16 桜舞い散る
惨劇の上にも、花びらは舞う。
はらり、はらりと咲いてはまた散る。
満ちた腹、空虚な心。
残されたのは、女の着物一枚。
真っ赤に染まった、女の抜け殻。
それは、まるで情事の前。
するりと肌を、滑り落ちた着物のよう。
女の形を思い出させる、悲しい抜け殻。
鬼は抜け殻を抱き、目を閉じた。
再び目を開いた鬼。
その瞳は、既に別人。
初めて喰った血肉、湧き上がる力。
「我は銀朱、裏切る者は許さぬ」
掌の炎は青く燃え上がり、妖刀となり鬼の手の内へ。
大きく振れば、地鳴りと共に切り倒された桜。
粉塵のように舞い上がる花びら。
無表情に立ち去る、鬼。
断ち切ったのは、未練か罪悪か。
鬼の背中には、羽織った赤い着物。
女の残した、抜け殻。
***
闇が来れば、百姫楼が色づく。
住人はかわれど、繰り返される営み。
「久しいなぁ」
大きな松の襖絵は、鬼を待つ女、夕鶴の部屋。
今宵の客は、待ち人ならぬ、黒紅。
薄紅亡き後此処に寄り付かなかったのは、興をそがれたのか罪の意識かそれとも……。
「それに、よう出世したなぁ。俺に泣きついたのが嘘のようや」
黒紅は含んだ顔で、夕鶴を見た。
そこには、あの日、髪で顔を隠した自信の無い少女の面影はなかった。
綺麗に引いた紅が男を誘う、上階の遊女。
「憶えてないか。ここに来た人間は、次第に過去を忘れてしまうからなぁ。まぁ、でも、綺麗になったなぁ。こうして見ると、誰かさんを思い出してしまうなぁ」
黒紅は夕鶴に近寄り、耳元で囁いた。
「約束通り、客になったる」
しゅっと衣擦れの音が聞こえ、夕鶴の体が揺れた。
黒紅は慣れた手つきで帯を解き、倒した夕鶴の体に跨った。
「お逃げって言ったのに……何で残ったんや。お前、好きものか」
夕鶴は目を伏せた。これも償い。
淫靡に響く水音も、卑猥な黒紅の言葉も私に与えられた罰だと。
発する嬌声、部屋の隅の箪笥。引き出しに眠る、私の罪。
渡さなかった、小指の入った小箱。薄紅姉さんからの手紙と折り鶴。
『
夕鶴へ
現実から逃げて来たあなたを、元の世界に帰す事に決めました。
あなたの受けた仕打ちを思うと、残酷かもしれません。
けれど、ここは地獄。ここより酷い所は他にありません。
見た目は美しくとも、その皮を一枚剥がせば醜いのがこの世界。
あなたには、幸せになってもらいたい。そう、思いました。
私には娘がいます。その子の代わりに、私はこの地獄にいます。
これからは、あなたの代わりにもなりましょう。
私は、優しいあなたを好きになってしまったようです。
折り鶴は、あなたの幸せを願って折りました。
これからは娘と夕鶴。二人分の幸せを祈ってます。
薄紅
』
伏せた夕鶴の目から、涙がこぼれた。
姉さんの指を渡さなかった次の日。夕鶴が屋根裏で目を覚ました時には、もう全てが終わっていた。百姫楼の何処を探してもいない、姉さん。桜の襖が外され、封印された桜の間。後悔など……もう、何もかもが手遅れだったのだ。皮肉な事に姉さんの手紙は優しく、より一層、夕鶴の心を引き裂いた。
「指まで切って、逃がそうとした女が好きものだった……かぁ。薄紅は見る目が無いなぁ」
黒紅は跨った夕鶴の体の上で、にやりと笑った。
「銀朱に殺され、喰われてしまうし……なぁ」
せわしなく責める体と、冷めた声。黒紅は、銀朱が殺したと、もう一度呟いた。
薄紅にかけた呪い。他の男に抱かれれば、命を削る。悪いのは抱いた銀朱の方だと、黒紅は思った。
「なぁ、夕鶴。銀朱はそんなに良い男か」
夕鶴は、ゆっくりと首を振った。
「あの人は……誰も想わぬ、鬼、ですから」
か細い声で答えた。
誰も想わぬ鬼。鬼は元々、欲望の赴くままに生きている。想わないのが、本来の姿。
夕鶴は、銀朱を想った。姉さんの亡き後、馴染みになってくれた銀朱。誰よりも美しい姿は変わらねど、交わった時の様子は今の黒紅と同じ。
「仕方ないのです……」
夕鶴は、それでも良いと思った。それで良いと。罪を犯した自分は、想う人に冷たく罵られ、憎まれれば良いと。姉さんと同じように、喰われてしまいたいとさえ願う日々。
此処は百姫楼、罪人が繋がれる牢。
***
はらり、はらり桜が舞い散る。
鳥居の下に、美しい鬼が一人。
鬼は、待っていた。
愛した人を、愛してくれる人を。
手をかざして、花びらを受け止める。
小さな、薄紅色。
愛して求めて、裏切られた想いは銀朱を強く変えた。
今更、愛など求めてはおらぬ。
ただ、ひと目見ておきたかった。
愛した人が、愛した人を。
愛した人が遺した、たった一人の娘を。
「誰っ」
銀朱の背中から、少女の声が聞こえた。
震える胸、忘れていた甘い疼き。
振り向かずともわかる。これは愛しい人に良く似た声。
銀朱の胸を震わす、唯一の声。
振り返り、息を飲んだ。
目を開き、飛び込んでくるその姿。
幼さの残る少女は、愛しい人と同じ形をしていた。
「おいで」
銀朱は手を伸ばした。
欲しくて、堪らない。
何をしてでも手に入れ、傍に置きたい。
「おいで」
誘惑するように目で誘い、呪いをかけた。
「おいで」
少女はゆっくりと銀朱の元へ、歩み寄った。
その手を絡め取る、銀朱。
攫うつもりはなかった。
ただ、ひと目……。
はらり、はらり桜が舞い散る。
少女は何も知らず、鬼と消えた。
行き先は百姫楼。
百花繚乱、女の色香が漂う色街。
鬼を想えど、待つは地獄。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
悲しい話でしたが、何か心に残るものはあったでしょうか?
感想を頂けたら、とってもうれしいです。
書ききれなかった事、あえて書かなかった事、色々あります。
疑問に思う事があったら、気軽に聞いて下さい。
本当に、ありがとうございました。
その後が気になる方は、番外編へどうぞ。
薄桃と銀朱の行く末が書いてあります。




