74 消えない衝撃
一人きりの夢を見る。
不思議な場所で、ただぽつんと立っているだけの自分の姿を上空から見下ろすような形の夢だ。
呼びかけても反応はなく、近づこうとしても何かに邪魔をされているようで上手く動けない。
疲労が溜まって変な夢を見ているんだなと思いながらコスモスは目を閉じた。
ホテルの天井を見つめながら、起きているのか寝ているのか一瞬混乱したコスモスは深呼吸を繰り返す。
夢の中でまた夢を見ているのかと思いながら体を動かす。
「……はぁ」
変な夢を見たような気がするが、その内容を覚えていない。
良くあることだと息を吐いて目を擦る。
視線の先にいる二体の精霊は寄り添うようにして仲良く眠っていた。
「……」
高級感溢れる、まではいかないが清潔感のある上質なホテルの一室。
ダブルベッドできちんと毛布をかけて眠っていたコスモスは、傍にある存在にため息をつく。
「アジュール」
「なんだ? マスター」
「近い」
「何かあったら困るだろうが」
獣の体温は高いんだなと思いながら気だるげに答えたコスモスに、アジュールは溜息をついた。小馬鹿にしたような視線を向けられても彼女は大きく欠伸をするだけ。
「何かってこんな所で?」
「時間も場所も関係ない。もっと危機感を持て」
「とは言っても、私は人魂だからなぁ。大抵の攻撃なんて貫通して無意味でしょ?」
「……手酷くやられたとは思えぬ発言だな」
「うっ」
余裕です、と言わんばかりにヒラヒラと手を振りながら寝返りを打ったコスモスは、溜息交じりの声に動きを止める。
アジュールの声はそれほど大きくないにも関わらず、低く室内に響き渡った。
何のことを言っているのかすぐに分かってしまった自分も嫌になるとコスモスは唇を噛んで、トラウマになりそうな光景を思い出していた。
「あれは、その……油断していたというか」
「強がってどうする。全力でぶつかっていても負けていただろうに」
壁を睨みつけながら言い返す彼女の声は情けない。
強がりにもならない幼い言葉に自分でも苛々しながら、コスモスは眉を寄せる。
「……」
「上手くアレから逃れられただけ良かったが、運にばかり頼っているわけにはいくまい」
あの人物との再会は避けたいコスモスは嫌な顔をして頭を大きく左右に振った。
防御するのが精一杯で何も出来なかったあの時のことは、時々夢に見てしまう。
夢の中でなら何とかできるのではないかと思っても、体は上手く動かず毎回あの時と同じように伸されてしまっていた。
それが悔しくてもっと力をつけたいと思うのだが上手くいかない。
「あれから勉強はしてるつもりだけど、まだまだ足りないわよね」
「回避することを考えるべきだ。まともにやり合って勝てる相手ではない。マザーが上手く追い払ってくれたのだからそれでいいだろう」
「それはそうだけど」
ああいう人物は今後もまた会うような気がして嫌だ、と呟くコスモスにアジュールは用心するに越したことはないと静かに頷いた。
確かにアジュールの言う通りなのだが、コスモスは納得がいかない顔をしながら眉を寄せる。
しかし、この程度で強くなった気でいるのが間違いだと獣に冷たく言われ、彼女は毛布を引き上げ顔を隠した。
ふわり、と宙に浮いた食べ物が少しずつ消えてゆく様を口を開けたまま見つめていたライツは、ミリィの声に慌てて我に返る。
コスモスたちの部屋でグレンとライツも一緒に朝食を摂る事になったのだが、ライツは物珍しそうにコスモスを見つめては口を開けていた。
そんなに珍しいものか、と思いながらコスモスは気にせず食べ続ける。
バターがたっぷり塗られたパンに軽く炙った厚切りのハムと野菜を挟んで頬張る。ピリ辛のソースが美味しくて食欲を刺激された。
