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いえ、私はただの人魂です。  作者: esora
道楽娘の家出
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73 語らい

 部屋が一緒なのかと思っていたグレンとライツは別室だった。

 人魂と魔獣と精霊が使用するには大きく豪華な部屋でのんびりしながらコスモスたちはそれぞれ寛いでいる。

 イグニスには興奮して燃やしたりしないよう厳命しているので、惨事になる恐れは無い。

 彼は楽しそうにベッドで飛び跳ねてコスモスの胸元にいるミリィと一緒に歌を歌っていた。

 アジュールはコスモスが使用しないベッドの上で伏せている。目を閉じているが完全に寝入ってはいないのだろう、尻尾がパタパタと揺れていた。

 低く響き渡る声に可愛らしい声が重なる。

 心地よい音の響きにコスモスが目を細めながら耳を傾けているとにわかに外が騒がしくなった。

「ん?」

「何だか外が騒がしいけれど」

「露天商じゃあないのか? 他国の珍しい品物を売っていれば多少賑わうのは当然だ」

 素っ気無くそう返したアジュールにそういうものか、と呟いてコスモスはミリィと一緒にイグニスが転がっているベッドへ移動しようとした。

「外に出るのは難しいぞ」

「分かってるわよ。落ち着いたらでいいって」

「……こっそり抜け出すという手もあるが」

 目を伏せていたアジュールは静かに移動していたコスモスを見つめながら低く呟いた。僅かに殺気の篭った言葉にコスモスと一緒にいたミリィがブルブルと震える。

 同じ空間にいる事にはやっと慣れてきたミリィだが、やはりアジュールは怖いらしい。

 怖くて苦手なものを無理に好きにさせる必要はないので距離を取っていたのだが、アジュールとしてはそれが気に食わないようだ。

 イグニスは同じ属性という事もあってか、ミリィとは仲良く歌を歌うまでの仲になっていた。

 だから彼は余裕の態度でベッドの上を転がる。

 余計な事を言えばアジュールに飛び掛られるというのが判っているのだろう。気づいていない振りをしながら歌を歌うイグニスの声は心なしか嬉しそうでもあった。

 忌々しげに目を細めたアジュールに、コスモスは溜息をついてミリィをイグニスのいるベッドへ下ろす。

「大人しくしてますよ」

「……つまらんな」

「アジュールは悪い子なのですー」

 ふわふわと浮かんでいたイグニスがぽよんとアジュールの背中に着地する。

 煩わしそうに獣が睨むもイグニスは気にした様子もなく歌い始めた。

「迷惑かけるわけにはね」

 コスモスも知らない町にやってきたので散策をしてみたいと思っている。しかしグレンたちにかける迷惑を考えると大人しくしているしかない。

 窓の外を見つめながら通りを行き交う人々や店を眺めていたコスモスは退屈そうに溜息をついた。

 気づけばイグニスとミリィは仲良く寄り添うように眠っている。

 アジュールは先程と変わらずだが、動いていた尻尾が止まっているのを見ると彼もまた寝ているのだろう。

 コスモスが小さく欠伸をすると同時に控えめなノックの音とグレンの声が聞こえた。

「はーい。どうぞ」

「失礼します。頼まれていたものを買ってまいりました」

「あぁ、ありがとうございます」

 グレンから紙袋を受け取るとコスモスは彼を部屋に通した。二つのベッドに目をやった彼は大人しく寝ている精霊と魔獣を見て苦笑する。

 禍々しい魔獣と最上位精霊が大人しくベッドで眠っているというのが珍しいのだろう。

「御息女はお疲れではないのですか?」

「いや、疲れてはいると思うけれど知らない土地だから興奮してるみたい」

 今はまだ日も高い。

 きっと夜になれば疲れがどっと出てくるだろうと笑い、コスモスはお茶の準備をした。慌てるグレンを椅子に座らせてコスモスは紙袋を棚の上に置く。

 ケサランやパサランがいない今となっては、イグニスに保管してもらう他ない。

 コスモス自身が彼らのようにしまえればいいのだが、生憎そんな特技は身につけていなかった。

 人魂も精霊も似たようなものに見えるのに、と思いながら彼女は首を傾げる。

「そう言えば、ライツは大丈夫?」

「ご心配なく。御息女にミリィを預けているのならばこれほど心強い事は無いと言って出かけました」

「あら、ミリィがいなくても大丈夫なのかしら」

 彼が扱う魔法は精霊魔法ではないのかと疑問に思ったコスモスにグレンは差し出されたお茶を受け取って軽く頭を下げる。

 備え付けの皿の上に、彼に買って来てもらったお菓子を出してコスモスもまた彼と向かい合うように反対側の椅子に座った。

「大丈夫ですよ。普通の魔法も強いですから」

「そう。ならいいんだけど」

 グレンがそう言うのならば大丈夫なのだろうと、コスモスはベッドで寝息を立てているミリィに目をやる。

 上位のイグニスを怖がるかと最初は心配していたものの、それが杞憂に終わったのが嬉しい。きっと、イグニスが大らかで穏やかな性格だからなのだろうと笑みを浮かべ、彼女はお茶の入ったカップを持った。

