80 シュン
淡くて綺麗な思い出は、次第に濃くて醜いものへと変化する。
過去の記憶を見るたびに、空気は重さを増すようで息苦しさを感じた。
初めは目を輝かせていたライツも、今では無言でその光景を見つめる。
「無謀ですね。王都に直接行かずとも、近くの町に行けば兵士が派遣されていたでしょうに」
「すぐに攻めてくる様子もないからな。縄張りに勝手に入った挙げ句、戦闘で負傷したから助けを求めるとは何とも身勝手な奴らだ」
村の近くにある廃鉱山は、生息している魔物が強すぎて途中で断念された場所だ。
作りかけのまま放置されてはいるが、そこで採れる鉱石は純度が高い為危険を承知で入り込む者が絶えない。
立ち入り禁止にしているというのに、侵入者は絶えず負傷する率も多いのでプリニー村が監視をしているとライツが教えてくれた。
「勘違いして、討伐に行ってくるなんて勇者気取りもいいとこね」
「そうですね。村人から頼まれたわけでもないのに、正義感に駆られてとは青い」
エステルの話によれば、廃鉱山には元々魔物が住んでいたのだと言う。強い魔物が生息しているということもあって、腕に覚えのある冒険者や旅人たちが腕試しにと訪れることもあるらしい。
「寧ろ周囲の奴らは止めていただろう。安易に足を踏み入れるな、と」
「あの様子だと、魔物が強いから怪我をするだけだ。だからやめておけと言われていると解釈したようですね」
村人が廃鉱山に入る為には村長の許可が無くてはならない。
大事故が起きない為に監視しているのに、監視している村の者が禁を犯すような真似はできないのだろう。
監視と言っても、本当にただ見ているだけで侵入者がいればしかるべき場所に報告をする程度のものらしい。直接入っていく者を見かけたら声をかけて注意をするくらいはしているらしいが、ほとんどの侵入者が冒険者との事であまり刺激するような事もできないのだろう。
わざわざ立ち入り禁止と大きく書かれている看板を無視して奥に進み、施錠されている扉を無理矢理壊して入っていくような輩だ。
下手に注意すると逆に危ないのだろう。
「一応村人も説明していると言うのに。村長も立ち入り禁止の訳を説明しているのに、全く聞きやしない」
「……禁を破って勝手に入ったオッサン二人の為に魔物討伐とか、胸が熱くなるわね」
見たところ二十代前半と思われる侵入者たちは教会に運ばれ手当てをされていた。悔しそうに呻く彼らの言葉からは、反省の言葉は一切聞かれない。
あと少しだった、あそこでやめておけば、そう後悔する言葉ばかりだ。
彼女の発言に軽く衝撃を受けたらしいライツは、じっと地面を見つめながら「オジサン」と呟いている。
何か気に障る事でも言ってしまっただろうかと思ったコスモスは、心配そうにライツに声をかけた。
「あの、ライツ?」
「いいんです。御息女のおっしゃられる通りですから。十五で成人すれば二十歳など既に中年の域。年上からは青二才と呼ばれ、年下からはオジサンと言われる……いいんです」
「……意見には個人差があるからね」
テレビの下部を流れるテロップのように告げたコスモスの声も、彼には届いていない様子だ。
何があったのだろうと思えるくらいに強く拳を握り締めたライツは、魔物退治に行くと意気込んで村を出て行ったメランが自分をすり抜けていった事にも気づかずに地面を見つめていた。
「準備を整えて、討伐とやらに行った様子だな」
「そうね。そっちも気になるんだけど、この村であった事しか再生されないからねぇ」
心配する周囲に笑顔で「役に立ちたいんです」と告げ村を出て行ったメラン。
それだけ聞けばなんて好青年だろうと若い頃の自分ならば思ったかもしれない、とコスモスは息を吐いた。
(うん。やっぱり冷静になんて見られないな。言動がすべて胡散臭いもの)
どうでも良さそうな顔をしてコスモスは村の奥からゆっくりと歩いてきた人物に目を移す。心配そうに村の出入り口を見つめていたロッカは、その人物に呼ばれて振り返った。
