㉕
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護衛と言っても、騎士団長であるヴァッシュにはそれなりの仕事が待っている。
ラフィーネが仕事中で居場所がしっかり分かっている場合、傍を離れなければいけない用事は何度もあった。
一応、その度に別の騎士が護衛に就いたりしてくれていたのだが、その日はオルフェがヴァッシュを呼びに来た。
「ヴァッシュ様、陛下がお呼びですよ。ラフィーネにはしばらく僕がくっついていますから」
「しかし……」
「いざとなれば大声を出して、そこら辺の衛士を呼びますから」
「……分かった」
仕方なく皇帝の元へ向かうヴァッシュの後ろ姿が見えなくなった頃、ラフィーネはその場にへたり込んだ。
「はぁー。疲れたぁぁ」
「あはは、ご苦労様」
にこにこと笑うこの童顔野郎を一発殴ってやりたい。
きっとラフィーネにはその権利がある。
そう!何となくだけと、そんな気がする!
「それで、うちの方はどうなってるの?」
「早馬で報告書が届いたけど、まぁ、めちゃくちゃな経営をしているね。健全とはほど遠い。ここ何年かは作物の出来が良かったから何とか保っているだけで、少し何かがあればすぐに借金生活になりそうだよ」
「お父様には色々な能力が足りないのよね」
「うん。このままだと男爵まで降爵かなー。領地なしの男爵になって俸給生活していた方がいいんじゃないかな。俸給だと変動はないし」
「何かを変えれば、何とかなるものなの?」
「このままリンゼイル伯爵が、爵位を自分が持つことにこだわるなら無理かな。たとえば爵位を別の人間に渡して伯爵自身は隠居、とでもなれば、その人に期待して今回は残しましょう、ってところかな。無茶苦茶な経営しているだけで、何かすっごい悪事をやっているとかではないから。まぁ、娘を借金の形に売り渡そうとしていたのは国内の子爵家だったし、かろうじて政略かなぁー?」
「かろうじて……まぁ、そうよね。それで、お兄様に爵位を譲ればいいの?」
「嫡男は同罪。跡取りのくせに、自領のことを何も知らず、父親を諫めることもしない。留学していた?ははは、自領が大変な時に放り出してまでやることではないよ。第一、彼の留学も負担の一端になっているしね」
どうやら、父兄の未来はそんなに明るくなさそうだ。
せいぜい、グレーくらいの空色だろうか。
真っ暗じゃないだけマシというものだ。
「……ねぇ、オルフェ」
「何?」
「どうして私の護衛が、騎士団長様なの?」
じっとオルフェを見つめると、オルフェは一度肩をすくめた。
「どうして?」
「誤魔化されてくれないよね?」
「うん、嫌。だって、私自身のことなのよ」
「だよねー。ちょっと向こうに行こうか。こんな場所でへたり込んでいるのを見られるのも何だし」
「はいはい」
軽くスカートを叩くと、ラフィーネとオルフェは人気のない庭のベンチに座った。
「……空はこんなに青く澄んでいて綺麗なのに、これから私は真っ黒な謀略の一端を聞かされるのねー」
「謀略って……せいぜい、そうなったらいいなーっていう思惑程度だよ」
「それを人は謀略と言うんです。特にあなたたちみたいな人種が企んでると、ろくなことがないんだから」
「ひどいな」
ひどい言われようだが、否定も出来ないので、苦笑するしかない。
ラフィーネはこういう女性なのだ。
学生時代、ほとんど話したことはなかったけれど、ちょっとした噂だけは聞いていた。
どうも、問題の本質を不意に突いてくるとか、ちょっとした言葉から全体を把握してしまっているだとか。
オルフェもここまでとは思っていなかったが、今すぐにでも宰相室に転籍してきてくれないだろうか。
「それで?」
物思いにふけってしまったオルフェに、不満そうなラフィーネの声が届いた。
「あぁ、ごめんね。ねぇ、ラフィーネ、今の皇室の一番の問題って何だと思う?」
「……皇族の少なさ」
「そう。先々の皇帝陛下と先帝陛下が色々とやってくれちゃったおかげで、圧倒的に皇室の血を継いでいる人物が少ない。陛下と皇妃様の間にたくさんのお子様が生まれるのが一番いいんだけど、こればかりはどうなるか分からないし、他の皇統もきちんと確保しておきたい。ヴァッシュ様は、確実に分かっている皇室の血を継いでいる方だよ」
「……私では、無理よ」
「ラフィーネ、今のリンゼイル伯爵家はあれだけど、リンゼイル伯爵家は、遡れば初代皇帝に仕えていた由緒ある家だ。皇女の降嫁こそないけれど、かつて皇女が降嫁した家から嫁いできた方もいるから、皇室の血も入っている」
「ちょっとだけすぎない?それって、何代も前の我が家が絶好調だった頃の話じゃない」
「でも、確実に入ってる。名門なんだよ、リンゼイル伯爵家は」
