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6月7日(土)開いちゃいました

 自室の大きな姿見で服装のチェックをしていると、軽いノックの後にドアが開けられた。

 ちょっとママ。私まだ返事してないんですけど、なに勝手に入ってきてるのかな。

 抗議の視線を向けても、ママはそれに気づいた様子もなく、意味ありげに笑った。


「ふふふ。初デートの準備はできたかな~と思って」

「だから! デートじゃないってば!」

「照れない照れないっ。うん、その服いいんじゃない?」

「そ、そうかな」


 今日は悩んだ結果、おじいちゃんの家から持ってきたままだった淡いグリーンのワンピースにしたんだ。

 ちょっと私にしては甘すぎるかな、とか考えたんだけど……今日は出かける場所が場所なので……うん。こうした、だけだから。

 決してデートとかそんなんじゃないんだよ~! なのに、ママがそんなことを言うから、なんか変に意識しちゃうじゃないか!


「……着替えようかな。もっとラフでカジュアルな――」

「あ、お迎えもう来てるわよ。早くね~」

「えっ! ちょ、ちょっとママ! それ早く言ってよ!」

「それを伝えに来たのよ」


 えええええ!

 それじゃ、今から着替えるなんて無理だし……。仕方ない。このまま行くしかないか。

 せっかくバッグから靴まで、このワンピースに合わせて選んだんだしな。

 私は用意してあったバッグを掴むと、急いで部屋を出た。


「おまたせ! 待ちました?」


 リビングに行くと、そこには寛いだ様子でパパと話をしている拓真先輩がいた。


「おはよう、のどか。そのワンピース、いいね。すごく似合う」

「そ、それはドウモ……」


 6月の爽やかな日差しを浴びて、拓真先輩の明るい髪が金色に輝く。

 そんなキランキラン状態でそんなセリフ言うとか、反則だろう!

 ま、眩しい……。くそう。イケメンめ。挨拶するだけでイケメンってずるすぎる。


「ほらほら。のどか。これも持って。エレナさんによろしくね」

「はいはい」

「わぁ、香ばしいいい匂いがしますね」

「エレナさん、和菓子がお好きだって言ってらしたでしょう。おススメのお団子なのよ」

「それは楽しみです」


 いい匂い~とか嗅ぐ素振りを見せて、しっかりと荷物を持ってくれちゃうところは拓真先輩ってはさすがってもんだ。

 ママが用意したこのお団子、きっと昔食べてたっていうあの商店街のお団子だ。

 柔らかいだけじゃなく、噛むともきゅっとした弾力が特徴のお団子に、みたらしがたっぷり絡んで、1本でも結構なボリュームを感じる名物団子だ。それが贈答用の箱に詰め込まれると結構な重さなんだよね。


「じゃあ、行ってきま~す」


 そう、今日は拓真先輩とお出かけなのだ。

 どうしてこんなことになったかというと、それは昨日に遡る。

 昨日、資料室で鳴り響いたスマホ。あの時メッセージを送った犯人というのが、なんと拓真先輩だったんだ。

 プロムの計画書云々というのは本当の話だったようで、帰りが遅くなったんだって。で、帰ろうと思ったんだけど、私に用事があったらしくて、さすがに帰っただろうなと思いつつもシューズロッカーを確認したらしい。

 ロッカー関係は、全てアプリで鍵を開ける必要があるんだよね。そのロッカーが『使用中』になっていたので、まだ学園内にいると分かった。それで、メッセージを送って、そのままエントランスホールで返信を待っていたんだって。

