91 スローイング
結局何をしにきたのかも判らず無駄な時間を過ごしたのか、と思ったコスモスは陽炎へ視線をやってから慌ててその考えを否定した。
大精霊様は悪くないと何度も心の中で繰り返した彼女は、上手く利用された事に対しての怒りをトシュテンへぶつける。
とは言っても何をするでもなく、ただ殺気をこめて見つめるだけなのだが。
当のトシュテンは気付いているはずなのに表情を崩す事無く真っ直ぐに前を見つめていた。
その眉すらピクリとも動かぬ様子は見ていて腹が立つ。
(さっきは余裕なくしていたって言うのに、またいつものあのお顔だものね)
大精霊を知らなかったコスモスに対しても酷く驚愕していたのだが、それはカウントされないらしい。
不満そうに鼻を鳴らした彼女を陽炎こと火の大精霊は楽しそうに見つめてその身を揺らした。
それ自体が本体なのかさえ分からない揺らめきが大きくなり、近くにいたイグニスが驚いたように飛び退く。
そのまま素早くコスモスの元に戻った彼は「食べられてしまうの嫌なのです」と震える声で呟いた。
『食べはせぬ。食べるとするならば、ほれ……そっちの小娘の方が美味しそうだ』
「いえ、私に食べる箇所などありませんし、害にしかならないと思いますので」
『そうかのぅ?』
「ええ。それに、エステル様が怒るかと」
現在コスモスはエステルの代理をしている。
それが急に消えたとなれば流石のエステルも怒って祠から出てきてしまうかもしれない。
そうなるのはコスモスがエステルにそれだけ大切に思われているというのが前提になるのだが、コスモスはそうだったらいいなと思いながら落ち着いた声色で対応していた。
エステルが祠から出るとなると、余程の事がない限りは無理そうなのは判っている。
自分が大精霊に食べられてしまっても、動くかと聞かれれば首を傾げてしまうだろう。
そう考えながらもコスモスは本心を出さずに真っ直ぐ大精霊を見つめた。
『それは怖いのう』
威圧するでもない深味のある声が辺りに反響し、コスモスは本心を悟られないよう気をつけながら静かに息を吐いた。
(怖いというわりには、楽しそうですけど)
『いらぬ客が来たと思っておったが、懐かしい顔も見れた。何も知らぬお嬢ちゃんを利用するとは、相変わらずだなお前も』
「何のことでしょうか。私はただ、エステル様の代理をしておられる御息女の為を思っているだけですよ」
しれっとした顔でそうは言うものの、コスモスだって馬鹿ではない。
大精霊とトシュテンの会話から彼らの間に何かがあるのは分かっている。そして大精霊と会う為に自分を利用したのだとも何となく理解していた。
機嫌をとらせて大精霊に何をして欲しかったのかと考えながら、恐ろしい人物だとコスモスはトシュテンに対する情報を書き換えた。
胡散臭い程度にしか思っていなかったが、手段の為なら目的を選ばないところがありそうな気がしたのだ。
教会の上司であるマザーの娘のコスモスを安易に利用しようとしていたという事実から、底知れぬ恐怖のようなものを感じて彼女はぶるりと体を震わせる。
穏やかで胡散臭い笑みばかりに気を取られて、油断していたのがいけない。
何かあればエステルが警告してくれるだろうと思っていた自分が悪かったと反省していれば、顔を上げたアジュールが口角を上げる。
万が一、何かあった場合は自分が八つ裂きにするから心配するなとでも言わんばかりだ。
通常なら窘めるところだが、今回ばかりはそれを頼りにするしかないとコスモスは珍しく彼に笑顔で返す。
アジュールとしてもその反応は予想外だったのか、ピンと耳を立てた後で嬉しそうに尻尾を揺らした。
(オールソン氏は引き続き警戒しておくとして、用が無いならさっさと帰った方がいいと思うんだけどなぁ)
もしかしたら城では忙しさに一段落ついたかもしれない。
トシュテンがコスモスを連れて村に行くというのを告げてあるとは言っていたが、この状況でそれも信用しがたい。
