4月20日(日)ドアの向こうに変態がいました
あの時、走り去った松丘くんの後ろ姿が忘れられない。
後になって思ったんだ。
私は所詮部外者で。たまたま綾さんの親類で、彼の綾さんに対する想いに気づいただけの存在なんだ。そんな私が、あの時タイミングを見計らって綾さんに電話をして彼の言葉を遮り権利ってあったのかな。
高校一年生にして、愛ってなんだろうと考えてしまったよね。
綾さんは伯父さんの奥さんで。大好きなお兄ちゃんのお母さんで。それでいてお仕事も頑張ってるアラフィフとは思えないくらい若々しく輝いてる女性だ。
そんな綾さんに憧れる気持ちは自由なんじゃないかなって。
私が親戚っていう立場じゃなかったらどうだろう? 案外、へぇ~松丘くんは年上好きなんだねぇ。で終わってた話かもしれない。
勿論、綾さんのことは信じてる。昨日伯父さんが綾さんのことを話しているのを聞いて、ふたりはとても素敵な夫婦だなって思った。それは一緒に綾さんの手作りディナーを食べている時も思った。伯父さんをよく見ていて、グラスが空きそうになると冷蔵庫に新しいビールを取りに行ったり、それはとても小さなことかもしれないけど、毎日の積み重ねで自然とできることだと思う。
だから、たとえ松丘くんがあの言葉の続きを綾さんに告げていたとしても、綾さんの生活も、松丘くんの生活も何も変わらなかっただろう。
だからこそ、やっぱりあの場で私がしゃしゃり出ることじゃなかった。
ベッドに入ってからも、そんなことをグルグルと考えていた。
考えていたはずなんだけどね。
いやー、低反発マットレスって恐ろしいね! いつの間に寝たのか全然覚えていないんだけど、起きたら頭がスッキリだよ!
「のどか? まだ寝てるのか?」
「あっ。起きてるよ!」
「なんだ。起きてるって言って、今起きたのか」
「ギャー! ちょっと! 開けないでよ!」
見られたー! 見られたー! パジャマ姿見られたー! 唯一の救いは、いつも家で着てるロンTにノーブラで下がスウェットではなく、この部屋のクローゼットに入っていたパッド入りの小花柄ルームウェアだったことだ。
「起きてるって言っただろう」
「起きてるけど、開けていい状況だって言ってないー!」
「ハイハイ。分かったから、起きたならさっさと着替えろ。クローゼットの中の服、好きにしていいってじじいも言ってたから」
「う、うん。ありがと」
クローゼットの中には、このルームウェア以外にも色々な服が入っている。
――サイズがピッタリの下着まで揃っているのは、綾さんかママが用意してくれたんだと思いたい。で、驚いたことに制服も入ってるんだよね。おじいちゃんは本当に私に頻繁に来て欲しかったみたいで、昨晩も相当ご機嫌だった。
クローゼットの中には、私の趣味よりも少しガーリーな服がたくさん入っている。とは言っても、決して嫌いなわけじゃない。むしろ、可愛いなって思ったんだけど、似合うかとなると自信がなくて着たことがないタイプのものだった。
私はその中から淡いグリーンのワンピースを取り出した。それは袖がレースになっていてほんのり素肌が空けるデザインだ。ウエストがゆったりとしたAラインのワンピースは清楚な雰囲気がありながらも、着心地が楽チンだ。なるほど。こういうのもいいかも。でもちょっとガーリーすぎるかなぁ。私は再びクローゼットを開けると、薄いグレーのパーカを取り出した。太めのヒモが小花柄で、丈が少し短い。袖部分は切りっぱなしにあえて色目を変えた糸を強調するように処理されている。一目で気に入ったそれを羽織ると、ぐんとカジュアルな雰囲気になった。うん、私にはやっぱりこれくらいがいいな。
「着替えたか?」
「うん。今度は開けても大丈夫」
「そうか。――お、似合うな」
ほんとにー? お兄ちゃんの顔が、私を見た時に笑顔になったのがすごく嬉しい。たとえその言葉が身内贔屓入ってて出たものだとしても、なんだか胸がくすぐったくなる。
「じゃ。行くか」
「はーい」
日曜日の今日、日中はお兄ちゃんが用事があるとかで、私は茅乃ちゃんを誘って出かけることにしたんだ。初めてのお友達とのお出かけですよ! 内部生ばかりの学園で、こんなに早く休日にも一緒に出掛ける友達ができて良かったなぁ。
「駅前の本屋でいいのか?」
「うん。茅乃ちゃん買いたいものがあるらしくて、そこで待ち合わせなんだ」
あれから茅乃ちゃんは駅前の本屋を気に入ったらしい。まぁあそこはくまのカフェにも近いし、移動も楽だからいいか。さて、今日こそは新作スイーツ食べるぞー!
