21 薄紅の涙
この世界は、いつだって残酷。
生きるか死ぬか、全ては鬼の為すがまま。
『鬼は美しくとも、鬼。想いを寄せれど、待っているのは地獄』
……お母さん。
お母さんは、銀朱様の事を想っていたのですか。
……想ってしまったのですね。
小箱は、薄紅の形見。
鬼を想った悲しい……人。
『この身は銀朱へ 薄紅』
紙切れは、ひらひらと舞い落ちた。
私の心に一筋の、傷跡を残して。
身を捧げるほど、銀朱様を想ってしまったのですか。
……お母さん。
その気持ち、いつか私にも理解できるのでしょうか。
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「薄桃、薄桃っ」
目を開くと、そこは……。
「黒紅……さま」
夜風が、頬を撫でた。
ゆっくりと体を起こすと、乾いた落ち葉がかさかさと鳴った。
私の背には、木。斜めの切られた大木の、幹。
もたれる様に、私は寝かされていた。
ここは……。
銀朱様と薄紅が……逢瀬を重ねた場所。
私は、記憶を確かめるように自分の姿を見直した。
乱れた髪、裸足のままの足。
肌蹴ていた胸元はきれいに直され、黒紅様の着物が掛けられていた。
「何が、あったんや」
黒紅様は、大木の幹にじっと手を当てた。
「小箱。私、何も知らなくて……。夕鶴姉さんが、お母さんの形見だって……。それを銀朱様が見つけて……」
思い出しても、恐ろしい。
鬼の銀朱。
「そうか、夕鶴が隠しとったんか。……女は恐ろしいなぁ。鬼の俺でも、そんなんようせん」
夕鶴姉さんは、中身を知っていたのだろうか。
知っていて、隠した……の。
「黒紅様、あの小箱は何ですか。姉さんは私にくれたけど、あれは……。銀朱様に宛てたものでした」
黒紅様は目を閉じた。
手はそのまま、大木の幹に当てたまま。
「そうか、やっぱり薄紅は銀朱にあげたんか。最後まで連れない女やなぁ、薄紅は。」
黒紅様の手が、赤く光った。
光はそのまま、大木の幹に吸い込まれるようにじんわりと光って消えた。
「良いもん、見せたる」
その言葉を待っていたかのように、大木がうねりを上げた。
斬り口から、新しい幹が、枝が伸びていった。
大きな幹から伸びた枝は、瞬時に葉を広げ、蕾をつけた。
薄い、桃色の蕾。
しなだれた枝の先から、競うように花が開いた。
薄紅色の……満開の花。
まさに圧巻、幽玄の美。
暗闇に静かな灯りを灯すように、小さな花が頭上を彩った。
幻想的な、風景。
花の周りだけ、闇が薄まり青く見えた。
「桜は満開に限るなぁ。散り際の美しさよ」
夜風に吹かれ、小さな花びらが舞う。
そう、この花は『桜』
私は、今までどうして忘れていたんだろう。
黒紅様の着物を見ても、ただの花吹雪だと思っていた。
私は手を差し伸べて、舞う桜を愛でた。
「この樹の下で、薄紅はよう泣いとった。はらはら散る花びらが、薄紅の涙みたいで……辛いなぁ」
黒紅様は、桜を見上げたまま呟いた。
この人は、本当にわからない人だ。
卑怯な手を使って、ここに薄紅を引き止めた張本人なのに……。
「薄桃、帰れんかったら俺の所においで。百姫楼には戻らんで。……俺と楽しく暮らさんか」
私は、首を振った。
「……鬼は、嘘つきです」
黒紅様は、片目を瞑って仕方なさそうに顔をしかめた。
「お前も連れんなぁ。けど、正解や。鬼は自分の欲望のままに生きとるからな」
はらはらと、桜が散る。
お母さんの流した、涙の桜。
黒紅様は、私の頭を撫でた。
「……お別れや、薄桃。もうじき銀朱が来る。後は、薄桃と銀朱の話や」
黒紅様が、行ってしまう。
「あの、着物……」
肩に掛けられたままの、桜吹雪の着物。
「餞別や。それと……銀朱がまだ荒れとったら危ないから、木の後ろに隠れとき。……良いもん、見つかるかもしれんで」
はよ、隠れ。
黒紅様の手振りが、そう言っているように見えた。
私は、木の後ろに隠れその姿を見送った。
美しい桜。
去り行く、黒い鬼。
……お母さん、ありがとう。
最後まで私を守ってくれて。
はらはらと、風に舞う桜。
私は……泣きたくなった。
あと2、3話で終わる予定です。