 そこに、階段から私が降ってきた、というわけだ。

 助けてくれてありがとうって言ったけど、でも追いかけられた原因も拓真先輩なわけで。なんか複雑だ。

 で、私にメッセージを送った用事っていうのが、今日のお出かけなんだよね。


「お礼とか、わざわざいいのに」

「悪いな。母さんにとっては、そういうわけにはいかないらしい。悪いがちょっと付き合ってくれ」


 拓真先輩が困ったように言った。


「助けたって言っても、ただ一緒に帰ってきただけっていう感じなのにな~って思って」

「いや、でも……実際、助かったから」


 その時のことを思い出したのか、拓真先輩が顔を顰めた。

 まぁ……確かにね。拓真先輩はかなり呼吸が苦しそうだったし、あの時あの場に遭遇しなかったら……と思うと、怖い。

 あの時、私は万が一を考えて、拓真先輩の部屋の前まで付き添ったわけなんだけど、そこで拓真先輩のお母さんに、えらく感謝されてしまってねぇ……。

 ちょっと大げさじゃない?って位頭を下げられ、その上先輩がもう大丈夫だと分かると私の親にも挨拶しに来る程だったんだ。

 でも、それだけでは足りなかったらしく、今日先輩のご実家にお招きされたのだ。


 ここより少し離れた場所にあるご実家は、ご両親と一番上のお兄さん一家が暮らしているのだそうだ。

 2番目のお兄さんと拓真先輩は、家を出て一人暮らしをしている。先輩は、通学のことを考えて、学園に通いやすい距離ってことで私と同じマンションにいるらしい。


「そのご実家が、千香さん家のご近所なの?」

「ああ。うちの隣。親父さんが書家でさ、ウチの画廊で扱ってる関係でもあるんだ」


 はぁ~。画廊ねぇ……。由香さんと千香さんのお父さんが書家っていうのも驚きだ。どちらも、私の知らない世界の話で、どんなものなのか想像がつかない。

 かろうじて出てくるのは、テレビの人気番組のナントカ鑑定とか、そういうので小さな茶器が500万円とか、そんな知識しかない。それでも、画廊も書家もお金持ちを相手にすることが多い職業なんだろうな~っていうのは分かる。

 でも、それでお家のカラクリタンスがあるっていうのも納得だ。お家の家具も年代物で高かったりするんだろうか……うう……振る舞い気を付けなくちゃ。

 そんな話をしながら拓真先輩が運転する車に乗っていると、あっという間に目的地に着いた。


「いらっしゃい! まぁまぁ、のどかちゃん。なんて可愛らしいの!」


 いえ、エレナさんの方が既にお孫さんがいるおばあちゃんとは思えないくらいの若々しい美貌ですよ。そんな人が可愛いとか、嫌味になるから言わない方がいいですよ! いや、嬉しいけど。

 拓真先輩のお家は大きな洋館だった。最近二世帯住宅にリフォームしたとかで、大きなドアがふたつある。エレナさんは片方のドアを開けると、中に入るよう促した。

 思った通り、お家の中は磨き上げられたアンティーク家具が置かれ、その上にセンスよくオブジェが置かれている。

 ええ、オブジェですよオブジェ。だって他になんて言ったらいいか分からない。用途がまずわからない。でも、この空間にしっくりと合っている。もしかしたら、この「しっくり」のためだけに、ここに鎮座してるんだろうか……いや、お金持ちって本当、分からない。

 とりあえず、あちこち触ったら危ない。これは分かった。私、今日は大人しくしていよう。


 サロンにはエレナさんの他に、拓真先輩のお父さんと、そして2番目のお兄さん、翔真さんがいた。1番上の和真さんは、ご家族でイギリスのお祖母さんのお家に行っているらしい。曾孫を見せるためだそうだ。やっぱりあの時、くまのカフェで赤ちゃんを抱っこしていたのは拓真先輩のお兄さんだったんだね。

 それはそうと……私は翔真さんを前に、少し緊張していた。

 翔真さんは、シルバーアクセサリーのデザイナーをやっていて、くまのカフェの近くにお店を構えている。なかなかのお値段なので私は行ったことがないけど、たまに見かける店員さんがハーフっぽくてカッコいいと話題になっていたんだ。その噂のハーフ店員というのは翔真さんのことだろう。たまにしか見かけないというのも、奥にある工房で作業していることが多いからだそうだ。まさか、出会えたらラッキーっていうレアキャラ扱いになっているなんて、本人も知らないだろう。

 でも、私が緊張しているのは翔真さんがレアキャラだからではない。

 

(この人が、千香さんの恋人で、巴さんの初恋の相手……)


 確かに、すごく素敵な人だ。

 モデルをやっている拓真先輩は、お母さんに似たのかイギリスの血が濃くて、肌が白くて鼻が高くて瞳の色も髪も色もかなり明るい。一言で言うと、派手なんだ。それに日頃は人の感情に左右されないよう、笑顔で軽く受け流す対応をしてるから、余計チャラく見えるんだよね。

 方や、翔真さんはお父さんに似たのか、造形は整っているものの、私たち日本人に近い印象だ。瞳の色も髪の色もダークブラウンで、佇まいがとても落ち着いている。

 話し方や眼差しもとても柔らかく、チラリと見ただけでも噂のレアキャラになるだけあるって感じなんだ。


(でも……)