物心付いた頃から絶不調の貧乏名ばかり伯爵家の令嬢として生きてきたラフィーネには、そんな話は想像の範囲外だ。
「名ばかりじゃない。嫌よ、そんなすごい昔の話で縛られるのは」
「でも、ラフィーネだって意識しているでしょう?」
「……そういうところ、嫌い」
「うん、ごめん。臣下として、皇統の維持は宰相室でもたびたび話題になる懸念事項なんだ」
「だったら、もっと早くに騎士団長様に結婚してもらえばよかったじゃない」
「そうなんだけどね。陛下が帝位に就かれる前は、ヴァッシュ様ご自身が命の危機に何度もさらされていたし、先帝陛下はヴァッシュ様に子供が生まれれば、その子に帝位を持っていかれるんじゃないかという疑心暗鬼に囚われていたから、結婚するわけにもいかず……。していたら、すぐに奥方の命が危なかったよ」
「先帝陛下が、その、ちょっと危うい方だというのは知っていたけど、そこまでぶっちゃけていいの?」
いわゆるちょっとした暗黒時代とでも言うのか、当時の皇室周辺は果てしなくきな臭くて仕方がなかった。
「ラフィーネには知っていてもらいたくてね。ヴァッシュ様の母君も一時期は危なかったそうだけど、辛うじて領地に引き籠もることで難を逃れたそうだ。でも、ヴァッシュ様は公爵家の跡取りだったから、どうしても皇都にいるしかなかった。幸い、今の陛下とは従兄弟であり友人でもあったから、陛下と一緒に先帝陛下を幽閉にまで持っていけたけど」
「騎士団長様のお母様って、先帝陛下の妹姫様じゃなかった?」
「実の妹だからこそ、よけいに疑心暗鬼になったみたい。何せ、自分たちを除けば、帝位に一番近い場所にいたんだし。公爵領に引っ込んで帝位に興味はありませんっていうことを態度で表明していなければ、しつこく色々な人が向かって行っただろうね」
「やだー、もう、皇室、怖い」
色々な人って、もうそれは暗殺者とか暗殺者とか……ともかく、怖い人たちに違いない。
「娘をヴァッシュ様に嫁がせたはいいがすぐに亡くなりました、じゃあ嫁がせた意味なんて何もないし、政略にもならないし、せっかく育てた娘の価値がなくなるし、っていう感じになっていたから、高位の家はどこもヴァッシュ様に娘は出さなかったんだよね。先帝陛下の時にそれで断ってるから、今更、ヴァッシュ様に娘を嫁がせますって言うわけにもいかないし。そのくせ、今の皇妃様が他国の出身だからヴァッシュ様には国内の娘を、とか貴族院のおっさんたちが言い始めたりして、とっても面白い状況になってるんだよ」
「……聞くんじゃなかった。というか、そこまでぶっちゃけなくてもよかったじゃない。こう、都合がいいから、とか何とか私を言いくるめてみるとか」
「ラフィーネ、言いくるめられてくれないでしょう?それに、女性陣の情報網のすごさは僕もたまに思い知らされることがあるから、それよりは僕からきちんと説明をした方がよくない?」
「確かに、とある高官の方のかつら情報と通っている娼館の情報まで握ってるわね」
「ちょっと面白そうだからその情報は後で教えて。それで、元々ラフィーネはそのおっさんたちの中でも一応、候補の一人に挙がっていた。そんな時に、ヴァッシュ様がラフィーネのことを気にしだし始めたからねぇ」
「情報料は高いわよ。でも、私が候補?」
「君、貧乏だけど名門伯爵家の令嬢だよ。お金さえ積めば君の父君はあっさり君を手放しただろう?どっかの養女に入れて公爵家に嫁がすだけだから、そんなに手間暇かからないし」
「知らない間に私の人生が決まってる……」
「確かに最初はそんな感じだったけど、あまり性格が合わないようだったら消えていた話だよ。無理矢理結婚させたはいいが、合わなすぎて別居しました、じゃあ意味がないからね。それで、ここのところ一緒にいてどうだった?」
オルフェやその貴族院の人たちの思惑に乗るのはすっごく嫌だけれど、皇族という帝国の要石がなくなることは帝国貴族の一員として阻止しなくてはいけない事態だ。
それに何より、ラフィーネが今のところ気になる男性の第一位はヴァッシュ・トリアテール公爵その人だ。
「……あなたたちの思惑に乗りたくないの。だけど、惹かれているのは認めるわ。でも、それだけ。そこから先の約束は出来ないわ」
「先の約束はヴァッシュ様にしてあげてくれると嬉しいな」
「どうせ約束したって、守らなければ意味はないわ」
「あはは、そうだね。反故にするような人とは付き合いたくないよね」
「えぇ」
「騎士団長とか皇室の血を保つためとかあまり深く考えすぎないで、ヴァッシュ様その人のことを考えてほしいな」
「……分かったわ」
どうせ放っておいても何かしらに巻き込まれるのなら、自分の気持ちと向き合ってやろうではないか!
ラフィーネの意気込みに、オルフェは妙な安堵を覚えたのだった。




