4月27日(日)受け取るだけだったはずなんです
あの……開かないんですけど。
なんでなんでなんで? 振るとカタン、カタンと中に入っている物が動く音がするのに。
昨日和沙さんの家のティーパーティーでもらった小箱。今日になって包装を解いたら中から出てきたのは小さな木箱だった。大小の木が組み合わさったようなデザインでね。不思議なことにフタが見当たらない。あちこち触っていると一部がスライドしたから、あ、そういうことか。って思ったんだけど……数センチスライドしたらピタリと止まった。開いたはずのその下にはまた別の木が。一体これはどういうことだ。
(他にも動くところがあるのかな……)
あちこちを触っても、まったく動かない。
う~ん……どうしたもんかのう……。
(あ。そうだ!)
ピンときちゃったよ。パパに開けてもらったらいいんじゃない? 今は社長職をしているとはいえ、少し前までは現役の家具職人でもあった。木の扱いには慣れているし、この開かない木箱のことも知ってるんじゃないかな。運よく今日はあいにくのお天気でゴルフが中止となり、家にいるのだ。中身が気になるし、さっそく聞いてみよう。朝食を食べ終わった今のタイミングならまだリビングでまったりしてるはずなんだよね~。
我ながらいい思い付きだぞ、とほくそ笑みながらリビングに入ると、気配に気づいたのか読書中だったパパが視線を上げた。
「のどか、どうしたんだい?」
「あのね、パパ。これが開かなくて……」
「どれどれ? おや。これは秘密箱じゃないか」
「秘密箱?」
「そうだよ。篁家は、元々家具職人の家柄だったんだ。からくり箪笥なんかも作っていてね。二代目の時代に弟が宮大工に弟子入りして、建築の方をやりだしたんだよ。そういう意味ではこの秘密箱はいかにも篁家っぽいね」
秘密箱か……初めて聞いた。
私は一か所スライドさせて見せると、パパは興味深そうに手を伸ばした。
「ここから先、どこをどうやっても動かなくて……」
「うんうん。そうだねぇ。これはスライドした状態でこっちを……」
スライドさせた面の横側が一か所動いた。
さすがパパ! これは中身が出てくるのも時間の問題! そう思っていたら、パパは突然手を止めた。
「――のどか。これを、総帥から渡された。そう言ったね?」
「そうだよ。ティーパーティーの記念品だって。皆ももらってたよ」
「他の出席者もかい? 同じこのような秘密箱を?」
「え? うん。綺麗に包装されてたから中身までは分からないけど、全部同じ包装紙でラッピングされてたし……」
総帥だって、秘書が持ってきた物を確認もせずにホイと渡してきた。同じタイミングで皆にも配られていたし、裏に大量に用意されていた物の一つに違いない。
そう返事をしたのに、なぜかパパは考え込んでしまった。
「パパ?」
「のどか。パパがどうしてこっちに来たんだと思う?」
「え? どうしたの、突然。ええと……今までの頑張りが認められて、社長に抜擢されたんでしょう?」
曾おじいちゃんの代で木材加工会社を起したわが家は、それ以来所謂オーダー家具を手掛けてきたんだ。篁家は、建築物に入れるインテリアを外注していて、サイズが合わなかったりしたものをうちのおじいちゃんやパパが注文を受けて一から作ったり、手直ししたりしていた。本来、入れ物だけ作って、内装は別の業者がやってたから注文は多くなかったけど、たまに作り付けの家具を必要とする時があって、そんな時は注文がくる。うちと篁家とはそんなお付き合いだったんだって。
それが、篁家が内装も手掛けられるようにオーダー家具の会社を立ち上げたんだよ。そこで白羽の矢が立ったのがパパってわけだ。今までも田舎ながらも仕事に困ったようなことはなく順調にやってきたから、引っ越しまでして新しい仕事をするって言われた時は驚いたけど……でも、パパが選んだことだもん。それに、応援するのが家族の役割なんだよってママに言われて、そうだなって思った。藤ノ塚受験に燃えたママのせいで私は大変だったけどね。
「最初はね、お断りするつもりだったんだ。やっぱり愛着があったからね」
うちで働いてた人たちを思うと、私も少しグッとくるものがある。小さな頃から可愛がってもらったもん。今はその中の1人、当時専務だった沢村のおじさんが会社を経営してる。パパも、何かあった時には注文をそちらに回すつもりみたいだ。そんな感じで今も良好な関係を続けている前の会社。だからこそ、どうして離れたんだろうって思いはあった。でも、これは大人の世界の話だ。私が口をはさむべきじゃないって思ってたから聞かなかったんだけど……。
