133 二ヶ国防衛戦 その4
後に歴史書にて『這いずり平野の戦い』と呼ばれる戦いこそが、かつて日本と呼ばれた島国、そこに跋扈した小国家による戦乱のはじまりだとする説がある。
この当時、旧京都を領土とした神門幕府や、九州地方で暴れる鬼ヶ島などでも戦争自体は行われていたが、各国が、国同士の闘争を真面目に考えだしたのがこの一戦だったのである。
じきに効力を失うとはいえ、不戦条約を結んでいながら、それを破り、攻め込んだ周辺国家への領土欲をむき出しにした野心高きくじら王国の鯨波王。
ニャンタジーランドへの友誼か、それともくじら王国と同じようにニャンタジーランドを欲したからか、君主クロの要請に応え、侵攻してきたくじら王国を迎え撃った神国アマチカ。
旧千葉県を領土としたニャンタジーランド北西、通称『這いずり平野』で行われたくじら王国の軍勢と、神国アマチカの軍勢がぶつかりあった戦いは夏も真っ盛り、高く陽も昇った、八月十日の昼に始まったのだった。
◇◆◇◆◇
「ふむ、神国の奴ら、魔法の射程外とはいえ随分すんなりとこちらを着陣させたな……」
一万の軍勢を率いるくじら王国の将『武烈クロマグロ』は配下の十人の将を集め、軍議を開いていた。
そして地図の代わりに、クロマグロの地霊十二球としての権能の一つであるインターフェースを周囲にも見えるように展開していた。
インターフェースに戦場情報を表示する権能『戦場俯瞰』とそれを共有する権能『群れの長』の合わせ技である。
偵察で得られた情報がリアルタイムで次々と表示されるそれこそはこの男が一万の軍勢を率いるに相応しい能力を持つことを示している。
「攻城兵器部隊と歩兵部隊一つが今回は本陣の守りに回ってもらうとして、戦いに使えるのは八千ですな」
「小癪にも神国の奴ら、木製の馬防柵を作ったと見えるが……ふん、軍馬であるバトルホースを遮る役には立たんぞ」
彼の使徒、メバチとキハダが意見や情報を出す。将軍たちもそれぞれに意見を出していく。
「まず我ら騎兵部隊で正面の馬防柵を破壊し、敵陣に打撃を与えましょう。神国に激烈な痛撃を加え、奴らが動揺したところを歩兵部隊で蹂躙、というのはどうでしょうか?」
「我がくじら王国の精兵、鋼鉄騎兵三千による猛撃。これに耐えられる者などおりますまい」
「弓の人馬宮と魔法の磨羯宮がいるということは奴ら、遠距離からの攻撃で我らに抵抗しようとしているのでしょうが、我らが鉄血の騎兵部隊による疾風怒濤の進撃! 弓を放つ間もなく近づかれれば何もできぬということを教えてやりましょうぞ!」
騎兵を率いる三人の将軍の意見にクロマグロは然り、と頷く。だが同時に面倒だな、と丘の上にいる神国軍に目を向けながら考える。
(神国がいるとなればもう一万連れてきたのだがな……いや、いるかもしれぬとは考えたが、せいぜいが多くて三千。それもニャンタジーランド首都を防衛するためにいると思っておった)
神国の予想外に、クロマグロの、いや、鯨波の予測がずれたのだ。
――勝って当然の戦いが、勝敗定かならぬ戦争になるなどと誰が考えただろうか?
気楽な侵略の予定がずれたことによる動揺はもうないが、このあとのニャンタジーランド首都『ニャンタリゾート』攻略のための兵力を考えれば苦戦するわけにはいかなかった。
とはいえ本国に連絡し、追加の兵を待つ余裕はない。このくじら王国出兵の動きを知った北方諸国連合の動きを考えれば、ここはこの怒りを烈火の進撃に変え、神国の軍を必ず撃滅し、くじら王国の強さを天下に知らしめなくてはならない。
「有翼白馬による爆撃はどうでしょう?」
ここ数年、馬や武器と引き換えに神国から輸入した火薬。それを用いて錬金した爆薬についてペガサス部隊の将軍エデスタスが問いかけてくる。
モンスターの砦などを潰すのに空爆は役に立つ。それを敵陣にもやってやろうという意見だ。
「やめておけ、それはニャンタジーランド首都攻撃用に残しておく。神国の弱兵相手ならば落とすのは鉄槍でよかろう」
だが、使徒キハダが諌めるように言えば、差し出がましい真似を、とペガサス部隊の将軍は素直に引き下がる。
クロマグロから言えば同じ言葉でも叱責と同じになる。我が使徒はよく考えていると使徒を誉れに思うクロマグロ。
一応説明してやろうとクロマグロは鷹揚に口を開いた。
「エデスタス将軍の進言ありがたく思う。だが、今回持ってきた爆薬はさほど多くない。ここで神国が待っているということはこのあとのニャンタジーランド首都でも激しい抵抗が考えられるだろうからの。そのときのために爆薬は残しておく」
神国との交易がなくなった以上、火薬の取れる土地を奪うまでは爆薬の補充はできない。北方諸国連合との戦いで要求される爆薬の量を考え、念の為に持たせるができれば使うな、と鯨波からクロマグロは命令を受けていた。
――だが爆薬は使うだろう。
ニャンタジーランド入りしたと情報が入っている宝瓶宮がこの戦場にはいない。
宝瓶宮の錬金術部隊がこのさきに、堅牢な要塞に構えていてもおかしくはないのだ。
攻城兵器を持ってきているが、やはり攻城戦は爆薬があったほうが楽になる。
神国のせいで随分と予定がずれたな、と考えながらクロマグロはインターフェースを用いて表示している地図を指し示した。
