5月28日(水)追い詰めないでください
交流会2日目、午前中はフリータイムだそうだ。
テニスコートは勿論、昨日話題になった湖にもボートが用意されるらしい。
長い桟橋は釣りも楽しめるそうだし、ハイキングする人もいるそうだ。
意外と皆……アウトドアもいけちゃうんですね。
あ、私ですか? 大の苦手です。
中学の部活でもいつの間にかマネージャーに。走ってるつもりなのに周回遅れは当たり前。いままでがそんなだったんで、今日だってハイキングもテニスもノーサンキューです。
テニスといえば、昨日は諏訪会長の「のんたん」発言をなんとか誤魔化そうと思って、ボールがぶつかりそうだったことを大げさに怖がったら試合免除されました。キシシシシ。
ズルじゃないですよ。大体、できる人がやるべきなんです。
ええ、ええ。たっくんのパートナーという私以外の誰もが憧れるその地位は、宮森先輩にお譲りしました。
たっくんがやけにどす黒いオーラをまとっていたけど、そんなの知りません。私はそんなの見えません。勘違いです勘違い。
おかげでテニスの成績も良かったんだからいいじゃないか。
準優勝だったんだよ! 準優勝!
優勝チームにはテニス部が多くてですね、ストレート負けでした。
いや、私はコートサイドから動きませんでしたけどね。頑張ったのはチームの皆です。一番すごかったのはたっくん。
とにかく早く終わらせたい、その一心だったようで……。無表情でボールを追う姿に、始めはキャアキャアと黄色い声援を送っていた日傘軍団も徐々に大人しくなり……。宮森先輩に至っては、たっくんの気を惹こうとわざとミスしたりしてたんだけど、無言で見下ろされてからというもの、必死の形相でコートの中を走りまわっていた。
……良かった……試合から外されて、本当に良かった!
「あの、のどかちゃん……。どうする?」
「おススメはボートね。それか、日蔭に座っての読書も気持ちいいわ」
おお。さすがは内部生の山科さん。
なんでも、中等部でもこの交流会はあるらしく、山科さんはもう4度目なのだそうだ。
「う~ん、そうだなぁ……。ボートかな!?」
「悪いが、それは無理だ」
突然声が聞こえたと思ったら、腕を掴まれ、声の主はそのまま歩き出す。
慌てて態勢を整えたけど、急に逆方向に歩き出すものだから危うく転ぶところだった。
誰がって、こんな強引なのたっくんしかいない。
「えっ。ちょっと! なんでですか~!」
「なんで、じゃない。料理の手伝いのために、お前は俺のグループに入ったんだ」
そんな勝手な!
私は同じグループなんて望んでないし、料理苦手とか別に弱点でもなんでもないじゃん! むしろ、人間味が増すというか、親近感が湧くというかですね……女子生徒には「可愛い面もあるのね」なんて好評だったみたいなのに……。
と言ったら、睨まれました。
「可愛い? そんな言葉のなにが嬉しい。二度と言うな」
いや、言ってるのは私じゃなくてですね……。ていうか、私はたっくんのことを可愛いだなんて1ミクロンも思ったことないよ。
「頑張ってね~」
声がかけられた後方を見ると、さっきまでたっくんと一緒だったんだろう、諏訪会長と和沙さんがいた。
和沙さんはニコニコと天使の微笑みで手を振っている。
諏訪会長は私なんて見向きもせず、茅乃ちゃんをボートに誘っていた。
「ボートに行くのかい? それならば、僕たちも一緒にいいかな?」
「……はい、是非」
ふたりの間で、いつも冷静な山科さんもさすがに困っているようで小刻みに動いている。
あ~あ……。まったく。こんな時にも負けちゃうなんて、丞くんは一体なにをしてるんだよ!