(あ、そっか。ライツは昨日の夕食一緒にいなかったんだっけ)
外に出てくると言って夜遅くに戻ってきた彼は、外で食事を済ませていた事を思い出す。
情報収集でもしていたのだろうかと思ったコスモスは、できれば一緒に行きたいと思ったものだ。情報収集と言えば酒場というのが定番である。
今のコスモスなら酔っ払いに絡まれる心配もない。ここの酒場にはどんな人がいて、どんな食べ物があるのだろうと彼女の興味は尽きなかった。
だめ元でグレンに言ってみたところやはり許可はされなかったのだが、留守にしていたライツの代わりに彼が色々と質問に答えてくれた。
この辺りでの有名な食べ物、伝統料理、ここでしか手に入らないアイテム、料理。
(ほとんど食べ物の話ばっかりだった気がする……)
しかし、こちらに来てからというもの楽しみと言えば食べ物くらいしかないのだから仕方がないと、コスモスは野菜がたくさん入った紫色のスープを飲んだ。
「何か、変わった事とかありました?」
「いえ。大した事ではありません」
朝食が運ばれてくる前に外から騒がしい音が聞こえてきたのだが、この部屋からは死角になっていてどこで何が起こっているのかはさっぱり判らなかった。
悲鳴が聞こえたわけでもなく、野次馬が面白そうに駆けて行ったのを見て大した事ではないと思ったのだが一応グレンに尋ねてみる。
しかし、彼は表情一つ変えずにそう答えた。
「さっき外が随分騒がしかったけど?」
「広場で人が倒れたそうで。周囲にいた人々のお陰ですぐに病院に運ばれたそうですよ」
「そうだったの」
報告するまでも無いと判断したので大した事ではないと言ったのだろう。
グレンたちにとってみれば、コスモスたちの護衛でさえ気を張りつめているだろうにそれ以上の厄介事は避けたいはずだ。
できれば何事もなく王都まで到着すればいいのだが、果たしてそう上手く行くのだろうか。
(いや、いくわね。邪魔するにしても容易に薙ぎ払えるような戦力があるわけだし)
寧ろ、邪魔する者がいるのならばそちらの方がありがたいとコスモスは色鮮やかな果実を頬張った。
グレンとライツがいて、アジュールとイグニスがいる。
この面子を上回る輩が何人も簡単に登場して立ち塞がるとは想像しにくい。
だからといってホイホイと強敵に出現されても困ってしまう。
そう、例えば必死に防御するだけで何も出来なかったあの乱入者でもない限りは。
「最近多いみたいですね。皆、疲れているようですよ」
「そうらしいな」
(……ん?)
グレンとライツの会話を聞きながらコスモスは視界が二重になる感覚に手からフォークを落とした。
ぐらり、と体が傾いて椅子から落ちそうになる。
(なに?)
気持ち悪さはないのだが視界がぐるぐると回って体のバランスが取れない。
グレンとライツの二人は会話に夢中でコスモスの様子には気づいていなかったが、彼女の足元で食事をしていたアジュールはいち早く反応し、倒れてくる体を優しく受け止めた。
「マスター?」
「ごめん。ちょっと、フラッとした」
「ちょっと、ではないのだが」
騒がれると面倒なので大人しくしていてほしい、との思いが通じたのかアジュールは静かにコスモスの様子を窺って溜息をつく。
人型でいるよりも、球体でいるほうが安定すると気づいた彼女は瞬時に人魂の姿に切り替える。
「あとで、エステル様に聞いてみるわ」
「疲労が溜まっているのかもしれん。あまり無理はするな」
「うん」
落ちたフォークを拾って椅子に座り直したコスモスは、ゆっくりと息を吐いて食事を再開させた。下からアジュールの窺うような視線を感じたが、先程のような眩暈はもうしない。
顔を上げたコスモスはこちらに気づくことなく会話をし続けている二人を見つめ、僅かに眉を寄せた。




