【76】それでも俺は、手を伸ばす
<注意!>
今回は今までの展開の中では少しショッキングな感じです。
あと予め言っておくと今回が一番のどん底展開で後はひたすら上がるだけなのでご安心ください。
ではどうぞ。
<魔王からは、逃げられない。……お望み通り、殺し合いを始めようじゃあありませんか>
その魔王の言葉と同時に、まず動き出したのはエレンだった。
ラーイールの強化魔法によって底上げされた身体能力でもって一直線に魔王へと向かって駆け、一切の躊躇なく【レイライン】を振るう。
その目にも留まらぬ剣閃を――
<わわっ>
と、ごく軽い声でするりとかわすと、しかし今度は一拍遅れて迫っていたゴウライの一撃が魔王に向かって放たれる。
ぎしり、と軋むような音とともに魔王のかざした腕にゴウライの剣撃がぶつかって、魔力同士の衝突による衝撃波をあたりに撒き散らして――力負けしたのはゴウライの方だった。
魔王の腕が振り抜かれて、弾き飛ばされるゴウライ。だがしかしその刹那、
<……おや>
魔王の足元に広がっていたのは、その巨躯をすっぽり囲むほどの大きな魔法陣。
青白い輝きを放つそれは、ルインの足元に展開されているものと同じ意匠である。
「【極光】【アルハメシア】【天より降れ】【今】――」
超極大詠唱の無限圧縮。二重にも三重にも聞こえる独特の呪文詠唱の後に、ルインは手に持った杖を力いっぱい魔法陣の上に突き立てる。
すると――魔法陣の内側で動きを止めていた魔王の直上、青空をなお白く染め上げるほどの光芒がそこから降り注いで、辺り一面に破壊の光を撒き散らした。
その爆音がまだ冷めやらぬ中、エレンは再び構えると、迷う素振りも見せずに一息にその爆心地へと飛び込んでいく。
彼女の剣に滾る魔力。可視化されるまでに賦活され高まったそれは、彼女の髪と同じ真紅色。
魔力とはつまり、魂のありように等しい。彼女のそれは――ただ純粋に、純然に。
あらゆる悪を討ち焼却する、“焔”の魔力だ。
「くっ、らええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!! 勇者、斬りッ――!!!!!!!」
彼女の二つ名を体現するかのような、紅蓮に輝く焔の剣。
膨大な力そのものをぶつけにかかるその斬撃は、降り注ぐ極限の光とともに魔王を呑み込み、燃え上がり。
反応で弾けた魔力の乱流で、遠巻きに見ていた俺やソラスも吹き飛ばされそうになって膝をつく。
「……なんなんですか、あれぇ……」
「あれが、勇者だよ」
魔王を討つべく、星によって選定された宿命存在。その全身全霊の力――ここまで彼女が本気を出したのを見るのは、流石に今回が初めてだった。
いや、彼女だけではない。ゴウライも、ルインも、ラーイールも。
全員が“パーティ”という名のひとつの群体となって、その力をひとつにして魔王を討ったのだ。
もうもうと立ち込める爆煙を見ながら、その場でルインがこてん、と倒れる。
隣にいたラーイールに支えられながら、彼女は無表情のまま呟いた。
「……極大魔法、【天光】。原初精霊の力を借りた、とっておきの魔法……。存在自体を問答無用で魔素に還す、原初の光だ。これなら……魔王も、ちりひとつ、のこらない」
魔力を使い果たしたのか。ラーイールの腕の中でそのままルインが目を閉じようとした……その時だった。
<いやぁ、すごいですねぇ。今回の勇者たちは>
そんな声が響くとともに、爆心地を包んでいた魔素の煙がゆっくりと晴れて。
その中央に――翼で全身を包みこみながら、魔王はいた。
「……無、傷? 嘘でしょう、そんな……」
<いやいや、無傷なんてとんでもない。大したものですよ、皆さんは>
漆黒の翼が広げられて、ぱらぱらと無数の翼片が舞い落ちて。翼としてはぼろぼろになったそれを少しばかり残念そうに見つめながら、魔王は口を開く。
<私の【翼】はあらゆる魔法を無効化できるのですが――あれだけの攻撃となると、この【翼】でも防ぎきれなかったみたいです。……あーあ、これだけやられたら元に戻るまで何日かかかっちゃいますよ。ひどいなぁ>
そうは言うものの、その白い体には煤ひとつついてもいない。
朽ちた翼の他は――あれだけの全力攻撃を叩き込まれてなお、およそ無傷であった。
健在のまま佇むその威容を睨みつけながら、エレンはその場でがくりと膝をつく。