たっくんに連れて来られたのは、案の定調理室だった。
バーベキューの下準備は生徒が行うため、そこは学校の調理室のようにシンクがついた作業台がいくつも並んでいる広い部屋だ。
でも、まだ誰もいない。
お昼の準備に、8時からなんて誰も来ないよね。
「誰もいませんよ? さすがにまだ早いですって」
「だから来たんだろう。他の目があっては集中できるものもできない」
――自意識過剰め。
「はいはい。じゃあ、さっさとやりましょう」
「おい、カメラはどうした」
「は?」
「は? じゃない。お前は俺のアシスタントであると同時に、新聞部としてあの記事が間違いだったと修正記事を書くためにここにいるんだぞ」
「あ~……スマホでもいいですか」
呆れたようにため息をつかれた。
ちょっと! 強引に連れてきたのはそっちですからね! ちゃんと準備する時間をくれてたらちゃんとしたカメラを……持ってませんけどね。
たっくんは下準備だけではなく、デザートを用意するつもりでいる。
クレープシュゼットってやつ。
下準備が終わった後、一枚ずつクレープを焼き、食べる直前に外の鉄板でぼわっと炎を出す、あれがやりたいんだそうだ。
ここ最近、綾さんに教えてもらっていたのはコレ。
しかもね、皆の目の前でやるのは最後、その炎のシーンだけでして。それでも充分、こやつできる! と思われるんだって。
難しいのはクレープを均等の厚さで焼くことの方……と、綾さんは言っていた。
その証拠に、今作業台のお皿の上には失敗したクレープ生地の山が出来ている。
「あっ! もう! 慎重にって綾さん言ってたじゃないですか!」
「わかっている! お前が急かすからだろう!」
「私が? いつですか!」
そんなやりとりが何度もあり、やっと人数分のクレープが焼けた。
「まったく……あんなタレコミがなければ、こんなことする必要がなかったっていうのに」
「別に、こだわらなくたっていいじゃないですか。スルーしておけば」
「そんなわけにはいかない。女どもに付け入る隙を与えるのは嫌だ」
ぶーっ。結局はそれですか。モテモテ自慢ってことですか。
「はいはい。わかりましたよ。たっくんはおモテになりますものね」
「おい! その呼び方はやめろ!」
「綾さんといつもそう呼んでますも~ん。たっくん」
「お前な――」
コココン
軽やかなノックの音が響き、たっくんが言葉を途中で切った。
「誰だ?」
その問いに、顔を出したのは和沙さんだった。
確か茅乃ちゃんたちと一緒にボートに乗りに行ったはずなのに……そう思って壁の時計を見ると、なんともう時間は10時になるところだった。
「楽しそうにお話してるところ、ごめんね? 鷹臣、先生が呼んでいるよ」
「先生が? ――そうか」
そう言いながら、たっくんの手は素早く失敗作の山を作業台の下に隠した。
仲がいいはずの和沙さんにも、自分が失敗してるところを見せたくないなんて、完璧主義もここまでいくと重症だね。
と思っていたら、お皿を持った手をグイグイと私に押し付けてきた。
「何作ってるの? あま~い香りだね」
「クレープだ。仕上げは食べる直前に鉄板でやる」
「そう。……これ全部食べる気?」
「これは、コイツが失敗したんだ」
うわ! ひどい! 失敗作私になすりつけた!
「これは――」
「おい、早く片付けるぞ」
キィー! 反論させてももらえないんかい!
「僕、鷹臣を探すの結構時間がかかっちゃったから、すぐ行った方がいいよ。片付けは僕がやっておく」
「だが……」
「いいって。僕と鷹臣の仲でしょ。それに、鷹臣だけに準備を押し付けちゃ悪いからね」
“だけ”って。私もちゃんと準備やってましたけど。
「そうか。じゃあ、頼む」
たっくんはエプロンを素早く外すと、調理室を出て行った。
「さて。じゃあ、片付けちゃおっか」
「はい」
じゃあ、まずは器具を洗って……。あ、この失敗作どうしよう。捨てるのは勿体ないし……タッパーもらえないかな。
「ねえ、君、鷹臣や雨音とどんな関係?」
「――え?」
ニコニコと笑顔をこちらに向けてはいるけれど、その目は笑っていない。
「いえ、別に……なにもないですけど……」
「なにも? なにもない子が、鷹臣をたっくんなんて呼ぶかな?」
「そそそそそそれは……」
「それに、雨音が君のことをのんたんって呼んでいたね。あんな風に女の子を呼ぶ雨音は見たことがないよ」
「ええええええええと……」
なんだこの空気。
笑顔なのにすっごく圧力を感じる。
「君の、名前は?」
「小鳥遊……のどか、です」
「ふぅん。のどかちゃん。そういえば、千石さんだっけ、彼女が君のことをのどかちゃんと呼んでいたね」
「えっと……はい」
「それなのに、雨音はのんたん、なの?」
「それは~あの~……」
どうしよう。諏訪会長はきっとハルとしてスイーツ食べ歩きブログをやっていることを、和沙さんにも言ってない。それどころか、きっと誰にも言ってない。
私はハルさんのブログが好きで、それはハルさんの正体が諏訪会長だと分かってからも変わらない。だから、私がここで余計なことを言って、諏訪会長がハルさんであることが難しくなる事態になることは嫌だった。
「言えない? じゃあ、僕ものんたんって、呼んでいい?」
「えっ?」
「ダメなの? のんたんって呼ぶのは雨音だけ?」
「――」
「先生が、鷹臣を呼んでるって、あれ電話したらすぐに連絡がついたね。わざわざ僕があちこち探すこともなかった。僕って案外ドジなのかもね。そう思わない?」
「ええと……」
「ねえ、僕ものんたんって呼んでいいよね?」
「は、はい」
苦しい……! なんだこの空気。和沙さんめっちゃ怖いんですけど。
表面はいつもと変わらない天使の仮面なのに、黒さが漏れてます。ダダ漏れですよ!
「それで、君は鷹臣と――」
「悪い、のどか! 手伝う……あれ?」
やって来たのは丞くんだった。た、助かった!
「丞くん! じゃあ、片付け手伝って!」
「う、うん。えっと……なんでここに篁先輩が……」
「僕も片付けを手伝ってるだけだよ? ね? のんたん」
「は、はい」
「のんたん?」
「それより! 丞くんどうしたの? 朝全然見なかったけど、どこ行ってたの?」
「いやぁ、筋肉痛でさぁ。部屋で休んでたんだよね。久しぶりに動いたから、足がパンパンだよ」
この場の空気の重さに気が付かないのか、丞くんは照れくさそうに笑った。




