19 粟立つ
白い色なら、女の肌。
闇夜にぼんやり、あかりを灯す。
紅色なら、女の唇。
濡れて艶めき、嘘を吐く。
『百姫楼』は百花繚乱。
闇夜に添える、色香の街。
桃色なら、何の色。
耽る夜に、染まる肌の色。
***
「今宵も艶やかやなぁ。薄桃」
にやり、鬼が笑みをもらす。
両手を袂にしまったまま、じっくりこちらを見ている。
「けど、お前の部屋は此処やないやろ。そんなに俺に逢いたかったんか。……違うなぁ、薄桃。魂胆は何や」
ここは、松の間。
紫色の着物は、姉さんからの借り物。
御所車と扇、散り行く花びらが舞う風雅な模様。
夕鶴姉さんに頼んで、部屋も着物も入れ替わってもらった。
『薄桃、お守り』
姉さんは、そう言って私に桐の小箱を手渡した。
お母さんの残した……形見、らしい。
『古い物だから、開けては駄目よ』
私は、そのお守りを帯の奥に仕舞い込んだ。
……誰にも、内緒で。
「黒紅様。私は、全て思い出しました。黒紅様は、何か思い出すことがあるのではないですか」
私は、含んだ笑顔で答えた。
怯えては、負け、だ。
「何か、とは」
黒紅様が、距離をつめてきた。
……怖い。
私は、唇を噛んで堪えた。
『明日が最後』なのだ。
これくらいで怯んでは、いられない。
「……何度も抱いた、女の話か」
黒紅様は私の背中へと周り、耳元で囁いた。
「喰われたお前の……母親の話か」
肌が粟立つ。
耳に掛かる吐息は熱いのに、ぞっとする声色。
……黒紅様は、知っているのだ。
私の母親が誰なのか。
私が誰の子供なのか。
「……嘘つきです。黒紅様は嘘つきです。薄紅さんと……お母さんと約束したのにっ」
私は向きを変え、黒紅様を正面から見据えた。
……許せない。
お母さんはこんな鬼との約束の為に、長い時間を此処で過ごしたの……。
銀朱に喰われるその日まで……。
『娘じゃなくて良かった』
ぼんやりとした、お母さんの面影がそう言って笑った。
……そんなの、悲しすぎる。
「約束を違えたのは、薄紅も同じ。……そうやろ。薄紅が、まだ生きとったんなら薄桃は此処には来とらん。それに……」
黒紅様は、私の手を自分のそれに重ねた。
「攫ったんは、銀朱や。それに……」
そのまま口元へと運んだ。
「呪いをかけたのも」
黒部に様は音を立て、私の指に吸い付いた。
ゆっくりと含んでは、唇を離し、また含んだ。
それだけで、卑猥に響く音。
「そういえば、薄紅の薬指には環がついとったな。人間はあんなもので縛るんか」
指を含んだまま、黒紅様はこちらを見上げている。
時折見せる牙が、恐ろしい。
私の指など、簡単に喰われてしまいそうで。
「……面倒やな。遊女の約束言うたら、小指やろ。指切りした方が、潔いとは思わんか」
「あっ」
小指を甘噛みされ、声が出た。
「……指切りは、子供の約束です……」
ぬるりとした感触が、指にまとわりつく。
「子供やなぁ、薄桃は」
にやりと笑い、やっと指を解放してくれた。
何故だか舐められた指が、いやらしいものに思えすぐに袂にしまった。
「恥ずかしいのか、薄桃。やっぱり、女やなぁ」
くつくつと笑う、鬼。
何もかも見透かされているようだった。
「……黒紅様には、何もお力がないのですか。私を……小娘一人、元の世界に帰す事もお出来にはならないのですねっ」
真正面から、黒紅様を見つめた。
私は怯んでなどいない、鬼など怖くない……と。
「足掻くなぁ、薄桃。けど、相手が違うやろ。薄桃を帰す事など、簡単な事。けど、銀朱のかけた呪いを俺が解くのは無粋やろ」
隣の部屋から、騒ぐ音が聞こえてきた。
銀朱様が、到着したのだろうか。
「薄桃、そろそろお開きや。最後に良い事、教えてやる」
黒紅様が、手招きをする。
私はそっと耳を貸した。
『こばこ』
唇を耳に寄せ、小箱と黒紅様は囁いた。
「……銀朱が大事に持っとるはずや。それをもらって来れたら、薄桃の本当の名前を教えてやる」
……小箱。
私は、小箱について聞こうとした。
その瞬間、黒紅様は強い力で私の頭を抑えた。
「あっ」
同時だった。
私の顔が、黒紅様の首筋に押し付けられたのと。
松の間の襖が蹴破られたのと。
「早かったな、銀朱」
私は、何が起きたのかわからなかった。
ただ、背中に感じる殺気に背筋が冷たくなった。
「お開きや、薄桃」
黒紅様は、笑っていた。
乱暴に歩く音。
強い力が、私を黒紅様から引き剥がした。
「銀朱に喰われんよう、気張りや」
黒紅様の声が、皮肉に聞こえた。
銀朱様は一言も喋らなかった。
ただ、私の体を片手で抱き上げ若竹の間へと運んだ。
……喰われるかもしれない。
その予感のような恐怖が、体中を支配していた。
……声が出なかった。
私は……。
私も、喰われてしまうのだろうか。




