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4月19日(土)事件現場に遭遇しました

 昨日の夜、久しぶりにパソコンを開いたら、くまのカフェの由香さんから例のブルーベリーゼリーが完成したとメールが来ていた。日付は少し前で、是非完成品を食べに来てね、と書かれてた。

 藤ノ塚独特の校風に慣れるのと、本格的に始まった授業についていくのはなかなか気疲れするもので、このところパソコンを触っていなかった。

 合格祝いとして自分専用のパソコンを買ってもらえたことが嬉しくて、由香さんにはついパソコンのアドレスを教えてしまったけど、これまた進学と同時に買い替えたスマートフォンでインターネット利用も事足りる時代だ。特に不便を感じることもなく、ついついパソコンから離れてしまっていた。


「日付は16日……うわぁ、3日も前だ。すぐ返事を出さなくちゃ……ん? おおおおおおお!」


 無題のメールが由香さんからのメールの2件上にあった。最近は乗っ取りやら情報抜き取りやらで怖い時代だから、そのまま削除しようと思ったんだけど、表示されていたメールアドレスにある文字を見つけて私は慌てて削除を思い留まった。


『hal-sweetslab』


 スイーツラボって、ハルさんのスイーツ食べ歩きブログの名前だ!

 ハルさんとは、パンケーキの存在をお知らせした時コメントのやり取りをしただけだけど、なんだろう? そういえば、コメント入力の時にアドレスを入れたけど……。ドキドキしながら開いてみると、メールにはこんなことが書かれていた。


『のんたんさん、こんにちは。スイーツラボのハルです。先日はくまのカフェの情報をありがとうございました。あのカフェはお気に入りのひとつなのですが、裏メニューが多く、大変助かりました。そのくまのカフェでは、最近スイーツの新メニューができたそうですが、ご存じですか? お節介かとは思いましたが、先日のお礼のお礼もしたく、メールしました。ご存じでしたらすみません。では、よい週末を ハル』


 て、丁寧! うわ~。ハルさんてすごく律儀な人なんだなぁ。

 うんうん。新作スイーツできたんですよ! きっとこの前私が試食したスイーツのことだよね? うふふふふ。このことを話すべきかな? いやいや、あまり話しすぎるとハルさんが男だって知ってることもバレちゃいそうじゃないか。

 ハルさんは文章やシンプルだけどかわいらしいテンプレートからも、性別さえも曖昧にしようとしてるって分かる。私はたまたま、使われてた画像に私が映ってた、ハルさんが男性だって分かったけど……。きっとあの日お店にいましたよね! 見ましたよ! なんて、言われたくないだろうなって思った。

 それにしても、こんな風にメールをくれるってことは、ハルさんは由香さんの新作スイーツ(完成品)をもう食べたのかな? 本当にくまのカフェがお気に入りなんだな。ちょっと嬉しい。

 よし、土曜日はお休みだし、くまのカフェに行ってこの新作スイーツを食べよう!



 と、思ってたのに、私はなぜか慣れない街でバスに揺られている。

 


 朝になり、くまのカフェに出かける気満々でリビングに行ったら、ママに捕まってしまったのだ。


「のどか。今日は何も予定はないわよね? ね?」

「えっと……くまのカフェに行こうかなって思ってたけど……」

「約束かなにかしてるの?」

「――してない……」

「良かった! あのね。用事、頼まれてくれないかしら?」


 ママの言う用事とは、隣町のスポーツセンターにいる綾さんに、届け物をすることだった。

 届け物とは言っても、それは綾さんの忘れものだったりする。綾さんの事務所があるハヤミスポーツ本社に、データが入ったタブレットを忘れたらしいんだ。本来なら、会社の人が届けるところなんだけど、今日は土曜日。ジムの方もお客さんが多くてトレーナーさんは忙しい上に、事務の人はお休み。てわけで、私が駆り出されることになったわけだ。

 え~。でもママに連絡入ったなら、ママでもいいじゃん。って思ったんだけど、ママにはこれから出張だと言われてしまった。


「本当はパパだけの予定だったんだけど、日帰りの予定が泊まり出張になっちゃってね。秘書としてママも同行することにしたの。だから、用事が終わったらそのまま速水の家に行って、今日は速水の家に泊まってくれる?」

「え~。そんな、急に……」

「なによ。高校生になったとはいえ、のどかは1人で夜を過ごしたことないでしょ。戸締りも火の元確認も、セキュリティの設定も出来る? 1人で一晩過ごせる? ごはんないわよ。作れる?」

「う……」


 今のマンションはコンシェルジュもいるし、セキュリティの面でも安心なのはわかってるけど、確かに私は家に1人という状況で一晩を過ごしたことがない。田舎にいる時、ママは専業主婦だったし、パパとママが出かけることがあってもおばあちゃんがいた。だから私は誰かしら人がいる家しか知らない。笑われるかもしれないけど、正直、夕方帰ってきた時に家に誰もいないっていうのも寂しくて仕方がない。


