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5月6日(月)生身の人間ですから

 叩き起こされました。

 なんてこったい! ゴールデンウィークの最終日、今日はまったりのんびり過ごそうと思っていたのに、朝の8時に叩き起こされましたよ!

 しかも、出かけろと言われました。


「なぁに~? 今日は特に予定もないでしょ?」

「何言ってるの。前から話してたでしょ。今度、ハウスクリーニングをお願いするから、その日は外に出かけなさいねって」


 ……そ、そうだっけ?

 いや、まったく記憶にないんですが……。

 ていうか、ハウスクリーニングって何? うちは引っ越してきたばかりで、必要ないと思うけど……。

 と思ってテレビの上をスーッと指で撫でてみたら……ああ、うん……。

 田舎にいた頃は、ママが専業主婦だったっていうこともあってお掃除もやってくれていたんだけど、お仕事を始めた今、なかなか手が回らない。

 それにこのマンションは総帥から紹介された、篁グループ所有のマンションというのもあってね、所謂セレブマンションなんだ。つまり、天井が高い。だから照明とか手が届かないんだよ。

 う~ん。こうなると確かにプロの手を借りなきゃ色々難しいかもなぁ。


「マンションのコンシェルジュに相談したら、マンションが契約してる業者があるからって教えてもらってるの」

「そうなんだ」

「そうよ。色々相談して見積もり出してもらうんだから、今日は出かけててちょうだい」


 えっ! それって私の部屋も入るってこと!? 

 引っ越してきてそんなに経ってないから、散らかってはいないと思うけど……けど、私も思春期の女子なんですよ!


「じゃあ、自分でちゃんとお掃除する? ママもうのどかのお部屋まではできないわよ? ある日寝てる時、照明から大きな埃落ちてきても知らないわよ?」

「――出かける」


 さすがに寝ていて埃に襲われるのは嫌だ。

 ええっと、とりあえず部屋着とか外に出てるものはクローゼットに押し込んで……。

 すると、インターフォンが来客を告げた。

 ぎゃっ! まだ片付けてないのに! 出かける準備もしてないのに!


「あら? 業者さんかしら……。予定よりも早いわねえ」

「待って! 待って! 急いで準備するから!」


 慌てて部屋に飛び込み、目についた物をかたっぱしからクローゼットに放り込んでいく。さすがにこの中までは見ないだろう見ないでください。

 とは言っても……どこに行こう? 今からでも茅乃ちゃんに連絡して街を散策しようかなぁ……。そう考えながらも急いで出かける準備をして部屋を出た。勿論、帽子は欠かせませんよ!


「あれ、のどか。帽子も似合うね」

「正樹お兄ちゃん?」


 リビングにいたのはなんと正樹お兄ちゃんだった。

 あれ? お兄ちゃんいつおじいちゃんの会社辞めてハウスクリーニングを始めたんだろう。あれか、御曹司って枠から出たいんだってやつですか。


「母さんが料理教室でケーキ作ったんだ。そのおすそ分け」

「わー! ありがとう! 嬉しい!!」

「まあ、おいしそうね。さすが綾さん」


 ほんと、美味しそう。

 レアチーズケーキかな? しっとりとしたケーキの表面には、オレンジ色のソースでデコレーションされている。

 これは……ついつい顔を近づけて嗅いでみると、爽やかな香りがした。


「これ、マーマレード?」

「そう。よくわかったね」

「もう、のどかったら。はしたないわよ」


 えへへ、つい。


「ところで……のどか。出かけるの?」

「そうなの。今日はハウスクリーニングの業者の人が来るから、出かけててって言われてて……」


 言葉を濁した私に、お兄ちゃんはすぐに気づいた。


「言われてて……?」

「う~ん……。どこに行こうかなって。まだひとりで出歩いたことって、そんなにないし」

「じゃあ、今日は俺と一緒に過ごす?」


 え! いいの!?

 わ~い! お兄ちゃんとデートだ!!



