83 上位神官
「呼び捨てで結構ですよ」
(否定しないわ、余裕だわ……腹立つ男)
その言葉が、笑顔が何より胡散臭い。
絶対に裏があるのではないかと疑ってしまう辺り無駄に歳ばかり取った事を痛感させられる。
口に出さなければわからないと自分を落ち着かせながら、組んでいた両手を解いて笑う男にコスモスは身構えた。
「それにしても流石ですね。まさかお気づきになるとは」
「何となく、感じが一緒だったから」
過去のプリニー村で見たシュンの姿は目の前にいる男と一致しない。
髪の色も目の色も思い出そうとする度に姿がコロコロ変わってしまうのだ。
けれど、どれだけ器用に隠していても纏うオーラの気配が同じでは意味がないだろう。
「ふふ。あれでも完璧に変装していた上にオーラも変えていたはずなのですがね」
オーラを変えるという衝撃的な発言をさらりとしてしまう男は、口元に手を当てながら楽しそうに笑った。
緑の目が細められソファーにちょこんと座る人魂に向けられた視線は優しげだ。
『え、霊的活力って変えられるんですか? 生まれた時から固定で変化することはないって本にも書いてありましたけど』
『落ち着け。霊的活力はお主が言った通り変えることはできぬ。変化させたところで得にはならぬからな』
稀に偶発的な状況下により魂の性質が変化すると同時に霊的活力も以前のものとは全く違うものになるという場合もあるらしい。
だがそんな状況で生きていられる確率は限りなく低いとエステルは説明してくれた。
沈黙しているコスモスの頭の中では、エステルによる簡易講座が開かれていたのだが男がそれを知るはずもない。
余計な事は言わないようにしようと思っていたコスモスの策が成功したのか、彼は動じた様子もない人魂をじっと見つめ続けた。
「何故、お分かりになったのでしょうか」
「さあ?」
逆にこちらが聞きたいとばかりに首を傾げれば男はにっこりと笑みを浮かべる。
結局何と呼べばいいのかと悩んでいるとそれを読んだかのように彼は胸元に手を当てて軽く頭を下げた。
「お好きに呼んでいただいて結構ですよ」
「……」
(何故わかった!)
どうやら人型には見えていないようなのでホッとしたが、表情が見えないならば何故考えていることが分かるのだろう。態度にも出さぬように気をつけているつもりだったが、心を読まれたのならどうしようもない。コスモスは思わず自分を抱きしめるように腕を交差させてしまった。
背凭れを半分すり抜けながら相手を窺っていると、苦笑した男が彼女へと手を伸ばす。
バシィ
「……」
「おや、手厳しい」
「防御はするに越した事はないと思うので」
(馴れ馴れしく触っていくタイプとか、やっぱり苦手だわ)
何かを弾くような音が室内に響き渡るが、眠っている二体の従者が起きる気配はなかった。
いつもは飛び起きて自分の傍に駆けつけ男に対して警戒の唸りを上げるアジュールは、相変わらずベッドの上でお休み中だ。
彼がこれだけ深く眠るのも珍しいと思いながらコスモスは椅子に座り直した。
騒ぎが大きくならずに済んだと前向きに考えようと自分に言い聞かせる。
「それはそうですね。しかし、何も拒絶しなくてもよろしいのでは? 友好の印として握手をしようと思っただけですから」
「あ、そういうのは結構です」
尖って聞こえないようにさらりとそう答えてコスモスは真意の読めぬ笑顔を浮かべた男を見つめる。
「オールソンさんは従者も連れず一人であの村に?」
「どうせならば名前で呼んでいただきたいのですがね。トシュテン、と」
トシュテン・オールソン。
自己紹介は受けているので名前は知っているのだが、コスモスは親しくも無い相手をいきなり名前で呼べるような性格ではない。
それに親しくなりたいとも思ってはいないので姓で呼ぶのが一番しっくりくる。
しかし彼はコスモスの呼び方に不満があるようだ。
(好きに呼べって言ったの誰よ)
「親しくなったら考えます」
「警戒されていますか?」
「していない方がおかしいかと」
「信用されていないのですね」
「そこまでの信頼関係すら築けていませんからね」
眉を下げて悲しそうな表情をするトシュテンだがやはりコスモスには胡散臭いとしか映らない。何故こんなにも彼に関しては全てを疑ってしまうのだろうかと首を傾げつつ、彼女は失礼にならない程度にそう返した。
テンポの良いやり取りに堪えきれず笑い出したのはトシュテンだ。
「はぁ、御息女は面白い方でいらっしゃる。噂に聞いていた通りですね」
「……」
「おや、これは失礼。決して馬鹿にしているわけではありませんよ? 念の為」
別にコスモスとしたら馬鹿にされても構わないのだが、彼としたらそんな気持ちはないと一応言っておく必要があるのだろう。
