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いえ、私はただの人魂です。  作者: esora
道楽娘の家出
80/291

79 首輪

 見ているだけでいい。

 普通の会話だけでも、できたらそれでいい。

 積極的にアプローチなんてできない私だけれど、それでも貴方は笑顔を向けてくれるから。




 甘酸っぱさとむず痒さに耐えながら目の前の光景を見ていたコスモスは、深い溜息をついて消えた幻影を思い出していた。

 ライツはと言えば何かを考えるような素振りで口元に手を当てている。

 足元のアジュールが退屈だと言わんばかりに大きな欠伸をした。

(まさかここで淡い恋の物語が展開されるとは)

 村の外で行き倒れていたところを運ばれ介抱された青年は、自分に関する最低限の事以外は覚えていないと告げた。

 村長の家で目覚めた彼を甲斐甲斐しく世話していたのは村長の一人娘。

 気立てはよく優しい性格で、真面目に親の言いつけをきちんと守る大人しい少女。

 助けてくれたお礼にと村の事を手伝うようになった青年が、村に馴染むのもそう時間はかからなかった。

 村長の娘に色々な場所を案内され、色々な人たちと出会い交流を持ち溶け込んでゆく青年。

 自分がいなくとも社交的に輪を広げてゆく彼をそっと影から見つめる娘の視線は仄かに熱く、眼差しに篭る想いは誰が見ても恋をしているとしか思えないものだった。


『ねぇねぇ、メラン。今度は私と一緒に森に行ってくれない?』

『ああ、いいよ。魔物が出ると危ないし、俺でいいなら』

『あーずるい! 私も私も!』


 青年の周りには人が集まる。

 それは彼の人柄なのか、それとも纏う雰囲気なのか。

 過去の光景からは上手く感じ取ることができない。

「メラン、という人物はどうやら随分とこの村に馴染んでいたようですね」

「そうね」

「人柄も良く、素直で良い青年です」

 ライツの言葉を聞きながらコスモスは抑揚のない声で答える。

 見つめる先にいるメランという人物を先ほどから観察していた彼女は眉を寄せて自分の記憶を引きずり出す。

 先ほどからその繰り返しなのだが、これが中々に苦痛を伴う様でコスモスの顔からは次第に表情が消えていった。

 体の震えは治まり、代わりに彼女を支配するのは冷たい怒り。

 恐怖を感じこそすれどうしてここまで怒りを覚えなければいけないのか彼女自身が不思議に思っていたが、エステルの声でその戸惑いは消えた。


『人柄も良く、素直で良い青年とな?』

『……そーですね』


 頭の中での会話だが、自分の声が思っている以上に冷たく低い事に気づいてコスモスは驚いた。エステルはそれに気づいているだろうが何も言わない。


『そうだな。最後まであるのなら、見届けてからでも遅くはない』

『ええ』

『気を引き締めよ。何があるか、判らぬからな』


 コスモスはふと、エステルは目の前の光景を見て何を感じているのだろうかと疑問に思った。

 彼女は彼女で“彼”に煮え湯を飲まされた経験がある。そうでなくとも、腹が立つと言っていたくらいだ。

 突然現れた彼と良く似た人物に、ボコボコにされた自分よりも酷い目にあったのだろうかと思っていると声が響く。


『コスモス、首輪は見えるか?』

『ええ。はっきりと』

『そうか。お主には見えるか』

『え、見えないんですか?』


 自分に見えているのならば当然エステルにも見えているだろうと思っていたコスモスは、その言葉を聞いて驚く。

 目の前では村長の家に居候させてもらっているらしいメランが、村人から貰った野菜を持って村長の娘であるロッカと一緒に歩いている。

 嬉しそうに微笑みながら彼の隣で寄り添うように歩くロッカは、正に恋する乙女であった。

 その目に映るのは憧憬と思慕の情。

 淡く秘めた想いは相手に通じることはない。けれども、幸せそうに微笑む彼女を見ているとコスモスは何とも言えない気持ちになってしまった。

 コスモスだって、恋をした事はある。

 片想いの切なさも、彼女のように受身になってしまって一歩踏み出せないでいる気持ちもわかる。

 きっと彼女は今の関係が一番で、それが崩れてしまうような賭けはできないのだろう。

 だからこそ、同じ年頃の村娘が積極的にメランにアプローチしているのを遠目で眺め、一人胸を痛めるのだ。

 何も言える立場ではないからと、常に離れた場所で彼を見つめてその幸せを思う。

(あー、恋する乙女だわ)

