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いえ、私はただの人魂です。  作者: esora
道楽娘の家出
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69 水鏡

 伏せているアジュールの頭を撫でながらコスモスは珍しく大人しいゴンザレスを見つめた。

 彼は自分でお茶を注いでは飲み干す行為を繰り返している。

 ポットが空になったのに気づいてお代わりを持ってくる辺りに動揺が見られるとその姿を目で追っていれば、入れ替わりにケリュケが入ってきた。

「エステル様に言われまして」

「あ、ありがとーケリュケさん」

 空のポットを受け取ったケリュケは、中身の入ったポットをゴンザレスに渡して軽く一礼をする。彼女は彼女でやる事があるのだろう。そのまま室内を見回して再び奥へと消えていった。

「落ち着いたか?」

「全然」

 エステルの言葉に即答したゴンザレスの表情は冴えない。

 栄転だというのに何が悪いのだろうかと考えていたコスモスは、エステルが苦手だからかと思い首を横に振った。

 軽口を叩き合う仲ではあるだろうが、エステルはゴンザレスの主人である。

 口は悪いがゴンザレスもエステルの事を本気で嫌っているわけではない。

「それだけ切羽詰っているという事だろう。先の改造はこちらに合わせて性能を向上させたのではないか?」

「ほほう。それだけ判れば充分だな」

 視線を彷徨わせどういう事なのか理解しようとしているコスモスを見つめていたアジュールは、小さく溜息をついてそうエステルに問いかけた。

 エステルは楽しそうな表情をしてアジュールへ視線を移すとにこりと笑う。

「お主も私の元へ来ぬか? 良い待遇を保障するぞ」

「断る。私の主は一人だけだ。それに、私がここにいれば祠が穢れるぞ? 神聖な場所なのだろう?」

「……」

「おい、コスモス。いいのかよ」

 二人のやり取りに暢気にお茶を飲むコスモスは、ツンツンとゴンザレスに突かれて大きく瞬きをした。声を潜めて従者が取られるかもしれないぞと忠告してくれる彼にコスモスは苦笑する。