 と、思ったら……連れて来られたのは、とあるマンション。

 ――どこですか、ココ。

 怪しい場所ではない……はず。

 我が家と同じような、コンシェルジュが常駐するセレブ向けマンションってヤツです。お兄ちゃんはここによく来ているようで、ビシーっとオールバックにしたおじ様に「いらっしゃいませ。速水さま」と言われていた。

 そして目の前にあるドアも、すごく大きい。お相撲さんも余裕で通れるほどの大きなドアですよ。

 一体どんな大柄な方がここに住んでいるのか……と思ったら……。


「いらっしゃ……。おや、のどかさん」


 いたのは、へんた……コホン。阿久津先生でした。


 いや、これね? 休日にじょしこーせーが男性教諭の部屋にとか、色々マズくないですか? マズいですよね? ね? 帰ります。帰りますよ、私。あ、今は帰れないんでした!


「いや、俺もいるし大丈夫だろ。第一、のどかの部屋にだって、入ったんだし」


 あーそうだった~。思い出した~。ベッドゴロンゴロン思い出した~。

 嫌なものを思い出してしまって、ひきつった笑いしか出ないよ……。

 チラッと見てみると、先生はなんだか頬を赤らめておかしな動きをしてるし……。


「ああっ! なんということでしょう! のどかさんが! 私の! 部屋にいるなんて!」

「ははははは」


 いや! お兄ちゃん、爽やかに笑ってるだけとか、どういうこと? この人、明らかに動きも発言もおかしいよね? 止めようとか遠ざけようとか思わないのかな。


「どうだ。これでスランプも脱せるだろう」

「勿論!」


 ひとしきりおかしな踊りを舞っていた先生は、くるん。と向きを変えるとパソコンに向かい、タタッタタッタタッタンと軽やかな音をさせて作業を始めた。


「ど……どういうこと? お兄ちゃん」

「いやぁ。コイツ、スランプに陥っててさ。打開策を考えてたんだ。助かったよ」


 いやいやいやいや。全然意味が分かりませんけど?

 スランプと私と打開策と変なダンスがどこをどうやったら繋がるっつーの。

 ……突然無言になって、私とお兄ちゃんが部屋にいること忘れてるんじゃないかって位、作業に没頭してるし……。


 …………。


 …………。


 ……暇です。


 お兄ちゃんは横で読書を始めてしまった。

 むむ。これは、予め暇つぶしを用意してたってことだな? ずるい。

 私はどうしたらいいのさ! もう~……。なにかあったかなぁ?

 急いで持って出てきたバッグを漁ると……ありました。秘密箱。

 そうだよ~。まだ開いてないんだ。

 拓真先輩が開けられるかもとか聞いたけど、それだけのために会う約束を取り付けるのもどうかね~って思ってたから、まだ聞いてもいないんだよね。

 仕方ない。他にやることもないし。


「ん? のどか。それ、なに?」

「秘密箱って言うみたい。板をずらしたりしながら、決められた手順で動かして開ける特殊な箱なんだって。ほら、篁家のパーティーで参加賞でもらったの」

「へぇ~。貸して」

「うん」


 開けてくれるかな? そう期待したのもつかの間……。


「無理」

「……だよね」


 すぐに戻されてしまった。

 いいよいいよ~。ちまちまやるもん。


 タタンタタタタンッ。

 ペラリ。

 カタッ……カチッ。


 静かになった部屋で、それぞれの作業の音だけが聞こえる。

 先生はいつの間にかヘッドフォンをして、そして時折また変な動きをしていた。

 ……静かだ。


「でっきた!」


 ひぃっ!

 びびびびびっくりした! いきなり大声あげるの止めてくれませんか先生!


「マジか!」


 お、お兄ちゃんまで!! 心臓に悪いよ!


「よし! よくやったぞ!! 連絡入れてくる!」


 お兄ちゃんはそう言うと、もの凄い勢いで立ち上がり、バタバタと騒がしく部屋を出て行った。

 な、なんなんだ……一体……。


 …………。


 ふたりきり! どうしよう! 変態とふたりきりになってしまったよ! しかも完全アウェーです!


