68 左遷か栄転か
上空から眺める景色に目を細め、意識を集中させる。
「……うん」
初めの頃に比べれば随分と良くなった。
コスモスは満足そうに頷いて、目の前に広がる景色を眺める。
祠の上空から周囲を見回している彼女の目に映るのは、広大な砂漠の中に存在する森と祠だ。砂漠には巨大生物の骨や魔物らしき姿も見える。
エステルが言っていた門番らしき屈強な魔物の姿を暫く見つめていた彼女は、頭の中に響いた声に頷くと祠の中へ戻った。
「だいぶ良くなったようだな」
「はい。何とか」
コツらしいものを掴んだ気がすると呟いて笑みを浮かべたコスモスに、椅子に腰掛け優雅に仰がれているエステルは満足そうに笑った。
先程から視界に入れないようにしている物を無視しながらコスモスは長椅子に座る。
用意されたお茶を飲み、小さな菓子を頬張っていれば先に座っていたアジュールがゆっくりと視線だけをコスモスへ向けた。
飛んでくる精霊を前足で蹴るように攻撃を仕掛けているアジュールを窘めると、コスモスは新たに加わった仲間の精霊を優しく撫でる。
「マスターは覚えが良いのです」
「当然だ。あの程度も覚えられぬようでは困る」
「はいはい、すみません」
自分の事のように喜んでくれる精霊はコスモスの周囲を飛び回りながら時々アジュールをからかう。
喧嘩を始めそうな勢いに、膝に乗っている獣を宥めつつコスモスは片手で火の最上位精霊を軽く押さえた。
彼の名前はイグニス。
コスモスがつけた名前をどうやら気に入った様子で受け入れた彼は、すぐに会話での意思疎通ができるようになった。
最初は驚愕していたコスモスだったが、エステル曰く最上級以上の精霊とは普通に会話が成り立つらしいので、そういうものなのだと納得する。
可愛らしい口調で人懐こくコスモスに擦り寄るイグニスは、ケサランとパサランとも違って愛らしい。何よりここまで慕ってくれているというのが嬉しかった。
「お年寄りは怖いのです」
「ははは。お主も大変よのぅ」
「揉めなければ大丈夫ですから」
テーブルに降りたイグニスはコスモスから与えられたお菓子を美味しそうに食べながら上機嫌に歌う。朗々と響く声は耳に心地よくてエステルも目を細めてその様子を見つめていた。
「可愛い口調に、歌も上手いが……随分と低い声なのが難点だな。アジュールより低いとは」
「ええ、びっくりでした」
声だけを聞いていると確実にイグニスの方が年上に見えるのだから不思議だ。
まじまじと見つめる二人の視線に小さく揺れたイグニスは、頬を膨らませるようにその身を少し膨らませた。
「嫌いなのですか? この声は気に入りませんか? マスター……?」
「う、ううん。ちょっと、驚いただけで凄くいい声をしていると思うわ」
「気持ち悪いだけだと思うがな」
「本音はしまって」
しょんぼりとするイグニスに慌てて首を横に振ったコスモスだが、アジュールが余計なことを言うので軽く睨みつけた。
先輩従者の発言にショックを受けたイグニスは、泣きながら彼に突進していく。
「ひどいのですー」
「うわ、ちょっと待って!」
青灰色の獣の頭目掛けて突進するイグニスにコスモスは手を突き出して静止するように告げる。しかし、鈍い音が辺りに響き渡ったと同時に彼女は大きく目を見開いてがっくりと項垂れた。
人型が消え、人魂だけになってしまう様子を眺めながらエステルは菓子を口に放り込んだ。
「避けられんのか、マスター」
「……」
「ごめんなさいなのです、マスター」
アジュールとイグニスの間に入ってしまったコスモスは、イグニスの直撃を受けて人魂の姿で転がっていた。
いくら肉体を持たない彼女でも、痛いと思えば痛みを感じるので辛い。
