5月24日(土)ガラスの靴じゃないんです
試験前の土曜日だというのに、パパとママが役員懇親会という名目のゴルフに出かけたのをいいことに、くまのカフェに来てしまった。
言い訳をさせてください。
今の私には癒しが必要なのです。
居心地の良い店内。お店はいつも人がいっぱいなんだけど、元倉庫のあの広い空間は息苦しさを感じることはなくて、むしろ周りの人たちの話し声も心地いいんだよねぇ。
それに、くまさんや由香さん、千香さんを始めスタッフの人たちも気取らない人たちばかりで、リラックスできる。
まぁ……スイーツが食べたいっていうのも、大きいけどね。
「今度は餅粉パンをフレンチトーストにしてみたの。でね、もっちりしすぎてシロップかけてからだと切り辛いのよねぇ……」
「うんうん」
むっ。確かに……。もっちりとした生地がナイフを入れようとすると切れずに潰れてしまう。せっかく染み込んだメープルシロップが押しつぶされたパンから溢れ出す。
なんてもったいない!
ええ、ただいま、絶賛新作スイーツ試食中です!
場所はいつものクマのカフェのスタッフルーム。目の前には、真剣な表情の由香さんがいる。
「う~ん……。フレンチトーストにする前に、一口サイズに切っちゃってそれから作るのはどうですかね?」
「それだと盛り付けが変じゃない?」
頭の中で、白いプレートにコロコロと乱雑に置かれたフレンチトーストを思い浮かべる。
う~ん……確かにあまり美しくないのかな……。
だからといって、綺麗に並べるっていうのも違うよね?
一口サイズにしたら、そのサイズだから出来るような盛り付けがいいよねぇ。
「あ、ボウルみたいな入れ物に入れるの、どうですかね? シロップも広がらないし最後までシロップたっぷりで食べられますよ!」
「なるほど! あ。じゃあさ、そこにバニラアイスとフルーツも盛って、フレンチトーストパフェってどう!?」
「それ! 最高に素敵だと思います!」
「早速作る! 作ってくる! のんたん、まだイケる!?」
「勿論でっす!」
親指をグッと出すと、由香さんは軽やかな足取りで階下に降りて行った。
「……まだ食えんの……」
「勿論! 別腹ですからね!」
ゲッソリとした表情で拓真先輩がこちらを見ている。
いやいや。まだまだ余裕ですよ?
ここに来てすぐ、日替わりランチのプリプリエビのマカロニグラタンを食べた。食べ終わった頃に、由香さんが試作品だと言ってフレンチトーストを持ってやって来たのだ。
「知ってるよ。俺も一緒に食ってただろーが」
「そだね。でも変な子を見るようにして言うから……」
「おかしいだろうよ! 今さっきまで食っててまだ食えるって!」
「えー? ランチとデザート食べたところに、もう1つデザート頼んじゃおっか。ってレベルじゃん!」
「いや、おかしい。絶対おかしい。俺は無理。もう無理」
……普通だよね?
それなのに、拓真先輩は信じられないとでも言いたげに、自分のおなかをさすっている。
そのおなかは満腹だとは思えない位ペタンコ。
ぐぬぬぬ。思春期の男の子のくせにー!
「じゃあ食べなかったらいいじゃないですかー。私は食べるも~ん」
「いや……食うけど」
食べるんかい!
心の中でツッコミを入れるけど、まぁ……由香さんの作ったものだから食べなきゃって感じなんだろうな。
千香さんと違って、由香さんは拓真先輩にとってお母さん……もしくは、年の近い親戚のおばさん感覚なのかもしれないなって思う。
見ていると、どうやら頭が上がらないようなんだよね。
今日も、私がランチを食べているとなんだか階下が騒がしくなってね。
何事だろうと思って下を覗きこむと、やたらキラキラしい拓真先輩がいて、周りを派手な女性が取り巻いていた。
いつもゆったりとした時間が流れるこのカフェにしては異様な雰囲気で、さすがの他のお客さんも迷惑そうに見ていたっけ。
すると、由香さんがそこに現れ、拓真先輩を一喝。
何をどう説明したのか、女性たちは徐々に店を出て行き、そして騒ぎの元凶、拓真先輩はここに連れて来られたんだ。
「いったい何なんですか。今日のキラキラ具合は」
「あ~。今日さ、この近くで撮影があったんだよね~」
はぁ、なるほど。それで髪型も無造作を装った風にも揺れないカッチリヘアなんだね。指には、総数が指の本数超えてるよね?って位の指輪をつけている。さっきもフレンチトーストを切るナイフにカッチカッチうるさいったらなかったよ。邪魔じゃないのかね?
「ねえ、それ指曲げられる?」
「ちょっと曲げづらいけど、慣れたら平気」
私はその音に慣れそうにないんだけど……。
「握手する時とか痛そう」
「はぁ? そんなこと、考えたこともないよ」
そりゃそうだろうね……。アクセサリーをつけてる側はあまり気にしないんだろうけど……。
でも見るからにチャラチャラした手を差し出されると躊躇する!