 しつこくしない程度に、彼を見守る様子は見ていていじらしい。思わずその背中を押してしまいたくなるほどだ。

 実際そう思ったところで行動に移そうとは思わないのだが。

「だんだん、予想はできてきましたね」

「そうだな。このロッカという女の過去の記憶には、必ずメランという男が登場する」

 見つける球体に封じ込められている過去の記憶。

 それら全てがメランという人物に関してのことなので流石に二人も気づいたようだ。


『はっきりとは見えぬ。それ自体が薄く靄がかかったようになっていてな』

『……そうですか。私にははっきりと見えますけど』

『ならば、私に教えてくれ』


 自分を通して目の前の光景を見ているから上手く見えないのではないかと思ったコスモスだが、どうやら違うらしい。

 少々苛々したような声を聞いて答えれば、彼女から意外な提案をされて首を傾げた。

 

『そんなに見えませんか?』

『確信したいのだ』

『なるほど。では、具体的に何をどう教えれば?』


 こちらに背を向けて消えてゆく二人の姿を見つめながら、コスモスは腕を組んだ。

 ライツとアジュールの二人は、暗黙の了解のように手分けして次の球体を探し始めている。

 その場に留まったままのコスモスは周囲を見回しながら、ずるりと湧き始める影を蹴り飛ばした。

 最初は気持ち悪いと思っていたそれも、慣れてくれば何も感じることなく適当にあしらえる。


『姿形は記憶にあったアレと相違ないか?』

『うーん。アレはフード被っていたので顔ははっきり見えませんでしたけど、恐らく』

『……随分と頼りないな』

『でも間違いは無いと思います。オーラは同じですから』


 姿形が違っても彼が纏う雰囲気オーラは変わりない。

 どんなものかと聞かれても上手く答える事ができない。

 双子でもオーラは違うので、オーラが同一の人物が他に存在するというのは非常に稀とマザーから聞いている。とするならば、同一人物に違いないだろう。


『ふむ。なるほど。では、首輪はどのようなものであった?』

『真っ黒いものです』

『それに対して周囲の人物は何か言ったり、気にした素振りはあったか?』

『うーん。周囲は気づいていないようでしたけど、見慣れているからとばかり』


 メランのしていた首輪は、幅三cmくらいのチョーカーのようなものだった。

 初めはそれをただの装身具アクセサリーかとも思ったのだが、たまに首輪に触れるメランに問いかけたロッカの質問で周囲には見えないのだという事を知った。

 よく触っているが首が痒いのかと聞いた彼女に対し、メランは少々焦った表情で癖だと答えていたからだ。

 その光景からメランは自分が首輪をしていると分かっていたのだろう。


『そうか。魔力の強い者が周囲にいないだけだろう。ライツくらいにもなれば見えるからな。だからこそ、首輪を隠す魔法は最初に行われる事が多い』

『最初に……自分で?』

『そんなわけがなかろう。いきなり別世界に来てそこまで対処できる奴は、異常でしかない。普通は召喚した主が施すのだ』


 確かに。

 召喚されたこと自体が驚愕で、異世界という見知らぬ場所で放心状態だと言うのにそこまで頭が回るわけがない。

 いくら異世界人には順応しやすいように便宜が図られているとは言え、すぐに対処できる人物は珍しいだろう。

 そう考えると、順応しやすいように保護されているそのシステムも一体どういう仕組みで誰がやっているのかが不思議になった。

 召喚に関しての記述はどれも古い書物が多いらしく、マザーが所持している本にもあまり情報がなかっただけに機会があればそれも調べてみたいとコスモスは思う。

 帰還できる糸口が何か見つかればいいのだが、あまり期待しすぎないようにしようと彼女は静かに頷いた。


『へー』

『あぁ、お主は首輪付きではないからな。わからぬのも仕方あるまい』

『……あれで、行動が制限されるんですよね』

『そうだ。召喚しておいて、その相手にいきなり殺されましたでは何の為に呼び出したのか判らぬからな』


 召喚は大掛かりで多くの魔力を消費する。

 その為に完璧に行える者も少ないとは言うが、どのくらいの頻度で呼び出されているのだろうか。召喚を行えばそれが判るようにはなっていないのか、と色々考えながらコスモスは小さく唸った。

