70 騎士と魔法使い
人生は楽しいだけではつまらない。
そう、これは自分をより輝かせるための刺激なのだ。
青年は幼さを残した声で笑いながらペンを走らせる。
紙に書かれているのは文字と図形、そして矢印。
最重要として箇条書きされた文に二重線を引いて笑みを浮かべた。
「あの女は駄目だな。ガードが堅くてつまらない」
自分の怪我を手当てしてくれた村長の娘は、青年が甘い言葉をかけても落ちなかった。
大抵の女ならば一瞬で落ちるのだが、彼女は頬を赤らめるだけで積極的に寄ってこない。
無理矢理好きにしてもいいのだが、いくら万能の力を持つとは言え大騒ぎになることは避けたかった。
自分の物語は始まったばかりなのだ。何も焦る必要はない。
「あの村長がうざいのが問題か。ま、こんなちんけな村はどうだっていいけど」
片親しかいないとろくなもんじゃない、と彼は呟きながら書き上げた物を見つめる。
「少し遊ぼうかと思ったけど、移動してからだな」
力があると、使いたくなって仕方がない。
今回もそうだと彼は自分の行動を反省した。今回は自分一人で目撃者がいなかったからいいものの、今後複数で行動する事を考えて行動しなけらばならない。
奴隷はいざとなればどうとでもできるが、そうでない人物に対してはそうもいかないだろう。
面倒だから、皆同じように口封じするのが簡単でも悪評がついて回るのは良くない。
自分は悪逆非道の魔王になりたいのではなく、万人が敬愛し自然とひれ伏してしまいそうな勇者になりたいのだ。
弱気を助け強きを挫く正義の味方。
「勇者ってのはさ、才能じゃなくて作るんだよ。ふふふ」
自分ならばそれが可能だからこそ、気持ち悪い笑いが止められなくなってしまう。
良く見えるように理想の男を演じなければいけないのに、あまりにも楽しすぎてついつい羽目を外してしまうのだ。
悪い癖だと判って気を引き締めてもこれが中々難しい。
ばれない程度に少々調子に乗るくらいならば後で何とかなるかと呟いて、青年は書いていたものを見つめ微笑んだ。
熱帯を思わせる植物を見上げながらコスモスはアジュールの後をついてゆく。
コスモスとイグニスには関係ないが地面はぬかるみ、触りたくない虫が這っている。アジュールは気にする事もなく颯爽と歩いているが、コスモスの顔は歪みっぱなしだ。
ぎゃあぎゃあ騒ぐわけではないが、やはり目にしたくないものというのは存在する。
いきなり横から飛び出てくる虫も存在するのだが、どれも正直気持ち悪い形をしていた。害はなく、魔物ではないから平気だと言うアジュールの言葉を信じて彼についてゆく。
(最初にやってしまったから、大人しくしてないと)
すり抜けるというのに飛び出てきた虫に驚いて絶叫したコスモスのせいで、一匹の虫が犠牲になった。彼女の悲鳴に反応したイグニスが相手を確認する事なく燃やしたのだ。
一瞬にして炭化してしまった虫の死骸を見つめ、コスモスは小さく項垂れる。
そして、無駄に騒がないように気をつけようと思ったのだがその黒い塊は何故かアジュールが食べてしまった。
好き嫌いなく何でも食べる彼は虫程度で騒ぐコスモスを無言で見つめて、小さく溜息をつく。
謝るイグニスを宥めながらコスモスは図太くなりたいと思うのだった。
(絶叫する度に、燃やされてたら危険だものね。相手関係なく一瞬であれだけの火力とか……恐ろしい、イグニス)
流石は火の最上位精霊かとも思うのだがエステル曰く少々気の抜けた変なやつらしい。コスモスを気に入る時点で相当な変わり者かもしれないと本人の前で失礼な事も言われたが、彼女は聞かなかった事にした。
イグニスはコスモスの隣で浮遊しながら、彼女の質問に答えている。
意外と物知りなイグニスは植物や虫、動物の名前を彼女に教えてくれた。時々、アジュールが割り込んでくるのだが気にした様子もない。
最終的に二人の間でアジュールが第一位として落ち着いたからだろう。
勝手に順位付けされても困るのだが、ならば決めてくれと言われたところでコスモスには決められないだろう。
(どっちも一番とか言ったら二人から怒られそうだもの)
それに総合的に見たとしてもどれを一番にするかで暫く悩んでしまいそうだと彼女は遠い目をした。
魔獣であるアジュールには未だ分からないことが多い。しかし、信頼度で言えば先に出会った彼が有利だろう。
(まさか、イグニスが本当に最上位精霊だなんてね)
そうなると、イグニスはケサランとパサランより上ということになる。
精霊の中での階級に従うとそうなってしまうのだが、それについてケサランとパサランはどう思うだろうかとコスモスは首を傾げた。
(またビビッて隠れなきゃいいけど)
自分よりも階級が高いイグニスに逆らうような真似はしないだろうが、と溜息をついたコスモスは足を止めたアジュールに首を傾げた。
「アジュール?」
「誰か来る」
前方を見つめながら静かに告げるアジュールにコスモスは身構える。魔物かと警戒しながら隠れようとしないアジュールの背後で息を潜めた。
ガチャガチャと金属音が響き、人の声のようなものが続いて聞こえる。枝葉を踏み、生い茂る植物を掻き分ける動作にやってくるのは人間かと推測したコスモスの横でイグニスが鳴いた。
(一人か、二人?)