コスモスの母親でもあるマザーは教会の中でも高い位置にいると聞く。
実際彼女がどんな仕事をしているのか知らないコスモスだが、トシュテンにとったら敬うべき上司の娘だ。無礼を働いたら最悪彼の首が飛ぶかもしれない。
しかし、そう思っているのだとしたら最初からそれなりの態度をとるだろう。
どう考えても彼は自分で遊んでいるように見えてしょうがないとコスモスは眉を寄せた。
(心が篭ってない言葉なのよね……あきらかに)
もう少し上手く演技ができないのかと突っ込んでしまいたくなるほど、トシュテンは余裕の雰囲気を纏ったままだ。それは彼と最初に会った時から変わる事は無い。
『上位神官とは言っていたけど、もっと上なんじゃないんですかね』
『好きでその地位に甘んじている変人もおるからな。一概には言えん』
『私、凄く遊ばれてる気がするんですけど』
『それは気のせいではないな』
やはりここは我儘を言ってもグレンかライツに窓口役を頼むべきかと考える。
グレンは騎士団副団長という立場にいるので難しいだろうが、ライツならばある程度自由がききそうだ。
それにこれからは自分が彼らの代わりを務めると発言した際に「ご不満ならば他にいたしますが」と彼の方から言ってくれたではないか、とコスモスは思わず拳を握る。
あの時はトシュテンの雰囲気に押されて曖昧なままにしてしまったが、納得はしていない。
だから今更だが交代をお願いしても拒否はされないだろうとコスモスは笑みを浮かべた。
『グレン、ライツ以外ではこの男しかお主を認識できないのに、か?』
『二人がどうしても無理なら新しい人にまた会話だけできるようにすればいいですよ』
『……この男が、それを不審がらぬとでも思っておるのか?』
『え?』
簡単に考えていてそこまで頭が回らなかったと言わんばかりのコスモスに、エステルが盛大な溜息をつく。トシュテンと接触する機会が減らせると喜んでいたコスモスは深呼吸をすると気持ちを落ち着かせた。
ソファーから立ち上がったトシュテンは、そのまま部屋を出て行くのかと思えばお茶を入れ始める。
まだ居座る気なのかと思いつつ、コスモスは素朴な疑問に聞こえるようお茶を運んできた彼に問いかけた。
「それで、お一人で何をされていたんですか?」
「おやおや、まだそこに食いつきますか」
「気になりますよ。位が高い方が一人であの村にいるなんて」
「そうですかね? 何らおかしな事ではないと思いますが」
それは嘘だろう。
修行にしても、巡礼にしても高位の神官が一人であそこにいるのはおかしい。
自分だけが変だと思っていてこちらの世界では当然の事なのかと悩んだコスモスだったが、従者の一人もいないのはおかしいとエステルが同意するように言っていたので余計に謎は深まった。
「それに、上位神官と言っても大したことはありませんよ。私と同じ階級の神官は世界各国に多数おりますからね」
「……」
人を寄せ付けない雰囲気ならば一人でいても不思議には思わなかっただろう。
しかし、トシュテンの場合はそれとは逆だ。人格者で力もそれなりにある。ならば、彼を慕う者が付き従っていてもおかしくないと思った。
実際はそんな人物も、使い魔のような存在も見当たらなかったのだが。
(彼のような人柄なら、一緒に行くっていう人が何人かいてもおかしくないんだけどな)
教会の中でも重宝されそうな物腰の柔らかさと真意が読めない発言をする人物だ。マザーとも笑顔で恐ろしい会話ができそうだと想像したコスモスは、ぶるりと身を震わせる。
穏やかな笑い声が飛び交っていて、水面下では腹の探り合いなんてその場に居るだけで恐ろしい。
けれどもこういう人物はマザーの好みそうなタイプだろうとも思った。
「大したことがないって……」
「御息女は正真正銘の箱入り娘でおられますから、教会の内情に疎くても仕方がありません」
(だから、その笑顔が怖いんですけど)
マザーの娘でありながら母親が仕事をしている教会の事を知らぬとは、怪しまれても仕方がない。トシュテンの言葉を聞いてからハッとしたコスモスだったが、驚く声は口に出る前に何とか飲み込めた。
物知らずの馬鹿な娘だと嗤われても自分の正体がバレなければいい。
マザーにも迷惑をかける事にもなると思い出してから、自分が少しでもトシュテンに心を許している事実に衝撃を受けた。
「……あぁ、貶しているわけではありません。御息女はそのまま清らかに真っ直ぐ生きられるべきだと思います」
「はぁ、それはどうも」
「何も知らずとも問題はありません。貴方が理解されなくとも、周囲の者が全てやりますので」
(え? 何を?)