と、意気込んでたのに、くまのカフェに入れませんでした。
「貸し切り……」
「な、なんでなんでなんでー!?」
「えっと……『本日貸し切り』って、書いてあるわ」
「そ、そうだけど……」
「ええと……仕方ないわよ。今度また来ましょう。ね?」
「うー……」
諦めきれず窓から中を覗くと、中ではパーティーらしきものが行われていた。
沢山の笑顔の中心には、ふくふくと丸く可愛らしい赤ちゃんがいた。抱いているのはお父さんかな。赤ちゃんはたくましい腕に抱かれて安心したように眠っていた。それにしても……あのお父さんどこかで見たような……。
お店のカウンターでは千香さんが忙しそうに動き回っている。
ああ……! 危ないなぁ。あんなにたくさんグラス乗せたトレー持てるのかな? ハラハラして見ていると、案の定それは大きくぐらりと傾いた。
落としちゃう――!
その時、背の高い男性がすんでのところでトレーを支え、難を逃れた。
(ん?)
「ねえ、あれ……ジュモン先輩じゃない?」
「え? ジュモンって……誰」
「えーと……学食で会ったやけにキラキラしたハーフの先輩だよ」
「……ああ。ジュモンさんていうの?」
「いや……名前知らなくて」
ジュモン先輩はその後も甲斐甲斐しく千香さんの手伝いをしていた。その眼差しはとても優しい。学食で私たちに見せたような人を小ばかにするような態度でも、巴さんに見せていたチャラい姿でもなく、微笑みを浮かべて千香さんの世話を焼いている。千香さんも少し困ったように見えるけれど、断ることはしていない。店のエプロンをつけている千香さんと、カジュアルだけれども、おしゃれな服を着てアクセサリーもつけている先輩を見ると、明らかに立場は店員と客だ。それに、先輩は赤ちゃんを抱っこしている男性にとてもよく似ていた。きっと、家族か親戚なんだろう。だとすれば今日お店を貸し切りにした側のはずなのに、手伝いを受け入れている。そして、そんなふたりのやり取りも以前からの顔なじみのようにとても自然だった。
(……どういうこと?)
「……くしゅんっ」
「わ。茅乃ちゃん、大丈夫?」
「うん。大丈夫。えと……そろそろ、どこか他に行かない?」
「そうだね。あ~、残念。今日こそ新作スイーツ食べられると思ったのに!」
「ちょっと覗いただけだったけれど、並べられたお菓子はどれも美味しそうだったね。のどかちゃんが紹介したいって言ってたお店ってここ?」
「そうだよ~。あのね、裏メニューなんかもあってね!」
くまのカフェに入れなかったのは残念だったけれど、その後茅乃ちゃんとふたりでウインドウショッピングやお茶を楽しんだ。
* * *
「ただいまぁ」
とは言っても、ここはわが家ではなくおじいちゃんの家だ。
夕方にはお兄ちゃんも用事が済むから家にいるって聞いたんだけど、おかしいな。車はあるけど、反応がない。
すると、吹き抜けになった玄関の上からコツコツと何かを叩く音がした。
「あ。お兄ちゃん」
お兄ちゃんは電話中のようで、私に『部屋に行ってろ』とジェスチャーすると、リビングへと消えてしまった。
お仕事の電話かな? 日曜日だっていうのに、大人は大変だねぇ。
なるべく邪魔をしないように階段を上がると、リビングから「納期が……」だの、「変更点があって……」だの聞こえてきた。やっぱり仕事関係らしい。
邪魔をしちゃ悪いから、私はそのまま3階の自分の部屋に向かった。
が、あの……ベッドに何かいるんですけど……!?
