87 もったいない
彼はどこから来たのか。どこへ向かおうとしているのか。
目的がさっぱり分からないのだと両手を挙げて告げるトシュテンに、コスモスは黙ったまま考える。
(ロッカの精神世界でメランを見たとき、異世界人だって気づいたのは私とエステル様。アジュールは、気づいてても言わないだろうし……)
ライツが気づいた様子は全く無かった。
直接接触しただろうトシュテンの口からもメランが異世界人であるという話は聞いていない。
「彼の行方は教会も全力で監視していますから」
「居場所が判るならば、早く捕縛してしまえばいいだろうに」
何故しないのだ、と責めるようなアジュールの口調にトシュテンの表情が一瞬変わった。目が冷たく光ったのを見逃さなかったコスモスは不思議そうに首を傾げる。
「強すぎて、無理とか言わないですよね?」
手も足も出なかった事を思い出してコスモスが苦虫を噛み潰したような顔をしていれば、トシュテンは小さく笑って「その通りですよ」と答えた。
彼らしくもない言葉だったのか、アジュールが意外そうに眉を寄せる。
「何度か試したのですがね、まるでお話になりませんでした。腹が立つほど彼は強く、そして強欲だ」
「強欲?」
強いというのは身をもって知っているコスモスだったが、それと強欲という言葉がどうにも結びつかない。確かにミストラルで会ったメランと思われる人物は、ロッカの精神世界で見た彼とはそっくりなだけの別人のようではあったがオーラは一緒だった。
オーラはそう簡単に変える事ができないとエステルが教えてくれたので、それを考えると同一人物ということになる。
ミストラルでの事件も知っているらしいトシュテンが否定しなかった事からもそれが窺えた。
「ご存知ないのですか?」
「え、何? そう言われるとすごく嫌な予感がするんだけど」
わざと言っているようには聞こえないので不安になる。自分に関連する事なのかと近づいてくるコスモスに、驚いた表情をしたトシュテンは視線を逸らし目を細めた。
言わない事にしようか悩んでいる様子を見つめていたコスモスは、焦れて足を踏み鳴らす。
実体が無いというのにタンタンという音が響いた。
『ミストラルで、ソフィーアが襲撃された。とは言っても大事はないが』
「はあああああ!?」
突如叫び声を上げたコスモスに、何事かとアジュールは顔を上げた。その声に気づいたトシュテンも視線を彼女へと向ける。
「エステル様、ですか?」
「それよりどうなの? 無事なの? 大丈夫なの?」
マザーがいるから大丈夫だとは思いたいがソフィーアの事が心配で、すぐにでも飛んで行きたい気持ちになる。
けれどもここからミストラルまでどうやって移動すればいいのか分からず、コスモスはその場でウロウロし始めた。
落ち着かない彼女にトシュテンが説明してくれる。
「結論から言いますと、ご無事ですのでご安心を。マザーもおりますからね」
「ですよね? マザーいるから大丈夫よね」
「死者は出なかったようですが、ソフィーア姫を護る為に負傷した人物はいたようですね」
「負傷……」
運よくその日ソフィーアは兄のウルマスと共に教会を訪れ、マザーとお茶を楽しんでいたらしい。
そんな事を知らないメランが王都のヴレトブラッド家にやってきて、ソフィーアを呪いから解放できるのは自分だけだと売り込みに来たというのだ。
「胡散臭すぎる……」
「ええ。もう少し賢いやり方は無いのかと思ってしまいますがね。ここにいた時とは別人のようで、私も報告を受けたときには頭が痛くなりましたよ」
トシュテンがそう言うくらいなのだから、プリニー村で暮らしていた時は上手く本性を隠していたのだろう。
確かに何も知らない人があの光景を見れば何て好青年なんだろうと、好感しか抱かない。
暴走してしまうのは若さゆえで片付けるとしても、だ。
「しかも、呪いって」
「姫が病弱なのは呪われているからだ、と力説していたらしいですね」
「はぁ……」
メランが指す呪いが守護精霊を持てぬ事なのだとしたら、侮れない。
しかしそうなのかとトシュテンに聞くわけにもいかずコスモスが困っていると、頭の中で笑い声が響いた。
