78 残留思念
ぐるぐると、行けども行けども同じ場所に戻る。
それが面白いと思っていたのは二度目までで、三度目からは流石にコスモスもイライラしてきた。
ライツは顔を引き攣らせながらどこか焦った様子で何かをぶつぶつと呟いている。
彼の愛する精霊の名前を繰り返し呼んでいるのはきっと気のせいだ、と思いながらコスモスはアジュールを見下ろした。
「何か感じる?」
「ここでは上手く鼻が利かん。だが、何かありそうな気配はする」
閉じ込められたかと一瞬ヒヤリとしたコスモスだが、出られないわけではないと言うアジュールに従って何かおかしなところは無いかと周囲を見回した。
ここにあるのは村の入り口である木の門と看板。
(プリニー村、か)
書かれている文字を読んでいたコスモスは門の根元でキラリと光る何かを発見した。
フラフラとどこかへ行こうとしているライツに軽い衝撃を与えたアジュールは、溜息をついて彼を見上げる。
首を左右に振って頭を抑えたライツは、低く呻くように息を吐いた。
「ライツ、強がったら駄目よ?」
「無理ならば無理と言え。足でまといになられる方が問題だ」
「いえ……すみません。気をつけます、大丈夫です」
「具合悪くなったらすぐに言ってね?」
先ほど彼にかけられた言葉をそのまま返してやれば、それに気づいたライツが苦笑する。情けないと呟いて肩を落とした彼に珍しくアジュールが気遣う。
そんな様子を微笑ましそうに見ながら、コスモスは光る箇所を見つめて首を傾げた。
そこには直径五cmほどの透明な球体が草むらに隠れるように落ちている。
中央部が淡く発光しているが、その光と点滅は今にも消えそうなくらい弱々しい。
「気をつけてくださいね」
「わかりました」
自分がやる事は決定なのか、と思っても口には出さない。
コスモスは恐る恐る触れても何も反応しないそれを、掌に乗せて眺め首を傾げた。
地面に置かれていた時よりも中央部の輝きが心なしか強くなった気がする。
「マスター。一応それは持っていこう」
「え? なんなのこれ」
コスモスの手に乗せられている球体を見つめていたアジュールが、さも大事な物のように言うので不思議になった。ライツも興味深そうに球体を見つめて首を傾げている。
「それは、恐らくこの体の持ち主の残留思念のようなものだろう」
「うわあぁ……」
嫌な感じは受けないのだがそう聞いてしまうと気味の悪い想像をしてしまう。
顔を歪めて球体を乗せた右手を左右に移動させるコスモスに、アジュールは落ち着くようにと諭した。
(ライツなんてアジュールが言った途端に離れたわよ!? 何あの機敏性!)
できるなら放り投げたかったのだが、持って行った方が良いというアジュールの言葉もあってコスモスは渋い顔をする。
ライツは何でもなかった風を装って、コホンと咳払いをした。
(普通は『危ない!』とか言って庇ってくれるもんじゃないんですか。期待しすぎですか、そうですか)
私を誰だと思ってる、と心の中で呟きながらコスモスは意外とぷにぷにしている球体を掴んでその感覚を楽しんでいた。
強く跳ね返るボールよりも柔らかく、手の中で形を変えるそれを面白がっていると球体は突然弾けて消える。
「……」
「……」
「こ、壊れるなんて思ってなかったから! それに第一これが何かなんて……?」
球体の内部から光が漏れて一瞬フラッシュを焚いたかのように眩しくなったが、周囲に変化は無い。右手の中にあったはずの球体はあっけなく消えてしまった。
遊んでいるからだ、と言わんばかりに二人は無言で冷たい視線をコスモスに向ける。
確かに自分にも非はあるが理不尽だと怒りを露にした彼女だったが、変な気配を感じてそちらの方へ目をやる。
そこには何もない。けれど、どこからか声が聞こえる。
『おい! コイツがそこの道で倒れてたんだが中に運んでくれ!』
『旅人……か? 見慣れない服装だが、まだ若いな』
『俺、村長に知らせてくるわ』
声に集中していると目の前に男が数人現われてコスモスは驚いてしまった。目を凝らして見つめていれば彼らはみな、半透明でその姿が透けている。
