表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いえ、私はただの人魂です。  作者: esora
聖炎の守護者
97/291

96 アンタッチャブル

 ずるり、ずるりと引きずるような音を立てて顔色の悪いものが近づいてくる。

 嬉々とした表情で相手をしているアジュールを眺めながら、コスモスは彼の後方から援護魔法や攻撃魔法を繰り出していた。

 中級程度の魔法をやっと使えていたコスモスだが、頭の中でエステルが指示を出すので自分でも驚くような魔法まで発動させていた。

 本で読み、自分で習得した時よりも滑らかに頭が回転する。隅々まで冴え渡り、今ならどんな魔術でも放てそうだが調子に乗るなとエステルに怒られてしまった。

 一瞬にして消え去る物体に溜息をついたコスモスは引きちぎった腕を放り投げるアジュールを見て顔を歪める。

 赤い目を爛々と輝かせて牙を剥き、返り血を浴びた彼の表情はとても嬉しそうなものだった。

 あれが彼本来の姿なんだろうなと思いながらコスモスは次から次へと湧いてくる存在を見回す。

 予想していたとは言え、これだけ多く強いとは思っていなかった。

「倒しても倒しても湧いてくるって、一番厄介」


『広範囲魔法を使用せよ』

『えーさっきのよりもですか?』

『文句を言うでない。仕方がないな、発動しやすいようにしておくから、お主は私の言う通りに紡げ』

『頭の中勝手に弄られるのも嫌なんですけど……』

『コスモス!』

『承りました』


 溜息をついて愚痴を口にしたコスモスにエステルの鋭い声が響く。

 途端に背筋を伸ばして返事をするコスモスは、頭の中に浮かんだ言葉とエステルが告げた言葉を重ね合わせるようにイメージして唱える。

 アジュールに注意しなくとも彼ならば余裕で避けるだろうと発動させた広範囲魔法は、目に見える範囲全てを巻き込んだ。

 光の大爆発にゆっくり瞬きを繰り返して目に異常がないのを確かめたコスモスは、人魂だから心配する必要もないのかと苦笑する。

 人としての感覚を忘れないようにする為には大事だが、気にしなくてもいいのは便利だ。人間やってた頃よりも新しい発見が多くて、人魂は人魂で楽しいなと今ある身に満足している自分もいる。

 広範囲魔法のお陰で見渡す限り敵がいなくなったが、じっと見つめていると暗闇からポコポコと生まれてくる。

 やっぱりキリが無いと溜息をついてとりあえずこのエリアを突破する事にした。

 それを告げれば残念そうにアジュールがコスモスを見つめてくる。だが、彼女は知らないふりをしながらその場を駆け抜けていった。

 ずるり、とした嫌な音を響かせて人型になる化物をスイスイと躱してゆく。

 敵の動作が緩慢なおかげで容易に躱せるのがありがたい。

 スポーツでもしてるみたいだなと思いながらコスモスは速度を上げて駆け抜ける。アジュールの追って来る気配が無くとも彼女は気にせず突き進んだ。

 途中で、柔らかい壁に弾かれて尻餅をつきそうになる。ぶつかった鼻をさすりながら見上げれば周囲の光景が先ほどとは変わっている。

 走り抜ける事だけに集中しすぎて周囲の事は良く見ていなかったとコスモスは敵の気配を探りながら、それらしい姿や気配がしないことに息を吐いた。

「やっと、抜けられた……。それにしても、ロッカの時と違って堅すぎる」

『それだけ干渉が大きいという事か』

「大した問題ではないから心配はいらぬぞマスター」

「貴方は楽しそうで何よりだわ」

 近づいて来るアジュールを手で制して嫌な顔をすれば、不満な表情をされる。返り血を浴び、敵の肉片やら腐臭やらを纏わりつかせた存在を喜んで受け入れるほど趣味は悪くない。