「今日は速水のおじいちゃんのとこに泊まる……」

「そうしなさいな。おじいちゃんがせっかくお部屋を用意してくれたんだもの。学園だって近いし、月曜日の朝はゆっくりできるわよ」


 それもそうだ。そう思うと、その方がいい気がしてきたから不思議だよね。お兄ちゃんもいるし! でも、そう思っていそいそと準備を始めたらママが後ろから囁いた。


「じゃあ、日曜日はみっちり試験勉強できるわね」

「えっ!」


 振り返ると、ママはしたり顔。どうやら、私はまんまとママの罠にはまってしまったらしい……。月に一度ある試験は、あくまでも授業の理解度を確認するものだ。そう聞いてちょっと安心してたんだけど、ママはそうは考えていないらしい。学園に入って初めての試験。内部生だらけの学園についていけるのか心配なのは分からないでもないけど……。これって私がのんきに考えすぎなのかな?


 まぁそう言われてしまうと、自立していない学生の身としては従わざると得ないわけですよ。のんきに構えて下位になるのも、ただでさえ浮いてる気がするのに、益々悪目立ちするのは勘弁だしね。


 そんなわけで、苦手な数学と英語の教科書をお泊り荷物に加えて、こうしてバスに乗ってるというわけだ。

 綾さんに届けるのは、午後のミーティングが始まるまでで構わないと言われていたけれど、隣町はまだ行ったことがない。なんとなく心配で、早めに事務所で会社の人からタブレットを受け取ると、私は隣町に向かった。

 私が住んでいる街は、都市開発で区画整理されたため、道路も歩道も広くて建物もブロック分けされているからか視界がひらけている気がする。でも、隣町は大きなビルに色とりどりの看板が多くて視界がせわしく感じた。


(早く来て良かった。迷っちゃいそう)


 と心配してたんだけど、目指すスポーツセンターはバス停からすぐの場所にあった。

 教えてもらった通り、建物内に入ると受付で綾さんの名前を出した。スポーツセンターっていうから、きっとジャージ姿の人が多くて体育会系な雰囲気を予想していたのに、エントランスホールにはスーツ姿の人も多い。

 受付に座る女の人も、まるでCAのような華やかなデザインのスカーフが目立つ細身のブルーの制服を着てお化粧もしっかりとしている。だからかな、なんだか少し緊張してきた。

 案内されたソファに座ってキョロキョロしていると、やって来たのは綾さんではなく、伯父さんだった。


「のどかちゃん」

「あ、伯父さん」


 伯父さんはポロシャツにジャージというスポーティな格好で現れた。

 そうそうこれこれ。これぞスポーツ関係者だよね!


「ごめんごめん。綾は今ちょっと外に出てるようなんだ」

「綾さん、いないんですか」

「ああ。それは僕が代わりに受け取っておくよ」

「はい。じゃあお願いします」


 良かった。これで任務は終了。なんとなく物々しい雰囲気の場所からやっと帰開放される。すると、そんな私の緊張が伝わったのか、伯父さんが話し出した。


「なんだか緊張してる?」

「なんとなく……。スポーツセンターって聞いたから、もっとラフな感じなのかと思ってました」

「ははっ。普段はここもそんな感じだよ。今日はたまたまだ。ジュニアも含めた強化指定選手の合同練習があってね。スポーツメーカーの営業の人なんかも来てるから、いつもより雰囲気が硬いかも」

「はぁ。じゃあ日本代表の凄い人ばかり来てるんですね?」


 なんだかピンとこないけど、そういうことなんだろうな。ジュニアってことは、私よりも年下の子もいるわけで。私の感覚では中学生ってまだまだ子供なんだけど、その子どもたちは、こうしてたくさんの大人達にサポートされてるんだ。才能があるって凄いなぁ。

