5月14日(水)暴走しないでください
放課後、速水のおじいちゃんの家に向かおうと校舎を出た。
一昨日あの後、先生に邪魔されながらも必要な資料を確認して、記事をまとめあげて先輩に無事提出できたし、心置きなく帰れるってもんですよ。
新聞部の活動曜日は特に決まってはいない。
毎月何かしらある学園行事の合間をぬって新聞を発行しているので、毎日のように部室に詰める時もあれば、ゆったりとしたペースで活動できる時もある。でも、基本的に巴さんは毎日部室に行っているようだ。丞くん曰く、「あれはもう生活の一部だから」だそうだ。
さて、と……。今何時だろう?
時間を確認するために制服のポケットから学園の端末を取り出したら、ピコピコと点滅していることに気が付いた。
なんだろう?
ロックを解除すると、ソフト部が作ったアプリに更新マークが出ていた。
開いてみると、そこには『藤ノ塚山荘交流会のお知らせ』とあった。
んんっ? 交流会? 藤ノ塚山荘?
詳細を読んでみると、どうやらこの交流会というのは、学園を離れて自然豊かな場所で交流をはかりまりょう。という会らしい。しかも、泊まり。
この藤ノ塚山荘の情報からして、ここに行くだけで結構な時間がかかるようだし……これはアレか。庶民の学校で言うところの、臨海学校的な?
去年の様子として画像がいくつかアップされてるけど、川べりでバーベキューなんかしちゃってるし、映っている人たちは皆比較的ラフな格好で笑っている。
おお……! これは、飯盒でご飯炊くとか、夜にはキャンプファイヤーとか、大部屋にお布団並べてとか、ともすれば夜中に男子が遊びにきて、きゃっ見回りの先生よ隠れて! 的な展開で一緒のお布団で超密着! みたいなアレですかね!?
丞くんとそんなことになったらどうしよう! ニヤニヤが止まらないんですけど! ぐふふふふふふ。
「そんなわけないでしょう。藤ノ塚山荘は、湖を取り囲むようにいくつか棟があって、しかも部屋はバストイレ付きの2人部屋です。男子と女子は棟自体離れてますし、間の棟には教職員が宿泊しますから、出入りはまず無理ですね」
え~。青春の甘酸っぱい思い出は~?
「このバーベキューだって、厨房に用意された莫大な量の食材から選んで準備するのはグループ分けされた生徒ですが、実際に湖畔で焼くのはシェフですから」
意味ないじゃん! めっちゃもてなされてる感じゃんっ!
つか、なんで阿久津先生が速水のおじいちゃん家にいるんですかね。
「のどかさんがレセプションパーティーのドレスを探すと聞いたので……」
いや、理由になってないから。
ていうか、バラしたね?
ちらりとお兄ちゃんを見ると、すばやく視線を逸らされた。やっぱりお兄ちゃんか……。
ただいま、夕方の5時前。普通の会社員は当然まだお仕事中って時間。
なのに、どうしてお兄ちゃんが家にいるかっていうと、なんとお兄ちゃんはイヴのマネジメントをしているんだそうだ。
だから、前に業者っぽい人と電話のやり取りをしていたんだね。私はてっきり本業のスポーツジムのお仕事なのかと思ったんだけど、お兄ちゃん的にはスポーツジムの方が副業なんだとか。
先生の才能にほれ込んだお兄ちゃんは、あれやこれやと世話を焼き、その流れでキャラ作りに苦労していた先生に私のことを吹き込んだと……元凶はお前かっ! だからか……ベッドごろごろ事件も、ジャージちょうだい事件も困った顔はしながらも、なんとなくうやむやにしてしまっていたのはそういうことかっ!