 コスモスはそう静かに告げて彼と距離を置くが「マスターは細かいところを気にして困る」と言われ、思わずガラの悪い声が出そうになった。

「いいからそれ以上近づかないで。好きに暴れても文句は言わないから」

「……面倒だな」

「普通だと思います」

 嬉々として四肢を千切りながら臓物も引きずり出そうとしていたその残虐性に、顔を引きつらせたもののコスモスが感じたのは恐怖ではなく気持ち悪さだった。

 普通ならば耐え切れずに吐いたり、恐怖で身が震えたりするのだろうがどうにも麻痺しているような気がする。

 やっぱり染まり過ぎなんだろうなと彼女が思っていると頭の中で苦笑するエステルの声が聞こえた。


『アジュールは、随分と汚い食べ方をするようだな』

『捕食するわけでもなく、散らかして遊んでるだけですからね。すみません、躾がなってなくて』

『いや、本来魔獣とはそういうものだ。腹が満たされていたら食べることはせず散らかすだけ散らかして遊ぶ』

『え……』

『アジュールは基本的にそういう属の魔獣であろう?』


 そう言われると頷くしかない。あれが本来彼の姿ならばそのままが正しいんだろう。

 けれど一緒にいる以上せめて自分の前ではあんまりそんな事をして欲しくないというのがコスモスの正直な思いだ。

 生死をかけた戦いでそんな事を言ってる余裕なんてないだろうと怒られるのはもっともだが、食欲は確実に減退してしまう。

 吐かないだけいいが、視覚と聴覚からの生々しい攻撃は彼女の精神を減らすのには充分だった。

 アジュールとしてはエステルが言ったようにそれを制限されるのが非常に不満な様子で、だったら近づかなければいいだけだと納得した様子だ。

 思うがまま暴れたいのならば、自分の事など気にせずに暴れればいいのにとコスモスは思うがそれがいけないらしい。

 エステルが言うには主従関係をはっきりさせなければ、食い殺されるぞと軽く脅されている。

 それは分かっているつもりだが、上手いこと制御できるような気がしない。

 コスモスにしたら、アジュールは適度に可愛がる事ができるペットであり頼りになる番犬のようなものだ。

 逆らう気はない、隷属していると告げるアジュールだが、コスモスにとっては未だにお願いして戦ってもらっていると思っている。

 その考え方のズレが面白いので見ていて楽しい、とエステルは満足そうにしている獣を見つめる。

 纏っているオーラはどこからどう見ても禍々しくて、エステルにとっても忌避すべきものなのに彼はコスモスに忠実だ。

 自分より力が弱い彼女に付き従い、逆らうことは一切無く彼女に害を与える者だと判断したならば敵味方容赦なく襲い掛かるだろう。

 彼はコスモスさえ無事であればそれでいいのだ。それ以外の敵も味方も彼にとっては重要ではないのだろうと思えば、益々面白い。

 コスモスはただ食べ散らかしているだけと思っているようだが、魔力が蓄積される臓物を真っ先に食らっているあたり普通の獣ではないとエステルは見ていた。

 散らかして遊んでいるように見えるが、それはどんなダメージを与えればいいのかと探っているようでもある。

 考えすぎか、と小さく息を吐いたエステルは不思議な魔獣についての好奇心に一度しっかり検査してみたいと思うのだった。

「とりあえず水場が見つかるまでは、離れていよう。どのみち私が先頭を行く。マスターは適度な距離でついてくるといい」

「ついて来るって、それはいいけど行くあてあるの?」

「いや、適当だ」

「……鼻が」

「利かん」

 途中まで言いかけた言葉をあっさりと否定されてコスモスは溜息をつく。

 前足で顔を洗い、軽くグルーミングをしたアジュールは見た目は綺麗になったが血生臭い匂いは消えない。

 自分でも「少し遊び過ぎたか」と反省しているあたり、やりすぎたという自覚はあるんだろう。

「え、じゃあどこに?」

「ここがどこなのか、マスターは分かるか?」

「えーと、レサンタ?」

「またざっくりとした答えだな。近いがちょっと違う」

 周囲を見回して眉を寄せながらコスモスが答えると、アジュールは呆れたように歩き出す。ゆらりと揺れる尻尾を見ながら慌ててついて行くコスモスは、小さく唸って「フェノール?」と尋ねてみた。

 ちらり、と振り返ったアジュールが赤目を少し細めて口の端を上げる。

 どうやら正解したみたいだと安心したコスモスは「ん?」と首を傾げた。

「どうしてここがフェノールだって分かるの? 今の景色と全然違うのに」

「確かに、今の景色からは全く想像がつかぬな。エステル様に聞いてみるのが一番だと思うぞ?」

「とか言ってますけど」

 頭の中に声は響かずコスモスは不思議に思いながらも、エステルの名前を呼ぶ。不機嫌そうに鼻を鳴らす音が聞えて、地雷でも踏んだかと身構えたコスモスに大きな溜息が聞えた。


『今の景色ではないとしても、これは宿主の記憶を反映させているだけにすぎぬ。どちらにせよ、まがい物だ』

『何もそんな言い方しなくとも』

『コスモス、お主のやるべき事は何だ? さっさと巣食う敵を排除してレサンタを侵食しようとする影を払う事であろう?』


 確かにそれはエステルの言う通りなのだが、いつもより冷たくて厳しい口調にコスモスも戸惑いを隠せない。触れてはいけなかったことなんだろうなと思いながらコスモスは「すみません」と小さく返す。