彼女もまた、先ほどの剣に全ての魔力を注いでいたのだ。
<ああ、もうへばっちゃいましたか。なら――次はこちらの番ですかね>
言いながら、魔王はゆっくりとエレンへと近づいて。彼女の目の前に立つとその右腕を変質させ、剣の形へと変えて振り上げる。
<さあ、死になさい>
振りかぶられた一撃。しかしその一撃をエレンが受けるすんでのところで、間に入ったのはゴウライだった。
「っ、ぐうぅうぅぅぅッ!!」
「ゴウライ!!」
エレンを庇うように割り込み、魔王に背中を向けていた彼。その背中がぱっくりと切り裂かれて、おびただしい量の鮮血が吹き上がる。
それでもなおその場で踏みとどまる彼を、魔王はぞんざいに掴んで横へと放り投げて――するとゴウライの陰に隠れていたエレンが、死角からの一撃を魔王に向かって繰り出した。
……が。
<あぁ、いけませんねぇ。もう魔力がすっかすかじゃないですかぁ>
そう嗤いながら、魔王は突き出された【レイライン】の剣先を左指で掴んで。
ほんの少し、力が込められたその途端――【レイライン】の刃が、半ばからぽっきりと、折れた。
<……ああ、そうです。その顔ですよ、勇者。貴方みたいな強い人間が、そうやって絶望する顔――そういうのがとっても好きなんです、私>
うっとりとそう呟くと、魔王は右手の変形を解いて、そのまま勇者の首を掴んでゆっくりと持ち上げる。
「う、あ、ぁ……」
ぎりぎりと、魔王の手に力が込められて――やがて、鈍い音が辺りに響くと、勇者の手足から力が抜けて、握りしめられていた【レイライン】の柄がするりと落ちる。
「……エレン、さん……。そんな……! ……【命の奔流よ】――」
エレンたちの姿を見て愕然としながらも、気丈にラーイールが唱え始めたそれは、【蘇生】――人類においても使える術者は数少ないとされる、秘中の秘。
死んで間もない、まだ魂魄が肉体に留まっている者にしか効果がないとはいえ……それはこの状況における唯一の逆転の手札。
だがしかし、そのあまりにも長すぎる詠唱を、悠長に唱える余裕を魔王が与えてくれるわけもなかった。
<ああ。貴方は、蘇生が使えるんでしたっけ――ソレは少々、不愉快ですねぇ>
「この……ッ!」
その狙いを悟ってラーイールへと駆け寄ろうとする俺だったが、しかしその瞬間、魔王は手の指だけを俺へと向けて。
<ウォーレスさんたち雑魚雑魚組は最後の最後ですから、動かないでいてくださいな>
そう彼女が呟くのと同時に、指先から放たれた黒い光が俺の左腿を灼き貫く。
「ウォーレスさん!!」
あまりの激痛にたまらず倒れる俺へと駆け寄るソラス。
けれど、それよりも今は――
「……あ……」
俺が顔を上げた、その時。
その時にはもう……全てが、終わっていた。
生気の抜けた目のラーイールが、胸を魔王の腕に貫かれたまま、ぶら下がっていて。
その足元ではルインの小さな体が、魔王の太脚によって踏みつけにされていた。
<蘇生なんて、本来人間ごときができちゃいけないんですから――天罰ですよ天罰。ってもう、聞こえてませんか>
そう言ってけらけら嗤いながら腕を振るってラーイールの体をその場に棄てると、その場から瞬間移動して、魔王は這いつくばる俺の目の前に現れた。
「この……!」
その時俺の隣で立ち上がったのは、ガードリー伯爵。彼は護身用の短剣を腰から引き抜いて、俺を庇うように魔王へと立ち向かおうとして。
<邪魔>
ラーイールの血に塗れたその左手を魔王が払ったその瞬間、伯爵の首筋でぱっと血の華が弾け、彼はゆっくりとその場で崩れ落ちる。
「ソラス、逃げろ……ッ」
絞り出すようにそう告げて、俺が傍にいたソラスを突き飛ばすのと同時。
魔王は緩慢な動作で俺の頭を掴むと、そのままぐいと空中に持ち上げた。
視線の高さに、魔王のガラス玉のように無機質な目が合う。
<どうですかぁ、ウォーレスさん。この有様、見てくださいよ。大切なお仲間、みんな、みーんな、死んじゃいましたよ?>
「……っ……!!」
俺は、声を出すことすらままならない。感情がぐちゃぐちゃになっていて、悪態を吐くことすらできそうになかった。
そんな俺の顔をまじまじと見つめながら、魔王はアルカイックスマイルを浮かべて続ける。
<今までは、私のこの【腕輪】があったから、守ることができた。でもそんな狡い力を持っていなければ、貴方は所詮こんなもの。何一つ守れないで、ただ震えて見ているしかできない、虫けらに過ぎません>
