表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

75/87

【75】魔王からは逃げられない

 闇が、石棺の表面へと広がってゆく。

 中に詰め込まれた無数の屍を泥のように覆い、包んで――やがてその中に一筋の亀裂が走る。

 ぴしりと、表面に刻まれたそのひび割れから、こぼれ落ちるのは光。

 そして光とともに飛び出してきたのは、一本の腕だった。

 ぼんやりと青白い輝きを放つ、どこか無機質さを感じさせるほっそりとした腕。

 石棺の表層のひびは見る見るうちに広がり、やがて覆っていた闇は内から放たれた光によって破散して、内側に収められていたものが、姿を見せた。


 それは、女性の形をしていた。

服は着ておらず、ただし裸身というには無機質な、奇妙な質感の体。顔立ちはメガミのそれと遜色ないが、しかし背丈はゴウライの三倍ほどはあろう巨大さ。

 全身にはあの【腕輪】と同じような奇妙な文様がまるでひびのように走っていて、その隙間からは淡い緑色の光があふれ出しているのが見て取れた。

 そして何より目を引くのはその背中。そこには三対の、鳥のような形の漆黒色の翼が生えていて――真っ青なその髪とともにその翼を羽ばたかせながら、「それ」はゆっくりと、目を開ける。


<……ああ、やっと。やっと私は、私自身の体で、世界と繋がれた――>


 音ではなく、直接頭に響いてくるような声。男のようでもあり、女のようでもある奇妙な音程。

 見るだけですくみ上がるような、不思議な威圧感を発しながら「それ」はゆっくりと棺からその身を現して……そして、俺たちを、見る。


「っ…………!」


 ただ“見られた”だけ。それだけで心臓を鷲掴みにされるような重圧にさいなまれて、俺は息を呑む。

 後ろではその圧迫感に耐えきれずか、ソラスがたまらずしゃがみ込み、吐瀉している音が聞こえてきた。


「……蘇って、しまった」


 先ほどの傷が癒えきっていないのか、顔をしかめながら呟くゴウライ。

 エレンもまた立ち上がると、石棺から出てきたメガミ……否、「魔王」の姿を見て、ぎり、と歯噛みする。

 ……そして。


「……これは。私は、一体……何が、何が起きている……ッ!?」


 復活を遂げたその姿を前にしてそう呟いていたのは、ガードリー伯爵その人だった。

 そんな彼を一瞥して、魔王は無機質な笑みをその顔に浮かべてみせた。


<ご苦労さまです、伯爵さん。貴方のおかげで、こうして元気になれました。……って言っても、まだ記憶がぐちゃぐちゃで分からないかもしれませんね>


「なに、を……ッ!」


<協力して下さったお礼です。思い出させてあげましょう、貴方がしてきたこと>


 そう告げて魔王が指をぱちんと鳴らした、その瞬間。

伯爵はそこで瞠目して周りを見回して。やがてその場で膝をつくと――わなわなと己の手を見つめながら、絶望の面持ちで呟いた。


「……あ、ああ。そんな。私は、私はなんということを……!」


<あはは。いい表情をしてくれますね、伯爵さん。やっぱり貴方みたいな真面目な人は、美味しそうな絶望を見せてくれる――>


 そう嗤いながら、その場で崩折れたまま動かない伯爵を見下ろして、魔王はその白い腕を頭上に掲げる。

 掌の先に禍々しい闇の魔力が凝集し、純然たる破壊の力場が形作られて。


<じゃ、さようなら。その素敵なお顔のまま、死んでください>


 ……魔王が放ったその闇が、伯爵のいたあたりの床一帯をすっぽりと飲み込む。

 光すら吸い尽くす漆黒。その一撃はそこにあった一切合切をこの世から消失せしめて――しかし。


「……なっ……」


 直撃したかと思いきや。伯爵は少し離れた床の上で倒れていた。

 その腰あたりに……上半身だけになった、あのメイドの姿をともにして。


