6月6日(金)聞きたくありませんでした
巴さんにメールを送って達成感を感じていたら、丞くんに釘をさされてしまった。
「のどか。新聞のお前のコーナー、大丈夫だろうな?」
「え? 大丈夫だよ。だってもうメー……」
おっと。あっぶない! もう少しでメールしたからって言うところだった。
あれはあくまでも『匿名希望のおトクちゃん』なわけで、私ではない。いや、私だけど。でも私だとバレてはいけないのだ。
となると……。
「あ」
忘れてました。
学園のアイドル情報を流すことばかり気がとられていて、自分のコーナーをすっかり忘れてました!
「本当に、大丈夫なんだな?」
「だ、だいじょ……うぶ。う、うん」
丞くんの目は「ほんとかー?」と疑惑の目を向けていたけど、大丈夫と言ってしまった以上、大丈夫にしなければいけない。
というわけで、やってきました。資料室。
ここに来るのは、ギリギリのところでへんた――阿久津先生に助けられたあの日以来だ。
偶然とはいえ、和沙さんたちの会話を聞いてしまっていた以上、バレるわけにはいかなかった。でもあの日は相当ヤバかったんだよね……。だから、ついついこの資料室から足が遠のいていた。
(でも、私のコーナーって、過去の新聞記事から学園の歴史を振り返るコーナーだからなぁ)
それには資料室にまず行かなければ始まらない、ということだ。
閉め切りは来週はじめ。なにか良さそうなテーマを見つけたら、何枚か写真を撮ってさっさと退散しよう。
周囲を確認し、そっと室内に入ると、息を殺してドアを閉める。
今日は真面目に仕事をしているのか、隣の生徒会長室は静かなままだ。
よしよし。このまま誰も来ませんように……。
そう願って、私は棚の中を物色し始めた。
(何がいいかなぁ……。今までの制服とランチっていうのはすぐに決まったんだけど……)
昔の新聞は硬い記事が多くて、先生のインタビューだったり、ひとつの部活動を特集したシリーズだったりと、振り返るにしてもインパクトに欠けるのだ。
(う~ん……昔いたらしい先生をズラッと並べてもな~)
そう思いながら一枚めくったそこに、涼し気な眼差しが印象的な男子生徒が載っていた。
白黒で少し画素数の粗いその写真でも、その姿はある人を思い浮かべるのに充分だった。
『2年生の大和雅文くん、文壇デビュー』
(大和……! この人、たっくんのお父さんだ!)
有名作家だとは聞いていたけど、まさか高校生でデビューしていたとは驚きだ。しかも、藤ノ塚の卒業生だったんだ!?
これ……いいかもしれない!
有名になった卒業生はたくさんいると思うんだよね。なんせ全国に名前が知られた憧れの学園だからさ。
でも、有名な先輩たちを知ってはいても、それって現在の姿じゃない?
だから、その当時の写真と記事を紹介するっていうのはなかなかいいんじゃないかなって思った。
歴史あるこの学園。さすがにすべてをチェックするのは難しいから、数年単位で確認する分にはそんなに大変じゃない。
よし。思い立ったが吉日。
隣が静かなことも手伝って、私はさっそく作業に取り掛かった。
没頭しすぎて、思った以上に時間が経過していたことを知ったのは、机に広げた新聞が夕日に染まった頃だった。
(あ。もうこんなに時間が経っちゃった)
時間を確認すると、もう7時近い。
時期的に日が長いこともあって気づけなかったみたいだ。
こんな時間まで学園に残っていたことのない私は、慌てて新聞を片付けると、資料室を出ようとドアに手をかけた。
「あの……本当に、やるんですか?」
「え~? 今更なぁに~?」
生徒会長室のドアが開けられたかと思ったら、聞いたことのない気弱な男性の声に、語尾があがった特徴的な話し方の女性の声が続いた。
(ん? 諏訪会長でも、和沙さんでもない?)
「でも……あの……僕、紫藤さんがこんなことをするって、知らなくて……」
「え~? アンタうるさいんだけど? 別に、鍵開けてくれたらそれでいいって言ったじゃない?」
しどう……しどう……どこかで聞いたような……。
「でも……」
「も~。パパに言って、生徒会から追い出しちゃうよ? いいの?」
「そ、それは……! あのっ!」
「困るよね? だってアンタのお家、今までみ~んな生徒会役員してたんだもんね? アンタだけ役員降りるとか、恥ずかしいよね?」
「だ、ダメです! それは勘弁してください! ぼ、僕、家族にバカにされちゃう……」
思い出した! 紫藤って、理事長だ。てことは、語尾が上がるこの声の主は、ゴリ押しで噂になってる理事長の娘か!
「バカにしな~いよ? だって、アンタのお父さんが元顧問だったから、この鍵が手に入ったんだし? ねえ、どこにつけようか?」
なるほど……。つまり、この気弱くんのお家は全員が藤ノ塚学園生徒会出身で、さらにお父さんが元教師で顧問だったから、顧問室(現生徒会長室)の鍵を持っていたってこと? で、それを紫藤さんに利用されてるっぽい?
おっと。私までが語尾に「?」がついちゃったよ。
それにしても、いちいち語尾を上げて聞いててイラッとするなぁ。
「つ、机の下とか……」
「アンタやっぱバカ? そんなとこにカメラつけたんじゃ、顔が映らないじゃない?」
か、カメラ? カメラって言った? この子!
