するほどのことか?とか、正直思うけど……篁家の大きさを知ってしまった今では、仕方のないことだったのかな、とも思う。
確かに、曾おじいちゃんはかなり苦労したと聞いているけれど、でも今の総帥を見ていると、裕福な生活でも決して幸せだったとは言えなかったんじゃないかと思えた。
ヨシ乃さんの写真を持つ手は小刻みに震え、辛そうに歪め総帥の顔は、初めて年相応に見えたんだ。
「最初はの、そんな感傷からだったんじゃよ。のどかちゃんに鍵を渡したのはな。儂が渡せるヨシ乃所縁の物はそれしかなかったんじゃ。じゃが……まさか、カラクリタンスがまだ八重樫家にあったとは……」
「……はい。それで……これを預かってきました」
私は、汚さないようにとファイルに入れていた総帥宛ての手紙を取り出すと、そっと差し出した。
そこに懐かしいヨシ乃さんの文字を見つけ、一気に総帥の目が潤む。
総帥は全てを覚えようかとしているかのように、何度も何度も手紙を読み返した。
きっと、その時のヨシ乃さんの心情を想い、総帥の気持ちも当時にタイムスリップしていたんじゃないかと思う。
長く、長く総帥は過去を旅しているようだった。
私はそれをじっと眺め、見守るしかなかった。
どれ位時間が経っただろう。
やっと総帥が顔を上げて、私を見た。その瞳に映る私は、きっとヨシ乃さんと重なっていたんじゃないかと思う。
「儂は、子供も孫も女の子がおらんのだ。――のどかちゃん以外は。残り少ない人生、ほんの少し、のどかちゃんの人生に関わらせてはくれんかの」
「勿論ですよ。曾おばあちゃんの話、もっと聞きたいですもん」
「……ありがとう。さて、儂はそろそろ失礼しよう。少し、疲れたようじゃ」
「あ、はい。わざわざ来てもらって、ありがとうございました」
「いやいや、構わぬ。なかなか味わえない、良い時間じゃった。ここはチェリーパイが絶品じゃ。運ばせよう。ゆっくりと楽しみなさい」
「え、でもひとりで……」
「いやいや。曾孫に相手をさせよう。後で送ってもらうといい」
秘書さんが総帥に手を貸し、立ち上がると同時に、ひとりの少年がラウンジの片隅で席をたったのが見えた。
「げ」
現れたのは、和沙さんだった。
相変わらず天使のような笑顔を貼りつけている。
でもね、オーラがめっちゃ黒いんですけど!? なんでここにいるかな!?