音からして旅人とは考えられず、金属系の装備をした冒険者か盗賊かとコスモスは想像した。
神域に近い場所でと顔を顰めてしまいそうだが、彼らは意外とそういう盲点をついて仕事をしたりしている。
信仰心が篤ければ罰が当たると近づいたりはしないだろうが、世の中そんな敬虔な信者たちばかりではない。
しかし、盗賊であったとしてもこの面子ならば何も問題はない。
自分が使えない事は最初から判っているコスモスは、アジュールとイグニスという彼女の中でも最強とも言える従者を満足そうに見つめた。
(いざとなれば参戦するけど、出番はなさそうよね)
二名の火力は実際目にしたコスモスでさえ強過ぎるのではないかと引いてしまう程だ。エステルもこの二人が一緒にいるのならば何も心配はいらないだろうと言ったのだから大丈夫だろう。
身の安全は守れると安心すると同時に、相手に危険人物扱いされなければいいとコスモスは思いながら接近してくる存在を待つ。
自分を落ち着かせるように深呼吸を繰り返していたコスモスは、アジュールが低く唸り咆哮した声を聞いて軽く目を閉じた。
周囲に風が巻き起こって動揺した声が聞こえてくる。
ガチャガチャとうるさい音が先程より速くなり、あと少しで姿が見えるだろうと言う所で止まった。
(ふーむ。騎士と魔法使い、かな?)
注意深く慧眼を使って接近してきた相手を見つめていたコスモスは、予想していたような妨害を受けなかったので少々気落ちする。
しかし、油断して良いわけではない。
丈の高い草陰に隠れるようにして姿を見せない人物は、コスモスが見たところで二名。
どちらも中の上程度の力の持ち主だ。
「用があるのならばさっさと出てくるがいい。用が無いのならば去れ。攻撃するというのならば、こちらも容赦はしない」
つるつるとして触り心地が良い葉の上に座ったアジュールが、草むらに向かって声を放つ。彼の耳には相手の会話も聞こえているのだろう。
その顔はどことなく楽しげに見えてコスモスは相手の反応を待った。
「……」
生温い風が頬を撫で通り過ぎてゆく。
ふわり、と風の精霊たちがキャッキャと楽しげに鳴きながらコスモスの周囲に集まってきた。それを見ていたイグニスは不満そうに膨らむのだが、コスモスは懐かしげに目を細める。
アジュールが体勢を変えようとしていた時に、草むらからこちらへ歩いてくる人影があった。
背筋を伸ばし、堂々として歩いてくる人物のマントは汚れているものの、身に着けている服は上質なものだ。その後をついていくようにもう一人がローブの裾を気にしながら歩いてくる。
(騎士と魔法使い、当たりだわ。姿見えないと精度落ちるって言われたけど、大丈夫だったみたい)
白と橙色の配色がなされた服は騎士団の制服なのだろうか。興味深げにコスモスが見つめていると、彼の後方にいた魔法使いが目を見開いたのが分かる。
「初めてお目にかかります。私はレサンタ王国騎士団所属、グレンと申します。エステル様の使者とお見受け致しますが」
「いかにも。エステル様より代理を仰せつかった主の従者でアジュールと言う」
「僕はイグニスなの。よろしくお願いしますなの」
喋る青灰色の獣と、陽気な口調の火の精霊。
その存在を見ても動じる事なく膝を折って慇懃な挨拶をするグレンは、二人の言葉に少し戸惑った表情を見せた。彼の背後では魔法使いがローブの汚れも気にせずに膝を折って頭を下げている。
頭にちょこんと乗せる円形の帽子は胸元に当てられ、その体は小さく震えていた。
「申し遅れました。私は魔法使いのライツと申します」
『ほう。なんだ、コジマではないのか』
コスモスの頭の中に響いてきた声はエステルのものだ。
最初は脳内に響き渡るような声のむず痒さに慣れなかったのだが、エステルに調節してもらったお陰で今はもう気にならない。
脳みそを擽られている感じがすると呟いた彼女にエステルはそれはそれで楽しいと言っていたのだが、コスモスにとったらたまったものではなかった。