天蓋の繊細なレースの向こう側で、お布団がこんもりと盛り上がって時折動いている。
(え!? ここん家、ペットとか……飼ってない……よね?)
たとえペットだとしたら相当な大型犬だ。猫ではありえない大きさだ。
そろそろ近づくと、いきなり布団がゴロンゴロンと激しく動き出した。
「ぎゃああああああああああ!!」
「うわぁぁぁぁぁぁ!?」
突然のその動きに驚いて声を上げると、ゴロゴロ転がっていた物体が飛び起きた。
「ぎゃあああああああああああああああ!」
「わああああああああ!」
男の人だ! 私のベッドの中から男の人が出てきた! 知らない男の人が出て……知ってるし! 知ってる人だし!!
「せ、せんせいいいいいいい!」
布団をかぶってゴロゴロしていたのは、学園人気ナンバーワン教師の阿久津峻先生でした。
「なんだ! どうしたのどか! なにが……あっ! お前! 紹介するまで俺の部屋にいとけって言っただろ!」
「ごめん正樹! つい……女の子の匂いがして……つい!」
つい。じゃねぇぇぇぇ! どういうことだ! 今! 女子高生に大人気の高校教師にあるまじき発言が出たぞ!
「おおおおおおお兄ちゃん! これは一体どういうことですかぁぁぁ!」
「ええと……これにはワケがあってだな。その……まず、彼は変態ではありません」
「信じられません」
「デスヨネー」
とにかく部屋を出てもらって、話はお兄ちゃんの部屋で聞くことにした。
それは意外な話だったんだ。
「峻は、イヴなんだ」
「はい?」
「ええと、童話の世界観を現代に融合してCGアニメやら音楽やらを作ってるクリエイターだ」
「え! 教師が副業!?」
「そこか。ちなみに藤ノ塚は私立だから、教師の副業は禁止されていない」
「そもそも、これは僕がまるきり趣味でやっていたことでね」
「先生は黙っていてください変態」
「……はい」
変態教師は今お兄ちゃんの隣で小さくなって正座していて、体全体からしょんぼりオーラを出している。
「コホン。ええと、つまりそこにギャラなんてものは発生していなかったんだ。最近までは」
「はぁ……」
「峻の才能に目をつけた会社が話を持ちかけてな。最近は曲がCMに使われたり、アニメ化されたり、グッズが出たり……コンセプトカフェやらが企画されたりと、本業より忙しくなってきた」
「はあ……。なら変態教師なんざ教師辞めたらいいと思うんですけど」
「のどか……。変態変態言うな。峻が喜ぶ」
ふるふる震えてるのは、反省じゃなく喜びとかやめてもらえませんかねほんとに!
「ええと……これはその、発作みたいなものでだな。そうそう出るもんじゃない。レアなんだぞ」
「そんなレアいらない!」
「デスヨネー。とにかく、イヴの方が忙しくなってきたんだが、最近作品を生み出せなくなっているんだ。何をやっても同じようなものばかりでね。俺は、リアルな女子高生アドバイザーが必要だと常々思っていた」
な、何を言い出すんですかねお兄ちゃん! 私、嫌な予感しかしませんけど!
「阿久津(変態)先生は、学園の女子に絶大な人気があるよ! 首のラインが綺麗だとか、持ってるブランドがステキだとか、リアルな女子高生を褒めまくってるよ!」
「藤ノ塚じゃ、常識が違うからダメなんだよ。大人の世界に片足突っ込んだようなやつらばかりだからな。峻が作ってる世界は、童話の世界観をベースにしたものだ。もっと夢夢しく、明るく、どこかの有名ブランドが作り出したような流行りものじゃダメなんだよ」
「僕が求めていたものが、君の部屋にはあったんだ! パステルカラーの壁紙、オフホワイトのフレームに刺繍が繊細な天蓋! それを見つけたらアイデアが泉のように湧き出て……つい!」
つい、で布団に潜り込まれても困るんですけど!
とりあえず、ベッドをどうにかしてください。切実に。
すると、お兄ちゃんが申し訳なさそうに今話題のヘイコップを渡してきた。布団クリーナーかよ! 3分でまるで天日干ししたようになりますか? でもお願いだからシーツは変えてください!