防御壁は常日頃から身に纏うようにしているのでこれでも軽減されているのだろう。しかし痛いものは痛い。コスモスは大笑いをしているエステルを睨んだ。
「……笑いすぎです」
「すまぬ。面白くてな」
「マスター、あの程度は回避できなければだめだろう」
「え、説教されるの?」
心配してくれないのか、と転がったままのコスモスは驚いた声で獣を見つめる。
いつも通りと言えばそうなのだが、少しくらい心配してくれてもいいだろう。泣きそうな声で謝罪してくるイグニスに「大丈夫」と答えながら、コスモスは
少しくらい心配してくれてもいいじゃないか、と八つ当たり気味に彼女は人魂のままアジュールの頭に突撃した。
「ぐぬぬ……」
「回避すればいいんじゃないですかね?」
「性格が悪いぞマスター。第一、私が避けたら余計にマスターが痛くなるだろう」
「大丈夫。絶対に、狙いは外さないし今の状態なら痛くない」
「何故ここで本気を出そうとする!」
明るくのん気な性格が気に入らないのか、声の割りに幼い様子が嫌なのかは分からない。
不満げな表情をしながら言葉を濁すアジュールにコスモスは溜息をついた。
エステルはそんな様子を見ながらポンポンと軽く獣の頭を叩く。
「イグニスの方がお主より年上だぞ?」
「へぇ」
「……嘘だろ」
「嘘をついてどうする」
暫く見つめ合っていたエステルとアジュールだが、先に溜息をついて視線を外したのはアジュールだった。
エステルはにこにこしながらその様子を見ている。
小さな手で頭を叩かれても微動だにしないアジュールは諦めているようにも見えてコスモスはお茶を飲んだ。
「年上なのですー」
「コレが……」
「精霊は得体の知れないものも多いからな。私よりも年上だろう」
「エステル様はひどいのです」
ぷんぷん、と口に出しながら怒っている様子のイグニスに詰め寄られてエステルは苦笑する。物怖じしない性格なのだなとコスモスがイグニスを見つめていれば、彼はそのままエステルの額を軽く小突いた。
「ほほう。こやつ、中々やりおるわ」
「負けないのです!」
しっかり両手で掴まれても動じない様子にエステルは嬉しそうに目を細めた。イグニスは体から湯気が出そうなほど怒っており「若いのです!」を繰り返す。
火傷をしてしまいそうになるくらい熱そうなのに、エステルは平然とイグニスを持ったまま笑っていた。
ジタバタと暴れるイグニスをしっかり掴んでエステルが小さく呟くと瞬時にイグニスから熱気が消える。
一瞬で消火した、と驚くコスモスにアジュールは溜息をついて目を伏せた。
「しかし、あの短時間で最上位精霊を誑し込むとはな。お主の才能はこれかもしれぬぞ、コスモス」
「は?」
「精霊、魔物等を誑し込む能力」
エステルは真面目な表情で大きく頷くが反応に困る。
自分では誑しているつもりなどさっぱりないコスモスは、どの辺りが誑しているのだろうかと自分の行動を振り返ってみた。
そして、判らないと首を傾げる。
「いや、普通ですけどね。特に何をするわけでもなく」
「……異世界人には標準装備されている能力なのかもしれんな」
「わぁ。だったら、それはそれで大変ですね」
「しかし、そのほとんどが対人だろうな。強化されて精霊に通じるか、か」
溢れ出るカリスマオーラというやつだろうかと想像したコスモスの頭に浮かんだのは、何故か襲撃者だった。
思い出したくない相手だが、頭に浮かんだ以上は仕方がない。癪に障る声と口調も同時に思い出して苛々としてしまったコスモスだったが、今度彼と会った時に対処ができるかどうか考える。
(多少強くなったとは言え、防御でさえギリギリだったからなぁ。あっちは準備運動にすらなってなさそうだったし)
