85 嬉しくない救出劇
あれだけ活気溢れていた村も、こんな風になってしまうとは恐ろしい。
まるで何十年と放棄されているかのような状態になった理由を話し終えたトシュテンは、満足そうに笑みを浮かべながら各々の反応を窺う。
アジュールは表情を変えずにフンと鼻を鳴らし、イグニスは泣きそうな声でキュルと鳴く。
トシュテンが一番期待していたコスモスは無反応であった。
驚いた声を上げるかと思ったのだが、彼女は何の変化も見せずただ宙に浮かんでいる。アジュールの動きを見ればどうやら人型らしいというのも分かったのだが、残念ながらトシュテンにはただの人魂にしか見えなかった。
球体が纏う炎のようなオーラの色にも変化は見られず、自分の力が足りぬせいだろうかと彼は顎に手を当てて彼女に問いかける。
「大丈夫ですか? 御息女」
「ええ」
戸惑った響きではなく、声は淡々としていてつまらないと思ってしまった。
そんな自分に苦笑してトシュテンは変わり果てた村の姿を目に焼き付けるようにゆっくりと見回す。
『まるで襲撃後に、砂嵐でもあったかのようだな』
『盗賊の被害もありそうですよね。村人は全員近くの町に避難して、ここは立ち入り禁止ですし』
『あの旅人を介抱したばかりに、とは誰も想像しておらんだろう』
『知らない方がいい事も、ありますよ』
酷いとは思ったが同時にどうしようもないと思っていたコスモスは、エステルとの会話で自分が驚くほど冷静にこの光景を見ていることに気がついた。
トシュテンが自分を探るように見つめてきていたのは分かったが、彼が何を求めているのか分からない。
(私に何を期待しているのかしら)
「何も残ってはいないでしょうが、気になる場所があればご案内しますよ」
「……村長の家が見たいです」
「でしたら参りましょう」
一番気になっているのはメランの事だ。彼が一番多く居た場所に何かあればいいのだがとコスモスはトシュテンの案内に従って村の奥にある村長の家に向かった。
「随分と、涼しそうですね」
「そうですね。真っ先に狙われましたから」
精神世界で見たロッカの家は二階部分が大きく抉られ破壊されており、屋根が無い。家具はひっくり返ったりして壊れており、ベッドに積もった砂を払うと風に舞い上がってしまう。
「酷いな。これほどまでか」
「ええ。しかし、こんな状態でも死者が一人も出なかったという事が幸運でしたよ」
「お前がいたからだろう?」
「私など、あまりお役には立てませんでしたけどね。避難させるのが手一杯で」
僅かに眉を寄せたトシュテンを一瞥し、アジュールは鼻を動かして周囲を見回す。メランの部屋だった場所にはめぼしい物は何もなかった。
できれば何か残っていたら嬉しいなと思っていたのだが、やはりそう簡単にはいかないらしい。
それに制限解除がされていないという事は、もう既に立ち入られた後で検証もされつくしているのだろう。
「何もないの?」
「ええ、何もありませんでした」
「そう甘くないと言う事か」
「メランのその後の行方は?」
村長の家を後にしたコスモスたちは、比較的被害が小さい教会の中へと移動する。襲撃を受けた際も村人たちはしばらくここに避難していたらしい。
昼間だと言うのに暗い内部は冷たくて怖い印象を受ける。
コスモスが周囲を気にしながらゆっくりついてくるのを見て、安心させるように先を行くアジュールが微笑んだ。
「調査結果によりますと、フェノール周辺に向かいそれからエトナへと移動したようですね」
「その次が、ミストラルか。随分と飛んだな」
「間があるかもしれませんが、調査中との事ですから」
所々割れているステンドグラスからスポットライトのように光が差し込んでくる。目を細めてそれを見ていたコスモスは二人のやり取りを聞いて、イグニスがいないことに気がついた。
村の中にいる事は間違いないので、放っておいても問題ないだろうと彼女は視線を前に向ける。
『エステル様のところに来た、あの件ですね』
『あぁ。結界を壊そうと随分やってくれたものよ。お陰で私も無駄な力を使ってしまったわ』
『でも、ご無事で何よりでした』
『私はな。門番が二十体もいたぶられた恨みは忘れはせぬよ』
自分の力が及ばなかったのが悔しいのか、消失していった門番に対する哀れみとメランに対する怒りなのかはコスモスには分からない。
エステルは二十体の犠牲で済んだのならば良いほうだとあっさり告げていたが、心の中は煮え滾っているような気がした。
彼は一体何の為にそんな事をしたのか。そしてレサンタの王都に行って何をしでかしたのか。