『お母さん! どうしよう、メランさんが……メランさんが!』
『彼は私が何を言っても聞かなかったわ。とりあえず報告はしておいたから、後は待つしかないでしょう』
『そんな! 他に何か、今からでも遅くないのに』
母親の元に駆け寄ったロッカは、目を潤ませながら必死に訴える。
この村の長である彼女の母親は疲れた表情をしながら額に手を当てていた。周囲の村人たちも不安そうな表情をしてメランの身を案じているものの、追いかけようとする者はいない。
今にも飛び出して行きそうなロッカの腕をしっかりと掴み、母親は彼女に言った。
『あの場所は立ち入り禁止なのよ。それを説明しても彼は行くと言ったの。追いかけて連れ戻すにしても、被害が大きくなったらどうするの? 貴方もよ。貴方にもしもの事があったら私は彼を恨むわ』
『……っ、でも、でも』
恋する彼の心配と、母親の言葉で揺れるロッカはそれ以上上手く言葉が紡げないのか悔しそうに俯く。
諭すようにゆっくりと告げた彼女の母親に同意するように、周囲の村人たちも彼女を宥めた。
『ロッカ!』
『放っておいて! 一人にして!』
掴まれた腕を振りほどき、叫ぶように声を荒げたロッカは自分を呼ぶ母親に背を向けて村の奥へと走り去る。目に浮かんだ涙が零れる様を見つめていれば村娘数人が心配そうに彼女の後を追っていった。
その様子を暫く見つめいてた村長は溜息をついて村の出入り口にある門を黙って見つめる。
『村長、ごめん。皆で説得したんだけど、あいつは聞かなくて』
『私も何度も止めておけって言ったのよ! でも、大丈夫だって笑うばっかりで……何もできなかった』
『いいえ。貴方たちは悪くないわ。この村の村長として彼を説得できなかった私の責任よ』
こんな事になるなら力ずくで押さえておけば良かったと呟く村長に、周囲の村人たちは心配そうに村の外へと目をやった。
するとそこに穏やかな声が響く。
『仕方がありませんよ。あなた方がいくら説得しても、彼は行ったでしょうからね』
『シュン様』
教会から出てきた人物は落ち着いた口調でそう告げると、慰めるように村長の肩を叩く。
穏やかで温かな眼差しに周囲の人々は安堵したように息を吐き、表情を緩めた。
『しかし……』
『あれだけ反対されても、我を通すのですから何かあるのでしょう』
『何か、とは?』
『腕に覚えがある、とか』
『まさか』
そんなはずはない、と驚いた表情をしてシュンと呼ばれた人物を見つめた村長に周囲の人々も同意する。彼らはメランという青年がどういう人物なのかを確認し合うように、彼の人となりを言葉にしていた。
『剣もまともに持った事のないボウズだろ』
『そうそう。体力も筋力もあるとは思えないくらいヒョロヒョロしてるし』
『ちゃんと食べてんのかってくらいに痩せてるしなぁ』
『……優しい子なんだけどね。畑仕事手伝ってくれるし』
『気が利くよな。俺のとこもよく手伝ってくれる』
村人の話を聞けば聞くほど彼らの中のメランに対する印象が非常に良いものだという事が判る。
最悪の事態を想定して報告はしてあるので、心配だろうがこれ以上は何もできないと言う村長の言葉に村人たちは複雑そうな表情をしながらもその場から去っていった。
『侵入者の様子はどうですか?』
『傷口が化膿して高熱が出ていますが、命に別状はありません。自業自得ですから気に病む事はありませんよ』
村長とシュンと呼ばれる人物の後を追うように教会へと移動したコスモスたちは、簡素な作りの椅子に腰を下ろしながら二人の話を聞いていた。
礼拝堂の奥は居住区となっているらしく、そこの一室に侵入者たちが運ばれ寝かせられているらしい。
彼らの看病は神父と修道女が付き切りでやっているらしく、来訪者への応対はシュンという人物に全て任されているようだ。
(自業自得……いや、うん。合ってるけど、結構辛辣だわ)
まさか穏やかそうな人物からそんな言葉が出るとは思っていなかったコスモスは思わずライツの顔を見てしまった。彼は目を細めてシュンを見つめ、首を傾げる。