「アジュールがいいなら、いいんじゃないかな」

「いいのかよ!」

「まぁ、服従してくれてるのも、私が主なのも彼がそうしたいからだろうし」

 一瞬で覆る程の力を持っておきながら大人しく小娘に従うのは自分に利点があるからだ。そうはっきり告げているアジュールの言葉に嘘はないだろうとコスモスは思っている。

 ゴンザレスはそんな彼女の淡白な返答に口をへの字にしながら眉を寄せた。

「僕はずっとマスターと一緒なのですぅー」

「低音美声で言われると、微妙だな。まぁ、そう言ってる奴もいるんだし良かったじゃねぇか」

「うん……」

 忘れてもらっては困るとばかりに飛んでくるイグニスを軽く撫でていれば、下方から溜息が聞こえる。

 呆れているんだろうと分かっているので視線を向けるまでもないと、コスモスはイグニスをそっと押しのけた。

「誑しよのぅ」

「それやめてくださいってば」

「ほほほほほ」

 自分でさえこれなのだから、他の異世界人はもっと凄いのだろうと言えばエステルの目が鋭くなった。「あ」と声を上げたゴンザレスが笑顔を浮かべて無理矢理話題を変える。

 何かいけない事でも言っただろうかとコスモスは少女の顔を窺い、謝罪を口にしようとすればその前にゆるりと頭を横に振られた。

「黒い蝶捕まえたあいつも可哀想だよなぁ。遠く離れて暮らしてる娘に見せてやりたいって言ってたのによ」

「……あぁ、国境付近に住んでいる樵さんだっけ?」

「真面目、実直。つまらない男かもしれぬが、信頼できる男だ」

 エステルがそこまで評するのならばそうなのだろう。

 強引な話題転換に成功したゴンザレスは小さく拳を握って「よし」と頷いた。

 心の中でそれをやればスマートで格好良く見えるというのに残念だとコスモスが呟くと、エステルは顔を逸らしてプッと噴出す。

 言われた意味が判っていないゴンザレスは、イグニスを突きながら「ん?」と首を傾げる。

「幸福の蝶ではなかったの? 本当に黒い蝶?」

「ああ。私が確認したのだから間違いは無い」

「……どうやって?」

「水鏡で遠見ができる。フェノール内ならば確実、外ならば邪魔をされぬまで可能だ」

 スッと指を差す先にあるのはコスモスが最初に投げ入れられた場所だ。神獣の頭部を模した石像の口からは清らかな水がとめどなく溢れている。

(どこかで見たような石像だわ。それにしても水気多いのに湿度高くないのはエステル様が調節してるから?)

 それとも自分の体が自動調節しているせいなのだろうかと思いながら、コスモスは大広間の奥に存在する水辺へと目をやった。

 入ってもいいかと尋ねたコスモスにエステルは大きな器を用意してくれた。そこにケリュケが植物から抽出した癒し効果のあるオイルを垂らして「どうぞ」と笑顔で告げる。

 できれば目隠しをして欲しかったのだが、人魂の風呂など誰も興奮しないと呆れ顔でエステルに言われて渋々諦めた。

 種類が多いオイルの説明とその瓶を眺めているだけで暇が潰せると、至福の時間を思い出したコスモスは緩んだ顔をアジュールに指摘されてハッとする。

(いけない。素敵な半身浴タイムに思いを馳せて、酷い顔してたわ!)

 見せられたものではないと焦るコスモスだが、人魂の姿だったことに気づいてほっとした。しかし視線を落とした彼女は、赤い目と目が合って「あ」と声を上げる。

 人の姿をしていようが、人魂だろうがこの獣の勘の鋭さは恐ろしい。

 呆れたように小さく息を吐いたアジュールが視線を逸らしたのを見て、コスモスはエステルに問いかける。「邪魔をされないまで?」

「相手がこちらに気づき妨害されれば終わりだ。それでも私の力が続く限りはどこまでも可能だがな」

「なるほど」

「続く限りって良く言うぜ。毎日ここから世界全体の事象見てニヤニヤしてるくせに」

 ぼそりと呟いたゴンザレスにエステルは軽く目を見開いて小さく体を震わせた。白い頬に朱が差したと思えば彼女は両拳を握ってゴンザレスを睨みつける。

(あちゃー、それ言っちゃダメだよね)

「砂漠にいるお前が何故それを知っている!」

(否定せずに認めるのか)

「はぁ? 気分屋のババアに引きずられて俺が何度ここに来たと思ってんだよ」

 気配を薄くするコスモスには反応せず、エステルとゴンザレスは互いに軽く睨み合う。どちらも引かぬ様子を眺めながら彼女は溜息をついた。

(何度もって事は、今回の改造で何回目なんだろう)

 素朴な疑問だがゴンザレスが嫌そうな顔をしそうなので聞くのは止める。ギャアギャアと騒ぐ二人の仲裁をする事なく自然鎮火を待ちながらコスモスは半身欲を楽しんでいた。

 オイルの効果もあって、眠ってしまいそうなほど気持ちが良い。

「樵さんは仕事中に見つけて捕まえたんでしたっけ?」

「あ? あぁ、そうだ。レサンタ側の森で入手したと嬉しそうに言っていた」

 水鏡による遠見の術は離れた場所にいる相手と会話も可能らしい。テレビ電話みたいなものだな、とコスモスは想像しながらゴンザレスの髪を引っ張っているエステルに頷いた。

 彼女はコホンと咳払いをすると、自分の席に戻ってゴンザレスをきつく睨みつける。

 舌を出して両手を顔の横で動かしながら煽る彼に顔を引き攣らせたが、お茶を飲むと息を吐いてコスモスに目をやった。

「変だとは思わなかったんです?」

「まぁ、国境に近かったからな。私の力の影響で消えぬ幸福の蝶がいてもおかしくはないと思った」

「……術者に似て図太いって事か」

 ぼそりと呟いたゴンザレスに苦笑しながらコスモスは片手で彼を制した。これ以上また揉められたら話が先に進まない。彼女の意思を感じ取ったイグニスがゴンザレスに軽く頭突きをして大人しくしているように告げる。