「じゃあ、どうして?」
「あのね、重く受け取らないで欲しいんだけどね」
「え? う、うん」
そんな風に前置きされると少し力が入ってしまうじゃない。
パパが野心を持っていたとしても、私は応援したいよ。そう思ってる。でも、パパが言葉にしたのはそんなことじゃなかった。
「のどか。パパたちはね、君にたくさんのことを学んでほしい。そして、たくさんの選択肢の中から君の未来を見つけて欲しいんだ。勿論、のどか自身の手でその可能性を増やすこともできただろう。でもね、今藤ノ塚に入ることで、その可能性は更に広がるとパパたちは判断したんだ」
「パパ……」
まさかの答えに、なんかもううるっときてしまった。
私のことを考えてのことだったなんて……!
小さな頃から一緒だった幼馴染たちと離れるのは寂しかった。でも、時折訪れる速水のおじいちゃん家が羨ましかったのも本当。正樹お兄ちゃんに対する憧れも、まるでドラマのような世界に憧れていたのと一緒。少しの滞在だけでもその世界に足を踏み入れたような錯覚をおこしてなんだか心が浮き立つような、そんな気持ちを味わったりもした。
「ありがとう……パパ」
「のどかがどんな判断をしても、僕たちは君を全力でサポートする。――でもね、これは自分で開けた方がいいだろう」
「え?」
はい、と秘密箱が返された。
え? どういうこと? 今のいい話が秘密箱に落ち着くって、なに?
中身、めっちゃ気になるんですけど!
* * *
それから3時間、私は秘密箱と格闘してたけど、やっぱり開けられない。
他にも何か所か動く箇所は見つけられたんだけど、中身はチラリとも見えない。そのうちヤケになっていっそ壊してしまおうかなんて考えたりもしたけど、様子を見に来たママに「秘密箱って開け方が複雑であればあるほど高いのよねぇ……そうねぇ、3万円はするわね」なんて言うものだから思い留まった。貧乏性の私には、それを聞いて破壊なんて出来やしない。
もうパパは最初教えてくれた一手以降、いくら聞いても教えてはくれないし。え~、パパ開け方もう知ってるんじゃないのかなぁ。教えてくれてもいいのに!
ああ、でもそろそろお昼だし、出かける準備もしておかなくちゃ。
そう思っていたのに、今度はママが行く手を阻んだ。
「のどか。明日テストでしょう。前日にくまのカフェに行くなんて、ダメよ」
「え~! でも、明日はテストが終わったら午後は藤見茶会だもん。お菓子を今日中に用意しなきゃいけないんだよ!」
「それなら、用意だけしてもらって明日学校に行く前に寄ったらいいじゃない」
え~! 確かにそうだけど……。
けど、ママがこんな風に言い出したらなかなか折れてはくれない。それに、スイーツ試食係も辞めろと言われたら困るので、ここは早々に折れることにした。
「わかったよ……じゃあ、由香さんに電話してみる……」
けれど、その電話は意外な方向に向かってしまったんだ。
「え? 届けてくれるんですか?」
『そう。のどかちゃんの住所だと、ウチに近い子いるから届けさせるわ』
誰だろう? お店にはバイトの人が何人かいるけれど、その中の誰かかな。
「でも……お仕事中にそれは悪いので……」
『いいのいいの。じゃあ、夕方の6時頃に、マンションの前に出てもらえるかしら?』
遠慮しようにも、由香さんはドンドン話を進めてしまって、結局私は言われるがままに届けてくれる人の特徴として、車種と色、そしてナンバーを控えた。
どうやら、私と面識のない人が届けに来てくれるらしい。なんだか申し訳ないなぁ……。
『メモった?』
「あ、ハイ。でも、念のため私の電話番号をその人に伝えてもらえませんか?」
『いいの?』
「はい。万が一会えなかったら怖いので」
由香さんから言われたのは、外国産の真っ赤な車。特徴は左ハンドル。そんな目立つ車を見逃すなんて思えなかったけど、もしも何かがあってマンション前まで車で来れなかったら受け取ることもできないもんね。
よし。これで安心。うちまで来てくれる人には悪いけど、ママが出してくれないんだから仕方ない。私は約束の時間まで復習をすることにした。
* * *
エントランスに出ると、外はまだ小雨が降っていた。屋根があって良かった~。なんせここはマンション前がすぐ道路じゃなくて広く屋根がかかっている。
少しすると、前の通りに赤いスポーツカーが停まった。背の低い、2人乗りっぽい小さな、でも存在感半端ない。小雨で全体的に灰色がかった街に、ピッカピカの赤い車。うん、これに違いない!
