4月23日(水)セレブって大変なんですね
いい日だ。今日はなんていい日なんだろう!
クラスの藤見茶会のグループ分けも解決したし、授業も通常授業ばかり。しかも今日は現国がなかったから、あのへんた……ごほん。阿久津先生とも顔を合わせずに済んだ。そのためか、数日ぶりに部室へと向かう私の足取りも軽い。
そんな上機嫌の私に、嬉しい知らせがもうひとつもたらされた。
「新聞を持って行ってくれる生徒がいるのよ!」
部室に到着すると、巴さんが満面の笑みで教えてくれたんだ。
「ええー! 本当ですか! 嬉しい!」
「ほんと! こんなの久しぶりよ!」
話しながら更にテンションが上がってきた巴さんが私に抱きついてきた。
ふあああああ! いい匂い! いい匂い!
「――何やってんだよ。持って行ってくれるって、たかだか10部程度じゃないか」
丞くんが呆れたような声でそう教えてくれた。
……なんですと。
えーっと、それは茅乃ちゃんも含まれてますか? 含まれてますよね? てことは、純粋にカウントしたら一桁じゃないですか! それ喜んでいいところですか?
「なによ。これからじゃない! 私にはおトクちゃんという味方だっているんだから!」
「お、おトクちゃん?」
「そう! 情報をくれた人は恥ずかしがりやなのか、匿名希望だったのよ。だからおトクちゃん」
えー……確かに名乗ってはいないけど、私おトクちゃん……? ものすごく時代劇臭がしますが……。
「姉貴……そのネーミングセンスはどうかと思うぞ……」
ごめんなさい。巴さん。それは私も思います。ええ、どうかと思います。なんだか着物着てCMに出てる子役みたいです! でも、反応してしまうとおトクちゃんの正体がバレてしまいそうで、私は抗議したい気持ちをぐっと飲み込んだ。
「何言ってるのよ! 今は10部でも、この先部数を伸ばすわよ! ――ということでのどかちゃん」
「は、はい!」
「次号のテーマ、今月中に提出してね?」
「次号の、テーマ? ……てことは……また……」
「頑張ってね! 坂巻先生の代わりの顧問も無事決まったし、これは新聞部にとっていい風が吹いてきたわよ! 俄然やる気が湧いてきたわね!」
「ほんと。まさか昨日の今日で決まるとはね。しかも、阿久津先生が買って出たんだろう? 生徒会と兼任だからまあ顔を出すことはないだろうけど、名前だけでもありがたいよ。な? のどか」
「ん? あぁ……うん……」
……また……また小部屋行きですか……。阿久津先生には今度中学のアルバムを渡さなきゃいけないし……私としては悪い風が吹いてる気がするよ……。
* * *
カチャリ
手の中で小さな音を立てて、ドアは開いた。
手にした昔ながらの小さな鍵は、その手のプロならば開錠に30秒はかからないだろうと思われる簡単な作りだ。
学園のあちこちの鍵は殆どがカード認証や、アプリ認証だ。勿論、この資料室のドアにだって読み取り機がついている。それなのに、ここではどうやら最新機器は機能していないようだ。
(さすがに、物置にその装置は大げさってことかな?)
でも、学園の人気者が息抜きにやってくるって知ったら、ファンはきっと入り込みたいに違いない。
とは言っても、人気者がいるのは部屋を分断するように置かれた高い本棚の向こう側だけど。それでも小さな情報でも欲しくて忍び込む子はいるかもしれないな。巴さんが言うには、彼らは一様に秘密主義で、プライベートの顔はなかなか見せないらしいから。だから、“おトクちゃん”がもたらした情報は、本当に小さなことだったけれど、生徒会長のファンにしてみれば嬉しい情報だったらしい。
それでもねえ、嬉しいのは結局彼らのファンなわけであって。特にファンでもなければ、お近づきになりたくもない私にしてみれば、盗み聞きを疑われそうなこの状況はすごく気を使うわけですよ。
いけないことをしているつもりはない。むしろ、私は正当な理由でここにいるわけであって。息抜きと称して仕切られた部屋の向こう側に逃げ込んでるのはむしろアチラなんだ。
とは言ってもなぁ……一方的に私だけがその状況を知ってるっていうのも、このなんともいえない罪悪感のようなものに繋がるのかもしれないね。だって、あっちは完全に油断してるもん。
なんて考えていたら、棚の向こうで荒々しくドアを閉める音が響いた。
(わ! び、びっくりした!)
危うく手にしていた資料の過去新聞を落とすところだったよ。危ない危ない。
ドキドキする胸を押さえ、新聞を抱えたままイスにそっと腰を下ろした。
嫌だぁ。ほんと、心臓に悪いんだって……。
「ったく。しつこいんだよ。あの女!」
この声は……和沙さんか。相当イライラしているのか、続けざまにガタリと大きな音を立てた。
学園ではいつも諏訪生徒会長と一緒にいる印象があるんだけど、今日は1人なのかな?
たまに校内で見かける2人は、凛々しく落ち着いた諏訪生徒会長と、柔らかな笑顔を絶やさず物腰が柔らかい副会長の和沙さんという雰囲気で、学園のアイドルの中でも特に人気が高いコンビだ。でも、私は知っている。副会長の篁和沙は、特大の猫をかぶっているのだと――! 天使? いやいや、悪魔の間違いじゃないの? それ位、ここで耳にする彼の言葉は毒々しい。そして、今日も入って来るなり悪態をついている。
諏訪生徒会長は、イメージ通りの素敵な人なんだけどなぁ。
和沙さんの悪魔っぷりを他では聞かないということは、きっと彼はその姿を知られたくなくて隠してるんだろう。そして、諏訪生徒会長にしかその姿を見せないようにしているんだ。
なのに、私はたまたまここで彼の悪魔っぷりを知ってしまった。
和沙さんが、この資料室に頻繁に人が出入りしているって知ったらどう思うかな。
…………
こ、こわっ! 怖い結末しか想像できない! どう転んでも「本当の僕を見せられるのは君だけだよ」的な展開、想像できない!