一度疑問を抱き、相手に不信感を持ってしまうとそれを拭うのは中々難しかった。
じっ、とコスモスが胡散臭い顔をして見つめていたせいで彼がその視線に気づいたのか不思議そうに首を傾げて彼女の名前を口にする。
「如何しましたか? コスモス様」
「……ちゃんと、城の人に外出してくると言ったんですよね」
許可を取ってあるという事は、外出すると告げたという事だ。
しかし、その場にいたわけではないコスモスは、彼の言葉を信じる他なかった。
彼女と会話ができる限られた人物は近くにおらず、それをアジュールたちに代弁してもらうとしても面倒な事になりそうだったからと放ってしまった自分も悪い。
胡散臭かったが、得たかった情報が少しでも掴めると思った自分を思い返しコスモスは顔を引き攣らせた。
(何だろう、この完全な自業自得感は。用心を怠った私のせいなら責められないなー)
『ブワッハッハッハ!!』
コスモスの言葉に大きく目を見開いて驚いた顔をするトシュテンが口を開くよりも早く、辺りに割れんばかりの笑い声が響き渡る。
轟々と鳴る音にコスモスの周辺にいた精霊たちは小刻みに体を震わせていた。
怯えているのかと思ったが、どうやら驚いているらしい。
コスモスの傍で伏せていたアジュールも警戒態勢を取ったが、害が無いのを知ると再び伏せをして尻尾をゆっくり動かしていた。
『幻惑魔法が効かぬ上に信頼まで失うとは……ブハッ、ハハハハハ! 面白い、実に面白い!』
「えっと……」
「……コホン」
どうやらコスモスの発言は大精霊のツボにはまったらしく、ゼイゼイと荒い呼吸をしながら彼は未だに笑い続けている。真似をするようにイグニスが低い声で笑えば、それに続いて他の精霊たちも鳴き始めた。
精霊たちの合唱か、と思いながらコスモスは何度も咳払いをするトシュテンに視線を移す。
彼は珍しく困った様子でこめかみに手を当てて深い溜息をついていた。
「あの……当然だと思うのよ? 分かってると思いますけど」
「ええ、分かってはいますがまさかそんなに直接尋ねられるとは思っていなかったもので」
「そうですか? 普通に質問しただけで、他意はないですけどね」
それは嘘だ。
心の中では思い切りトシュテンを疑っているコスモスだったが、彼女だって馬鹿ではない。それを素直に告げず、世間知らずで少々間の抜けた箱入り娘の振りをしていた。
(だいぶボロは出てるし、簡単に見抜かれてるような気もするけど……ま、いっか)
彼に嫌われる事で困る事は大してない。
仮に彼がコスモスの通訳を下りると言っても、他を探せばいいだけだからだ。
グレンやライツが忙しいなら、直接出迎えてくれた代表に接触して会話をしてもいい。
寧ろ最初からそうするのが良かったんじゃないかと思いながら、コスモスは元気に飛び跳ねる風の精霊をむんずと掴み軽くトシュテンに投げた。
精霊を乱暴に扱うなと咎める声はここには響いてこない。
投げられた風の精霊は一瞬驚いたものの、楽しそうに声を上げながらトシュテンの腹部に体当たりをした。
途中で加速したのは私のせいじゃないと思いながら、コスモスは避ける事無く衝撃を受け止めたトシュテンに目を見張る。
「それで……気が済むのでしたら、どうぞいくらでも」
「いや、結構です」
にっこりと笑顔を浮かべながらそう告げてくるトシュテンに、忘れたい人物が薄っすらと重なったような気がしてコスモスは震えた。
彼女の周囲にいた精霊たちは、自分も投げてくれと言うように一斉に鳴き始める。
ミストラルにいた時のように思わず手が出てしまったと自分の行動を反省したコスモスだったが、投げられた精霊はトシュテンの傍で嬉しそうに大きく体を揺らしていた。
『その程度で済むのなら、安いものだろうてなぁ』
「そうですか?」
『お嬢ちゃん、なぁに遠慮する事は無い。思いの丈を力に込めてぶつけてやれ』
煽るような事を言う大精霊に、この存在は好戦的なのだろうかと思いつつコスモスはゆっくりと首を横に振る。