屋根の下から飛び出すと、パラパラと小さな雨粒が顔に当たった。雨を避けるように両手を頭にかざし、車に近づく。すると、向こうも私に気づいたのか窓がスーッと静かに降りた。
「すみません。小鳥遊で……ゲ!」
「ちょっと、ゲって何」
笑顔で挨拶をしようと屈んで覗き込んだら、そこにいたのはなんとジュモン先輩だった。なんでこの人が! てっきりバイトの誰かが来るんだと思ったのにー!
「――まさかジュモン先輩だとは思わなかったんで。だって、高校生が車で現れるなんて思いませんもん」
「あー、俺1年間留学してたからね。もう19歳なんだわ」
そういえばそうだった。
「な~んだ。由香さんに頼まれて来たけど、君だったとはね~」
「あの、わざわざありがとうございますジュモン先輩。おいくらですか」
もうさっさと受け取って帰ろう。
学校では巴さんに言い寄ってるくせに、カフェでは千香さんにべったりで。なんか、そういう人って嫌だ。
なのに、ジュモン先輩はドーナツを渡してくれなかった。
「なんだよ。せっかく持ってきてやったのに。それだけ? え~と、小鳥遊のどかチャン?」
「なんで私の名前――」
ジュモン先輩がスマホを片手でいじりながらチラリと見た。
ああ~、そうだった……。もしも会えなかったらって電話番号を伝えてもらうよう由香さんに頼んだのは私だった。勿論、名前だってその時聞いてるだろう。
「でさ、そのジュモン先輩っつーのもやめてくれない? 俺、八重樫拓真って名前があるからさ」
(そんなに親しくなるつもりないし)
「あの、代金はいくらですか?」
「ドーナツなんて地味なスイーツじゃ、雨音も和沙も選ばねーぞ」
「いいです別に」
「ふ~ん……丞が好きなスイーツでもないしな」
「えっ!?」
そ、そうなの? そういえば私、丞くんの好み知らない……!
「なに、あんた、丞狙いなの?」
「ち、違います! それより、お金! 払いますから!」
軽いノリに嫌悪感が先に立ってしまって、声が鋭くなってしまう。
「こえー。んじゃ、3,240円な」
「はい。じゃあ、これお願いします」
小銭多めに用意しておいて良かった。私はサイフからピッタリ3,240円を出すと、先輩に渡した。私のかたくなな態度にこれ以上からかうのは諦めたのか、先輩も箱を渡してくれた。
「すみません。わざわざありがとうございました」
「あ? いーよ。今日は千香も店にいなかったし俺も暇だったんだ」
“千香”というその親しげな響に、私は思わず反応してしまい、気づいた時には言葉にしていた。
「先輩は、千香さんの何なんですか? 巴さんに交際申し込んでるのに、千香さんベッタリで。そういうの、巴さんに失礼です」
「――なんだよそれ」
「……失礼します」
ヤバい。空気が変わった。さすがに言い過ぎた。カッときたからって、私が口に出していいことじゃなかった。
慌てて踵を返した私の後ろ姿に、先輩が言った。
「悪い。それ、俺んだわ。お前のドーナツこっち」
「えっ?」
箱を開けてみると、そこにはプリンが並んでいる。ほ、本当だ! これ、私のじゃない!
