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いえ、私はただの人魂です。  作者: esora
道楽娘の家出
66/291

65 地図

 祠へと戻って椅子に座ったエステルは、少し疲れた様子で溜息をつく。

 そして、フェノール周辺に黒い蝶が現われたのはミストラルで事件が起こる三ヶ月ほど前の事だと告げた。

 目撃したのは砂漠に住む他の門番だという事を聞いて、コスモスは一体何人の門番がいるのかと首を傾げる。

 世界の事について記されていた本を思い出していたコスモスは、フェノールとはどんな国だったかと記憶を辿っていた。

 マザーに強制され必須だと言われ読んでいた本ではなかったので曖昧だが、確か神が降り立ったとされる聖地だったはずだと彼女は眉を寄せる。

「うっわ、面倒な事になってきたな」

「護りを強化するようにとは伝えておる。お前も気を抜くでないぞ」

「へいへい」

 全く緊張感がない様子で返事をしたゴンザレスは久しぶりの肉を食べて満足そうに腹部を叩いていた。骨も皮も残らず食べてしまう彼だが、調理法には拘るらしい。

 皮は毛を剥いでカリカリになるまで焼き、肉は蒸したものに甘辛いソースをかけて食べるのが好きなのだと言う。

 好き嫌いなく食べる様子を見つめていたコスモスは水瓶に入った水をそのまま飲み干す彼の姿に「ワイルドォ」と呟いた。

 コスモスは何故か今もまだケリュケに抱えられたままの状態で、エステルとお茶を飲んでいる。

 体調も良くなったので下りようとすれば、笑顔のケリュケに優しく戻されるのだ。

 大丈夫だと告げても、無理はしないようにと優しく言われて撫でられる。

「それで、黒い蝶は何かしてきたんですか?」

「あれ自体に大した攻撃力はなく自我も無い。鬱陶しいだけで砂漠すら越えられぬ軟弱者だ。放っておいても勝手に死ぬ」

「国境付近でその姿が確認されたのです。実際に目にしたわけではありませんが、幸福の蝶が大量発生すると情報を得まして」

 広い砂漠は一体どこまで続いているのかコスモスにも分からない。暑寒に耐性があるとマザーから告げられはしたが、無効というわけではないのであの砂漠を越えられる気はしなかった。

 精神も作用するので上手く制御するようにとも言われているのだが、これが中々難しい。

 熱い、寒い、痛い、痒い。

 人魂であるコスモスにとって物理攻撃は基本通用しない。

 霊や精霊を攻撃できるような付加属性がついた武器や、魔法ならば話は別だが刺されても切られても痛みは感じない。だが、彼女はそれを痛いと感じてしまうのだ。

 切られれば痛い、と視界から受け取った情報に今までの経験が照らし合わされてそう思わせてしまうらしい。

 思い込みというものは恐ろしいもので、本当に攻撃を受けたかのように生命力も減少してしまうのだ。

 人間として肉体を持っていた頃の癖が抜けないからだと溜息をつかれても、コスモスとしてはどうしようもない。

 今の人魂である状態が異常なのだから。

(人魂の感覚に慣れる方が恐ろしいと思うんだけど)

「はい先生。フェノールってミストラルと近いんですか?」

「……お前、マジで箱入りなのな! 人魂のクセに! 俺ですらここがどの位置かくらい知ってるぜ?」

「ならばお前が答えてやれ」

 指を差されて笑われても世界地図などぼんやりと見た程度なので詳しくは覚えていない。パサランがいれば本を取り出せてすぐに調べられたのに、とコスモスが思っていればゴンザレスはフフンと鼻を鳴らした。

「フェノールはここにあるとすんだろ? だとしたら、ミストラルってのはこっちだ」

 両腕を大きく広げ、拳を握ったゴンザレスはフェノールの位置を左手で、ミストラルの位置を右手で示す。自信満々の顔をして「どうだ」と見つめてくる彼にコスモスは困惑しながら何とか位置関係を読み解こうとした。

(左下と右上? いや、でも平行よりちょっと上だからそれほど北ってわけでもないだろうし……そもそも方角どうなってるの?)