本人に聞かなければ分からないが、大体ろくでもないことだろう。
「エトナに到着する前に亜人商人の荷馬車が襲われています。商人や護衛は即死、亜人たちは無事でしたね」
「え?」
聞きなれぬ単語に不思議な声を上げたコスモスの頭の中で、エステルが亜人の説明をしてくれる。
簡単に言えば人間以外の種族のことだ、と。
「それもヤツの仕業だと言うのか?」
「ええ。生き残った者の証言によれば」
平和ボケしている世界で産まれ育った身としたら顔を歪めてしまうような話だが、人権が、自由が、と声を大にして抗議できるほどコスモスはできた人間ではない。
しかし、メランもまた自分と同じような平和ボケした世界から来た人物だと仮定すれば正義感の強い彼の事だ。そうしてもおかしくないと容易に想像がついた。
(同情して、可哀想、か。でも、商人殺したって自由になれるわけじゃないでしょうね)
この世界の事情に詳しくないコスモスがトシュテンにそこのところを聞けば、大体の亜人が力仕事や使用人として売れているらしい。
「中には教養が高い存在や武芸の腕が立つ者もいますからね。そういう亜人は、通常より高値で取引されますよ。国や貴族によっては、そんな亜人を持っていることが一種のステイタスになっているところもあります」
「へぇ」
「御息女には縁の無い話かと」
「買おうと思ったら、誰でも買えるの?」
「いえ。しっかりとした身分証明と、資産証明ができなければ購入は無理でしょうね。勿論、即金でなければいけませんので購入できる者は限られています」
想像していたようなものとは違っていたのでコスモスは大きく瞬きを繰り返していた。それを察したアジュールが笑う。彼女の表情が分からないトシュテンは不思議そうに首を傾げていた。
「マスターが想像するようなものは、亜人ではなく誘拐された女、子供の成れの果てだろうな。山賊、盗賊、海賊が戦力や金銭に交換する為に攫うやつらだ。もちろん、その中には人間ではなく亜人もいる」
「あ、でもいるんだ」
「あぁ、そうですね。そういう方々を保護するのは教会の役目でもあります。基本的に教会はあらゆる人々に門戸を開いてますから老若男女種族関係なく受け入れていますよ」
「と言う事は、そういう人たちは教会に入るってこと?」
だとしたら相当な負担になるんじゃないか、と金銭的な事を考えてしまってコスモスは顔を顰めた。すぐにそんな事を考えてしまうのはどうなのだろう、と。
「ええ、そうなりますね。もちろん個々の意思を尊重しますが教会では衣食住も、教育も無償で受けられますからわざと自分の子供を捨てていく愚か者もいますよ」
「……教会って、大丈夫なの?」
「ご心配には及びません。偶に愚かな事をする輩もいますが、きちんと粛清しておりますので」
聞きたかったのはそういう事ではないのだが、と思いながらコスモスは曖昧に頷いた。それでもそうやって教会に保護され教育を受けられる者は少ないのだと言う。
全てがそうなるわけではなく、やはり途中で亡くなってしまったり自分を攫った賊と同じ道を辿る者も多いらしい。
ここまで来る道中でそういった人たちを見かけなかったコスモスは、もやもやとした気持ちを抱きながら小さい声で唸った。
「哀れんでおられるのですか?」
「ううん。ただの我儘よ。同情したところで何ができるわけでもないから、ね」
「腕が良ければ兵士や騎士の養子になる事もありますよ。貴族に気にいられて従者や護衛、教育係になった者もいますし」
「でも、全てが全て幸せだとは限らないでしょう?」
「それは彼らだけではありません。幸せは己の手で掴みとるものでもありますからね」
てっきり平等に降り注がれると大仰に言うとばかり思っていたコスモスは、口角を上げて笑うトシュテンに軽く目を見開いた。
意外だったのはアジュールも同じだったらしく、彼はフンと鼻で笑う。
「成長しない者に未来はありません。現状に満足するようでは生ける屍と同じ」
「……厳しい」
「御息女が理解できないのは仕方がありません」
「……」
「少しきつい物言いになってしまいましたね。御息女はそのままでよろしいと思いますよ」
馬鹿にされたと思って黙ってしまったと判断したトシュテンは、できるだけ優しい声でゆっくりとそう告げた。
そして彼は少し不満そうに唸る声を聞いて小さく笑う。
「教会で保護する者は色々おりますから、興味があるのなら後ほどじっくりお話いたしましょう」
「ありがとう。教育を受けられるってことは普通にお仕事したりできるの?」
「ええ。それでも保護した者の大半が教会の仕事につきますね。冒険者になって自分の腕一つで生きていく者も多いですよ」