村の外からやってきた行商人らしい男が、ぐったりとした人らしき者を抱えていた。
ゆっくりと近づいて顔を覗いたコスモスは言葉を無くし、震える体を抑える。
「これは、一体?」
「恐らく過去の記憶だ。という事はつまり、今回こうなった原因があるかもしれんな」
どうやら彼らの姿や声はライツとアジュールにも見えているらしい。自分だけではなかった事に安心しながらも、コスモスはガタガタと震える体を必死に抑えていた。
両手を交差させて腕を掴む。指が食い込んで痛くなるまで掴んでいると、足元に温もりを感じた。
「……」
「なるほど。だからアジュール殿が言ったように、残留思念ですか。確かにこれならば解決の糸口にはなりそうですね」
「そう簡単に見つかってくれるといいのだがな」
ライツは目の前で繰り広げられている過去の光景を食い入るように見つめている。アジュールも彼と会話をしながらそれを見ているが、体はコスモスにすり寄せたままだ。
長い尻尾がくるりと彼女の足に巻きついて、体をこすり付けるようにする彼に少しだけ震えが落ち着く。
『コスモス、大事ないか?』
『……はい』
『これから先、今のように過去を見つけながら進むことになろう。お前だけでも、帰るか?』
頭の中で優しくかけられる声がじんわりと体に染みてゆく。温かさに息を吐きながらコスモスは苦笑して首を左右に振った。
『いいえ。大丈夫、です。頑張ります。ここまで来て、退くわけにもいきません』
『……そうか』
『エステル様は、ご存知だったんですか?』
今までこのやり取りが見えていたはずなのに何も言わなかった彼女に、もしかしたらと思い浮かんでコスモスは尋ねてみる。
酷い、と不満をぶつけたいわけではない。
ただ知っていたのか、知らなかったのか。それが聞きたいだけだ。
『何となく、勘付いていた。病室に入った瞬間に、嫌な気配を感じたのだ。ほんの微かなものではあったが、あれだけでも充分なくらいよ』
『……そうですか』
その答えを聞いてコスモスは安心したように息を吐く。恐らく彼女と同じことを自分は想像しているのだろうと思いながら、消えてゆく男たちの姿を目で追った。
恐らく、次の箇所はこの先だ。
先、先、と続いて辿りついた場所にボスが待ち構えているのだろう。
この体の持ち主である彼女がこうなってしまう原因が。
「この先にも、あの球体と似たようなものがあるかもしれないから注意深く探して進みましょうか」
「ええ。それならばぐるぐる同じ場所を回ることも無いでしょうね」
それは保証できないがライツはそうだと思っているようだ。
下手に違うんじゃないかと言ってやる気が削がれてはいけないので、コスモスは曖昧に笑みを浮かべて誤魔化した。
「恐らく、マスターの考えは当たっているだろう」
「……嬉しくないわ。って、顔に出てた?」
「出ずともわかる。マスターは単純だからな」
「単純で悪かったわね」
考えている事が筒抜けになっているわけではないが、時々アジュールはコスモスの心を読んだかのような発言をする事が多い。
顔や態度に出やすいのだろうかと気をつけていたコスモスだが、今回も見透かされてドキリとしてしまう。
嫌ではないのだが、隠し事ができない上に自分の恥部まで見抜かれそうで恐ろしいのだ。
例え、それらを知ったとしてもアジュールは自分を軽蔑する事は無いと思ってしまう時点でコスモスも随分アジュールを信用してしまっているらしい。
いつ別れてもいいように覚悟は常にしているが、これだけ尽くされると忘れてしまいそうだ。
「あった! ありましたよ!」
宝探しの感覚でコスモスが見つけた球体と同じ物を手にしたライツが声を上げて彼女たちを呼ぶ。軽やかな足取りで向かうアジュールに複雑な感情を抱きながらコスモスもライツの元に向かった。
「ふむ。確かに見たところ同一の物のようだな」
「でもおかしいんですよね。御息女が見つけたものと違って硬いんです」
「あ、本当だ」
コスモスが村の入り口で見つけた球体は透明で中央部が淡く発光しており、力を入れると簡単に形を変えた。硬質な見た目とは違ってプニプニとした適度に反発がある感触は独特のものだ。