 そうしていると球体を無事見つけたアジュールが、それを口に咥えて彼女の元に走ってくる。それを受け取ったコスモスが球体を弾けさせると、少し先に行った場所に幻影が現われた。


『魔力の強い者ならば首輪も見えてしまう。そうなれば、その人物が異世界人だと判る。首輪がついていればそれは異世界から召喚されたモノだからな』

『うーん。分かると何かまずいですか? 召喚自体は禁じられていないみたいですけど』

『召喚した主が何を思って呼び出したのか、それが問題だ。召喚された異世界人はただでさえ強力な力を有し、特異な能力で圧倒するからな』


 だからこそ、どうしても叶えたい望みがある者は自分の命を捧げてまで召喚を行うのだがとエステルは続けた。

 初めから自分の命と引き換えに召喚を行うものは、事前に望みを書き記したものを用意しておくらしい。

 自動翻訳は異世界人であれば基本的に備わっているものなので、文字を読む事にも苦労はしない。

 それに、望みを叶えなければ帰れぬのだから嫌でもやるしかないのだ。

 たまにそれを無視して好き勝手やろうとした異世界人は、最終的に魔物のようなものになってしまったと過去の例を挙げてエステルは教えてくれた。

 自分のように不完全で召喚される者もいれば、無事に召喚されて主の望みを叶えても帰還しない者もいる。

 召喚されるのは年若い者ばかりだからだろうか。

 若いというのは無鉄砲でいいな、と呟くコスモスにライツが首を傾げる。

「御息女も充分に魅力的だと思いますよ。お若いでしょうに何をおっしゃっているのやら」

「そうだ。青すぎるくらいだというのに何を嘆く必要がある」

「……馬鹿にしてない?」

「気のせいです」

「考えすぎだな」

 どうやらコスモスの呟きを、目の前で繰り広げられている甘酸っぱい光景を見てのことだと受け取ったらしい二人は慰めるようにそう言ってくれる。

 勘違いなのだが、それならそれでいいと話を合わせるコスモスにエステルの笑い声が聞こえた。

「それでも、歳など心配するほどではないでしょう。あれだけミリィに懐かれているのですから!」

「本当にライツはミリィが好きよね」

「まぁ、変なものばかり引き付ける能力はどうにかしたほうが良いと思うがな」

「漏れなく貴方もそれに入るんだけど?」

 基準はそこなのか、と自分の相棒を思い浮かべて力強く拳を握り締めるライツに「精霊馬鹿」と呟き、アジュールには溜息をついてコスモスは肩を落とした。

「それを抜きにしても、ちゃんと魅力が判っている方はいると思いますよ。グレン様もそのお一人でしょうし」

「彼はちょっと私に幻想を抱きすぎな気がするわ」

「それは、充分あるだろうな」

 それが恋愛感情なのかは分からないが彼に好意を向けられていることくらいコスモスも分かる。

 しかし、マザーの娘だからという理由が大きい気がして複雑な気持ちになってしまった。

(いや、彼は悪くないわ。それに、良い印象を与えられてるなら私の下手な演技も中々いい線いってるってことだもの。世間知らずの箱入り娘としてもっと頑張らないと)

「マスター?」

「……何でもない。大丈夫です」

 他に自分に対して純粋な好意を抱いてくれている人物はいるだろうかと考えていたコスモスは、頭の中で呼び起こされる美しい笑い声に顔色を変えた。

 美声で三段笑いをする人物は今まで見たことがないだけに新鮮と言えば新鮮だったのだが、総毛立って寒気がする。

(あれは違うわ。うん、あれは違う。完全に観察対象というか希少生物のような扱いで見てくるだけだもの)


『それが、恋というものではないのか?』

『そんな恐ろしい恋なんてお断りなんですけど!』

『冗談だ。しかし、よほどの男なのだな』


 ニヤニヤと笑いながら言っていそうなエステルの言葉に、全力で拒否するコスモスはカッと目を見開く。

 そんな百面相を見つめながらアジュールは面白く無さそうに彼女の足を強く踏みつけた。

「マスター、幻影に集中したほうがいいのではないか?」

「うん、その通りね」

「あ、そうでした!」

 左右の前足で交互に踏まれる自分の足に何も言わず、コスモスは気分を切り替えようとロッカが何やら買い物をしている姿を見る。

 つい話に熱が入っていたらしいライツも、慌てるように体の向きを変えると近くの建物に入ってゆく彼女を追った。




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