トシュテンを痛めつけてすっきりするならいいが、そんな事にはならないだろう。
それに大精霊の言葉も気になる。
(その程度で済まないような事なの? あ、嫌だ嫌だ。オールソン氏の事は深入りしない事にしよう。そうしよう)
これ以上厄介事を増やして堪るかとばかりにコスモスは小刻みに首を横に振ると、気分を変えるように深呼吸をした。
腹式呼吸を意識して何度も繰り返していると、少しだけ気分が落ち着き頭がすっきりしたような気がする。
ぽかぽか、と体の内から熱くなってきた彼女は満足そうに笑みを浮かべて大きく頷いた。
そんな様子を見ていたトシュテンは僅かに眉を上げて苦笑する。
「何か?」
「いえ。本当に御息女は変わったお方ですね」
「……どうもありがとう」
褒められていないのは分かるが食って掛かるようなことはしない。とびきりの笑顔と優しい声色でそう返したコスモスにトシュテンは口元に手を当てて笑いを噛み殺していた。
何が面白いのかは知らないが、その余裕の態度には感心してしまう。
自分の立場が分かっていない訳ではないだろうから、神経が図太いのかコスモスなど赤子のようなものだと考えているのか。
どちらにしても、自分に害が無いなら放っておこうと決めたコスモスは溜息をついて投げてくれと纏わりついてくる精霊たちを掻き分けていた。
(あんまりしつこいと、本当に投げてしまうわよ。思い切り!)
心の中で強く叫ぶと、聞こえていたのかそれとも察したのかピタリと一様に動きを止めた精霊たちが大きく騒ぐように鳴き始める。
我先にとコスモスの顔にめり込むように集中して押し寄せる精霊たちをイグニスが窘めるも退く気配は無い。
台座の上で揺らめく大精霊は楽しそうにその様子を見ながら、精霊たちを煽るような発言を繰り返していた。
『もっとやれば良い! ほれほれ、強くアピールせんとやってもらえぬぞ?』
「ちょ、あ……ふがっ、んぐ……煽るの、やめてもらえませ……むぐ、かね」
これ以上しつこくされると、振り払う前にアジュールが攻撃するかイグニスが燃やしてしまうと思ったコスモスは手当たり次第に精霊を投げ始めた。
彼らのお望み通り、遠慮なく魔法を行使しながら投げられてゆく精霊たち。
「はぁ、はぁ……疲れた」
「見事な、投げっぷりですね」
「見てないで止めてくれてもいいんですけど!」
「いえいえ、スキンシップを邪魔してはいけませんから」
(この男、精霊ぶつけたこと根に持ってる? いや、それとも信用してないの分かって怒ってる?)
パチパチと手を叩きながら柔和な笑みを浮かべて穏やかに告げてくるトシュテン。
胡散臭さ選手権というものがあったら殿堂入りだろうと思いながら、コスモスは呼吸を整え彼を軽く睨んだ。
そんな視線に動じる事も無く彼は笑顔を浮かべたまま広い空間のあちこちに飛ばされた精霊たちに目を移す。
飛んでいった精霊から「もう一回!」と戻ってきてしまうので、ループになりそうだったが途中から陽炎目掛けて投げ始めると彼らは大人しくなった。
集中してそこに投げていると大精霊の機嫌を損ねそうなので、違う場所に投げながら上手く誤魔化す。
「そっかぁ、それじゃあオールソン氏ともスキンシップ深めてみようかなぁ」
「ははははは、またまたご冗談を」
「いやいやいや、遠慮せずに」
スキンシップという名目でトシュテンを思い切り投げられるならば、投げる方向は決まっているとコスモスは珍しくやる気に燃えていた。
何度も繰り返し精霊たちを投げていた事で、火がついてしまったのかもしれない。
(投げるんだったら、絶対に大精霊様のところ。思い切りぶつけたとしても多分、大精霊様は怒らない。怒ったらその時はその時だわ)
アジュールは楽しそうに二人のやり取りを眺め、イグニスは少し離れた所で火花を散らす両者をハラハラしながら見つめていた。
じりじり、と近づくコスモスにトシュテンの顔から余裕が消え始める。
大きく両肩を回して軽く腕を振るって見せた彼女に、トシュテンは困ったように笑いながら後退りをした。