そうなると慧眼を使用しても跳ね返されて逆にダメージを食らってしまう可能性が多い。
マザーはどうやってお帰り願ったのだろうとやり方を想像しているコスモスに、小さな手が触れる。気づけばエステルが真面目な顔をしてコスモスの額に手を伸ばしていた。
「何か? 熱はないと思いますよ」
「いや……そうではない。すまぬ、少々気になってな」
何が気になったのかと問おうとすれば小さな手が静かに離れてゆく。エステルの近くで大人しくその様子を見つめていたイグニスが、ぽつりと呟いた。
「アイツなのです?」
「あぁ。そういう点でも繋がっていたとはな……」
「あ、もしかして襲撃者?」
「すまんな、コスモス。お主の考えている事が薄っすらと見えてしまって確認してしまった」
勝手に心を読むなと普通ならば怒りたいところだが、変な想像をしていたわけでもないのでコスモスは「いいえ」と答える。
考えている事も駄々漏れなのだろうかと心配する彼女に、エステルは自分くらい強い者でなければ無理だと呟いた。
声は柔らかいが表情は冴えない。
「おう、お代わり持ってきてやったぞ」
「ありがとう、ゴンさん」
「おい……コスモスお前さっきからずっと俺のこと見ねぇよな?」
「え? 気のせいですよ」
正面を向いてエステルを見つめながら視界の隅に映るゴンザレスとやり取りをする。うふふふと笑うコスモスに「嘘付け!」と叫んだゴンザレスは「うるさい」とエステルに一喝された。
せっかく持ってきたのにと涙目になりながら顔を逸らすゴンザレスを哀れに思ったコスモスは、空いている席を指して座るようにと誘う。
すぐさま顔を上げて彼女を見つめたゴンザレスは、嬉しそうに頷いて座ると空いたカップにお茶を注いだ。
「別人のような改造っぷりですけど、ゴンさんなんですよねぇ」
「おう。中身は変わらねぇよ」
グッと立てた親指で自分を指すゴンザレスは声と口調、その性格が前の彼と変わりないものの外見は素晴らしい変化を遂げていた。
ガタイのいい近づきたくない系統のオニチャンから、何故か爽やかな青年に変貌を遂げている。くすんだ金髪に褐色の肌、がっしりとした体躯は前よりも細身になったような気がするとコスモスはゴンザレスを見つめた。
じろじろと見られる視線に、照れたように頭を掻いて身をくねらせたゴンザレスは「へへへ」と笑う。
強面だった顔は整った輪郭に変わっており、アルヴィと並べば似たような雰囲気で目の保養だったろうとコスモスは想像した。
「誰も俺について何も言わねーからさ。つまんねーだろ? 前の方が男前でイカしてたよな?」
「そうですね。門番としては非常に最適だったかと」
「だろ? だろ? それなのによ、このババアは……いえ、エステル様のお陰でおれ……私は生まれ変わったのです」
声を潜めてコスモスに同意を求めていたゴンザレスだったが、鋭い視線を感じてたどたどしく言葉を紡ぐ。丁寧な口調は慣れないのか、苛々するように眉を寄せながら彼は話を続けた。
「元に戻せって騒いだらよ、俺左遷なんだって」
「え!?」
「短い間だったけど、楽しかったぜ。心の友よ」
(え!? いつの間に心の友認定されたの?)
それにゴンザレスが左遷とは一体どういう事だとコスモスが彼の主に視線を移せば、エステルは困った表情をしてお茶を飲んでいた。
能力的に問題があるのだろうかと不思議がるコスモスの心情を察したのか、エステルはカップを置くと口元に笑みを浮かべる。
「左遷ではない。栄転だ」
「お、出世?」
「何だと! 出世できるのかっ!?」
下克上万歳と叫びながら立ち上がったゴンザレスを窘め、エステルは静かにこう告げた。
「お前には祠の守護をしてもらう」