「大盾を構えたペガサス部隊が上空で敵の矢と魔法を防ぎつつ、騎兵三千で敵陣に突撃する。奴らの正面を抜き――」
クロマグロが地図上の丘の上に兵を構える神国の陣地に指で真っ直ぐに線を引く。
「――戻ってきて、更に蹂躙する。そこに歩兵部隊四千が敵陣に飛び込む。奴らを殲滅する」
大胆なクロマグロの指示に、やってやろうじゃないか、という空気が広がっていく。
先鋒を任された騎兵将軍たちは武勇を示せる場を与えられて満足げで、歩兵将軍たちも出番を与えられて嬉しそうだ。
事前に敵への恐れは笑いと共に払拭しているので、緊張はあるが恐怖はない。
(本来ならば騎兵を温存し、歩兵をぶつけたかったが……)
クロマグロは難しい顔で丘を見た。
神国は高所に陣を作っている。くじら王国の兵の特性は『俊足』というもので、それは平地や草原での移動ボーナスを与えるものだが、丘や山、廃ビルなどの適正を与えるものではない。
馬防柵まである丘に向かって歩兵を悠長に進軍させれば弓と魔法で殲滅されかねなかった。
かといって、あの神国の軍を無視するわけにもいかない。
一万の敵軍を無視して進んで背後から襲われれば、全滅しかねないからだ。
「では我が使徒キハダよ、お主がペガサスと騎兵を統率せよ」
「はッ!!」
「我が使徒メバチ、お主は歩兵だ」
「はッ!!」
使徒たちが頷く中、本陣守備を任される歩兵部隊の将軍が呟く。
「それで、溝はどこにあるんですか?」
「……溝?」
それは人間同士の一万対一万の戦争など初めてのクロマグロや(王国はモンスターの大規模襲撃は防御施設で処理している)、これから神国一万が構える陣地に突撃する使徒や他の将軍の頭から抜け落ちていたことだった。
特に騎兵将軍は溝を軽視していた。
バトルホースは通常の軍馬よりも巨体で、跳躍力も高い。兵が隠れられる塹壕ぐらいの大きさでもなければ支障なく飛び越えられる。
「地図にも神国が構える丘の前にも何もないみたいですが……」
ゆえにクロマグロの控える本陣を守備を任されたその歩兵将軍だけがそのことに気づいた。
――情報にあった溝が綺麗さっぱり戦場から消えていた。
目視でもそれは確認できない。
「ふむ、落とし穴か?」
クロマグロは首を傾げた。確かに溝はない。這いずり平野の何かを工作した後もない。
「奴らのほうが早くに着陣していたから、そのときに罠でも埋めたんでしょうか?」
溝に鉄製の針や木製の杭などを仕込まれていれば確かに面倒だ。
バトルホースは無敵ではない。怪我をしたり、足の骨が折れれば走れなくなるのは馬と同じである。
「魔法を打ち込んでみるか?」
全軍による魔法の斉射を騎兵将軍の一人が提案した。だが歩兵将軍が嫌そうな顔をする。
「今回は電力の補給ができない。ここで使いたくない」
「落とし穴なら弓でも確認はできる。それでいいだろう?」
歩兵将軍の反対に騎兵将軍が怒鳴りつけた。
「それだと地面に刺さった矢が馬の邪魔になるだろうが! 魔法で確認だ!!」
怒鳴りあいになるところで使徒キハダが「そもそも獣人の報告だろう? 信用できるのか?」と言う。
「偵察部隊はなんと言っておる?」
「特に報告はないですね。スキルでの調査でもただの平地だと言っています。それと森の調査も終わりました。伏兵はないそうです」
クロマグロの問いに偵察部隊を率いる騎兵将軍が答えたところでふむ、とクロマグロは頷いた。
「念の為に、騎馬と歩兵に鉄製ブーツを履かせよ。『浮遊』のスキル付与のついたものだ」
クロマグロの指示。歩兵将軍たちは安心していたが、騎兵将軍たちのマジか、という呟きが陣幕に広がる。
三人の騎兵将軍が嫌そうな顔をしていた。
移動特性が『浮遊』に変化する装備は地形デメリットを消せる便利なものだが、同時に騎兵将軍たちには、ふわふわしていて馬の乗り心地が悪くなると不評だった。
「つまらぬことで命を失いたくなくば従え。よいな」
クロマグロの言葉に騎兵将軍たちが渋々と頷く。
もちろん騎兵であるクロマグロもその不満は理解している。
『騎兵加速Ⅲ』の付与がついている馬用ブーツの方が走っていて気持ちが良いし、突撃衝力は高くなる。
だからそちらの方が、結果的に敵陣に早く到達できるし、敵兵を蹂躙する力も高まる。
だが位置のわからない溝に仕掛けられた罠によってつまらない死に方を部下にさせるよりはマシなのだ。
「では、装備の変更が終わり次第、総攻撃を始める! 皆よ、よく兵を鼓舞せよ!!」
了解! と将たちは頷き、兵の元へと走っていく。
使徒二人もまた、準備があると去っていく。
彼らに追従してクロマグロが与えた地図情報を表示したインターフェースがついていった。
これこそが権能『群れの長』の真骨頂。クロマグロの指示は彼らに確実に届くのだ。
そして全軍がタイミングを逸することなく一つの生き物のように、整然と行動する。
そしてクロマグロと、控えていた侍従が陣幕に残された。
(……神国め。我が王国の邪魔はさせん。必ず殲滅してくれる……)
大将として本陣に控えるクロマグロは、愛用している巨大な鋼鉄の槍を持たぬ自身の軽い腕に違和感を覚えつつも、この戦いが終わったらモンスターでも狩りにいくか、と考えた。