「コスモス、これを見よ」

「おおっ!」

 溜息をついたエステルが床に指を向けると、苔生した石床に世界地図のようなものが浮かび上がる。スクリーン代わりかと驚きの声を上げながら手を叩くコスモスに彼女は不機嫌になったゴンザレスを鼻で笑った。

「最初からそうしろよな、ババア」

「お前が知っていると言うから譲ってやったのだ。親切だろうが」

 床に胡坐をかいて座っていたゴンザレスに地図が被ってしまっていたので、仕方なそうに彼は移動する。頭部は猛禽類を思わせる鳥で、他は人の姿をしている石像に寄りかかった彼は、床に映し出された地図を眺めた。

「フェノールはここ」

 近くに漂っていた精霊を掴むと、エステルはそれを目的の場所へ軽く投げる。ゆっくりと移動する精霊は彼女の望む場所に着地して小さく跳ねた。

(あぁ、確かに左下だわ。その下にまた海を挟んで大陸があるけど)

「そして、ミストラルはここだ」

 もう一体の精霊がふわふわと浮遊しながら床の上を滑るように進んでゆく。止まった場所を見たコスモスはゴンザレスの説明もあながち外れてはいないなと思った。

 だが、口に出すと調子に乗ってしまいそうなので黙っている。

(確かに右側で、上の方ね。北は上でいいのよね)

 分かりやすいように方角を教えてくれとエステルに言えば、コスモスが思った通り上を北にして見た場合だと小さく笑われた。

 コスモスは自分に関係ないと思って世界地図を今までじっくり見るようなことはしなかったが、こうしてみると随分と距離がある。

 ミストラルにいた頃は、まさか自分があの国の教会から離れるなんて事は想像できなかった。

 例えマザーに他国へ行くようにと言われたとしても、断固拒否する気でいたのだ。どうしてもという場合は頼りになる人物と一緒にと注文をつけた。

 流石に知らない世界の知らない国に単身乗り込むような勇気は無い。

 いくら自分が人魂で、精霊と同じように認識できるものが稀だとしても嫌なものは嫌だった。

(アジュールがいるからいいじゃないとか、そういう問題じゃないのにあのマザーは……)

 完全に自分を密偵として使う気満々だっただろうとコスモスはその時のやりとりを思い出して顔を歪めた。ギリギリ、と歯軋りをする彼女にエステルは楽しそうに笑う。

「随分と長旅だったな、コスモス」

「そうですね。私にも何が何だか」

 夢の中での出来事は口にしていないが、どうしてこの場に放り出されたのかは分からない。そもそも、気づけばこの場にいたコスモスがどうしてなのかと聞きたいくらいだった。

 だが、もう一度あの訳の分からぬ存在に会う事を想像してゆっくりと頭を横に振った。

(これは話してもいいかなぁ。マザーとも知り合いみたいだし、ここまで良くしてもらってるものね。送還の方法についても調べてくれるとか言ってたし)

 異世界人という事を見抜き、平然としていたエステルはソフィーアの異常についても何も言う事はしなかった。国だけではなく世界を揺るがしかねぬ事だというのにだ。

 守護精霊を持てぬ姫は異常であり前代未聞で有り得ぬはずだが、エステルは何も言わない。

 それよりもコスモスの事に興味がある様子で彼女の世界の事や、彼女自身の事を聞いていた。

(何より……隠してたところで仕方ないような気がするわ)

 そこまで知られてしまえば意地になって隠すほどの事でもないのだから言った方が良いのだろう。

 そう判断したコスモスは、後でマザーに怒鳴られようと適当に躱す事だけを考えて自分が見た夢のことを説明する。

 夢を見て場面が切り替わり砂漠だと思ったら、水の中にいた。

 意味不明なコスモスの説明に、ポカンと口を開けていたゴンザレスは「すげぇな」としか呟かない。ケリュケは眉を寄せながら何かを考えているエステルを見つめ、嘘を言っているように見えないコスモスを優しく撫でた。

「ふふ……」

「?」

「ふははははは! ふははは! 面白い、面白いぞコスモス!!」

(あー、何だかこのパターンに既視感覚えるんですけど)