「だってさ、ここのところの峻の活動を見ていると、全然違うんだよ。理由を聞いたら、のどかのおかげだって言うしさ……」
活動のメインとしているモコモコ動画の反響も上々なんだとか。
なんでも、しぐさがリアルになったとか、表情がたまらんとか、ぷにっとしてそうな肌の質感がぁぁぁぁぁと画面を掻き消すほどのコメントの数々。
でもね……何度か見たことはあるんだけど、曲に合わせて踊ったりPVのような演出で登場する女の子のキャラは私とはかけ離れているんだよね。だから、私のおかげだとか言われたところで全然実感湧かないんだ。
まあ……正直、嫌な気はしないけどさ。私だって思春期の女子ですからね。いくら作り物が自分とかけ離れていようと、その可愛いキャラクターのモデルが私だと言われたら、こんな風に見えてたりするのかな?と、嬉しくもなるってもんですよ。
「でも、ドレス選びとは関係ないと思うんですよね」
「……ま、まぁね」
「私は納得がいかないんですよ。先日は私のブランドの服を選んでくれたじゃないですか。今回はどうしてこの中から選ぼうとしているんですかっ」
バーンと開けられたおじいちゃん家のクローゼットの中には、カジュアルなものからかしこまった場所にも良さそうなものまでがびっしりと詰まっている。
ていうか、何勝手に開けてんですか……。あの……何お兄ちゃんも一緒になって「この服、あの曲のPVに似てないか?」とか話してんですか!
でもね、おふたり(主に先生に)は申し訳ないんですけど、私にもちゃんと考えがあるんですよ。
そう。だから、今日ここに来たんだ。
ゴールドバーグデパートのレセプションパーティーに出席するのは、今私が分かっているだけでも、諏訪生徒会長に、和沙さん。あとは巴さん丞くん姉弟に、茅乃ちゃんとついでに風斗くん。
となるとね、隠れる必要性ってあるかね?ってことなんですよ。
意図せず別人となった、進学記念パーティーと、わざと別人となったティーパーティー。それとは位置づけが違うんじゃないか?と、つい先日気づいちゃったんです。
この前、先生のお力を拝借したのは、和沙さんにバレないようにっていうのがあったけど、いつも一緒の茅乃ちゃんたちと「わ~一緒にに行こうね~」ってなってる段階で、私のままでいいんじゃね?ってことです。
だから、今回はおじいちゃん家のクローゼットでパーティーに挑みたいと思います!ささ、先生は帰っていただいて大丈夫ですよ、ええ、ええ。
すると先生は、見るからにしょんぼりとしてしまった。
二十代も半ばの、いい大人がそんなにしょんぼりするもの? てな位しょぼくれてる。なんだか悪いことをしてしまったような気がして良心がチクチクと痛む。
「せっかく……せっかく……また服を用意したのに……」
「えっと……み、見るだけなら……」
いや、私もオシャレとか流行とかよくわからないながらも、女子ですから服は気になります。それが私のために用意されたというものならばなおさらです。
すると、先生はシャキーンと立ち直り、どこに隠していたのか大きな紙袋を両手にズイッと差し出してきた。
「あのねえ。これ! これは新作でね。この前のは黒を基調としたものだったんだけど、これからの季節にピッタリのブルーですよ!」
お、お前やる気満々だな!? さっきのしょぼんは演技か! そうなのか!
私がその豹変ぶりに驚いている間にも、先生は次々とベッドに服を並べていく。
ブルーにピンク、この前着た黒い服の初夏デザインもあった。
「あ、これ……可愛い」
思わずつぶやくと、先生が即行で食いついた。
「そうでしょう? これはね、のどかさんを想ってデザインしたんです!」
その台詞は若干気持ち悪いけど、服は確かにすごく可愛い。
アリスの服ってさ、なんとなく皆思い浮かべるのって同じじゃないかな。
ブルーの袖が膨らんだワンピースに白いエプロンドレスがついたものじゃない? 先生が持ってきたのは、言われてみれば色合いのバランスがアリスっぽいね。という、普段街でも着れそうなものだった。
綺麗な水色の、裾が広がったAラインのノースリープワンピース。それに白いレースで作られたボレロを合わせたというもの。ボレロもどちらかというと腕が通せる穴のついたショールと言った方が早いかもしれない。レースの先はリボンのように細長くなっていて、青いサテンリボンで止めるのだそうだ。そのサテンリボンには、真鍮の鍵がアクセントとなってぶら下っていた。
「おー。いいんじゃないか? のどか。着てみろよ」
「え~」
とは言いつつ、着る気満々です。だってすっごく気に入ったから!
ふたりには部屋を出てもらい、早速着替えてみることにした。
生地もサラりとしていて夏にすごくいいかも!
