【68】伯爵の真意<2>
「勇者であれば、魔王の依代として必要十分。彼女の身に魔王を降ろし、それを討ち取る――そうすれば人は、闇に怯えずとも生きられるのだ」
……そう言ってのけると、伯爵は俺を見つめてさらにこう、続けた。
「どうだろうか、ウォーレス殿。貴公とて思うだろう、今のこの平和は所詮、仮初にすぎないのではないか……と。北に押し込められた魔族どもがいつ反旗を翻して人類に牙を剥くのではないかと。……その憂いを断ち切る、これはただ一つの手段であり、チャンスだ。貴公らもぜひ、手を貸してはもらえんだろうか」
そんな伯爵の言葉に俺は、首を大きく横に振る。
「……バカげてる。だいたい、魔王を復活させたとしてどうやって倒し切るってんだ。先代勇者でも封印することしかできなかった化け物を相手に」
ガードリー伯爵は武人としても名が通っているらしいが、とはいえ勇者たちほどでもあるまい。復活させたところで魔王を倒しきれるとは……到底思えない。
だがそんな俺の問いに、伯爵は臆面もなく笑みを浮かべてみせた。
「魔王とて、復活を遂げた直後であれば十全ではない。そのうちに……こいつでもって、斬り伏せる」
そう言って彼が指を鳴らすと、いつの間に移動していたのか……あのメイドが、一抱えほどの箱を持って彼の傍に佇んでいた。
箱が開かれ、中から取り出されたのは……一振りの、黒を基調とした剣だ。
無骨でこそあれ要所には装飾や魔術的意匠が散りばめられたその剣には、見覚えがあった。
「……【レイライン】。勇者に代々貸与される、退魔の剣……!」
エレンが勇者として任命された時に国王から下賜された、国宝の一振りである。
エレンが捕まったということは彼女の装備もどこかに……とは思ったが、まさか。
「【紅蓮剣】……彼女が持っていたものを、拝借させてもらった。この剣は星の敵となるものを斬獲するため、星そのものが生み出した力の結晶だ。魔王とて、復活した直後にこの刃を受ければ……ひとたまりもあるまい」
確かに、と俺は思わず納得しかける。使い手自身の技量もあるだろうが、あの剣それ自体も相当な業物であるという証左は、彼女との旅の中で幾度となく見てきていた。
【レイライン】を鞘ごと腰に収めながら、改めて伯爵は、俺に向き直って告げる。
「……悪いが、話はここまでとさせていただこう。これ以上時間を割いたところで、得るものもあるまい。……さて貴公たち、どうだろうか。剣を収め、私の邪魔立てをせずに退散するならば、私もいたずらに貴公たちを傷つけはしないが――」
そんな彼の言葉に、俺はしばしの間、沈黙して。
……けれど俺よりも早く、口を開いたのは話の成り行きを見守っていたソラスだった。
「……確かに、魔王を蘇らせて。それで本当に倒しきれるなら、きっと私のお父さんも――喜ぶと思います」
「……トライバルの娘。君もそう思ってくれるかね」
「ですが」
強い語気でそう言葉を区切ると、ソラスはびしりと伯爵を指差して、こう続けた。
「ですが、勇者さまの御一行をこんなふうにひどい目に遭わせて、しかも、大勢の人の命まで奪って。そんな人の言うことは――信用できません!」
そんなソラスの言に、伯爵はわずかに表情を揺らして。けれど余裕の笑みは崩さぬままに、首を横に振る。
「先代勇者の娘御にこんなことを言うのも、無礼なものだがね。だが君――それは見ている世界が少しばかり、狭小なのではないかな。これから先にもし魔王が完全な形で復活すれば、その時に戦争で死ぬのは100人や200人では済まない。そうならないために、私は――」
「しゃらくせぇですよ! そんな理屈!」
いつになく、本気で怒っている様子でソラスは頬を赤くして、唇を噛み締めて首をぶんぶんと横に振る。
「……お父さんは。お父さんは10年前、とっても大変な思いをしながらやっと魔王を封印したって言っていました。お父さんの友達も、仲間も、戦いの中でたくさん死んで。お父さんだって封印の代償で、今じゃ剣を握るのだってやっとの体です。なのに――貴方は。貴方はお父さんたちがやったことを、全部台無しにするんですか。お父さんが守った世界を、否定するんですか……!」
そんな彼女の言葉が、叫びが、謁見の間にこだまして。
それからしんと静まり返った中で――俺は一歩、彼女より前に進み出ると、伯爵を睨んでこう告げた。
「……悪いな、伯爵。俺もあんたの計画にゃ、付き合えそうにはない。あんたが頑張り屋なのはよく分かったが……とはいえそんな博打に、何も知らない大勢を巻き込むのは違うだろ」
そう返した俺を無感動な瞳で見つめると、伯爵はしばしの沈黙の後、はあ、と小さくため息をついた。
「……英雄、ウォーレス。貴公も所詮は遺物の力で成り上がっただけの、凡百に過ぎないか。……残念だ、これは至極残念だな。結局は『彼女』の言った通りか」
ぶつぶつとそう呟く彼に向かって、ルインが杖を構えながら告げる。
「何を言っているか、わからないが……どうでもいい。まずはエレンとゴウライを、かえせ。それから全部、罪をつぐなえ」
そんな彼女の言葉にはまるで耳を貸したふうもなく、伯爵はくっ、くっ、と呻くような笑みをこぼして。
「……まあよい。協力が得られないと言うのであれば当初の予定通り、奪い取るしかあるまいか――」
そうこぼして、彼が軽く手で指図を出した瞬間。
彼の傍にいた鎧騎士の姿がふっと消えて――嫌な気配にとっさに隣にいたソラスを抱えて後ろに跳ぶと、今しがた俺がいたあたりで轟音とともに土煙が上がる。
何事か、と言うまでもない。土煙が晴れると、そこにあったのは床に叩きつけた大斧を担ぎ直す鎧騎士の姿。
そんな鎧騎士に向かって、伯爵は高らかに告げた。
「大義のため、犠牲もやむなし。そやつらを斃し、【腕輪】と【剣】を奪い取れ――『ゴウライ』よ!」
鎧騎士は。否……ゴウライと呼ばれた彼は、無言のまま。
重斧を構えて姿勢を低くし、俺たちへと向かって迫り来る――
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