「旦那、さま。お逃げ、くだ、さい」


「……エリーザベト! エリーザベト、お前、何をしている……!」


 血相を変えて彼女の体を揺する伯爵に、“エリーザベト“と呼ばれたメイドは無表情のまま、口を開く。


「私は、奥様の代用品として、旦那様に仕えるためだけに造られた、人形――旦那様をお守りすることもまた、私の、機能、です」


 とぎれとぎれに告げる彼女の胴体。闇に喰われて引きちぎられたその断面から血は流れず、代わりに黒い油や裂けたパイプ、砕けた歯車などといった機械部品が零れ落ちていた。

 だがそんな彼女を、伯爵は悲痛な表情のまま抱きかかえて、首を横に振る。


「馬鹿者が……! 私のような者を。魔王に唆されて手駒に堕ちた愚か者を、守る必要などないというに……!」


 動かなくなったメイドを抱えて項垂れる伯爵を見下ろしながら、魔王は空中で足を組みながらぱち、ぱち、と拍手する。


<くっさいお涙頂戴、ありがとうございます。退屈すぎて思わず見入っちゃいましたよ。ですが――もういいでしょう。貴方がたは、ここで退場です>


 そう告げた魔王を、伯爵は絶望と怒りの入り混じった表情で見返して。

 けれどそんな二人の間に、割り込んだ者がいた。


「待ちなさいよ」


「……勇者、エレン……」


 その者の名を、伯爵はただ呆然と呼んで。けれど彼女は振り向くことはせず、魔王を睨みつけながらこう続ける。


「勝手に絶好調で暴れてくれてるんじゃないわよ、クソ魔王。貴方の天敵が、ここにいるってのに」


<天敵? 面白いことをおっしゃいますね、勇者さん。人間風情が、私の敵を僭称するなんて片腹痛いですよ>


「その人間にバラバラにされて封印されたの、どこのどいつだっけ」


 そう挑発しながらエレンは、座り込んだままの伯爵が腰に差していた剣――【レイライン】を引き抜くと、そのまま視線だけ俺に向けてこう告げた。


「ウォーレス。そこの子と、このおっさんを連れて先に逃げて」


「……なっ。何言ってんだ、エレン――」


<あはは。身を挺して、時間を稼ごうってわけですか。泣けますねぇ>


「……は? 何言ってるわけ?」


 剣呑な声音でそう告げたエレンを、そこでラーイールの唱えた強化の魔法が包む。

 彼女の隣ではゴウライが、無言のまま折れた斧の柄に闇の刃を纏わせ構え――後方ではルインが杖を床に突き立て、大魔法詠唱用の魔法陣の展開を始めていた。

 それぞれが臨戦態勢を作る中、エレンは剣を振るって宣言する。


「私たちは、ここであんたをぶっ倒すのよ。……あんたを棺に入れ直したら、のんびり上に戻るとするわ」


<あはは。……でも残念ですね、そもそも私からは、逃げられません。――ほら>


 小馬鹿にしたようにそう言って魔王が指を鳴らした、その瞬間。

 広間の風景が――一瞬のうちに、全く違うものへと変わる。

 どこまでも伸びる花畑に、抜けるような青空、降り注ぐ陽光。

……それは、嘘みたいに地上のような光景だった。

 見果てる限りの地平線の先に、来たはずの扉は当然見えないし、階段などもない。

 足元から香る花々もまた、決して幻術などによるそれとは思えないほどに生々しい。


「これは……領域置換の魔法? 空間の情報を、根本的に書き換えて変質させてる……?」


 ラーイールの言葉に、ルインが顔をしかめる。


「そんなの、原初精霊の御業にもひとしい。バカげている……」


<ところがどっこい、できちゃうんですよ。私はとってもすごい魔王様ですからね>


 あくまで軽い口調のままそう言うと、魔王はその人形のような顔を歪めながら告げる。


<魔王からは、逃げられない。……お望み通り、殺し合いを始めようじゃあありませんか>

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