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いえ、私はただの人魂です。  作者: esora
道楽娘の家出
65/291

64 ゴンザレス

 大きな生物の頭蓋骨の上に腰掛けながらゴンザレスは頬杖をついて「へー」と呟いた。

 つんつん、と突かれているコスモスだが彼の指は自分をすり抜けているので何も感じない。

 エステルによってコスモスを認識できるようになったゴンザレスは、すり抜けるという事実に目を輝かせて腕を突き出してパンチをした。

 手応えがなくくうを切るだけの手を見つめてその表情を更に輝かせる。

 まるで子供のようだと思いながらコスモスは彼の頭を思い切り叩くエステルに視線を移した。

「馬鹿者が! 話を聞いていたのかお前はっ!」

「聞いてるっつーの。幼女になったからちっとは可愛くなったと思いきや、中身はまんまだもんな」

 憤慨するエステルを気にもとめずゴンザレスはコスモスを見つめる。至近距離で見つめられている彼女は視線を逸らしながらそのプレッシャーに耐えていた。

 若く美形の男を目にする事には慣れてきたコスモスだが、ゴンザレスのような野生的な男に見つめられるのも心臓に悪い。

 残念ながら男性経験豊富と言えぬコスモスは妙な緊張感にスッと後方へ移動する。

 それを目で追っていたゴンザレスは手招きをして彼女を呼んだ。

「で、女なんだ? コレ」

「マザーの娘だ。手を出したらどうなるか、足りない脳みそで考えてみろ」

「……マザーってあの?」

「あぁ、あの(・・)だ」

 溜息をついて呆れたように頭を左右に振ったエステルは、困ったように浮遊しているコスモスを見かねて自分の方へと引き寄せる。

 伸ばしかけた手を途中で止めたゴンザレスは顔を引き攣らせて「マザーの娘かぁ」と呟いていた。

(マザー、有名人だな)

 突然消えた事でもしかしたら心配しているかもしれないと思ったコスモスは、その事をエステルに告げる。彼女は二つ返事で了承すると暫く沈黙し「心配していなかったぞ」と同情するようにコスモスを見つめた。

 ある意味想像していた通りですと答えたコスモスは少しだけ切なくなる。

(マザーの事だからそうじゃないかとは思ってたけど。少しくらい心配してくれてもいいのになぁ)

 仮にも娘だぞ、とぼやきながらコスモスは自分の事を非常に心配してくれる存在を思い浮かべる。大切に育てられた銀の聖女は心配していないだろうかと、エステルを通じてマザーと会話してもらえば心配ないと告げられた。

 マザーがそう言うのならば大丈夫だろうと安心することができたコスモスは、深い溜息をついているゴンザレスに首を傾げる。

「ゴンさんもマザーの事ご存知なんですね」

「あぁ、まぁな。ってか、マザーの娘にしちゃコイツも頭足りなくね?」


 スパァン


 小気味良い音が響き、ゴンザレスの背後にはケリュケの尾がゆらりと揺れていた。良いタイミングでの突っ込みに溜息をついたエステルは腕に抱えた人魂のコスモスを撫でながら目を細める。

「コスモスは長い時を遥か遠い場所で眠っておったのだ。それに箱入り娘だから世間とずれているのも仕方がない」

「ただの人魂にしか見えねぇけど」

 鋭いゴンザレスの指摘にドキリとするも、心配するなとでも言うようにエステルが優しく撫で続けてくれる。大切に扱われているコスモスは異世界人の事を口にしない彼女を見つめた。

 心を読んでくれと視線に乗せて伝えればエステルは理解したように小さく頷く。

「わかっておる」

 ぽんぽん、と叩かれて離される。

 不満を言う事無く彼女の後方に移動したコスモスは自分をじっと見つめてくるゴンザレスに、へらりと笑みを浮かべてみた。

(あ、何となく人魂の形が分かる程度だっけ?)