「貴方は出なくていいの?」

「私が出ている間、あなた方に何かあってはいけませんから。二人とも留守では役立たずもいいところでしょう?」

「あぁ、そうね」

 この世界はコスモスがいた元の世界よりも治安が良いとは言えぬのだろう。

 今までこちらでそんな場面に巻き込まれた事が無いから油断していた、と気を引き締めながら彼女はカップに口を付ける。

 香りは穏やかだが、渋味が口に残るお茶はこの土地で一般的に飲まれているものだ。

 これを冷やして飲むと、飲んだ後に汗が引くような爽やかさを感じる事ができるらしいのでそちらも試してみたいとコスモスは思った。

「それに貴方と会話ができるのは、私だけですからね。ライツに随分と恨まれましたよ」

「話せたところで苦しくなるのは彼なのにね」

「適当に誤魔化しておきましたが」

 やはり何故グレンだけが会話できるのかとライツは不満だったらしい。魔力の薄いグレンよりも自分の方が適任だと思うのは当然の事だろう。

 しかし、コスモスがライツではなくグレンを選んだのはライツの事を考えてのことだ。

 もちろんその理由をライツ本人に言うつもりもない。

 グレンも同行しているライツが使い物にならなくなったら困るのだろう。苦笑しながらお茶を飲む彼と二人で悪いことをしている気持ちになってコスモスは笑ってしまった。

「話を変えるけれど、ゆっくりと王都へ向かうのは何故かしら? さっきは答えを聞きそびれてしまったのだけど」

 別に強行軍でも構わないと言った事に対しての答えをもらってはいない、とコスモスは声を少し低めてそう問いかけた。

 回りくどく聞くより単刀直入に聞いた方がグレンという人物の場合はいいだろうと考える。

 とは言うものの、コスモスが面倒なので疑問に思った事をそのまま聞いてしまっただけなのだが。

(話の駆け引きとかそういうの、上手くないのよね。またマザーに溜息つかれそうだわ)

 しかし、相手の反応を見て察する程度ならばできる。

 どれくらい厄介なのか、踏み入れるべきなのか否か。

 上手くはぐらかされてばかりだったマザーとの会話で鍛えられたのだろうかと思いながら、コスモスは困ったように視線を彷徨わせるグレンを見つめた。

「そちらの都合ならばそれでいいのだけど。ほら、色々用意しなきゃいけない事があるとかで、時間稼いで欲しいとか」

「あぁ……いや、その」

「こちらに害がなければいいのよ」

 エステルからの話は随分と急だったと聞く。

 そうでなくとも王都は色々と大変だとエステルが言っていたのを思い出して、コスモスは助けるようにそう告げた。

 まさか言い出した相手にフォローされるとは思っていなかったらしいグレンは「参ったなぁ」と呟いて頬を掻く。

「実は、エステル様の使者ともなればそれなりの方々でしょうから、今のレサンタ国内の状況を直接その目で見て肌で感じて欲しいと申されまして……」

「情報を聞くだけではなく?」

「はい」

 それは一体何のために必要なのだろうか、と頭の中で問いかけても答えは返ってこない。

 エステルの気配もしない事から彼女との会話は無理だとコスモスは小さく唸った。

 自分たちが聞いていないだけでエステルがレサンタ王国の代表と何かやり取りをしたのかもしれない。

(あえて言わないって事もあるかもしれないけど……単に忘れてるだけのような気もする)

 判断が難しいところだと悩むように唸っているコスモスの声を聞いたグレンは、困ったような表情をしていた。

「エステル様の使者である私たちだからこそ、なの?」

「私も良くは判らないのですが、恐らく我々に見えないものが見える事を期待しておられるのかもしれません」

 その言葉から察するに、グレンたちも詳しい理由は説明されていないのだろうとコスモスは眉を寄せる。そして彼が言った言葉を頭の中で反芻し、ある存在が浮かんできた。

「……黒い蝶?」

「!」

 ぽつり、と呟かれたコスモスの言葉にグレンは一瞬だけ大きく目を見開く。

 しかし見逃してしまいそうな一瞬だけの動揺とは流石である。

「何故、そう思われたのですか?」

「エステル様から聞いていたし、今回私たちが王城に招かれているのもそれが理由でしょう?」

 本当はエステル本人に来て欲しかったらしいのだがエステルはあの場から動くことはできない。だからこそ、いつもは王城から使者が彼女の元に訪れているらしいのだが、今回はそれすらできぬ状況らしい。

