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【72】勇者の力

 いつの間にか自由の身になっていたエレンを凝視しながら、最初に震える声で口を開いたのは、そのほど近くにいた伯爵その人だった。


「……勇者。貴様、何故、目を覚ましている? 魔族どもから仕入れた禁術で魂魄を封じていたはずだぞ……!」


「ああ、思い出してきた……あんたにハメられて、変な術かけられてたんだっけ。ちょっと体が重かったけど、慣れてきたら破るのもそんなに大変じゃなかったわ」


「なっ……!?」


 物騒なことを言う伯爵とは対照的にひどく軽い口ぶりでそう告げると、エレンは俺たちを――そして彼女の存在にどこか威圧されたふうに警戒しているドラゴンを順に見つめて、「ふむ」と小さく頷いて。


「なんだか分からないけど、皆が構えてるし、こいつが敵っぽいかな。なら――」


 下敷きになって気を失っていたメイドから短剣を奪い取ると、ゆったりとした足取りで彼女はドラゴンの方へと進んで――


「ほい」


 次に瞬きした後、彼女はそこにいなかった。

 ……立っていたのはドラゴンの頭上。そこで彼女は、無造作に短剣を振り下ろし。

 その斬撃は硬質なその外鱗を、そして頭蓋をあっさりと打ち砕き、そのままその巨体を真っ二つに両断する。

 たった、それだけ。

 それだけで、人類にとっての災厄の象徴のひとつたるドラゴン――その恐ろしき巨体はあっさりと絶命し、魔素に分解されて融けていった。


「な……そんな、バカな。“三ツ羽”の竜種を、そんな短剣で……ッ!?」


 あまりの非常識な顛末に、立ち直りかけていた伯爵は再びその場で白くなっていた。……ここまで来ると、少し不憫になってくる。

そんな彼は存在ごと無視している様子でエレンはすとんと着地すると、原型を留めぬほどにひしゃげた短剣をあっさり投げ捨て、ふわぁ、とあくびをもう一度こぼしていた。

 ドラゴンとの戦い……それだけで英雄譚ともなるほどの偉業を成し遂げたというのに、「また何かやっちゃいました?」とばかりの無頓着さであった。

 ……むちゃくちゃにもほどがある。


「あの……ウォーレスさん、なんですかあのヤバい人……」


「……勇者だよ、今の。相変わらず人間やめてんなあいつ……」


 とその時。ソラスとともにそうぼやいていた俺に気付いたのか、彼女は眠たげな目をはっと丸くして。

 それから……俺ではなくラーイールたちに、やや剣呑な視線を向ける。


「……どういうこと。なんでウォーレスが、ここにいるの。それにその怪我……」


「あー、待て。今この場で説明するには状況がこんがらがりすぎてるから、俺が簡単に説明する」


 ラーイールに向かって詰め寄らんばかりだった彼女の前に慌てて立ちはだかると、俺はこちらをじっと……色々な感情がないまぜになった目で見つめるエレンに向けて、こう告げる。


「ラーイールから、全部聞いた。聞いた上で、俺はここに来た。君を助けるために」


 俺の告げたそんな言葉に、エレンは再び目を丸くして。

 それから――俺と目を合わせず俯くと、深い深いため息を吐き出した。


「………………あー、もう。なんであんたは……本当に、もう……」


 呟きながら彼女は、目の前に立つ俺の胸元に軽く頭突きして、そのまま俺にもたれかかる。


「弱っちいくせに、他人のことばっか考えて。そういうバカだから、ラーイールの言う通り、置いていった方がいいって、思ったのに。なのに……なんで、よりにもよってこんなことに首突っ込んでんのよ、バカ」


「……すまん」


「そんな怪我までして。この、ばか、あほ」


「……すまん」


 ただ謝ることしかできない俺に、彼女は頭を押し当てたまま黙り込んで。

 その感触を俺はただ、じっと受け止め続けていた。


 ……数十秒ほど、そうしていただろうか。やがて気持ちの整理がついたのか、エレンは俺から半歩離れると、二、三回ほど自分の顔を叩いてから身を翻し、伯爵の方へと向き直る。


「……さてと、ガードリー伯爵……だっけ? あんたの出せる手札はもうこれでおしまい? おしまいなら、そろそろ一発ぶん殴って幕引きにしたいんだけど」


 物騒なことを言う彼女に、しかし対する伯爵はと言うと、いまだ呆然とした表情のまま項垂れて――床の上で、何かをかき集めているようだった。

 何をしているのかと目を凝らし、彼が集めている何かを見る。

 すると、恐らく先ほどのドラゴンの羽ばたきで飛ばされていたのだろう。彼の手元には、ゴウライによって砕かれた【腕輪】の欠片があった。


「……ああ、お導きを。天なるものよ、私に、導きを……!」


 かき集めた【腕輪】の断片を両手に抱えて、何かを見上げるようにして呟く伯爵。

そんな彼の奇妙な言動に、そこにいた誰もが怪訝な顔をした。


「……何アレ。おかしくなっちゃった?」


 拳を鳴らして有言実行する気満々だった彼女も、その様子をやや気味悪げに見つめていて。そんな皆の視線が集まるのも意に介さず、伯爵は【腕輪】の断片を掲げながら叫び続ける。


「いらっしゃるのでしょう、()()()――どうか、御姿をお見せください!」


 そんな伯爵の言葉に、俺は……俺だけが、瞠目して彼を見る。

 すると、その時だった。


『あーあ、これはまた随分と、おかしなことになってしまいましたねぇ』


 そんな、聞き覚えのある声とともに。

 広間の上空、逆さまの玉座から降ってきたのは――人ならざる鮮やかな青の髪をした女性。

 メガミ、と名乗って俺の前に度々現れた、彼女であった。

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