え~と……レースの網目が大きいから指とか引っかけないように気を付けないとな……ここに腕を通して……こうかな? で、これを体の前に持ってきてパチンとリボンで止める……と。ふむふむ。どうかな~?
「のどか~? いいか?」
「あ、うん。大丈夫~」
まだ自分ではちゃんと確認できてないんだけど、待たせるのも申し訳ないしね。
すると、ドアを開けるなり変態が叫んだ。
「はぁん! すっごく素敵です! 可愛いです! 狙った通りです!」
はぁん!って何!? ちょっと! 何写真撮ってるんですか! ちょっと!
え? 回ってみたらいいんですか? こうですか? ひら~ん。
「おい、のどか……。お前も乗るな」
あ、すいません……。
興奮して息が荒くなっている変態をお兄ちゃんに押さえてもらってる間に鏡を見ると、自分でも思った以上に似合っていてびっくり。
Aラインだからぽっちゃり体型が目立つかな~? と思いきや、白いショールがウエストの上辺りで留まってるから、細く見える上にハイウエストであしなが効果抜群。ワンピースの丈も、ひざ上5センチって感じで膝が出てるから、ぽてっと太いふくらはぎが目立たない。
ただ……これ、胸が目立つなぁ……。
そうなんだ。大き目の胸の下にショールがくるから、どうしても胸が協調されてしまう。
可愛いんだけどなぁ……。
「うん、シンプルになりすぎず、でもリボンが年相応に可愛くていいんじゃないか?」
「でもこの胸が……」
「先日も言いましたが、こういうのは隠す方が目立つんですよ」
「スタイル良く見えるし、いいと思うぞ」
先生はともかく、お兄ちゃんの意見を採用して購入することにしました。
金額を聞いてちょっとびっくりしたんだけど、進学祝いやってなかったから、とお兄ちゃんが買ってくれました。ワーイ!
それはそうと……なんで、先生の作るアリスのイメージって鍵なんだろう?
この前も資料室で鍵がどうのって言ってたし……。
「う~ん……。アリスの物語を物で例えると、人それぞれ、違う物を思い浮かべると思うんですけどね……」
あの……ニヤニヤ顔で画像確認しながら答えるのやめてもらっていいですか。
「たとえば、のどかさんは何だと思います?」
「え~っと……懐中時計?」
「それはアリスというより、ウサギのアイテムですね」
「そうか……。じゃあ、トランプ?」
「それも不思議の国のお城の住人ですね」
なるほど。
帽子は帽子屋だし、お茶会だってアリスを象徴するものではないってこと?
「間違っていないとは思うんですよ。懐中時計も、トランプもね。実際、私もそれらをモチーフに使うこともあります」
うん、この前着た服はあちこちにトランプのデザインもあったね。
「でもね、私は鍵だと思うんです。アリスは先に進むために、クッキーやキノコで大きくなったり小さくなったりしますね。それは、鍵を使うためです」
そこに鍵がある。別の部屋なり、別の空間に行ける。アリスはそれを使うために体の大きさを変えて次々色々な場所に行く――言われてみれば、そうかもしれない。
「鍵って、なんだか存在自体がミステリアスじゃないですか? のどかさんも篁くんに存在を知られたくないと思っている。そんなのどかさんの元には、意図せずあちこちから鍵が集まってくる……なぜでしょう。だからでしょうか……なんとなく、アリスを連想するんです」
意味がわかりません。
でも、なんとなく鍵モチーフをアリスで使う意味はわかった。
「あ、先生。画像流出は厳禁ですよ!」
「おや。消せとは言わないんですか?」
「資料室で聞き耳立ててたこと、内緒にしてくれるなら」
「取引、というわけですか」
いいでしょう。先生はそう言うと、手を差し出してきた。交渉成立の握手ってことですね。
その手をぎゅっと握ると、キリリと引き締めていた先生の顔が一気に崩れた。
「ちーいーさーいー。ぷにっぷに柔らかいぃぃぃ! 指先、丸いんですね。可愛い可愛い可愛い! ……舐めていいですか?」
ギャー! お兄ちゃん! 変態を引きはがしてぇぇ!




