89 落ち度
先程から困ったようにトシュテンは黙っている。
助けを求めるような視線を向けられたコスモスは、眉を寄せて首を左右に振った。
彼がどうにもならなかった相手が、自分如きにどうにかできるものかと。
期待を込めた目で見つめられたが頑なにコスモスが首を横に振るのを見て、トシュテンは溜息をついた。
もっとも、彼には人型には見えていないので人魂が横に震動しているようにしか映らないのだが。
(面倒な事を私に押し付けるのは間違いだと思うのよね。いくらマザーの娘だからって)
そんなものは飾りでしかない、と心の中で叫ぶように言えばエステルが苦笑する。
『トシュテンは何をする為にここに来たのであろうな』
『さあ。助けてくれないんですか? エステル様』
『不用意な介入はせぬ事にしておる』
大人ってずるいよね、と呟きそうになったコスモスは脱力したように肩を落とし息を吐いた。
揺らめく陽炎を見つめながらふと彼女は気になった。
「すみません。迷惑を承知で質問してもいいでしょうか」
『何だ?』
張り詰めた空気を少しでも和らげる為に問いかけた彼女の声は、思いのほか響き渡る。そんなに大きな声を出したわけでもないのにと声を潜めるコスモスに陽炎は笑うように大きく揺れた。
「貴方が、その……村を?」
『ああ、そうだ』
何と聞いていいのか言葉を探しているとあっさり肯定されてしまう。
威圧するような響きはなく、穏やかな受け答えに安心したコスモスはどうやってあの村を襲ったのかと疑問に思っていた事を尋ねた。
『正確には私ではなく、ここに住む魔物が、だがな』
「魔物が……」
「ええ。報告でもそうでしたね。一瞬で包囲された後に暴れ始めた、と。教会の損壊が少なかったのは助かりましたけど」
『それはそうだ。人のいないところを狙えと言ったからな』
わざわざ村を襲わせた挙句、人がいないところを狙わせる意味が判らない。
食料が目当てだったというわけでもなさそうだ。
メランがやった事に対して恨みを抱いているのなら、人を狙うと思うのだがとコスモスは首を傾げる。
人間により、生息地が荒らされた挙句に仲間が無残に殺された。
ならば同じ目に遭わせてやろうと思うのは知能が高いものだけの行動なのだろうか。
「人が憎いのではないんですか?」
『まぁ、知能が高くない奴らは皆殺しだの言っておったが。あれは、警告だからな。傷つける必要はなかった』
「警告?」
『ああ。王家から監視を任されている村の手落ちを、な』
という事はやはり村人に対しても怒っているのだとコスモスは視線を落とした。
確かに、プリニー村は廃鉱山を監視する役目を負っていたとは聞いたが、あくまで監視だ。近づく不審者を見つけしかるべき場所へ報告し、それ以上の事はしない。
『あの男を自ら内へと入れただろう?』
「でもそれは……」
言いかけてコスモスは口を閉ざす。
実際に現場にいなかった自分が言うべき事ではないと彼女はトシュテンに視線を向けた。
彼は前を向いて陽炎を見つめたまま僅かに目を細める。
「そうですね。それは全て村の落ち度です」
『そうだな。お前は知っていて招いた』
「教会は全ての者に、その扉を開いておりますから」
まるで全てを見ていたかのような口ぶりに驚いていると、風の精霊がコスモスの頬に擦り寄った。ミストラルにいる精霊たちを思い出していれば、火の精霊が風の精霊を押し出して肩に乗ってくる。
(あ、暑い)
こんな場所で押し合いをしないで、と小声で注意するコスモスを他所に精霊たちは互いに鳴きながら揉め始めた。
呆れた様子でそれを見上げていたアジュールが一声鳴けば、シンと静まり返る。
赤い瞳で見つめられた精霊たちは、ぶるぶると震えながらコスモスの影に身を隠した。
『あぁ、知っている。しかし、お前ならそれを防げたはずだが何故できなかった?』
「……っ」
「え、防げたの?」
緊張する二人のやり取りに思わず口を挟んでしまったコスモスは、慌てて口元に手を当てる。深い溜息をついたトシュテンの眉間には皺が刻まれ、頭の中でエステルの抑えた笑い声が聞こえた。
「村を……消し飛ばせとおっしゃるのですか?」
「え!?」
『確かに犠牲はあるが、生かした場合よりはマシなはずだ』
「教会に所属する私に? 正義の名の下に一つの村を消せと」
自分が想像していたよりも随分と大事になっているような気がして、コスモスは助けを求めるようにアジュールを見下ろす。
彼は変わらない表情で主と視線を交わすと仕方が無さそうに口を開いた。
「無理だな。お前はどうにもこの男を買い被っているようだが、実力から言ってもこの男にあの村を吹き飛ばせるだけの力は無い」
『知っておる』
「なっ!」
トシュテンが丁寧な口調で接しているにも関わらず、アジュールは相変わらず尊大だ。
機嫌を損ねないだろうかと陽炎の様子を窺っていたコスモスは、声色からそう怒っていない事を感じてホッとした。
陽炎の言葉に顔色を変えたのはトシュテンだ。
いつも余裕がありそうな彼がこれほど動揺するのは難しいと眺めていれば、彼は自嘲するように笑った。
「ご存知ならば、何故そんな事をおっしゃったのですか?」
『お前の覚悟を知っておきたくてな。あの村に滞在していた意味は本来とは違うものであったのだろう?』
「……」
『だんまりとは面白くないな。そこの娘も不安がっておろうに』
(え? 私!?)