それに、今日の拓真先輩は服装もすごい。
基本形はスーツなんだろうね。ちょっと光沢がある生地だから、ビジネス用って感じではないけど。なんだけど、その下のシャツとかベルトとか靴がすごい派手。そりゃあね、10個以上の指輪つけてるくらいだからね。身に着けている服も派手ですよ。めっちゃチャラいです。それは目立っても自業自得ってくらい。
「仕方ないよ。これ、衣装だから」
「そのまま来ちゃって大丈夫なの?」
「あー、買い取ったからね」
このセレブめ!
「ほら。ゴールドバーグのレセプションパーティーで着るスーツ探してたからさ。ちょうど良かったんだ」
「え。それで出席するの? やだやだ。お願いだから私に話しかけないでくださいね?」
「ヒドーイ。捜し出して付きまとってやる」
やだやだ。ほんと止めて欲しい!
そんなやり取りをしていたら、「おまたせ~」とトレーを持った由香さんがやって来た。
「おおお! 素敵!」
表面がカラフルにコーティングされたまるんとした半円のガラスボウル。そこには一口サイズに切られたフレンチトーストが入っており、その横にはバニラアイスが。そして反対側にはバナナが入っている。
「こっちはイチゴ。色合いはイチゴが可愛いわね」
う~ん、でもバニラアイスとバナナの組み合わせは最強ですからなぁ。迷う。
チラチラと見ていると、それに気づいた拓真先輩が苦笑しながら自分の前のガラスボウルを差し出した。
「こっちがいいなら交換するか?」
「えっ……。じゃ、じゃあ、バナナとイチゴ半分交換しよう!」
「いや。俺はいいんだけど……」
いやいや、こういうのはちゃんとしないとね。
う~ん、おいしい! イチゴの酸味もバナナのまろやかさもバニラアイスの甘さも合う!
「由香さん! これ最高!」
「本当? ありがとう! さっそく報告してくるね!」
その後もバクバクと食べていたら、「そういえば」と拓真先輩が何かを思い出したように話し出した。
「お前、箱どうした? 秘密箱。俺、開けるの手伝うようにってちぃちゃんに言われたじゃん」
「あ、開きました」
「え? そうなの?」
そういえば話すの忘れてた。
「そっか。うち、カラクリタンスあるのはあるけど、親父に聞いたらそもそも秘密箱とは造りが違うって聞いてたからさ。良かったよ」
「カラクリタンスっていうのはどういうのなんですか?」
「う~ん。一見普通の古いタンスだけど、引き出しの奥にまだ引き出しが隠してあったり……そんな感じ」
「そうなんですか。じゃあ本当に構造から違うんですね」
「そうそう。で? 中身なんだったの?」
う~ん……どうしよう。パパに話すなって言われたんだけど……。
でも手伝いを頼む予定だったし、秘密箱のこと話してたし、いいよね。
「鍵でした」
「なんの?」
「さぁ……なんでしょう」
「え? それどういう意味?」
私だって分からないよ。むしろ、それは私が聞きたい!
意味が分からないし、そもそも何を開けるための鍵なんだかさっぱり。
「聞けばいいじゃん」
「誰にですか」
「え。くれた人に」
「……あ」
確かにそうだ。
総帥はパパにとって恩人であり、グループのトップ。そうそうお近づきになれる人物ではない。だから、直接聞くっていう選択を無意識にスルーしていたみたいだ。
今までのことからして、いつかまた会えるだろうし、その時に聞いてみよう。うん、そう思ったらすごく気が楽になった。
「さて……と。俺、明日の撮影早いからもう帰るけど、お前どうする? 帰るって言うなら送るけど」
「あ! お願いします!」
若いんだから歩けって話なんだけど、せっかく同じマンションなんだし、ここは甘えちゃおう。
先に階段を下りてくまさんに挨拶していると、後からやって来た拓真先輩を見て店内がざわつきだした。
「やだ! あれ、TAKUMAじゃない?」
「え? モデルの? やだ、ほんと!」
うわわわ。今拓真先輩がモデルモード全開だっていうこと忘れてた。
追いかけてきていた熱心なファン追い払っても、拓真先輩は人気のモデル。一般の女性にも名前が知られている存在だ。
「やっべ。のどか! 早く行くぞ!」
「わわ、待って!」
慌てた拓真先輩に手を引かれ、前のめりになりながらなんとかついて行く。
お店から出ようとした時、スタッフルームから由香さんがバタバタと急いで降りてくるのが見えた。
その手には私の帽子が握られている。
「のんたん! 忘れ物!」
「あ、後で取りに来ますぅぅぅぅ」
やっと返事をしたけど、私の声、届いたかな?
まったく……まったりゆったり癒しの時間を過ごしに行ったっていうのに、拓真先輩のせいでちょっとした騒動だ。
まだこの街の散策もロクにできてないし、やっぱり歩いて帰れば良かったかなぁ……ちょっとだけ後悔した。
でも本当、そうすべきだったんだと思う。
だって店内には、帽子を目深にかぶった例のあの人がいて、これを見ていたんだから。