しかし、ライツが手にしている球体は姿形は先ほど見つけたものと同一としか思えないものの、彼がどれだけ力を入れても歪むことはない。
試しにアジュールが爪で壊そうとしたがびくともしなかった。
「……」
「……」
「そんな目で見ないでよ」
あれほど人を非難がましい目で見つめておきながら、これだ。
コスモスは溜息をつきながら、恭しく両手に乗せた球体を差し出してくるライツを見つめる。
『コスモス早う、早う!』
『静かにしてください』
頭の中ではエステルに急かされて、コスモスは仕方が無さそうに球体を手にすると軽く掌の上で転がしてから思い切り握り締めた。
音も無く弾けて消えた球体が、先ほどと同じように光を放つ。
『おや、もうよろしいのですか?』
『はい。ご心配おかけしてすみませんでした』
『いえいえ、何も無いところですがどうぞゆっくりしていってくださいね』
井戸端会議をしていたらしい中年の女性たちと、若者の会話。
彼女たちは労わるような視線を青年に向け、青年は人の好く表情を浮かべながらそれに答える。
何という事はない、普通の光景。
「あれは、行き倒れていたところを救われた青年ですね」
「そのようだな」
「……」
他愛の無い会話。
青年は助けてもらったお礼として村の手伝いをしている様だった。
自分の事について最低限の事は覚えているがあとは記憶が曖昧だと告げる彼に、年頃の娘が哀れむ視線を向ける。
それを真っ直ぐに受け取りながら青年は安心させるように微笑んだ。
(タラシか)
サラサラとした黒い髪に整った顔立ち。中性的なその容姿と得体の知れないよそ者だという事で、村の若い男たちからは警戒されていたが青年はそんな彼らも懐柔してしまう。
さり気なさを装って、全ては計算の内なのだろうかとどうしても穿った目で見てしまうコスモスにエステルが宥めるように声をかけた。
『コスモス。目の前の光景をできるだけ客観的に見よ。でなければ、囚われてまともな判断ができぬぞ』
『もう今の時点で無理です。どれもこれも胡散臭くてたまらない』
気分が悪いと呟く言葉に反応を示したのはアジュールだけだ。ライツは目の前の光景に心を奪われ集中している為に気づいた様子はなかった。
自分たちをすり抜けてゆく彼らを見つめながらコスモスは頭を抑える。
「次! 次を探さなくてはいけませんね!」
「マスター」
張り切って次の過去を見るために球体を探し始めるライツは、何が目的でここにいるかも忘れていそうなほど楽しそうな顔をしていた。
アジュールは主にそっと声をかけて屈んだ彼女に頭をこすり付ける。
くすぐったそうに笑ったコスモスは彼の頭を撫でながらゆっくりと息を吐いた。
(……冷静に、客観的に、か)
心が揺れてしまって頭に血が上っている時点でまともな考えなどできはしない。
せっかく落ち着いていた心がまたざわめき出したのを感じて、コスモスは心配そうに自分を見つめるアジュールを抱きしめた。
触り心地の良い毛並み、慣れた温もり、身じろぎせずにいてくれる優しさ。
アジュールはコスモスの肩に顎を乗せながら彼女のしたいようにさせている。
そんな二人を気にすることもなくライツは独り言を口にしながら球体探しをしていた。
「私がいる。イグニスもいる。そして、今はエステル様もいる」
訳も判らず知らない世界に放り出され、その場で仲良くなれたと思った人たちとも離れまた違う場所に飛ばされてしまった。
けれども、幸せな事に自分は一人ではない。
自分を探し出してくれたアジュールや、新たに出会ったイグニス、エステル達の事を思い浮かべてコスモスは「ありがとう」と呟いた。
「あー、ゴンさん今頃何してるかなぁ」
「余裕が出てきたようでなによりだ。さて、気合を入れ直せ。マスター」
大きく伸びをしながらアジュールの言葉に頷くと、コスモスはこちらに大きく手を振るライツの元へ駆けていく。
逃げ出したいけれどそうはいかない。そう、自分でさきほど言ったばかりだ。
万が一の時はライツだけでも全力で守れるようにしなくては、と思いながら彼女は球体を手にした彼を見て小さく頷いた。