居心地が悪いのは波長が上手く合わないという事らしく、そこを調節してもらい会話をしている。
『コジマさんて、誰?』
『レサンタ王国一と名高い魔法使いの事だ。あやつも異世界人だったからな。喜び勇んで出向いてくるかと思ったのだが』
エステルとの会話はコスモスが心の中で呟くだけで成り立つ。
わざわざ口に出さずにすむので変人に見られなくて良かったと思いながら、コジマという名前を口にしてアジュールに聞いてもらうと、グレンとライツの二人は一瞬動揺したように顔色を変えた。
『異世界人! マジですか! うわ、凄く会いたいです。物凄く会いたい!』
『まぁ、落ち着かぬかコスモス。とりあえずそのまま二人を連れて王都まで行くが良い』
これが落ち着いていられるか、と目を爛々と輝かせるコスモスに呆れた様子でエステルが宥める。コジマという名前で、もしかしてと思ったコスモスはすぐにでもそのコジマという人物に会いたくて仕方が無かった。
レサンタ王国一と呼ばれる程の魔法使いなのだから、異世界人送還についてもきっと何か知っているはず。
はやる気持ちを抑えて二人を見つめていると、騎士と魔法使いはゆっくり立ち上がり互いに顔を見合わせて何やら小声で話をしていた。
その様子を見つめていたコスモスたちに、グレンは申し訳無さそうにこう尋ねる。
「それで、エステル様の使者であらせられるのはアジュール殿で良いのだろうか」
沈黙が漂う。
アジュールの目が険しくなり、彼は呆れたように溜息をつく。
姿勢良く座っている魔獣に溜息をつかれた二人は、困ったように顔を見合わせながら「精霊か? 精霊の方か?」と小声で話し合っていた。
こうなる事は充分に予想ができている上に、慣れてしまっていたコスモスはそれでいいんじゃないかと呟きながらアジュールに話しかける。
しかし彼は眉間に皺を刻んで首を横に振った。
「私は主の従者だ。ここにいるイグニスも同じ。我が主は限られた者でしか見ることはできぬ。嘘だと思うのであればそれでもよい」
「主殿……ですか」
エステルとケリュケには見えていたからもしかして、と思ったコスモスだがやはり自分を認識できる人物はそういないようだと頷いた。
(ま、簡単にはいかないよね)
頭の中でエステルに慰められながら気にしていないと答えた彼女は、視線を彷徨わせるグレンとライツを見つめて苦笑する。
「話が進まないからとりあえず、アジュールが窓口になっておいて」
「ふむ。それならば構わない。ただ、エステル様の代理はマスターなのだからな」
「はいはい、判ってます」
面倒だからコスモスとしてはそのままアジュールを代理として据えてしまいたい。
彼ならば卒なくこなせるだろうと予想しての事だが、そんな主の思惑を見抜いているアジュールは頑なに首を縦に振ろうとはしなかった。
絶対服従ならば何でも従うべきだろうと愚痴を零すコスモスの言葉を無視し、彼は案内するようにとグレンとライツの二人を促す。
「それにしても、よく疑わぬものだな。魔獣と精霊しか居ぬと言うのに」
「エステル様より事前に情報をいただきましたので。お聞きしていませんか?」
「聞いてはいないな」
ライツの言葉に溜息交じりで返すアジュール。
コスモスが頭の中でエステルに問いかけると『忘れておった。てへっ』と返される。可愛い子が困った時にそうしておけば大抵の事は乗り越えられると話したコスモスのせいだろう。
早速実践しているエステルだが、愛らしい外見とは違う中身を知っているコスモスにとっては寧ろ恐怖でしかない。
(教えるんじゃなかった)
普通の人がやってもイラッとするだけなのだが、顔が整って愛くるしいというだけでどうして許せるのだろう。目の前でやられたらエステルと言えども許してしまいそうな気がして、顔が見えないことに安堵する。
そして、今後そのてへぺろでゴンザレスが酷い目に遭わなければ良いがと心の友を心配するコスモスだった。