蚊帳の外とばかりに眺めているばかりだったコスモスは、急に話を振られて驚く。
きょろきょろと見回す彼女の姿に陽炎は笑い、大きく揺れた。
『まぁ、良い。それは関係ない事だからな』
「ええ」
『そう怖い顔をするな。仕方なかろう、ここにただいるのは退屈で他にする事も無いのだから』
鋭い目つきになったトシュテンに苦笑しながら陽炎は答える。
なにやら二人だけに分かる会話をしているらしく、コスモスもアジュールもさっぱり分からない。
揃って首を傾げながら、周囲を漂う精霊を撫でた彼女は嬉しそうに鳴く声を聞いて笑みを浮かべた。
精霊と触れ合っている時が癒されるとばかりに逃避しかけた彼女を陽炎が呼んだ。
「何か?」
『お主が連れておったあの精霊はどこへ行った?』
「あ、あぁ。イグニスなら多分村だと思います。村に残っていた精霊たちの様子が気になったみたいで」
『随分と怯えておったからな』
怯えてとどまるくらいならば、別の場所へ移動すればいいとコスモスは思う。それともそうできない事情があるのだろうかと考えていれば寂しそうなエステルの声が聞こえた。
『村人たちが好きで、いつ戻ってきてもいいようにあそこから動かぬのかもしれぬな』
『あ、そういう事もあるんですか?』
『あぁ。基本精霊は悪戯好きで人を好くものが多い。あの村は見えるものこそおらぬが、精霊の加護に感謝して実直に過ごしていた者が多かったからな。精霊たちも気にいっていたのだろう』
そう言われると何となく分かる気がしたコスモスは、村の隅や影に隠れるようにしていた精霊たちの姿を思い出して胸元に手を当てた。
制限解除されていない村は酷い有様で、元の村に戻るにも時間がかかるだろう。
第一、いつその解除がされるのかさえ判らない状態だ。
いざ解除がなされても、他の土地に落ち着いてしまう人もいるだろう。そう考えると、放棄するというのが一番有り得そうだとコスモスは視線を落とした。
(ロッカのお母さん、村長さんだけど戻る気になるかなぁ)
娘があんな目にあってまだ落ち着いたとは言えない状況で、すぐに村の復興に向けて行動を起こすとは思えない。
確かに彼女は村長だが、その前に一人娘を大切に思う普通の母親だ。
ロッカ母子の姿を思い出したコスモスは、久しく感じていなかった本当のホームシックに駆られた。
成人して一人暮らしをするようになって遠ざかっていた実家。
週末に帰る事はあっても、やはり一緒に暮らしていないというのは大きい。
(母さんの煮物食べたいな。あの味出すの難しいんだよね)
作り方を聞いて、その通りに作っているはずなのにどうしてか母親の味が出ない。何も間違えていないはずなのに出来上がりが違うというのが不思議だと、この世界に来る前に挑戦していた山菜の煮物を思い出してコスモスは苦笑した。
ふわふわ、と漂う精霊たちが彼女の心情を察してか心配そうに鳴く。
『最上位精霊、か。この辺りでもおらぬというのに……残念だな』
「そう、みたいですね。ちょっと意外です」
『意外かの?』
「はい。寧ろ、こういう場所に多いかと思いました」
強い魔物が生息し、最深部にはボスが待ち構えていそうな雰囲気のダンジョンとなれば当然高位の精霊も存在していそうな感じだ。
だが、廃鉱山に入ってから目にするのは良くて上位精霊止まりだった。
最上位が普通に存在していたエステルのいる祠が異常なのだろうかと考えると、頭の中で叱るような声が響く。
『異常とはなんだ、異常とは。特別、なのだ』
『すみません。結構見かけたので』
『だから、特別なのだ』
『……はい』
えっへん、と胸を張っているエステルが容易に想像できるようでコスモスは大人しく頷いた。
悪い意味で言ったでないにしろ、それを説明した所で彼女が納得するはずがないと思ったからだ。
『珍しい魔獣まで連れて、面白い娘よの』
「はぁ、どうも」
(ただの人魂なんですが)
トシュテンの手前、そうも言えずコスモスは心の中でそう付け足す。
それを読んだのかのように陽炎は楽しそうに笑い、細かく揺れた。
その様子を黙って見つめているトシュテンの表情が先程から変化が見られないのが気にかかる。
いつも見るような胡散臭い顔なのだが、仮面が貼り付けられたようにも見えた。
(まさか、試されてる? 本当にマザーの娘なのかどうなのか、試されてるの?)
『ふむ。どうやらお主の精霊が入り口に来ておるようだな』
「あ、そうですか」
という事はもういいのだろうかとコスモスは振り返って来た道を見つめる。今すぐ戻るつもりはないが、その様子が少し気にかかった。
『ここまで呼ぶとするか?』
「え、それなら迎えに行って来ますよ」
『その必要はない』
そんなに火の最上位精霊を見たいのだろうかと思いながらコスモスが移動しようとすると、それを低い声が制する。
動きを止めたコスモスが不思議そうに首を傾げていると、彼女たちと台座の間に小さな光が生まれた。
「え?」
大きく瞬きをしながらそれを見つめるコスモスに対し、アジュールとトシュテンは咄嗟に身構える。
一瞬眩く光ったそれが落ち着いた場所に、フワフワと一体の精霊が浮かんでいた。
中央部が淡い橙色に染まる精霊。
「ラーラララ~ラルラ~」
「イグニス?」
上機嫌で美声を響かせているイグニスは、コスモスの呼びかけに歌を止めて嬉しそうに鳴いた。




