4 籠の鳥
折り目なら、正しく。
重なり合わせて、開いて閉じて。
そっと息を吹き込めば、膨らもう。
なぞって、反らせて。
ぴんと張る尾、広げられた羽。
籠の鳥が折りし、折り鶴。
皮肉な、組み合わせ。
折り目なら、正しく。
『三百六十五羽』たまったら、燃やして天に届けましょう。
明日はまた、一羽から。
籠の鳥。
羽なら、とうに捥がれてしまった。
天には昇れぬ、この体。
せめて、燃やして頂戴。
煙と共に、想いを届けておくれ。
***
一日の始まり。
空は赤く染まり、百姫楼が目を覚ます。
夕刻。
私は庭で一人、祈りを捧げる。
亡くなってしまったあの人と、手放してしまった娘。
どうか、どうか……幸せでありますように。
「……それは、何の真似だ」
桜の大樹の下。
あの人の声が聞こえる……。
「あっ」
振り返ると、銀色の鬼。
私は、微笑んだ。
……どうかしてたわ、私。
亡くなったあの人の声など、聞こえるはずがないのに。
こんな世界に、あの人の声など届くはずもないのに。
「知らないの」
銀色の鬼の声は、切ない。
少し掠れた、あの人の声に似ている。
「……知らないから、聞いている」
灰色に、銀糸の刺繍の着物。
水墨画のように、雲水が描かれている。
さらさらとした前髪に、隠れがちな右目。
銀色の鬼は、腕組みしたままそこに立っていた。
「祈っていたのよ。こうやって掌を合わせて……。大切な人が、幸せでありますようにって」
「呪いか」
私は首を振った。
「お願いしたのよ。……私には、何の力も無いから。出来るのは、想う事だけ」
鬼には、きっとわからないだろうけど。
「さようなら、鬼さん」
私は、鬼に別れを告げた。
小走りで鬼の横を通り過ぎた。
「……待て」
腕を掴まれた。
鬼は、何も言わずこちらを見ている。
……喰われる、かしら。
射る様な瞳に、背筋が寒い。
……大丈夫。この鬼は、人を喰わない。
「……見ないで。私、まだこんな格好だから」
浴衣に、下ろしたままの髪。
化粧だってまだ、していない。
「何故、恥らう。お前は遊女だと言うが、俺はその姿は知らない。今の姿しか知らない」
そうだ。この前は、必死でそこまで気が回らなかった。
あの時、私は今と変わらぬ素顔だった。
「あっ」
私は鬼の腕を掴み、袖をまくった。
「傷が……」
白く、筋肉質な腕。
昨日の傷は、塞がり新しい肌ができていた。
「良かった。あなた、傷だらけだったから」
そう言って顔をあげると、鬼の顔がすぐ近くにあった。
私は手を伸ばし、鬼の口の端を拭った。
「……血が。あなた、いつも傷だらけなのね」
銀色の鬼は人を喰わない。
何故だろう、ただそれだけなのに……。
「何故、わらう。お前は何だ。見ているだけで、気に障る」
冷たい、声。
鬼は私の顎を掴んだ。
荒々しく、指が首に食い込む程の強さで。
私は、苦しくなりながらも鬼を見返した。
「……あなたは、弱い鬼なのでしょう。遊女を手にかけるなど、その証」
鬼は怒ったのだろうか、強い力で私の首を締め付ける。
……苦しくて、息ができない。
薄れ行く意識の中で、私はあの人を思い出した。
「……お前は、本当に気に触る」
唇が、熱い。
あぁ、そうだった。
声があの人に、似ているんだった。
もう、顔も思い出せないあの人。
「……っは」
目を開くと、まぶたを伏せた鬼の長い睫毛。
透き通る美しさ……が、翳る。
闇が来る。
百姫夜香の闇が来る。
「……行かなくちゃ」
鬼の手が、阻む。
「ふらついている」
鬼は、私に口付けた。
流れ込む、鬼の力。
「さようなら、鬼さん」
口付けなど、何の意味も無い。
私は、鬼の横を通り過ぎた。
「……銀朱。我が名は、銀朱」
背中で、声が聞こえる。
銀色の鬼は、銀朱というのか。
「良い名前ね。さようなら、銀朱」
私は、振り返らずにそう言った。
闇は、まだ始まったばかり。
今宵も指をついて、待つ。
黒い鬼と過ごす、闇。
「……薄紅。なんや、今日は艶っぽいなぁ。誰ぞ、先客でもおったんか」
黒い鬼は、私の着物を剥ぎ取った。
「先客など……。他に客を取らせないのは、黒紅様でしょう」
素肌に、鬼の視線が冷たい。
「そうやったなぁ、薄紅。……気い付けや。お前の娘は、そろそろ盛りか」
……娘。
「薄紅。お前は、誰を想っている」
黒い鬼はにやりと、笑った。
「……黒紅、さま。私には、黒紅様だけです」
……怖い。
黒い鬼は、恐ろしい。
私に甘い言葉で囁く。
『娘かお前か……』
私は今日も鬼に繋がれる。
体を鬼に、繋がれる。
繋がれた籠の鳥。
羽ならとうに、捥がれている。




