10 指切り
流血シーン有りです。注意して下さい。
苦手な方はゴメンナサイ。
とばして下さい。
黒い鬼が恋しいのは、母親か。
それとも、母親の面影を持つ女か。
女は鬼など、想いはしない。
子と引き離された、恨みは深し。
追えど、縛れど、心はくれぬ。
存在しない母親の、影を追い続ける鬼。
手にした女は、恨めど想わず。
その姿、既に滑稽。
***
「……薄紅」
闇が来ても、私は涙を流し続けた。
「何故、泣く。五月蝿い女は邪魔やったやろ」
黒紅は私の傍に座り、もう消えてしまった傷跡をさすった。
あの傷はただのかすり傷。黒紅が舐めて、消した傷。
「山吹は……黒紅を好いていたのよ」
「……だから何や。お前を傷つける奴は、許さん」
顔色一つ変えない、鬼。後悔も、怒りも、悲しみも何も感じていない、鬼。
「だったらっ」
抑え続けていた感情が、行き場をなくしてしまったかのようだった。
私はかんざしを一つ抜き、頬にあてた。そのまま一気に引き抜けば、頬に傷が付くはずだ。
「下らん事を」
黒紅は私の手首を掴み、軽く捻った。かんざしは、簡単に畳の上へ落ちた。
「……どうして。山吹はあなたの馴染みだったんでしょう。離れてからも、あなたを好いていたのに。それなのに、あなた……。まさか、山吹を……」
鬼は、にやりと笑い口元を拭った。
「……細い女やったからなぁ。けど、心配するな。ちゃんと息絶えるまで、その血を吸ってやった。ええ顔しとったで」
私は両手で、黒紅の胸を叩いた。涙を流し続けたまぶたは熱く、嗚咽が止まらない。
「……どうしてっ」
「それが、鬼や」
「そんな……」
山吹は、もういない。少女のように強気だった山吹は、もういない。
「あなたは……残酷だわ」
叩いても叩いても、きっとこの人には伝わらない。私は悔しくて、胸を叩き続けた。
「残酷なのは、お前や」
私は手を止めた。
「好いていたから何やっ。そっちへ行けと言うんかっ。だったらお前はどうなんや。一度でも、俺を想った事があるんかっ」
黒紅の手が、私の首を掴んだ。片手で簡単に締めつけられ、息が……苦しい。
「答えろっ、薄紅。こんなに大事にしてやってるのに、お前はっ。子供の前で見せた顔を、俺に向けた事があるかっ。いつになったら、俺に笑いかけてくれるんかっ」
すっと、締め付けられていた手が離れた。私は咳き込みながらも、息を吸い込んだ。
「笑顔なら、ここに連れ去られた時に失くしてしまったわ。子供と引き離されて、喜ぶ母親なんていないっ。あなたは間違ってる。欲しいから奪って、邪魔だから殺して……。そんな人を誰も想いはしない。私は死にたくても、あなたに喰われるのだけは嫌。どうせ喰われるなら、人を喰わない鬼が良い」
「……そう、か」
黒紅は表情を失くしてしまったかのように一点を見つめ、静かに座っていた。
部屋には二人きり。取り残されたような静けさ。
「薄紅。お前、どうしたい」
静寂を破ったのは、黒紅。
いつものように腕を組み、私に問うた。
「お前はもう元の世界には帰れん。娘に逢わせたくても、それも叶わん。お前はどうすれば喜ぶ」
「えっ……」
「俺はもう、疲れた。何をしてもお前は喜ばん、俺を嫌うばかりや。何ぞ、望みがあるなら言え。それだけ叶えてやる」
初めて、だった。
溜め息を吐き、諦め顔の黒紅を見たのは。
いつもの自信に満ちた顔はそこに無く、ぽつりぽつりと寂しそうな話し方だった。
「……いいの」
「気が変わらんうちに、言え」
「娘は絶対に、この世界に連れてこないでっ」
それは私の一番の願い。この世界に来るきっかけ。
「……娘など興味なかったわ。最初から、お前だけを連れてくるつもりやった。……それだけか」
「夕鶴は……まだもとの世界に帰れるかしら。あの娘……やっぱり帰った方が幸せだと思うの」
体の痣。虐待されていた、夕鶴。それでも、この世界よりは……。あの娘はもうすぐ大人になる。鬼の世界で暮らすよりも、希望がある。
「それだけか」
穏やかな、声。
「それだけ」
黒紅は私の手を引き、指に口付けた。
「薄紅。お前にも償ってもらう。お前……指を切れ」
「えっ……」
黒紅は、そのまま私の手を畳の上に押し付けた。
「痛みを、お前も背負え」
「……願いは、叶えてくれるのね」
顔を見上げると、黒紅はゆっくりと頷いた。
「指くらい、惜しくない」
掌には、赤い炎。黒紅の赤い炎が一気に燃え上がり、刀へと姿を変えた。
丁度、掌に乗せられる大きさ。懐刀。
「この刀は切れ味が良い。けど、疼く。呪いがかかっとるからな。傷は塞がっても、痛みは残る。お前は小指が痛む度に、俺を想え。お前はそうやって俺を……忘れるな」
小指の付け根に沿うように、刀が突きつけられた。一押しすれば……簡単に失われてしまうだろう。
「お前は遊女や。落とした小指で、新しい馴染みでも探せ。俺を失えば、この部屋だっておられん。下の階の遊女の仲間入りや」
刀は、妖しいくらいに美しく光った。
「お別れや、薄紅っ」
黒紅は一気に刀を倒した。
ずしりとした、衝撃が指に走る。強い力で抑えられたようだった。
一瞬のうちに指は離れ、一呼吸置いて血が溢れた。
「想う人に、指は渡せ。……薄紅。いつでもええから、俺やったら簡単に元に戻せる。お前の指くらい、元通り綺麗にしたる。耐えれんかったら……いつでも」
黒紅は私の溢れる血を吸い、体を抱き寄せた。
「いつでも……」
指が、疼く。
痛みは指だけでなく、体中にひろがった。
鬼の呪い。じんじんと鼓動のように続く痛み。失われていく血に、体が寒くなる。
もしかしたら、黒紅も痛かったのかもしれない。
薄れ行く意識の中で、一筋だけ。涙を見た気がした。
「さようなら、黒紅」
別れは言葉にできなかった。
鬼は、私を抱きしめたまま顔を見せなかった。
もう少しで終わります。
なのに上手く話が進みません…。