『お主が察した通りよ。あやつ、ソフィーアが守護精霊を持てぬのを知っておった』
『ええっ!』
『他言無用にするから、専属の魔法使いとして雇って欲しいと当主を脅すとは随分豪胆よのう』
それは豪胆という言葉で済まされる問題なのかと疑問に思うコスモスだったが、ころころと笑うエステルの様子に安心する。
トシュテンも無事だと言っていたので安心して聞けるはずなのだが、落ち着かない。
(その場に私がいたところで、あのザマじゃ勝てるわけもないだろうし)
とにかく無事だと二人が言うのだからそれを信じるしかないとコスモスは自分に言い聞かせる。
「結局、当主に軽くあしらわれて帰されたのですが、どうやら頭にきた様子で」
「で?」
「街中で上位攻撃魔法を展開させた挙句に、応戦した兵士や騎士を負傷させ『マザーは魔物使いだ! 悪魔の使いを飼っている!』とまた訳の判らない事を叫び始めましてね」
やるにしてもどうしてそうなった、とコスモスでさえ頭を抱えたくなるような光景だ。
力があるのなら、もっとスマートにやればいいものを子供が癇癪を起こしたようにそんな事をしてしまえば逆に危険人物扱いされるだろう。
それが判っていないのか、と大きく口を開けてヘッドバンキングし始めるコスモスにアジュールは顔を背けた。
「馬鹿なの? 阿呆なの? なんなの? せっかくあんだけ無駄な力があるのに、本当に無駄になってるじゃない!」
「マスター……」
「何でもうちょっと頭回らないの? 我慢できないのっ!」
「御息女……」
気が大きくなるのは分かる。しかし、自分の意見が通らないからと言って街中で上位魔法を繰り出すとはどういう神経をしてるんだとコスモスは心が痛くなった。
例え、自分と同じ世界からの召喚者ではないとしても、立場としては同じなのでまるで自分のように痛々しい。
『力が有りすぎるからではないかの。まともに応戦できる者がいなければ、世界を手中に収めたと錯覚するのも仕方ない』
『いやいやいや、仕方ないで済まされることじゃないですし』
『あの年頃は大抵そういうものだろう。世界が違えば縛られるものは然程ないからの。気分が高揚して抑えられぬのも仕方ないのだ』
『だからって、だからって……』
『まぁ、あそこまで暴挙に出るガキだとは私も思わなかったが』
方法さえ間違わなければもっと有用に使えたものを、と舌打ちをしたコスモスはアジュールとトシュテンの視線に気づいて慌てて笑みを浮かべる。
オホホホホと笑って誤魔化した彼女はその後どうなったのかとトシュテンを促した。
「あ、あぁ。ええと、教会に姫がいると聞いた彼はそちらに向かいましてね。まぁ、姫とご対面する前にマザーによって痛い目に遭わされたようですが」
「痛い目……姫と接触してないの?」
「恐らくは」
詳しい事までは判りませんので、と付け足すトシュテンに低く唸りながらもコスモスは撃退したと受け取っていいのだろうかと彼を見つめた。
「そのまま国外追放されたようですし、国内でもそれ以後は姿を見かけていないようですね。今のところは」
「そう。姫がまた自責の念に駆られるわね」
「あの娘はそういう傾向があるからな」
自分を狙いに来たのだと聞けばそのせいで負傷者が出た事に彼女は心を痛めるだろう。
どこにも自分の居場所は無いのではないかと最悪そこまで自分を追い込みそうな気もして、コスモスは溜息をついた。
ウルマスと一緒に教会に行ったという事は、彼がまだ妹に付き添っているという事でもある。まだ暫くそれが続くのだとしたら彼の存在ほど助かるものはない。
彼が傍にいる限りは大丈夫かと自分を納得させるように頷いたコスモスに、トシュテンが「そう言えば」と呟いた。
「ソフィーア姫の守護精霊による防御魔法は大したものだと“影”が言っていましたね」
「かげ?」
「暗部のようなものだ。メランを監視してる奴の事だろう」
「ほうほう」
「それにしても、簡単にそれを口にしてしまうお前もどうかと思うがな」
暗殺者部隊のようなものだろうか、とコスモスの頭に浮かんだのは毎週日曜日に登場するヒーローの姿だった。
(いやいや、あれはカラフル過ぎるから逆に目立つし。どっちかって言うと敵の方? あんな感じ?)