 そこから推測できるのは、レサンタ王国もまた黒い蝶の影に脅かされているという事だ。

「それにほら、私はミストラルにいたから。経験者? としては頼りないけれど、いないよりはマシ程度かなと」

「そんな。成人の儀に急襲した黒い蝶を撃退したのは御息女の力あってこそ、とエステル様がおっしゃられていたそうですよ」

「えっ」

 そんな事まで言われていたのかと急に恥ずかしくなったコスモスは、大した事じゃないと自分の悪食を思い出した。ソフィーアを助けた時も無我夢中だったのでよく覚えてはいないのだ。

 火事場の馬鹿力というやつできっと何とかなったのだろうと、そういう事にして一応納得している。

「あー、成人の儀での事件ってここにまで広がっているの?」

「はい。我が国も出席しましたので、それはもう聞き及んでおります。しかし、あれを見事撃退なされたのが御息女だとはエステル様からお聞きするまで存じませんでした」

「あー、うん。いや、大したことないです」

 そこまで広まったらこれからの対処をどうしたらいいのか、とコスモスは頭が痛くなるのを感じていた。

 面倒なことが増えた気がしてならない。

 ソフィーアには悪いが、彼女と守護精霊の力ということにしておけば良かったものをと溜息をつくコスモスに、グレンは小声て付け足した。

「とは言っても、御息女が関わった事に関しては秘密にするようにと言われておりますが」

「え? そうなの?」

「はい。表向きにはソフィーア姫と守護精霊の力により、闇を払ったという事になっていますよ」

 その言葉を聞いてあからさまにホッとしたように息を吐いたコスモスに、グレンは苦笑する。どうやらコスモスが悩んでいたのを彼はその声のトーンから察してくれたらしい。

「良かった……」

「流石に、御息女の名前まで広まってしまうのは大変でしょうからね」

「そうなんですよ。迷惑なんですよ」

 話しやすい雰囲気のせいでついついそんな事まで言ってしまう。

 僥倖と言うべき事を迷惑と片付けてしまうコスモスに、一瞬驚いた表情をしたグレンは楽しそうに笑った。

 室内で寝ている精霊や魔獣の為に声を抑えてくれる所が優しいとコスモスは空いた彼のカップにお茶を注ぐ。

「ご心配なく。御息女の事を知っているのもごく一部の者だけですから」

「という事は、グレンは随分と高い身分と言う事よね。副団長ではなく、実際には団長……とか?」

 国の中でも一部の者しか知らない。そしてエステルと会話ができる繋がりを持っているか、その場に居合わせる事ができる人物となればそれこそ限られてくるだろう。

 王を初めとする王族の中でも中心に位置する存在と、彼らの信頼篤い臣下数人と考えるのが妥当だろうかとコスモスは笑いながらそう問いかけた。

「いいえ、副団長です」

「高い身分には違いない、か」

 エステルから名指しで指名されたらしいグレンは面白そうな顔をして、宙に浮かぶカップを見つめる。

 きっと眉を寄せているのだろうと見えない姿を想像し、彼は笑った。

「身分が高くても実力がなければ、何の意味もないのですがね」

「普通は兼ね備えているものじゃないの?」

「……御息女は中々厳しいことをおっしゃる」

 苦笑するグレンに失礼なことを言ってしまったかとコスモスは焦った。

 もっときちんとマザーの娘らしく振舞わねばと姿勢を正す彼女の頭に、マザーが笑顔で無理だと呟いている姿が浮かぶ。

 ごめんなさい、と謝罪するコスモスにグレンは慌てて気にしなくていいと告げると目を細めた。

「貴方の姿が見えないというのが、何とも残念ですね」

「大したものじゃないから気にしないで。実際に見たら幻滅するレベルだから」

「またそんな事を。エステル様は愛らしいとおっしゃっていましたよ」

「うーん。感じ方は人それぞれだから」

 見えないならば見えないで勝手に想像してくれればいい。見えない限りはその想像が壊れることはないのだから。

 容姿が無い人魂であれば、落胆はされても受け入れやすいかもしれない。だが、コスモスはグレンに自分の姿を認識させるつもりはなかった。

(どこで何してるかバレるのは嫌)

 悪い事をしようと思っているわけではないが、フラフラしている姿を見られるのは気苦労が多そうで想像しただけでも嫌な気持ちになる。

 せっかく自分が見えない人物がほとんどなのだから、自由にしていたいものだ。

「その辺の人魂と変わらないから、そんなものだと想像していればいいわ」

「残念ですね。姿が見えたらもっと……」

「ん?」

「いえ、何でも。これ、美味しいですよ。この町でも一番人気だそうです」

 何かを言いかけてやめたのが気になったコスモスだが、見たことの無い珍しいお菓子を差し出されればそちらに食いついてしまう。

 彼女は差し出されるがままに食べ続け、満足そうに息を吐いた。





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