おそろしやおそろしや……。
(巴さんに言っちゃおうかな?)
ふとそんな考えが頭をよぎったけど、慌てて頭を振ってそれを打ち消した。
そんなことしたら、資料室が情報源だって巴さんに知られてしまう。そしたらおトクちゃんが私だってバレちゃうし、結果、情報提供者が内部にいて、他の生徒が新聞部に関心がないってことになる。
てことは、この状況を隠したまま、私はここで作業をしなくちゃいけないんだ。
さっさと進めよう。さっさとテーマ決めたら、巴さんのOKがおりるまでは来なくていいじゃん。ええと、どうしよう? 前回の制服と同じで、この学園に来て私が気になったことがいいよね……。
ええと……ええと……。
なるべく音をたてないように、そっと新聞をめくる。お、当時の藤見茶会の様子だ。23年前か~。藤棚をバックに優雅にお茶を飲んでいる。テーブルセッティングもしっかりしていて、ほんとガーデンパーティーって感じなんだな……。私は勝手に、キャンプに使うような簡易テーブルなんかでお菓子を囲んで楽しくお喋りってイメージしてたんだけど、とてもじゃないけどそういうレベルじゃないわコレ。でも、今探してるのは来月載せる記事だし、藤見茶会終わってるタイミングだとさすがに遅いよなぁ……。それに、きっと巴さんか丞くんが今年の藤見茶会の様子を書くはずだし。
う~ん……あ。なになに? 『学生食堂に本格フレンチコース導入』なんと! 23年も前から? うわぁぁ……おいしそう! 新聞には、本格とはいっても時間が限られている学園の昼休み用にアレンジが必要だと語っているシェフの姿が載っている。なんでも有名ホテルの元総料理長らしいよ。すごいなぁ。
あ、過去の学食を紹介っていうの、いいんじゃない!? 調べてるうちにおなかがすきそうだけど。よしよし、いいぞいいぞ。私、実はできる子だったんじゃない? 巴さんに提出すべく私が着々と準備を進めていると、隣からドアを開ける音が聞こえた。
あ、出て行くのかな? そうそう。早く生徒会室に戻って、役員の皆さんと一緒に仕事したらいいよ。そうしたら、私も物音をたてないようにとか変な気を使わずに済むんだよ。
「どうしたんだ、和沙」
えー……2人に増えた~……。
「どうしたって……! あの女、ウザいんだよ!」
「いつものお前ならあれ位、軽くあしらうだろう」
「……ったく。ジジイが余計なことを……」
「そう熱くなるな。婚約など、俺たちの世界ではそう珍しいことではない。家のこと、将来のこと、これまで培ってきたものを考えると、仕方のないことだ」
こ、婚約? 私たち、まだ高校生だよ?
それなのに、生徒会長はそれを普通のことのように話している。
「雨音は……そんな古臭い考え、受け入れられるのか?」
「婚約と言っても、形ばかりのものだ。お前だって、そう言っていただろう」
「……状況が変わったんだ」
「変わった?」
ど、どういうことだろう?
いつの間にか私は、メモをとることを止めてペンをぎゅっと握りしめ、聞こえてくる会話に耳を澄ましていた。
だって気になるじゃない! こんな会話をここでする方が悪いよ!
「今度、うちでパーティーをやるんだと。表向きは同世代と親交を深めようってものだけど、そこに婚約者候補も参加するって算段だ」
「それは前から言っていただろう」
「そうなんだけど……最近になってやけにジジイが乗り気になって……どうやら、ジジイが気に入ったヤツがいるらしい」
「総帥が?」
「ああ。それで、ただでさえイラついてるのにあの女がどこから聞きつけたのかパーティーに行きたいって言ってきて……」
「理事長の娘だからな。学園の生徒の情報は入りやすいかもしれない」
理事長の娘……この前和沙さんが言ってた、理事長の力を借りて生徒会に無理やり入って来たっていう子か……まだ見たことないけど、確か私と同じ一年生よね。
「総帥が気に入ったとは、どんな子なのか俺も気になるな」
「お前な……他人事だと思って……!」
「お前は気にならないのか? 名前は聞いたのか?」
「……いや。何も。ただ、参加者の中から見つけてみろって無理なことを言ってきてさ」
「それは面白い」
「何がだよ!」
クスクスと笑う生徒会長に和沙さんが噛みついた。
それもそうだよ。そんなわけの分からないことに自分の将来を巻き込まれて、しかもそれを聞いた親友に笑われてんだから……。
「総帥は、お前の目を試してるんだ。そして、ご自身の目に自信があるのさ。きっと、和沙がその子を見つけるし、気に入るってね。総帥にそこまで思わせる子がどんな子なのか、お前は気にならないのか?」
「――なる」
ドキドキする。たくさんの参加者の中で、たったひとりを探し出す。
情報は何もない。
彼女はただ、そこにいるってだけ。
「そうは言っても、総帥がご存じのご令嬢はそんなにいないはずだ。お前も少しは絞れてるんじゃないか?」
「何人かな」
ちっ。なんだよー。シンデレラストーリーだって思って、ときめいたのに!
「何人だ?」
「8人」
多いな! セレブイケメンって怖い! 心当たりが8人もいるって怖い!