良くわからないが、と思いながらヒーローと敵対する黒系の衣装が多いキャラクターたちを思い浮かべる。
コスモスがそんな事を想像していると、エステルが興味深そうに声を上げた。どうやらコスモスが頭に思い浮かべた事を共有できるらしい。
困るじゃないかと慌てるコスモスを他所に、エステルはどういった人物でどんな組織なのかと聞いてくる。
「今更隠し事をしても仕方が無いと思ったまでですよ。それに、御息女の信頼を得る為には容易い事です」
「……」
「マスターはそんな事で簡単に信頼関係が築けるか、と言っている」
そんな事コスモスは一言も言っていないのだが、頭の中でエステルとの会話に集中している彼女には聞こえていない。
嘘だろうと分かっているはずのトシュテンも、否定はせずに静かに宙に浮く人魂を見つめていた。
「簡単には無理でしょうね。ですから、少しずつ積み重ねていければと思うのですよ」
「お前はレサンタ側との交渉によるマスターの代理だろう?」
「ええ。ですが、先程も申しましたが御息女はマザーの大事な愛娘ですので私としてもそのサポートをするのは当然の事かと」
毎週日曜日に現われるヒーローの事をざっくり説明し終えたコスモスは、フゥと息を吐く。
気づけばまた二人の様子が険悪で、何があったのかと彼女は眉を寄せた。
「オールソン氏、メランの事については? その後どうなったんですか?」
「それが、残念な事に行方が途絶えましてね」
「え? さっきは監視しているから大丈夫だって言ってたじゃないですか」
「ああ、失礼。監視していた、の間違いでした。 とにかく今はマザーに撃退された後の足取りを全力で探索していますが、どうなるやら」
その口ぶりからするに、メランがミストラルを襲撃してから結構日数が経っているという事になる。
自分が襲撃を受けてからどのくらいで彼は王都へ行ったのだろうと考えているコスモスに、トシュテンは笑った。
「気配は消えているとの事ですから、またソフィーア姫を狙って襲撃してくるという事はないでしょう」
「そうかもしれないけど……」
「防衛にも力を入れているようですし、何よりマザーがいらっしゃいますから」
トシュテンがマザーを口にする時の表情はとても優しく柔らかなものだ。心の底から彼女を尊敬しているのだろうというのが伝わって、コスモスは頷く。
マザーに対する思いに嘘はないならば信用していいのだろう。
胡散臭い印象は拭えないが、マザーに背くような真似はしないと感じられる。その娘である自分に害を為すということも、まずないだろうと彼女は小さく息を吐いた。
(マザーについて詳しいなら、私の方が胡散臭いだろうにそんな素振りは一切ないのよね。一応、警戒はしたままの方がいいのかな)
いざとなれば、頼もしい魔獣と精霊がいるのだがその二体をあっさり深い眠りにさせてしまったトシュテンは侮れない。
「黒い蝶の事も、そこで打ち止めか」
「残念ですが今のところでは、そうなるでしょうね」
「そっか」
落胆しているのは事実だが、黒い蝶に関してはもう一人気になる人物がいる。
儀式を襲撃し、ソフィーアとアレクシスを誘拐した賊の事だ。
両者を並べて見比べたわけではないので確かな事は言えないのだが、もう一度会えば何か分かるかもしれない。
しかし、そんな機会が果たしてくるのだろうかとコスモスは眉間を指で揉みながら息を吐いた。
(それにしても影が言ってたらしい守護精霊って、ケサランとパサランのことかな? あの二人にもソフィーの事はお願いしてたから)
可愛い美少女の為ならばと張り切って活躍しただろうケサランの姿が容易に浮かんで、コスモスは苦笑してしまった。




