【77】天魔の腕
<……は? なんです、これ。一体、何が>
失われた己の左腕を呆然と見つめる魔王。その隙を見逃さず、俺は無我夢中で、今しがた現れたばかりのこの純白の左腕で魔王の右手を殴りつける。
あてがあったわけではない。ただのがむしゃらな抵抗に過ぎない。
だがその一撃が命中したその瞬間――魔王の右手首が冗談みたいに爆散して、俺の右手は自由になった。
<っ、つうぅぅ…………いっ、たぁああああぁぁぁぁいいいい!!??>
初めて声を荒げて、失った左手で右手を庇いながら俺から距離をとる魔王。
そんな魔王には構わず俺はその場に降り立つと、今しがた生まれたばかりの白い左手を差し伸べて、その場で腰を抜かしていたソラスを起こす。
そんな俺に、魔王はその声をおぞましく響かせながら叫んだ。
<なんなんですか!! なんなんですか、それは、一体っっ!!!???>
そんな彼女に振り返ると、俺は右手でこの奇妙な左手へと触れてみる。
瞬間――どういうカラクリか、俺の頭の中にそのスキルの意味が、ぐっと流れ込んできた。
「【天魔の腕】――己の体の一部を、魔王のそれに変化させるユニークスキル。……【存在侵食】スキルであんたの腕をそっくりそのまま喰って、俺のものにさせてもらった」
そんな俺の言葉を受けて、魔王はその表情を驚愕で歪める。
<スキル? なんで、そんなものが使えるんです!? ウォーレスさんにはもう、【腕輪】の力はないはずなのにッ……!!>
そんな彼女の言葉に、俺はゆっくりと頷いて。
「ああ。だがどうやら、一度覚えたスキルってやつはステータスがどうなろうが消えないらしくてな」
<なん、ですって……ッ!!??>
余裕を見せてそう告げた俺に、言葉を失う魔王。
とはいえこちらもその事実にようやっと気付いたのは、ついさっきに絶体絶命の土壇場に追い詰められたその時のことだったのだが。
「まだ受肉する前のあんたの言葉を、あんたの姿を、俺は【腕輪】を失ってからも聞けていたし、見られていた。だからもしかしたらと思ったが……どうやら当たりだったらしい」
<……っ、そんなの、ずるい……っ!!>
「魔王に言われたくはねえよ」
そう返した俺に魔王はぎり、と歯噛みして、すでに再生を果たしていた右の拳を大きく振りかぶる。
その一撃に、俺は左の【天魔の腕】を正面からぶつけて――
打ち合ったその拳と拳。しかし打ち勝ったのは、俺の方だった。
<っ、な、あぁあぁぁぁぁっ!? なんっ、でっ……!!>
粉砕された右腕を見つめて愕然とする魔王に、俺は拳を振り抜いた体勢のまま、
「【天魔の腕】にはもうひとつ効果があるみたいでな。……“所有者のレベル×100を【生命】【精神】【力】【魔力】【防御】【敏捷】【器用】【抵抗】【魔法抵抗】に加算する”んだそうだ。流石にあんた自身の腕だからか、【腕輪】なんぞより優秀だな」
そう答えてやると、魔王の表情に浮かんだのは、これまでに見たこともない……まるで怯えているかのような表情だった。
それから奴は、その場で視線を泳がせて。やがて目をつけたのは、状況についていけない顔で呆然としているソラスだった。
彼女を人質にでもしようという肚なのだろう、ソラスに向かって殺到しようとする魔王。
だがそんな魔王の前に立ちはだかると、俺は折れた【剣】を左手で握りしめ、
「生成術、【極】」
そう呟いたその刹那、魔王の遺物たるその【剣】が。ゴウライの一撃で折れ、砕けていたはずのそれがあっさりと再生して――ソラスへと伸ばされていたひしゃげた右腕を、ばっさりと切断する。
<っ、がああぁぁああぁぁぁぁぁぁ!!!!>
腕を斬られて流石にたまらなくなったのか。悲鳴を上げながら転移を発動し、俺から逃げるように距離を取る魔王。
その姿を【事象視】によって追跡しながら、俺はソラスに向かってこう告げる。
「ソラス。ひとつ、頼まれてくれるか」
「え……?」
首を傾げる彼女に、俺はその内容を耳打ちして。
するとソラスは目を丸くして、半信半疑で俺を見返した。
「……私なんかじゃ、そんなの無理です……! っていうかウォーレスさんがやった方が」
「【詠唱短縮】スキルのある君の方が、この状況じゃ俺より適任だ。……頼む」
そんな俺たちのやり取りをやや遠くで見つめながら、魔王がその顔に引きつったような笑みを浮かべる。
<……いい気なものですね。仲間が全員殺されてるっていうのに、そんなドヤ顔で。仲間を皆殺しにされた後の無双は気持ちいいですかぁ?>
そんな魔王の挑発に、俺は目を閉じて、頷いて。
「確かにな。こんなことになった後であんたを倒しても、何もかもが遅すぎる。……でも」
言いながら展開したのは――【万魔の書】のスキル。
この世に存在するあらゆる魔法や奇跡を収載した、大全たる魔術書。頭の中だけでも参照可能なそれをあえて具現化させながら、俺は魔王に向かってこう続けた。
「……それなら、全部を取り戻してやる。チートだと言われようが都合がいいと言われようが、知ったことかよ。ズルくて上等、借り物の力だろうが上等だ。存分に、俺はあんたからの借り物を使い倒してやるよ!」
俺がそう宣言するのと【万魔の書】を見ながら詠唱していたソラスの術式が完成するのは、同時だった。
弾けるような眩い閃光がソラスの杖から飛び出して――その光が5つに分かれると、方方で倒れている皆の体を暖かな輝きが包み込んでゆく。
……そして。
「……あれ、私……どうして……」
そんな、エレンの呟きとともに。
倒れていた勇者たちと伯爵。決して再び開くはずのなかった彼らの瞳は今再び、生の輝きを宿していた。