 チラリと拓真先輩を見ると、私を見ていた拓真先輩が慌てて目を逸らした。

 でも視線が外される直前、その瞳が不安そうに揺れていたのを私は見逃さなかった。

 拓真先輩にとって、翔真さんはコンプレックスの原因なんだろう。

 自分にとても近いのに、真逆の印象を受ける存在。そして、今まで心を許した相手は全て、翔真さんに想いを寄せていたんだから。

 でもさ、拓真先輩には拓真先輩の良さがあると思うんだよね。

 好きな人が自分じゃない人を好きだっていう切なさを、誰よりも分かってる。昨日、気弱くんから逃げようとしてたのに気づいて、私の特徴的な髪を隠してくれたこと。とても自然に重い荷物を持ってくれたりとか。

 親しくなった相手の、すごく細かいところもちゃんと見て、そしてさりげなく手を差し伸べてくれる。

 拓真先輩だってそんな素敵な人なんだもん。ちゃんと、想いを返してくれる人だっているはずだよ。


 と、ちょっとシリアスになったけど、兄弟仲は悪くない――むしろとても良いようで、すごく温かい場になった。

 いただいたお紅茶も美味しくてねぇ。私はあまり紅茶には詳しくないんだけど、フレーバーティーとやらで、桃のような甘い香りのすごく美味しいお茶だったんだよ! すっかり気に入ってしまったら、是非別の紅茶も、と勧められ、ついつい長居してしまってお昼ご飯も誘われた。

 迷ったけど、帰りも拓真先輩とマンションまで一緒だし、せっかくなのでお昼もいただくことにした。決して食い意地が張ってたわけじゃない。


「拓真、食事の準備をしている間、のどかちゃんにお家の中を案内してあげたらどう?」

「そうする。あ、そういえば、カラクリタンスに興味持ってたよな」


 いや、カラクリタンスに特に興味はないんですけど……。秘密箱を開けたかっただけなんで。それも開いたし、むしろ歴史ある家具には壊れたらと思うと、怖くて触りたくないんですけど……。


「カラクリタンス? まあ、そうなの? よろしければ見てみて。中の引き出しが開かないのが残念だけれど、それはそれは見事な造りなのよ」

「ええと……じゃ、じゃあ、是非」


 結局、見ることになりました。


 カラクリタンスがあったのは、3階の奥の部屋。

 三角屋根で天井が低くなったその部屋は、天井裏のような雰囲気で、小さな頃は拓真先輩の秘密基地だったんだそうだ。

 大柄な八重樫家の人々が使うには不便なようで、今はすっかり物置部屋になっているようで、年代もデザインもバラバラの家具や置物がたくさん置かれている。

 そんな中に、一際目立つ細かな彫り物がとても上品がタンスがあった。


「これ?」

「そう。こうして観音開きになってて、中には引き出しと、更に観音開きの扉がある」

「ほんとだ。でも、開かないって言ってなかった?」


 さっきエレナさんは「開かないのが残念だ」と言っていたのに、タンスの扉は何の抵抗もなく開く。引き出しも同じだ。


「それはこっち」


 拓真先輩が中の扉の金具の取っ手をつまむと、ゆっくりと開いた。その中にはまだ引き出しがある。でも、どれも鍵穴なんてついていない。

 すると、1番下の引き出しを全て出すと、扉の金具を器用に外し、引き出しが入っていた空間の奥に金具を突っ込むと、ズズズ……と音をさせて箱を取り出した。


「これがこのタンスがカラクリと言われる由縁だ。一見、引き出しの奥には何もないように見える。が、この金具を引っかけるとこの箱が取り出せるようになっている。でも、この箱を開けるには別の鍵が必要なんだ」


 そう言いながらひっくり返すと、確かにそこには小さな鍵穴があった。


「すごい凝ってるのね」

「だろ? しかも、中には何か入ってる。ただ、ここまで見事な造りだと痛むのが怖くて、どこにも依頼を出せずにいるんだ」


 私はなんとなく、首元に手をやり、首にかけていた皮ひもをたぐり、ワンピースの中に隠れていたペンダントトップを取り出した。

 そこには、小さな鍵がついている。古い、とても小さな鍵。総帥に渡された秘密箱に入っていた鍵だ。

 どうして、これを取り出そうと思ったかは分からない。

 ただ、古くて小さな、なんの鍵かわからない、そんな鍵を私はこれしか知らなかったからだ。


「それ、なに?」

「わかんないけど」

「開くわけないよ。今まで散々似たような鍵で試し――」


 カチッ


 小さな音が拓真先輩の言葉を遮った。


 …………開きましたけど…………。


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