 ならば表情を気にすることも無いかと彼女はゴンザレスが座る大きな頭蓋骨を下から覗き込むように見つめた。大きく開いた目の穴から内部へと滑り込み周囲を見回す。

(魔獣って、どんなのだったんだろう。美味しいって言ってたけど)

 どんな味がするのかと想像しているだけで涎が出てしまいそうだとコスモスは手の甲で口元を拭った。叩けばコンコンといい音がする骨は全体的に淡く紫のオーラを纏っていて、骨だけになっても魔力が残っている状態だ。

 通常は死んでも魔力は残らないと本に書いてあったことを思い出し、不思議そうにコスモスは首を傾げた。

(これを、ゴンさんは溶かして食べるんでしょう? 凄いよね)

 美味しいものが大好き、食べることも好きなコスモスとて流石に骨まで食べるようなことはできないし、する気もない。これが食事だと言うゴンザレスを凄いと思いながら、頭頂部からすり抜けようとして頭をぶつけた。

「がっ!」

 いつもの調子ですり抜けようとしていたコスモスは、予想外の抵抗と衝撃に砂地に転がる。骨のお陰で他よりも温度は低いのだが蒸されるような暑さは彼女の気力を奪ってゆく。

 痛みに軽く意識が遠退いたコスモスだが、バキンという音に軽く体を揺らしてそちらの方へ目を向けた。

「大丈夫か?」

 僅かな隙間を残して綺麗に並んでいる鋭い歯はまるで牢屋の鉄格子のようだ。骨の牢屋かと痛みに声が出ず動けないコスモスは心の中で呟く。

 しばらくそのままじっとしていると、歯が次々と折られて光が差し込んだ。

 欠けた前歯の部分から顔をのぞかせたゴンザレスは、軽く手招きをする。

「おい、何かやばいみたいだぞ」

「丁寧に救出しろ」

「えー。勝手に入って勝手にぶつかったコイツが悪いんだろーが……て、分かった。分かったから叩くな」

 外から聞こえてくる声がくぐもって聞こえ、時折ノイズ音のようなものが混ざる。不快なその音に眉を寄せていたコスモスは、にゅっと現われた手に掴まれそのまま引きずり出された。

 好きにしてくれと思いながら頭蓋骨の外へ出ることができたコスモスは、ぐったりとしたまま褐色の掌の上に乗せられる。

「素敵な筋肉ですね」

「お、いいね。もっと褒めてくれていいぜ?」

「いい大胸筋してますよね。腹筋もそれなりに割れていて」

 色気のある体つきをしているのは間違いないと、コスモスは抑揚のない口調でゴンザレスの筋肉を褒めた。乱暴だが頼りがいのある雰囲気と惜しげもなく見せる筋肉に興奮しない女はいないだろうと思っていれば、軽く頭を叩かれる。

「コスモス、血迷ったか」

「意識が朦朧としてます」

「お前のすり抜けも万全ではないとマザーから教えられなかったのか?」

「全く」

 注意を受けたことはなく、コスモス自身も困ったことがなかったので聞こうともしなかった。何でもすり抜けられるとは思っていなかったが今回のような事は初めてだ。

 すり抜けられないものは事前に弾かれてしまったりするからかもしれない。

「目から入ったのならば、同じように出てくれば良いものを」

「痛感しました……ゴンさんくすぐったいです」

「おお。触れたぞ。ふにゃふにゃしてて、温かいな!」

「あまり触れるでない。回復が遅れる」

 力が弱まっているせいかすり抜けていたゴンザレスの指がコスモスに触れる。プニプニとした感触に顔を輝かせた彼は面白そうに掌の上で小さく唸っている物体を触り続けた。

 今までに感じたことのないその感触に身を震わせて目を見開き、口から涎を流しているゴンザレスは顔面に打撃を受けて後方へ倒れる。

 彼の手から離れたコスモスは、よろよろと移動しながら伸びてきたしなやかな腕に抱きとめられた。

(あぁ、柔らかい。そして温かくていい感触)

「だいぶ良くなったか? コスモス」

「はぁ……すみません」

 何とか落ち着きはしたがまだ本調子でないコスモスはエステルの言葉にゆっくりと頷く。ケリュケの腕に抱えられながら後頭部に柔らかな感触を受けて妖艶美女を思い出した。

 水風船のように彼女の方が張りがあったが、こちらはこちらで柔らかく包み込むようで素晴らしい。

 口に出てしまわぬよう気をつけつつ、コスモスは羨ましそうに見つめてくるゴンザレスに笑みを浮かべた。

「ゴンさんて強い魔物で、番人なんですよね?」

「あぁ、そうだぜ。俺は強い。すげー強い」

「噛ませ犬のような発言はやめておけ」

 ニカッと笑いながら手にした白い物体を齧る様子にコスモスはそれが先程折られた魔獣の前歯だという事に気がつく。溶かして食べるとは聞いていたが、彼は本当にバリバリと硬い骨を食べていた。