 意気消沈したような主の言葉に耳を動かし振り向いたのはアジュール。

 がっくりと肩を落として唇を尖らせるコスモスを見つめた彼は、苦笑してエステルに話しかけた。

「エステル様ともあろう方が、その程度で余裕を無くすとは珍しい」

 面白いものを見つけたとばかりに、主の様子から状況を察したアジュールが笑う。


『調子に乗るなよ、畜生が』

『機嫌を損ねたならば私がいくらでも謝りますから、少し落ち着いてください。もう何も聞きませんから』


 地を這うような低い声で脅すエステルの声を聞くのは初めてだ。怒っても彼女はここまで声を荒げ殺気を放つことは無い。

 頭の中でしか響かない声だというのに、コスモスは頭がくらくらとして気分が悪くなる。

 元はと言えば自分がアジュールに質問したのがいけなかったのかと、か細い声で宥めるように告げたコスモスに流石の従者も異変を感じ取ったらしい。

 すぐさま駆け寄ってきて、ふらふらとバランスを崩しながら浮遊する人魂を心配そうに見つめていた。

「すまない、マスター。まさかマスターにそこまで負担がかかるとは思わず……。エステル様、悪いのは私だ。私はどうなっても構わぬからどうかマスターだけは解放してほしい」

 禍々しい気を纏った魔獣らしからぬ言動。

 だかこれがアジュールであり、そこがコスモスの気に入っている部分でもある。


『いや、私もつい取り乱してしまった。すまぬコスモス』

『あ……はい』


「大丈夫だって、さ……アジュール」

 ピリピリとした雰囲気がすぐに柔和な物へと変化して、いつものエステルの声が響く。どっと疲労感に襲われて深い溜息をついたコスモスは地面に崩れ落ちそうになった体を無理矢理持ち上げて、腹に力を入れた。

 頭を軽く左右に振って心配するアジュールに笑う。


『ん?』

『すまぬ。一時的にお主を私の支配下に押さえ込もうとしていたようだ。すぐに解いたから体も軽いと思うが、どうだ?』

『あ、はい。大丈夫です』


 ふう、と息を吐いて数回深呼吸をしていると随分と体が軽くなった。

 酷い圧迫感を受けて地にめり込むのではないかと思っていたのが嘘のようだとコスモスは笑う。

 先ほどとは違う主の様子に、どうやらエステルの機嫌が戻ったと理解したらしいアジュールはいつもより離れた位置で座って申し訳無さそうに項垂れていた。

 耳を伏せて、ちらりちらりと窺うようにコスモスを見る。

「怒ってないよ、アジュール。図星だったから、ちょっと機嫌損ねちゃっただけみたい」

「そうか? しかし……私が調子に乗らなかったら」

 それはあるかもしれないが、あの状況でこうなる流れはきっとエステルには予想できたはずだ。

 ならば不機嫌になるような事を言われると分かっていたような気もすると、コスモスは心の中で溜息をついた。


『……コスモス、お主も結構言うのぅ』

『どちらにせよここが昔のフェノールである以上、避けては通れぬ道ならば嫌でも向き合うしかないですよ』


 アジュールとエステルの言葉と反応からこの場が昔のフェノールだというのは確定されたようなものだ。

 緑豊かで色々な建物が並ぶ街並みは、その領土のほとんどが砂漠という今のフェノールとは思えない。

 この大地が広大な砂漠地帯になってしまうのか、と衝撃を受けながら偉そうな事を言ったなとコスモスは自嘲した。


『でも、嫌なら事前にそうならないように回避させてくださいね。私は分かりませんから』

『んむぅ……』

『王妃が幼少時をフェノールで過ごされたなら、フェノールの光景が出てくるのも仕方がないでしょう? それに、分かっていたことじゃないんですか?』

『それはそうだが』

『私の目的は王妃様に巣食うものを倒すことですし、寄り道しようなんて思っていませんよ』


 そんな余裕があるなら、アジュールと一緒に敵を倒すのを楽しんでやっていることだろう。それこそ、いつまでやっているんだとエステルに怒られるくらいに。

 そう一人頷きながらコスモスは溜息をつく。

 感じるエステルの気配はだいぶ落ち着いており、多少の軽口なら叩ける範囲までに戻ってきている。

 それを裏付けるかのように、コスモスが淡々と告げる言葉にもエステルは怒った素振りを見せない。

 コスモスはエステルに言われたように自分がすべき事を口にすると、その他は興味が無いと言わんばかりの態度でゆっくりと歩き始めた。

 それを見たアジュールが慌てて背を向けて先頭を行く。

 今後、エステルにフェノールの事について色々語られそうな時は全力でお帰り願おうと思い頷けば「それはそれで聞き捨てならん!」と告げるエステル。

 面倒だとばかりに無視しながらアジュールと会話をするコスモスの頭の中では、無視をするなと叫ぶエステルの声が響いていた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