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      15 闇の中

流血シーン有りです。

苦手な方は注意してください。


真実は闇の中。


女の最期は、鬼の腕の中。

出逢い、交わり、繋がり、すれ違い。

終いは、鬼の腹の中。


小指に繋がれし、操り糸。

その色は赤けれど、運命ならず。

血塗られた、赤い糸。

ぷつりと切れば、終い。


女の最期は、鬼の手の中。

掌で弄ばれた、小さな花びら。

儚き、薄紅色。


***

闇夜に、妖かしの満月。

強く赤みのかかったその色は、鬼の狂気を呼び起こす。血色に濡れた、満月。

最初の頃は恐れを抱いていた薄紅も、今では見慣れてしまった。本物の月の色など、とうに忘れてしまったのだ。


「綺麗……」


月の光りに指輪をかざした。薄紅の白銀の指輪が、眩しく光りそのまま滑り落ちた。畳の上に、ことり、と鈍い音を立て転がった。


「駄目ねぇ……」


元々、細かった指がさらに細くなってしまった。この世界に来て、食べる事を止めた体は白く細くなった。きっと、愛情のない行為に体を擦り減らしてしまったのだろう。薄紅は、転がった指輪を拾おうと身を屈めた。


「あっ」


手の先に落ちていた指輪が、消えた。顔を上げると、黒地の着物の裾がすぐ目の前にあった。


「……銀朱」


さっきまで心待ちにしていた相手が、そこにいた。それなのに、薄紅は何と声をかければいいかわからなかった。滑り落ちた指輪が、まるであの人の意思のようで怖くなったのだ。ゆっくりと顔を上げ、銀朱の顔を見た。いつもとは違う、赤い瞳。


「……銀朱」


苛立った様子で、足元の指輪を拾い上げた銀朱。薄紅は、そんな銀朱の横顔に胸が痛んだ。いつも待っていてくれた、銀朱。願いが叶うよう、祈ってくれた銀朱。いつだって私の事を想ってくれていたのに……。


「これは、何だ」


銀朱の掌で、指輪は鈍く光った。


「返し……て」


薄紅は、俯いたまま呟いた。指輪は、あの人との約束の証。大切な……誓い。なのに……。薄紅は、銀朱の顔を見る事ができなかった。指から滑り落ちた指輪は、薄紅に何を告げていたのだろうか。


「ごめんなさい……」


あの人にもらった指輪、銀朱にあげた小指。相手の違う二つの誓いの前で、薄紅は自分の愚かさを嘆いた。鬼は残酷だと言い続けた自分が、鬼に残酷な事をしている。


「薄紅」


名を呼ばれ、顔を上げた。銀朱は赤い瞳のまま、無表情に口を結んでいた。久しぶりに間近で見た銀朱は、一層美しかった。


「お前は、俺の物ではないのか」


銀朱は指輪を握り締めた。怒りを押し殺すように、拳を震わせた。


「血が……」


銀朱の拳には、血がこびりついていた。力を込めたせいで、そこから再び流れる血。薄紅は、銀朱の拳を両手で包んだ。優しく、慈しむかのように。


「何故、優しくする。お前には、他に男がいるのだろう」


「……そうね、遊女だもの。だから、銀朱は私に優しくしないで」


失くしたはずの心が揺れてしまうから……。あの人のいない世界で、あの人の面影を持つ銀朱を支えにしてしまわないように。銀朱を好きになってしまわないように。


悲しく微笑む薄紅を見て、銀朱の震えが止まった。薄紅の手を外し、その掌に指輪を乗せた。はっとして銀朱を見上げると、銀朱は薄紅に背を向けた。


「では、遊女が小指を渡すのは、どういう意味がある。渡した相手に、その身を捧げるとでもいう事か」


遊女の小指は……。黒紅は、想う人に渡せと言った。女将も遊女の小指は誠の証だと……。薄紅は、迷った。自分の気持ちすら、今はわからないのに……。


「この身は……捧げられるわ。小指を渡したのは、どうしてもそうしたかったから。考えた訳じゃないの。この世界に来て、私は奪われてばかりの毎日……。おかしいでしょ。奪われる事には馴れてしまったのに、あげたいなんて思う事が……あったのね。馬鹿みたいでしょ。心なんて無いって言い聞かせてきたのに……」


薄紅の目に、涙が流れた。愛する人を亡くし、異世界でたった一人。寂しさを堪えるには、余りに時間が長かったのだ。銀朱の事も好きだったのか、寂しさを紛らわすための戯れだったのか。薄れゆく記憶の前では、それも確かめる事ができない。


「……やはり、指は渡したようだな」


ぽつり、銀朱が呟いた。薄紅は、銀朱の言葉が理解できず顔をあげた。何か尋ねようと口を開こうとした瞬間。


「許さんっ」


銀朱の声が耳に届くと同時に、薄紅の体は畳みの上へと押し倒された。片手で顎を掴まれ、身動きができない。しゅるしゅると帯が滑り、衣摺れの音だけが部屋に響いた。銀朱は手荒く薄紅を押さえつけ、その体を貪った。まるで、薄紅の意思など必要ないその動きは始終攻め続けた。何故。天井を見つめる薄紅の視界には、銀朱の髪が時折光って見えた。愛など無い、そう言われている様だった。