「のどかさん」

「はははははい!」

「ありがとうございます。のどかさんのおかげで、スランプを脱出できました」

「え……? 私なにも……してませんけど」


 ええ。ほんと何もしてません。だから何を言われてるのか全然理解できなくてポカンとしていると、先生はとても自然に私の隣に腰かけた。


「それ、何ですか?」

「え? ああ、秘密箱です。開くまでの手順が多くて、まだ開けられなくて……」

「やってみても良いですか?」

「あ、ハイ」


 話し方も表情も、教卓で見せるのと同じになっていて、私は素直にそれを先生に渡した。


「ふふふ。あったかい。のどかさんのぬくもり……」

「ギャー! ななな何言ってんですか!」


 やっぱり変態だ! なんなんだ! もう!


「ふふふ。変なことばかり言ってすみません。でも、嬉しくて」

「……なにがですかっ」


 カタリ、カチリと寄木を動かしながら、先生が静かに語り出した。


「私には、姉と兄がいるんです。兄はとても出来がよくて。私のような地味で印象に残らないような顔ではなく、とても華やかで存在感のある人で。私の周りには、兄めあての女性が集まりました」

「はあ……」

「姉はとても美人で気が強い人で。私は大きくなるにつれて、姉の傍若無人な態度が女性全体に対する不信感に変わっていったんです」

「それは……大変でしたね」

「ええ、本当に。兄は家業を継いで医者になりました。姉はモデル事務所を立ち上げ、女社長として成功しました。私はいつまで経っても可もなく不可もなく……そんな存在でした。私は、現実から逃げたくて仕方がなくて……。正樹と親しくなったのはそんな時です」


 淡々と、でも時折辛そうな表情で話していた先生だったけど、お兄ちゃんの名前を出すと少しだけ微笑んだ。


「正樹は、よくあなたの話をしました。妹のように可愛がっている存在で、本当に可愛いんだと。何の計算もなく、全力で自分に向かって来る愛らしさがあると。それからです。私の中で、あなたの存在が大きくなっていました。実際会ったことがないのに……おかしいでしょう。でもね、長年の女性不信が、あなたの話を聞いて想像していると、段々解けていったんですよ」

「先生……」

「気づいたら私は、想像上のあなたをパソコンで描き、小さな世界を作っていました。最初は、自己満足であり、女性に対するリハビリのような感覚でした。気にいった人たちからコメントが入って、交流するようになったり、教師になってからは学園の生徒に身構えることなく接することができるようになっていました。今の私がいるのは、あなたのおかげなんですよ」


 いや、それは美化して話してるお兄ちゃんのおかげだと思うよ、先生……。

 だって、先生はパソコンで作った女の子キャラを私だって言ったけど、全然似てない。このキャラ、めーーっちゃ可愛いんだもん。


「キャラクターを愛おしく思うと、三次元の女性にも優しく接することができました。でも、特別な感情を抱くことはなかったのです。あくまでも、人対人として、先入観なしに接することができるようになった、というものでした」


 まぁ……特別な感情をあちこちで抱くよりは……いいんじゃないかな?


「それ程、私が作り出した“あなた”は大きな存在だったんですよ。――でもね、彼女には触れることはできないんです。会話も、できません」

「そう……ですね」

「そんな時、あなたが現れたんです」


 カタン。カチッ。先生の手元からは木を動かす音がする。でも、先生は顔を上げ、じっと私を見ていた。


「目の前に、実物として、本物の人間として、現れたんですよ」

「は、はぁ……」

「その衝撃たるや!」


 すみませんね。実物はこんなんで。

 そういう意味でしょ? キャラ作る時美化しすぎちゃったよってことでしょ?

 

 そう思ったら、逆でした。


「三次元なんですよ! 頬は丸いし、触れると温かいしぷにぷに柔らかいし、会話できるし、いい匂いがするし、髪の感触とか! とにかく! これまで画面の中で小さく存在していた平面の子が、いきなり体温をもった柔らかい体で現れたら、正気じゃいられませんよね!?」


 よね!?って同意を求められても困ります! 困りますって!

 先生的には二次元でも、私はずっと生身の人間として生きてきたんですから! 自分の分身がパソコンで作られてるって、一体誰が思いますか!

 それに、この世でうまく生きていくには、正気を保つことが大切だと思います!


 ヒィィィィ! ひとまず離れよう!

 慌てて立つと、先生も立ち上がる。

 すると、先生の手から秘密箱が落ちた。

 いつの間にか箱は開いていて、中からポロリと小さく古い鍵が飛びでてきた。


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