 素直にそう言うと、伯父さんは嬉しそうに頷いた。


「若い彼らの成長は早い。見ていると本当にワクワクするんだよ。のどかちゃんは何かスポーツに興味はある?」

「いえ……特に。運動はあまり得意じゃなくて」

「そうか。でも、応援することはできるだろう? スポーツに関心をもって、色々なスポーツがあることを知ってほしいな。それも重要なことなんだよ」

「そんなものですか?」


 たまにマイナーなスポーツでも注目選手が出てくるとテレビや雑誌に登場し、中継が増えたりする。なんとなく私はそれを見て現金だなって思っちゃうんだけど……。


「世間の関心が高まると、スポンサーもつく。そうなると、選手も競技に打ち込めて世界レベルに近づけるからね」


 なるほど……やっぱり大事なのはお金なのか……。

 なんだかこちらに来てから、まだまだ子供だと思っていた私達の世代にもお金事情を含む大人の世界が絡んでいると感じることが増えた気がする。


「でも、メーカーさんとか伯父さんのような専属のトレーナーさんとかが周りにいて、否が応でも実力を上げなきゃいけないって感じで、プレッシャーですね」

「……鋭いね、のどかちゃん。伯父さんちょっと痛いとこ突かれちゃったよ」


 おどけた口調で笑顔を見せたけど、それは苦笑に近かった。

 私とそんな変わらない世代の子たちがそんなプレッシャーに負けないっていうのはすごいなって思って言ったんだけど、言葉のチョイスを間違えてしまったかも……。


「実際、気持ちが負けて潰れてしまった子もいるよ。こうしてサポートを充実させたらすぐに結果に繋がるってもんでもない。現役を経験している僕たちはそれを知っているけどね、頭でっかちな人間は、それが理解できない。――とても、悔しいよ。サポートする側の大人が、若い才能を潰すのはあってはならないことだからね」

「は、はぁ」


 やばい。なんか話が変な方向に向いてる。全然思ってもいない方向に捉えられてる気がするんですけど!?


「少し、時間が必要な子だっているのさ。綾が今それをサポートしてくれてるけど、身体作りというのがまさに個人差があるものなんだよ」


 なるほど。綾さんが栄養士として選手の身体作りを手伝ってるけど、確かにそれは個々で違うよね。それを同じスピードでそれぞれに結果を出さなくちゃいけないなんて、それは大変だ。


 それからは他愛のない話をして、私はスポーツセンターを出た。

 スポーツ界も大変なんだなぁ。身体作りのプロに、技術的なコーチ、メンタルケアも必要だ。でも選手もひとりひとりの性格の違いで取り組み方も変わるだろう。伯父さんの話から、ひとりひとりに合った方法を模索して取り組んでるんだろうなって分かる。でも、スポンサーも協会もそれを待ってはくれない。

 う~ん……難しいね。


(……ん? ここはどこだ?)


 慌てて辺りを見渡したけど、目指したはずのバス停はない。

 考え事をしながら歩いていたら、どうやら道を間違えたみたいだった。どうしよう……。

 迷っていると、建物の陰から人の話し声が聞こえた。


(良かった! 人がいる。よし、バス停の場所を聞こう)


 でも建物を曲がろうとして、私の足はピタリと止まってしまった。

 こ、この声は……!!


「大丈夫よ。松丘くんのタイム、今の時期からしたら悪くないわ。身体作りも去年から取り組んで、まだこれからグングン伸びるのよ」

「でも綾さん、俺……中学でアイツに負けたことないのに……」

「今日タイム取った3回中、1回だけのことだわ。それよりも今の時期に無理に練習量を増やすのは反対だわ。ちゃんと身体ができてないと故障するのが目に見えてるわ。焦っちゃダメよ。私と一緒に頑張りましょう」

「綾さん……。俺……焦りばかりが勝って……」

「松丘くん。なにがそんなに不安なの? 私には話せない? 私じゃ、あなたの力になれないかしら?」

「綾さん……」


 ちょっと! 綾さん! なんてことを! そんな、まままるで松丘くんにこここここ告白を促すかのようなセリフを……!


「綾さん……俺……綾さんが……」


 アカーーーーーーーーーン!


 気が付いたら私は手元のスマホを高速で操作していた。


「綾さん……!」


 ピロロロロロロン ピロロロロロロン


 松丘くんの熱を帯びた言葉の途中、その空気を引き裂くような無機質な音が響き渡った。

 壁に背中をつけて、じっと向こうの様子を伺う。耳に押し当てたスマホを持つ手が震える。すると、着信音が消えて耳元から綾さんの声が聞こえてきた。

 なんとなくホッとしたような声色だったのは気のせいかな……。


「もしもし。ごめんね、わざわざ持ってくてくれて。本当に助かったわ」


 返事をしようと口を開きかけて、角を曲がったすぐ近くにふたりがいることを思い出して、私は慌てて口をつぐんだ。電話の向こうからは綾さんの問いかけが続く。


「もしもし? もしかして場所が分からないかしら?」


 そっと、音をたてないように建物の裏側に回り込む。


「あ、あの……綾さん」

「のどかちゃん。何かあった? 場所がわからないとか?」

「いえ……。あの、タブレットは伯父さんに渡せました」

「本当にありがとう。助かったわ」


 私の声が向こうに聞こえてないか、ヒヤヒヤする。でも綾さんの受け答えからして、多分聞こえてない。

 電話を切ると、松丘くんがジャージ姿のまま走っていくのが見えた。

 松丘くん、せっかくのいい雰囲気をぶち壊してごめんね! でも、松丘くんには、もっといい恋が待ってると思うよ! そんな思いを込めて、後ろ姿を見送った。

 結局、ここから出ていくことは話を聞いていたと知らせるようなものになるわけで……綾さんにバス停の場所を聞くことができず、私がバス停にたどり着いたのは、迷いに迷ってそれから20分後のことだった。



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