『リュシー。私に何か言いたい事があるのでは?』
『……いえ、これは責任者である私の問題ですから』
『話して楽になるならば聞きますよ。彼の事で、何か気になっている事でも?』
穏やかで落ち着いた声色。
ほっと息を吐いて安心してしまうような口調にコスモスの足元にいるアジュールは鼻を鳴らした。
思い悩んでいる事を見透かされたと思ったのか、リュシーと呼ばれた村長は苦笑しながら溜息をつく。
『さすがはシュン様。お見通しでしたか』
『何となく、ですよ』
『つまらぬ事です。村の責任者として代々監視の役を務めてから一度も揺らいだ事はありませんでした。しかし……』
『貴方の家系は昔から実直な者が多く信頼できますからね』
二人の会話を聞いていると、顔見知り程度とは思えぬ関係のように見える。
家族のように親しいわけではなく、どちらかと言えば主従関係に似ているような気もしてコスモスはちらりとアジュールを見つめた。
彼も同じ事を思ったのか、それとも彼女の視線を感じてなのかは知らないが赤い瞳を向けてくる。
軽く彼の頭を撫でたコスモスは直立不動で幻影を見つめているライツを一瞥し、穏やかな表情を浮かべているシュンへ視線を移した。
『彼に、メランに言われたのです。“臆病で卑怯なただの傍観者じゃないか”と』
『おやおや。これはまた随分な事を言われたのですね』
『今まで例えそんな事を言われても、禁を破って侵入した者が悪いと思っていたのですが……あ、不測の場合は除きますよ? 流石に』
小さく笑ってそう付け足すように告げるリュシーに、シュンは判っていると言わんばかりに大きく頷いた。
ホッとしたように息を吐いた彼女は話を続ける。
『その時に、言いようの無い不安が心に広がって、本当にこれでいいのか? と自分のやっている事、今までやってきた事が疑問に思えてきたんです』
『……ほう』
『メランの言う通りではないか、彼の言っている通りに行動するのが本来やるべき事なのではないかと強く揺さぶられまして、正直あれで良かったのかどうか判りません』
先ほどまで見せていた凛々しく動じない責任者の顔はどこへやら、不安そうに顔を歪めて盛大な溜息をつくリュシーは一気に老けてしまったかのように見えた。
娘であるロッカの事も気にかかっているのだろう。彼女は顔を手で覆ってゆっくりと頭を左右に振った。
『何故そうも揺らいでしまったのでしょうね。警告は何重にもしてあり、防御壁も張ってある。確認の為の見回りが必要ですからそう強い防御壁ではありませんけれどね』
『はい、そうです。内部に侵入しなければ魔物は外に来ることはありませんし、内部と言っても入り口付近の魔物はそう強くはありませんから』
『ええ。でなければ見回りすらできませんからね』
シュンという人物がプリニー村、そして監視役であるリュシーの家系にも詳しい人物だというのは判った。だが、彼はリュシーや村人たちからの態度を見るにこの村に住んでいる人物ではないらしい。
『そんな場所を自らの意思で破る輩は、明らかに禁を犯していますから罰せられて当然だというのに、それに憤った彼の発言に貴方は揺れている』
『……はい、そうです』
『けれども、流されそうになった貴方はギリギリのところで押しとどまった。流されてしまった方が楽だったでしょうにね』
『シュン様……』
その言い方はまるで悪魔の囁きのようだとコスモスが身を震わせれば、ライツも悪寒を感じたのか同じようにぶるりと体を震わせていた。
アジュールだけは平気そうに欠伸をしている。
『楽なのはその時だけでしょうが、ね。先を考えると、そこで抗った貴方は素晴らしいと言えます』
『またそんな事を。シュン様が念の為にと持たせてくださった石のお陰ですよ』
そう言って懐から石を取り出したリュシーはそれを机の上に置いて眺めた。反対側に立っていたシュンが近づいて、黒い石を見つめると「ふむ」と呟き指先で石に触れる。
パキン、という音がして石はあっけなく壊れた。