「銀朱……」


泣いているの、そう尋ねようとした。銀朱の動きは身勝手で手荒。顔さえ見ようとしない。けれど、合わせた肌は冷たく、銀朱の寂しさが染みてくるようだった。薄紅は、もう一度声を掛けようとした。


「ぎん……」


意に添わぬ行為とはいえ、責められ続けた薄紅の体は熱く、早まる鼓動。その鼓動の速さと強さに合わせる様に、鬼の呪い、小指の疼きが強くなった。


「あぁっ」


痛みは銀朱の動きと共に、深く大きくなっていった。鬼の、呪い。黒紅は恐ろしい鬼。指を切ったくらいで許すはずもない。この呪いは、黒紅の想い。他の男に抱かれれば、呪いは血潮と共に体中を流れ命を削っていく。痛みに悶える薄紅、銀朱は気付かず責め続けた。


「どうして、裏切る。小指を渡すほど好いた男が他に……他にいたというのかっ」


薄紅の肌に、生温かい雫が落ちた。やっぱり、銀朱は泣いていた。薄紅は腕を伸ばし、銀朱の髪に触れた。絡めるように指を滑らせると、銀朱の形の良い耳にあたった。


「……薄紅」


儚い薄紅の感触に、銀朱は動きを止めた。耳に触れた薄紅の手を取ると、掌でしっかりと覆った。


「銀朱……」


苦しそうに息をする、薄紅。鬼の呪いは体中を駆け巡り、痛みさえはっきりと感じなくなっていた。ただ、意識ははっきりと頭は冴えていた。私、死ぬのかしら。ぼやけていく視界、遠くで聞こえる銀朱の声。意識は沈みゆくように、下へ下へと落ちていく。銀朱は、指を受け取っていなかったのね。夕鶴は……どうして……。薄紅が話そうと口にした言葉は、声にはならなかった。


「どうしたっ、薄紅」


銀朱は薄紅の体を揺すった。暖かかった体が、白く冷えていく。手の中で、小さな手が動いた。銀朱が手を広げると、薄紅の手が銀朱の方へ伸びた。指は銀朱の頬に触れ、薄紅は静かに微笑んだ。もう、悔いはない。最初から死ぬつもりだった。この身は銀朱にあげるつもりだった。もう少し生きようかなんて、我儘わがままだわ。でも……。

薄紅は、唇を動かした。ありがとうと、ただ伝えたかった。別れの言葉は、銀朱が嫌うから。銀朱の輪郭が、歪む。遠く、遠くで私を呼ぶ声が聞こえる。黒紅は約束を守ってくれるかしら。薄紅は祈った。娘だけは、どうか無事で。この世界に無縁の生活を送れますように。好きな人と一緒にいれますように。不幸は全て私に。薄紅は目を閉じた。もう、銀朱の声も聞こえない。だらりと崩れ落ちる、薄紅の腕。


『死』


銀朱の頭に、恐ろしい言葉が浮かんだ。すぐに否定するように、何度も名を呼び体をさすった。目の前に、今まですぐそこにあった薄紅の命。銀朱は、薄紅の体を抱きしめた。欲しくて欲しくて堪らなかった人。やっと手にはいると思った矢先。


『殺してしまった』


冷たくなった体は、絶望。激情に流され、壊してしまった大切な人。強く、どんなに強く抱きしめても帰らない、人。殺してしまったのは自分。


「うす……べに」


嘘だと、言って欲しかった。こんな事になるなら、他の男の事など知らなければ良かった。銀朱は冷たくなった薄紅を抱きしめたまま、呆然と時を過ごした。


***


夜桜は満月の光りを受け、真に幽玄の美。

大振りの枝に咲き誇る、無数の花。


桜の下で冷たい薄紅を抱いたまま、銀朱は幻に現を抜かした。

初めて逢った日、想いを重ねた日。薄紅は桜の下で、泣いたり笑ったり銀朱を驚かせた。


『最後は銀朱が私を喰って』


薄紅のその言葉が、何度も銀朱の頭を過ぎった。あの時、薄紅は笑っていた。生きていたくはないから……と。


「俺は、人は喰わん」


銀朱の呟く声が、闇に消えた。満月の光りが、そそのかすように照らしていた。


今宵は満月。鬼の力が漲る夜。


「俺は、人は喰わん」


銀朱は薄紅の肩に顔を置き、細くて白い首筋に牙を立てた。


「お前で最初で最後……だ」


銀朱は愛しい女を抱くように、冷たくなった薄紅を口に含んだ。噛めば、まだ温かい血が甘く銀朱の唇を紅色に染めた。小さな手も、指も何もかも忘れないように大切に口に含んだ。薄紅の欠片を一つも残さず、自分の腹に収めた銀朱は恍惚の表情を浮かべていた。


女を喰って、一つになれれば良い。

それは、銀朱の戯言。


今宵は満月。

半人前の鬼が、初めて人を喰らった。

絶望を共にしたそれは、鬼を恐ろしいほど強く変えた。


その日を境に、銀朱は変わった。

黒紅と対等、もしくはそれ以上。

力を得た代償は、心。


銀朱は誰よりも美しく、そして、恐ろしい鬼。

流血シーンはできるだけ抑えました。どうだったでしょうか?

好きな人を喰うという事で、できるだけ丁寧にしました。


ラスト1話の予定です。

長くなったら、2話かもしれません…。


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