 渋々と言った表情で眉を下げて溜息をついたゴンザレスは、皿に乗っていた果物を乱暴に手で掴むと口いっぱいに頬張った。 

「幸福の蝶はその辺りではよく見られるんですか?」

「さあな。たくさんいる、と言うわけではないが珍しいわけでもないと思うぞ?」

「……それで、その樵さんは?」

「後遺症は無いが、気持ちの落ち込みが激しい。あやつは国境の守護役も兼ねていたからの。責任感が強すぎる故に許せなかったのだろう」

 未然に防げて大事だいじには至らなかったのだからそれで良いのに、と呟くエステルの言葉から樵を信頼しているのが分かる。

 ゴンザレスも表情を曇らせてじっとテーブルの一点を見つめていた。

「ババアも許してるし、誰も責めてないってのに本人が許せなかったらなぁ? 何言っても無理って、つらいよなぁ」

「操られてしまう隙を作った自分が悪い、か。真面目過ぎる人だね」

 だからこそそこを利用されてしまうのかもしれない。

 その樵に会った事はないが二人の言葉からどんな人物なのかは想像できた。

 早い回復を祈るばかりだと思いながらコスモスは考える。

「それにしても、思ったほどすんなり帰れそうにもないですね」

「そういうものだ。諦めるがいい」

 これからミストラルに戻るにしても、行動するならエステルの護りを得た方が良いと提案される。

 マザーの加護は消えておらず、認識するものも限られる人魂のコスモスだが何があるかは分からない。

 元の世界に帰る方法が分かるまでこの祠にいてもいいと言われたが、一度ミストラルに戻らなければならないだろう。

 心配しているかもしれない少女とその兄のことを思い浮かべ、コスモスはゆっくりと息を吐いた。

「分かりました。本日この時より、私コスモスはエステル様の庇護下に入ります。よろしくお願いします」

「あぁ、それがいい。こちらも助かる」

 良く考えてくれて構わないと言われたがコスモスにとっては受ける以外の選択肢はない。

 護りはあればあるほどいいだろう、と防御力が増した自分を想像して力強く頷く。

 年齢不詳だが実力は確かであろうエステルの庇護を受けられるのは運がいいのかもしれない。

(大事なのは情報よね。それと事件の匂いする所に黒い蝶の影ありとくれば、帰らないで追うしかないかぁ)

 あまり気が進まないがそうするしかないだろう。

 ケサラン、パサランがこの場にいないのは寂しいが、忠実な下僕を自称する魔獣と出会ったばかりの最上位精霊がいる。

 何か問題が起こってもこの二体の使い魔がいれば何とかなるだろうとコスモスは気楽に考えることにした。

「本当に大丈夫かよ。コスモス、お前よく考えろよ?」

「うん。心配してくれてありがとう。ゴンさん」

(マザーから私の身を預かったエステル様のことだから大丈夫でしょ。ただ、マザーとのやり取りが気になるけど……気にしてもしょうがないか)