生温い世界で生きて、それを享受してきた身としては想像もできない世界だろう。
トシュテンの言うように覚悟が違うのだとコスモスは思いながら笑みを深める彼に首を傾げた。
「話を戻しますが、亜人の件で面白い事が分かりまして」
「面白い?」
「ええ。一部の亜人の姿がありませんでした」
それはつまりメランが連れて行ったという事かと思ったコスモスだったが、ミストラルで出会った時には彼以外の姿は無かった事を思い出す。
「助けた亜人を連れ去ったか」
「……亜人がついて行ったってことは?」
「普通に考えるとメリットがありませんから、考えにくいのですが」
あっさりと切り捨てられてコスモスは苦い顔をする。
雰囲気でそれを察したのだろう、トシュテンは慰めるような視線を彼女に向けると顎に手を当てた。
「いなくなっていた亜人は、あの中でも高値で取引される存在でしたね。二名ほど、どちらも女です」
「それは他の亜人が証言したのか?」
「ええ。気づけば商人と護衛は皆殺しにされていて、返り血を浴びた青年に笑顔で『無事か?』と声をかけられたそうですから」
世界がここではなかったら、もしかしたらヒーローになれていたかもしれないその登場の仕方。
寧ろ、彼はそうやって誰もが憧れるような存在になりたいのかもしれない。
夢で終わるようなことが、現実になったとしたら。
プリニー村での出来事を思い出しながらコスモスは眉を寄せた。
「恐怖だったでしょうね。主人も決まり、待望の仕事ができる町へ移動していたというのに、その途中で信頼できる商人と護衛を皆殺しにされて」
「地獄だな、正に」
「その上、その人物に心配までされるんですからね。震えて言葉が出なかったとは言っていましたが、それも仕方ないでしょう」
その割りにトシュテンの声が楽しそうなのが気になって仕方がない。くつくつと笑う彼にコスモスが溜息をつくとそれに気づいた彼が「失礼」と告げた。
「そして彼が指名したのが上位二名の女亜人ですね。助けてやるから一緒に来いと、まぁ言っていたらしいですが」
「ヤツが怖くてその二人も従ったのか?」
「そうですね……一人はそうと言えますが、もう一人は楽しそうだから話に乗ってついて行ったというのが正解でしょうか」
「は!?」
(ついて行った説は考えにくいって言ってたのに!)
ずいぶんと亜人について詳しいなと思っていたコスモスは、トシュテンが溜息と共に告げた言葉を聞いて思わず声を荒げてしまった。
彼の言葉を聞くにまるで知り合いかのような発言だ。
「彼女たちを雇用する予定だった主は相当お怒りでしてね。他の亜人たちはその人物の屋敷に使用人として全て買い上げられましたが」
「あらぁ……」
「亜人商人とはそれなりに長い付き合いだっただけに、そのことでも頭にきているようですね」
その口ぶりからすると彼はその主という人物も知っているらしい。一体どこまで顔が広く情報を掴んでいるのかとコスモスは目を細めた。
そんな彼女の前方でアジュールが溜息をつく。
「野放しにしていていいのか?」
「あの二人の隷属は解けてしまったようですから、両者とも困っているでしょうね」
「え?」
「解けた状態でふらついてたら、魔族がはぐれ狩りに出てくるな」
小さく唸ったアジュールが溜息をついてそう告げる。
また何を言っているのか分からないとコスモスは眉を寄せた。亜人のことですらよく分かっていないのに、今度は隷属が解けた発言だ。
亜人にも自分たち異世界召喚者と同じような首輪でもついているのだろうかと、コスモスは自分の首辺りを触った。
『亜人は人間とは違う者だということを区別する為と、人に害をなさない為に力を抑えられ隷属の印をつけられている』
『暴動起きるんじゃないんですか? それ』
『人の生活圏で暮らすならばそれは必須じゃ。気に入らぬやつは、里に帰るなり魔族が住む領域に行けばいいことだ。そこでなら術も解けようからな』
亜人は人間よりも強い力を抑制することで事で、人の世界でも生活することを許可されている。コスモスが想像するような酷い扱いは受けていないとのことだ。
てっきり亜人とは人間に良く似た他の種族を指す言葉なのかと思えば、そうでもないらしい。
獣人、魔族、エルフ、色々な種族が存在するが、純粋な種族から見ればわざわざ力の劣る人間に従うというのが解せないらしく亜人と呼んで区別しているとのことだった。
わざわざそんな事をしてまで人間社会で生活したいと思う亜人の気持ちが分からなくて、コスモスは変な顔をしてしまった。