グレンからコスモスの事を紹介された時点で、彼は理解しているという態度で接してきていた。噂に聞いたと言ってはいたが、箱入り娘の世間知らずの他に何か違う事を聞いているのではないかとコスモスは不安になる。
自分に関するどんな噂を聞いていたのか尋ねてみたいが答えが怖くて聞きだせない。
これは聞かなかった事にするのが一番いい、と一つ頷いたコスモスは喉の乾きを癒すためにトシュテンが入れてくれたお茶を少し見つめ、口に含んだ。
(一服盛られたとしても、私には関係ないか。気分は悪いけど)
戸惑いを見られているのはわかっているがそれについて彼が何も言ってこないのでコスモスも黙っている。
駄々をこねるほどトシュテンが嫌だという理由は無い。
ただの個人的感情で彼を拒絶するのは大人気ないと自分に言い聞かせて、ベッドで未だ眠る二体の従者に目をやった。
「ですから、貴方は何の心配もなく自分の心の思うまま行動すれば良いかと」
「一応エステル様の代理としてここにいますから、そういうわけには」
「ふふふ。そうでしたね。マザーの娘にして神子の代理とは、素晴らしい後ろ盾をお持ちです」
「……」
神子とエステルが結びつかず変な顔をしてしまったコスモスの頭の中で、声が響いた。失礼だぞ、と少々お怒り気味のエステルは溜息をついて呟く。
『私はこう見えても結構凄いのだぞ? 尊敬し直しても良かろうに』
『存じています』
ただ、気軽に会話ができる彼女とは違う人物のようで変な感じがするだけだ。
神々しく気高い方だとエステルを称するトシュテンの表情は裏の無い穏やかなもので、彼はエステルを敬愛しているのがわかる。
もしかして自分が尊敬する上司と、敬愛する人物に好まれている自分の存在が邪魔なのだろうかと想像しコスモスは苦笑した。
(無いわ。そうだったら、もっと酷いわ)
マザーの娘だからその娘であるコスモスも神々しい素晴らしい人物だと思い込まれていなかっただけ、マシなのかもしれない。
扱いやすい馬鹿娘と思われている方が何かと動けるからだ。
例え、その馬鹿娘が最上位の精霊と禍々しい雰囲気を纏う魔獣を引き連れていたとしても、だ。
「ただ便利に扱われているだけだと思いますけど」
「それも、マザーの親心というものでしょう」
「え?」
「御息女に世界触れ、多くを知って欲しいというお考えだと思いますよ」
胸元に手を当てて微笑む姿は人を穏やかにさせ、安心させる効果を持っている。
彼と教会内で会話をしていたリュシーが、張り詰めていた気持ちを和らげたようにコスモスの心を軽く撫でるような感覚はくすぐったい。
これは人気があるだろう、と思いながらじっと彼を見つめていたコスモスにトシュテンは赤くなった顔を手で覆う。
「そう見つめられますと、流石の私も照れてしまいます」
「あ、ごめんなさい」
(どこに目があるのか分かるの? 視線は感覚で分かるものかしら)
「いいえ。人を魅了するのは得意ですが、御息女には効きませんからね。逆にこちらがやられてしまうとは」
「え?」
またさらりと聞き逃せない事を言われたような気がしてコスモスは目を点にした。
ははは、と明るく笑っていたトシュテンは寝ている存在を思い出して慌てて声を抑える。
そしてにっこりと微笑んだ。
「貴方の能力の方が上ですから、私は抗えないのでしょうね。あぁ、先天的というのもありますがどちらでしょうか」
(何言ってんの、この男)
思わずドン引きしてしまい、口調が荒くなるコスモスをエステルが優しく宥める声が頭の中で響いた。