 この二人のことだから聞いた所で簡単に教えてはくれないだろうとコスモスは溜息をついた。

 なにやらよからぬやり取りをしていなければいいが、少々不安になってしまう。

 どうか自分に害はありませんように、と祈っていると彼女をじっと見つめていたエステルは楽しそうに笑った。

 綺麗な紫の瞳に自分の姿がはっきり映っているのを見つめながら、コスモスは軽く肩を竦める。

 エステルは何も言わずにっこりと可愛らしく笑うだけ。

「その花輪はお主によう似合っておるな」

「どうも。見た目が地味で花が無いので、花輪くらいつけてちょっとは可愛らしく見せようかなと思いました」

「卑下するでない。もうちょっと自分に自信を持て」

「美形に囲まれると感覚麻痺するんですよ。自意識過剰にならないように気をつけようかと」

 自分も彼らと同じような美形なのだと錯覚しないだけまだマシだろうかと、ミストラルでの生活を思い出したコスモスは小さく唸る。

 肉体があったらどうなっていたか想像するだけで恐ろしい。自分の凡人さ加減に身を隠したくなっていたに違いない。

(キラキラ、ピカピカ光ってる場所にいるのも居心地悪かったけど、最近慣れてきたからなぁ)

 ヴレトブラッド家の人たちは交流があるからかコスモスも随分と慣れた。仕えている使用人たちも比較的整った顔立ちばかりだったのだが、家が家だけに仕方がないだろう。

 上流階級、王族関係と付き合いがあるのだろうから、あの家に仕える事ができる時点できっと選ばれた人たちなのだと彼女は執事や侍女頭を思い出した。

「姿が見える人は限られていますからいいんですけどね。そうじゃなかったら、胃が溶けます」

「無いだろうそんなもの」

「なぁなぁ、俺は? 俺は?」

「頼りになる兄ちゃんから、イケメンさんに変身しましたね」

 自分の顔を差しながらキラキラとした瞳で見つめられたコスモスは苦笑しながら答える。その言葉に喜ぶかと思ったゴンザレスだが、彼は眉を寄せて唸るとエステルに視線を移した。

「なぁ、やっぱ俺……」

「却下じゃ。お前はそれで固定」

「な……あ、じゃあ! もう終りってこ」

外見は・・・固定」

 どうやら前の見た目の方が彼としては気に入っていたらしい。男らしかっただろ?と尋ねられたコスモスは強面だが喋ると人懐っこい元の姿を思い出して頷いた。

 そしてエステルとのやり取りで一喜一憂する彼に自然と頬が緩む。

(エステル様、もしかしてこの反応を楽しんでいるんじゃあ……)

 見たところ娯楽が少ないこの場所で、外に一歩も出ず退屈を紛らわせる方法として嫌がるゴンザレスを引っ張ってゆくエステルの姿が頭に浮かんだ。

 嬉々としていたエステルの表情は玩具を見つけた子供に似ているとコスモスは頷いて、しょんぼりと視線を下げるゴンザレスを見つめる。

「……異世界人は外見も多少なりとも補正されるはずなのだがなぁ」

「うーん。でも俺はコスモス好きだぜ。火の玉だけど気さくでいいヤツじゃん」

 バチンとウインクをされても、残念ながらコスモスの心はときめかない。

 荒み過ぎてそれこそ砂漠状態で潤いが足りないせいなのではないか、と自分の乙女心の欠陥を考えた彼女は心臓のある辺りを押さえて小さく震えた。

(そうよ。せっかくの美形揃い、フツメンだっているってのに、ちっともときめかないって何故?)

 故障しているのかと一人衝撃を受けているコスモスは、最近ときめいた事を思い出そうとするが何も浮かばない。

 記憶違いか、と眉を寄せながらこちらの世界に来てからのことを思い出して小さく笑った。

(……ときめきって、なんだっけ?)

 元の世界に帰りたいという思いばかりが強く、ときめくなんていう余裕もなかった彼女は自分の気の小ささに苦笑する。

 もっと若かったら違ったのだろうかと想像してみるが、今よりも帰還することで頭がいっぱいになっているだろう。

(うん。ときめいてる場合じゃないからね。無事に帰還できることが第一だから)

 ときめきは自分には必要ないのだと結論付けた彼女は自分を納得させるように何度も頷いた。

 その様子をじっと見つめていたエステルの視線に気づき顔を上げた彼女は、少女の哀れむような目に思わず水の中に潜る。

 水中に沈んだまま浮かんでこない人魂を見つめながら、エステルは楽しそうに笑い声を上げた。

 



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