16 月下美人
力強さと、淡くぼかした濃淡の色彩。
真っ直ぐに伸びた、潔い若竹。
今まで、誰が使っていたのだろうか。
若竹の間は、清々しい。
妖艶な宴など、行われた事がないかのように。
飾り物の箪笥は、黒塗りに豪華な金の細工。
入れる物などありはしない、ただの飾り。
豪華な外見、空っぽの中身。
私と、同じ。
「……綺麗」
立ち上がり、鏡に全身を映す。
競うように花々が咲き乱れている、黒地の着物。
肩には紅い牡丹、そこから垂れ下がる藤の紫。
赤、白、桃色の牡丹、椿、睡蓮。
裾には、抑えた色味の水仙。
絢爛豪華な、華の競演。
前で結ばれた帯は、金色の格子と蝶の文様。
無駄に、豪華。
無駄……。
何もかも、無駄なのかもしれない。
抵抗する事も、悩む事も。
どうせ、帰れはしないのだ。
呪いのかかったこの身で、名前など思い出せるはずもない。
もがくだけもがいて……。
鬼の思うがまま、為すがまま。
***
闇が来る。
銀色の鬼は、闇と共にやって来た。
「お待ちしておりました、銀朱様」
三つ指をついて、御機嫌を伺う。
ここでの礼儀なら、もうとっくに仕込まれている。
「見事だな、薄桃」
これを、と、銀朱様が私に差し出した。
手毬のように丸く膨らんだ、蕾。
「この花が咲く頃、お前を愛でよう」
幾重にも重なった花びらは、もうじき咲くのだろうか。
小さく口を開けている。
「闇に飾るが良い。この花は、闇夜に一晩だけ咲く花。儚い、美しさよ」
灯りの届かぬ、枕元。
重みのある蕾をつけた花は、飾られた。
「銀朱様。お願いが御座います」
もう、逃げられない。
「花が咲くまで、繋いでいてくれませんか」
私は、手を差し出した。
心許ない小さな手が、銀朱様の骨ばった大きな手に包まれた。
暖かみの無い、肌。
「どうした、薄桃。手を繋ぐ事に、何か意味でもあるのか」
銀朱様には、わかるはずもない。
異世界で、奪われるしかない私の心細さなど。
「手を繋ぐのは、愛情表現です。大切な人が、離れてしまわぬように。私には記憶がありません。……でも、そんな気がするんです。私は、きっと好きな人と手を繋いでいたって」
もう、失ってしまったけれど。
「銀朱様の事を想って、今宵を過ごしたいのです」
美しく力のある、魅力的な鬼。
偽りでも、想っていたい。
そうじゃなきゃ、辛過ぎる。
「薄桃」
花が、開く。
羽音のように、かさかさと花びらが騒ぐ。
小さかった口がゆっくり広がる。
手毬のようだった蕾が、大輪の花を咲かせた。
「綺麗……」
闇夜に浮かぶ、純白の花。
どこまでも白く、気高い。
「あっ」
一瞬だけ、触れた唇。
「……甘い」
それは、花の香り。
鼻腔をくすぐる、甘い香り。
「薄桃」
甘い、声。
鬼が、私の目を見つめている。
美しい、鬼。
すっと骨ばった白い手が伸び、私の顎を捕らえた。
瞬間。
薄い桃色の唇が、私に覆いかぶさってきた。
息が出来ないくらい、何度も何度も。
熱い舌が、私の口内を犯す。
「愛しい、私の薄桃」
激しい口付けの後、確かめるように私の唇を銀朱様の唇がなぞる。
『愛しい』銀朱様に似合わないその言葉に、私はそっと目を開いた。
「お前だけが、愛しい」
長い睫毛、赤い瞳が真っ直ぐにこちらを見ていた。
再び深くなる口付けに、私の呼吸は乱れた。
息つく間もなく、唇が、口内が、貪られていく。
気が付けば、体は布団の上。
甘い、花の香り。
『思い出して』
飛びそうになる意識の中、少年の声が聞こえた。
日焼けした肌……白い……シャツ。
『シャツ』
あれは……、あれは……。
肌を這う、銀朱様の感触。
私は体験した事の無い甘い疼きに耐えながら、記憶を手繰った。
あれは……制服。
もやがかかったように、思い出せなかった言葉が姿をあらわした。
どうして、忘れていたんだろう。
あれは、制服。
入学したばかりの……高校の……制服。
『……』
少年が、自転車で駆けてくる。
笑顔で手を振りながら。
何か話しかけているのに、私には何も聞こえない。
音の無い、記憶。
「あっ」
堰を切ったように、過去の記憶が頭の中に流れ込んできた。
坂道を走る自転車、神社、学校……。
そのどの場面にも、少年の姿があった。
黄色い帽子をかぶった幼い少年、制服をきた少年、精悍な顔つきの少年。
私に口付けた、少年。
彼は……。
『健っ』
記憶の中で、私の声が聞こえた。
……健。
そう、だ。
少年は、健の事だ。
ずっと、一緒にいてくれた……幼なじみの健。
どうして、忘れていたんだろう。
健は、私の大切な人。
私達は、初恋を実らせた……恋人。
「誰の名を呼んでいる、薄桃」
名前を呼ばれ、はっと我に返った。
赤い目をした銀朱様が、私を覗き込んでいる。
「……薄桃、じゃない……」
思い出した。
私の居場所は、ここじゃない。
私は……私は……。
「お前も裏切るのか、薄桃」
肩に痛みが走った。
「お前の名は薄桃だっ。他に名などないっ」
牙が、私の肌を裂いた。
じんとした痛みが肩に、熱くて堪らない。
「私に逆らうな、薄桃。お前は此処で、私に……私にだけ尽くしていれば良い」
「いやあっ」
力任せに、着物が脱がされていく。
銀朱はその間も、絶えず私の肌を貪る。
熱くなる体に、差し込まれた手が冷たかった。
……健。
はらはらと、涙がこぼれた。
鬼に喰われるのか、鬼と交わるのか。
それは、選ぶことじゃない。
例え、目の前の鬼が私の全てを握っていても。
私は、健以外に体を許したりしない。
「銀朱さまっ」
熱い体も、漏れそうになる吐息も、全て我慢した。
泣くのを止め、強い口調で言った。
「私は、裏切れません」
銀朱の手が止まった。
「私は……」
「あなたに喰われても、構いません」
私が想うのは、健ひとり。
「……うす……べに」
薄紅。
銀朱は、そう呟いて……私に背を向けた。
青い炎が、大きく燃え上がり銀朱の体を包んだ。
銀朱は、消えた。
青い炎が、窓の外。
あの、庭の木のある方へ……消えた。
「たけ、る……」
痛みに疼く体。
私は、思い出したばかりの愛しいその名を呟いた。
私は……。
薄れゆく意識の中で、健の声が聞こえたような気がした。
記憶が戻り始めました。
そろそろ佳境です。
結末は決まってますが、上手く書き切れるでしょうか……。
感想よろしくお願いします。