 思い出したくない人物が脳裏にちらついてコスモスは片手を顔を前で振った。思い浮かんだ人物を掻き消すように頭を横に振り、溜息をついた彼女をエステルが覗き込む。

「それならば仕方があるまい」

「え?」

「いや、良いのだ。なるほどな……そして、お主は中々おもしろい」

 頬が緩むのを止められぬとばかりに満面の笑みを浮かべたエステルは、本当に楽しそうに笑うと軽く目を伏せてからゴンザレスへと視線を移す。

「機嫌が良いので、お前にお代わりをやろう」

「マジかよ! うっわ、コスモス超ありがとう! この恩は忘れねぇ!」

「いや、あ、うん」

 そんなに喜ぶ事なのかと突っ込みたかったが、両手を挙げて子供のように喜ぶゴンザレスは外見に似合わず無邪気でコスモスは静かに頷いた。

 空いたカップにお茶を注いだケリュケに微笑むと、エステルは「ふふふ」と小さく笑って床に映し出された世界地図を見つめる。

「私はどうやら、最強の札を手にしたらしいな」

「最強の札? そういうプレッシャーならいりませんから」

 それはそれで嫌なフラグだと呟きながらコスモスは餅のようなものを頬張る。中身は白餡のようなものが入っていたが、味はココナツに似ていた。

「何を言うか。今のお前ではない。未来のお前だ」

「未来って……それもプレッシャーなんですが」

 改造でもするのかと溜息交じりに呟いたコスモスの言葉に、ゴンザレスが反応を示した。彼は少し青褪めた顔をして彼女を見つめると小刻みに頭を左右に振る。

「ん?」

「なんだ、心配するな。痛いのはほんのちょっぴりだ」

「結構です。お断りします」

 あの程よい筋肉をしたのゴンザレスが両腕を交差させ、自分を抱くようにしながら小さく震えている。それを見ただけで危険だと判断したコスモスは、唇を突き出して見上げてくるエステルを見ないようにした。

 愛らしい表情と仕草で見つめられればつい頷いてしまいそうで怖かったのだ。

 苦笑する声が上から聞こえ、コスモスは食べている餅に集中しながらエステルの言葉を右から左へ流す。

「まぁ、最強は冗談にしてもだ。お主という札が有用に使える事に変わりは無い」

「……嫌な未来しか想像できないんですが。気のせいでしょうか?」

「人生に困難はつきものだ。必要な経験だと思って諦めるしかあるまい」

 人魂を改造したらどういう物になるのか気になるが、自分がされる立場なのは遠慮したい。遠目で眺めている分には何をやってくれても構わないが無事に帰れる気がしなかった。

 コスモスは頑なに拒否し続け、エステルはその反応に「つまらんのぅ」と呟いて小石を蹴り飛ばす。

 偶々なのだろうがゴンザレスの顎にヒットした小石はそのまま彼に突き刺さった。防ぐ間もなく刺されたゴンザレスは顔を歪めて顎に手を当てる。

「待て! 下手にいじるでない。私自ら診てやろう……さ、こっちへ来い」

「ちょっと刺さっただけだって! 痛くねーし、傷だってすぐにふさが……ぎゃああ! ケリュケさーん!」

 ゴンザレスの背びれが閉じて、尻尾は抵抗するように近くにあった柱に巻きついた。片手をエステルに握られているだけなのだが、幼い少女に引きずられる大人の男という絵面は中々新鮮だとコスモスは頷く。

 彼の犠牲は無駄にしないとばかりに助けを求めるゴンザレスに、ケリュケと共に微笑んでコスモスは見送った。

「その背びれも尻尾もやはり気に入らんの……髪型もダサい」

「お前がやったんだろうが!」

「だから変えてやると言ってるのだ」

 エステルが溜息をついた瞬間、柱に巻きついていたゴンザレスの尻尾が見えない何かによって切断される。トカゲの尻尾切りのようだとコスモスが声を上げれば、ゴンザレスは白い顔をして項垂れた。

 時折肩を動かしながら鼻を啜るような音も聞こえてくる。

「痛みは無いのだから泣くな。みっともない」

「ひでぇよ……転職してぇよ……こんなとこ、もうやだよぉ」

「もっと格好良くしてやるから安心せい」

 キラキラと顔を輝かせながら目元を拭うゴンザレスを引っ張ってゆくエステルは本当に楽しそうだ。ケリュケも嬉しそうに笑っているので、それに合わせるようにコスモスも笑った。

(ゴンさん、貴方の犠牲は忘れない……)



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