まさかの隠し撮りっすか! こわいわ~。
「せっかくパパに頼んで生徒会に入ったのに? 会長も副会長もい~っつもここに逃げちゃうし? 気になるじゃない?」
「し、仕事をしているだけだと、思うよ」
「わかんないじゃない? 知られたくないなにかがあるかもしれないし? それをえりなが知ったら、えりな、付き合えちゃうかもじゃない?」
こ、こわっ! なんだこの女! 思った以上に危険人物だわ。これじゃあ諏訪会長や和沙さんが毎日のように生徒会長室に逃げ込むのも分かる。
あ~嫌だ。嫌なこと聞いちゃったよぉ。
「じゃ、じゃあ……この時計は?」
「これ? 机の上の?」
「重みのある時計だから、あまり動かすことはないと……思う。撮れる絵も近いし、なら、声も拾えると……」
「ふぅ~ん? いいんじゃない?」
うわぁ。会話もしっかりと残す気だ!
どうしよう。すっごくモヤモヤする。
なんてことを聞いてしまったんだろう。
きっと、諏訪会長と和沙さんが帰るのを待ってたんだ。なんで私、今日に限ってこんなに遅くまで残ってたんだろう……。
(とにかく、出よう)
音を出さないよう、鍵穴を手で覆い、ゆっくりと回す。
手の中でカチリを小さな音がしたのを確認すると、私はそ~っと廊下に出ようとした。
下校時間を過ぎた廊下は静まり返っている。
足音を鳴らさないように忍び足で廊下に出てドアを閉めようとすると、手にしたバッグからピロロロン♪と音が鳴った。
(ぎゃー! なんで! なんでこんな時にメッセがくるの~!)
メッセージの着信を告げる音は、すぐに消えた。でもそれは盗撮犯にも聞こえたようだった。
慌ててドアを閉じたけど、その直前、向こう側からガタンバタンと慌てたような大きな物音がした。
(やばい!)
向こうは一旦生徒会室に移動してからじゃないと、廊下に出ることはできない。今のうちに逃げなくちゃ。
私は慌てて廊下を走り、階段を駆け下りる。後方からも「誰っ? 人っ?」という声が聞こえた。
私は内心、「人じゃなきゃ何だよ!」とツッコミを入れながらも懸命に足を動かした。
紫藤さんはどうやら私以上に足が遅いらしく、声は段々遠のいていく。
でも、なんとか逃げきれそうだと思ったのもつかの間、気弱くんの声が聞こえた。
「ま、待てっ!」
ヒィィィィ! 気弱くんの声が近い!
慌てた私は最後の2段を残して階段から飛んだ。
すると、そこに急に人が現れた。
飛んでしまった体は止めることができない。激突は免れないと、目をぎゅっと閉じると、長く逞しい両手で抱きかかえられ、そのままの勢いで階段下のスペースに押し込められた。
「むぐぐぐ……」
「しっ。喋るな」
いや、喋るもなにも、息があがってるところに顔を胸に潰されて苦しい方が勝ってるんですけど! 何すんですか拓真先輩!
ぶつかるように押し付けられた鼻がジンジンする。
背中に回された腕が片方離されたと思ったら、今度はダメ押しのように後頭部を掴み、更に顔を胸に押し付けられた。
「むがー!(痛ー!)」
「喋るなって」
更にもがこうとしたところで、階段を駆け下りる足音が聞こえ、私はピタリと動きを止めた。
き、気弱くんだ……気弱くんに追いつかれた。
「待て……あっ」
「やあ、佐野」
「や、八重樫先輩、あの……す、すいません」
「いや。でもさ、彼女が恥ずかしがってるから、どっか行ってくれる?」
「は、はい。すいません。えっと……あの、誰かこの階段降りて来ませんでしたか?」
「俺。なに? 俺を追いかけてたのお前?」
「えっ。あの……なんで生徒会室に……」
「雨音にプロムの計画書渡すためだよ。入れ違いになったみたいで、いなかったけど」
怖い。拓真先輩てば、ビックリするほど嘘がスラスラと出てくる。
「なら……なんで逃げたりしたんですか」
「この子待たせてたんだもーん。ほら、完全にすねちゃってるよ。ごめんなー?」
顔を押し付けたまま、今度は両手で私の頭をグリグリと掻き混ぜた。あわわわわ! ちょっと! 抗議したいけれど、気弱くんがいる手前無理だし……。
なんだこれー?
「お前たちはどこにいたんだ? 生徒会室には誰もいなかったはずだけど?」
拓真先輩の鋭い指摘に、気弱くんが怯んだようだった。
「え、あの……その……」
「まぁいいや。なぁ、そろそろどっか行ってくんね? この子が恥ずかしがってんだろ」
「あ……す、すみませんでした」
佐野と呼ばれた気弱くんは、拓真先輩の言葉を信じて、すぐにこの場を離れてくれた。
「ありがとうございます。助かりました……」
「飛んできたからビックリしたよ」
「す、すみません」
……ところで、手を離してくれませんかね。鼻がつぶれてないか確認したいんですけども。
「え~。せっかくだからいいじゃ~ん。お前、抱き心地いいな」
鼻! 鼻が! 潰れる~~~!
頭突きでもして離してもらおうと思ったんだけど、その後遅れて紫藤さんがやってきたので、私は仕方なく拓真先輩にしがみついてその場をやり過ごすしかなかった。
やっと解放された時、私の鼻はすっかり赤くなっていて、拓真先輩に大笑いされた。