そう告げる魔王の手をなんとか振りほどこうと、俺は折れた【剣】を掴んだままの右手を伸ばして。けれど伸ばしかけたその腕は、魔王の右手であっさりと掴まれてしまう。
<あ、抵抗するんですか? あはは、面白い。ステータスは全部1、私がちょっと力を込めれば簡単に消し飛んでしまうようなしょぼしょぼの貴方に何ができるんですかねぇ?>
頭を掴む力が、わずかに強くなる。だがしかし魔王自身の言う通り、恐らくは本当に微々たる力なのだろう。そうでなければきっと、俺はとっくに死んでいる。
だが――俺は、無我夢中で腕を動かそうとする。
右手は、動かない。だからと言うべきか、無意識に俺が動かしたのは、肘から先を失ったままの左腕。
とうにないその腕が虚空を切るのを見て――魔王は愉快そうに嗤って告げる。
<あはは、バカですねぇ。左手なんてもうないのに――>
そう言いながら魔王は、どうやら何か思いついたらしい。右手で俺を吊り下げたまま、頭を掴んでいた左手を離して――そのまま魔王は左手で、俺の左腕をぐいと掴む。
次の瞬間、ラーイールによって止血されていた左腕に感じたのは激烈な熱。
断面となっていたそこを、魔王は執拗にその指先で抉っていたのだ。
「っ、あ、が、ァァァァァァァァああああァァァァっ!!!!」
<うわ、痛そうな声ですねぇ。ウォーレスさんのそういう声、ずっと聞きたかったんですよ>
その爪の生えた指が俺の左腕の断面から奥へ、骨へと達して、ごりごりと無遠慮に中をかき混ぜる。
頭が真っ白になるほどのその痛みに、俺は喉が張り裂けそうなほどに叫んで。その絶叫と魔王の哄笑とが交わって、頭をがんがんと震わせる。
<――、――>
痛みで朦朧とした意識の中。魔王が何か言っているようだったが、それすらすでに脳が認識を拒否していた。
ただ俺は吊り下げられたまま、ぼんやりと、目だけ動かして周囲を見る。
遠くで咲き誇る花に囲まれて倒れているのは、ゴウライ。背中から流れ出た血でできた池の中で、その体は動かない。
その少し近くでうつ伏せに倒れているのは、エレン。首があらぬ方向に曲がっていて、その体は動かない。
俺から見て近くに倒れているのは、ルイン。その矮躯の腹の辺りに奇妙な凹みができていて、口からは血を流してぴくりとも動かない。
そして――ラーイール。腹に大きな穴を開けたまま倒れた彼女は、目を見開いたまま、動かない。
動かない。
動かない。
動かない。
およそ全ての命が、途絶えていて。
ただ一人ソラスだけが、呆然と涙を流して、そこにいる。
「……ソラス、だけは。彼女だけは……」
完全に、巻き込んでしまっただけの彼女。本当ならここに来る必要はなかったのに、俺のせいでこんな目に遭わせてしまった。
ならばせめて彼女にだけは、生きていてほしい。
だが――そんな思いからこぼれた言葉は、魔王の心を余計にくすぐってしまったらしい。
<……あ。そういうこと言いますか。ならこのお嬢さんは特別に、ウォーレスさんの目の前でバラバラにしながら殺しちゃいましょうかねぇ♪>
そう言うと魔王は俺を右手で吊るしたまま、俺やラーイールの血で赤黒く染まったその左手を、立ち尽くすソラスに向かって伸ばしていく。
やめろ。やめてくれ。
声にならない声で、俺は無我夢中で、手を伸ばす。
力があったはずの、左腕。
すでにそこにない左腕を、伸ばし続ける。
借り物の腕輪、まがい物の力。
肝心な時には誰も救えない、虚影の力。
でも――それでも、どうか。
一度だけで構わない。今伸ばせる、腕が欲しい。
あと一度、差し伸べるための、手を。
<……え?>
そんな魔王のこぼした声で、ぼんやりとしていた思考が現実に引き戻される。
すると――そこで起きていた光景に、俺はただ、言葉を失った。
「……なんだ、これ」
魔王の伸ばしていた左腕。その腕が、指の先から徐々に、光の粒となって融けていて。
そして――まるでその代わりとでも言うかのように、失われたはずの俺の左腕に、奇妙な光がまとわりついていたのだ。
光は腕の形になって、その指先の部分からだんだんと光が解け、実体があらわになってゆく。
真っ白い指。魔王のそれとよく似た指先。
だんだんと構成されつつあったそれはやがて俺の肘の断面まで到達して――そこで光が、ぱっと弾け飛び。
そしてそれは、魔王の左腕が消失するのと、ほぼ同時のことだった。