先輩はもう1つ箱を掲げてこちらに笑顔を向けている。でも、目が笑ってない。怒ってる……よね。
じりじりと車に近づくと、先輩は箱を渡すどころか私に車に乗るように言った。
「え! なんでですか!」
「ここ、駐車禁止。それに雨が入って迷惑。それにー、おれー、今めちゃめちゃおしゃべりしたい気分だからー、ポロッと丞に言っちゃうかも~」
最低だ! この人、ほんとに最低だ!
この光景が見えているであろうマンションのコンシェルジュを振り返ると、全員笑顔で会釈を返してよこした。ちょ……! 止めてくれないの? 不審者ですよー!
「ホラ、後ろから車が来た。早く」
「えっ!えっ!えっ?あのっ……」
……乗ってしまいました。渋々シートベルトに手を伸ばすと同時に車は走り出す。一体どこに連れて行かれるんだろう。と思ったら、車はすぐに建物の地下に入った。
「え? どこに行くんですか?」
「駐車場に決まってるじゃん。ここ、俺の家でもあるんだからさ」
なんだってー! お近づきになりたくない人と同じマンションだなんて……なんてこったい! そりゃあ、コンシェルジュも止めないはずだわ……。
地下の駐車場に車を止めると、先輩は私にスマホを出すように言った。渋っていると、また丞くんの名前を出すので、私は仕方なくスマホを差し出した。
だって……自分でもまだはっきりと分からないんだ。丞くんにはたくさん助けられたし、一緒にいると楽しい。でも、狙ってるって言葉はなんだか違うんだ。勝手に決めて、勝手に掻き乱さないで欲しい。そこまで思って私はハッと気づいた。
私、自分勝手だ。だって、やって欲しくないって思ったことを、さっき先輩にやってしまったんだから。
「あの……勝手なこと言って、ごめんなさい」
「ん? 何のことだ?」
先輩は私のスマホをいじりながら応える。その様子は私の知る軽いノリの先輩に戻っていた。
「巴さんのこととか……千香さんのこととか……私が口出すことじゃないから」
「おー、急に素直だな。まあ、いいさ。その通りだから、否定はしない」
え? 否定しないの? それって2人同時に言い寄ってるって認めたってこと? やっぱり最低男ってことでいいですか。
「早まるな。別に同時に口説いてるとか、そんなんじゃない。思い違いだよ」
「だって……否定しないって……」
「信じられない? ならさー、アンタが変わりに俺の相手してくれてもいーんだよ?」
「は、はぁっ?」
なにコイツ! ほんと最低! なんてやつ!
「なに赤くなってんのー。やらしー」
「先輩が変なこと言うからじゃないですか!」
「俺はただ友達として遊ぼーって言ってるだけだよ。ん?どんな想像したの?言ってみ?」
「知らない!」
ムカつく。ムカつくムカつく! 先輩はハンドルに突っ伏して大笑いしてる。
「あーぁ、おもしれーなアンタ。これ以上は、また今度な。ブロックすんなよ。あとこれもホラ」
そう言って先輩はやっとスマホとドーナツの箱を渡してくれた。
スマホに入れてあるトークアプリには、新しい友達として先輩の名が加わっている。どうやら、厄介な人と繋がってしまったようだった。
「いいこと教えてやる。丞が好きなのはプリン」
車を離れて歩きだしていた私の足が止まった。
振り返ると視線の先でせ先輩がニヤリと笑う。
「アンタ、やっぱり丞が好きなんじゃん」
「……私、アンタって名前じゃありません」
「ふぅん。じゃ、のどか。俺の名前も読んでみ? 拓真先輩って」
「た、拓真先輩……」
「よく出来ましたー。じゃ、また遊ぼーな。のどか」
先輩は入ったばかりの駐車場からまた車を発進させた。
またってなんだよー! もー!
心の中を掻き乱されて落ち着かない。感情に任せてパン!とエレベーターのボタンを乱暴に押した。手のひらが、ジンジンと痛んだ。