 口を大きく開けてもらっても見た限り普通の人間と何も変わらないように見えるのだが、唾液に骨を溶かす成分でもあるのだろうかとコスモスは首を傾げる。

「でもよ、弱い弱い言ってらんねーだろ? 一応ここの門番なんだぜ?」

「自分一人で護っているように言いおって」

 まったく、と呟きながらもエステルの言葉には不機嫌さはない。出来の悪い子供を見るような目で、骨を手で割りながら咀嚼してゆくゴンザレスを見つめて彼女は小さく息を吐いた。

 栄養が偏りそうだとコスモスが彼の食事を見つめていれば「食うか?」と食べかけの骨を差し出される。

 断りかけたコスモスだったが、好奇心に押されて試しにと口をつければあれだけ硬かった骨がサラサラと崩れてゆく。口の中がじゃりじゃりとして彼女は顔を歪めた。

「おお、お前すげーな。お前も食えんじゃん」

「……味がない」

 砂を食べているような感覚で吐き出したいのを堪えて飲み込む。ケリュケが差し出してくれた水を飲んで口の中を綺麗にしたコスモスは、少し体が軽くなったことに気がついた。

 手にしている骨は、やはり淡く紫色のオーラに纏われている。

 無味無臭で食べ続けると飽きてしまうが、食べれば食べるほど何かが満たされてゆく。

 空腹感ではない何かを探ろうと残っていた骨を食べていたコスモスは、ふとある事に気がついた。

「あ、精霊」

「何だ今まで気づかなかったのか?」

 エステルにはっきりと精霊が見える事やその力を借りて魔法を使用している事は説明していない。だが、ソフィーアの異常を知っており、マザーとも知り合いで何より自分を異世界人だと見抜いたエステルだ。知っていても不思議はないだろうと納得しながらコスモスは頷いた。

 骨を全て平らげた彼女にゴンザレスは笑顔で新しい骨の欠片を投げてくる。

「あだっ!」

「鈍くさいな、お前」

 そうは言われても構える間もなく投げてきた彼が悪いと、コスモスは骨がぶつかった部分に両手を当てながら涙目になった。

 よしよし、とケリュケが優しく撫でてくれる。

「今まで気にしてなかったというか、空気のようなもので見えていなかったというか……」

 漂うものは見慣れているコスモスにとって、精霊は空気と同じようなものだ。いてもいなくとも気にならないと呟いた彼女は、その中心核が違う事に今更気づいて声を上げる。

 今まで気づかなかったのが不思議だ、と自分に疑問を抱きながらフワフワと近づいてくる精霊を眺めた。

「色違いなだけで、他は同じなんですね」

「……よく見ると全て違うがな」

「うーん」

 にやり、と笑うように見上げてくるエステルにそれは慧眼の事を指しているのだろうかとコスモスは深呼吸をして目を伏せる。

 ゆっくりと瞳を開いた彼女の視界に飛び込んでくる多くの情報に、眩暈がしてコスモスは呻く。

 頭が割れそうに痛くて、目を閉じたくとも閉じることができない。

 口が大きく開いて涎が垂れそうな状況に陥った彼女の目の前にスッと影ができた。

「馬鹿者。一度に全てを見ようとするからだ。欲張り者が」

「うううう……」

 軽く集中すれば使用できるようになった慧眼だがコスモスはまだ上手く使いこなせていないらしい。ミストラルではこんな事にはならなかったと彼女が呻くように呟けば、エステルのため息が聞こえる。

「マザーが保護しておったからだな。全く、親馬鹿も程々にせんと酷い事になると言うのに」

「お前はもっと俺に優しくしてもいいと思いまーす」

「却下」

 エステルを見ようとした時と同じようにしただけだ、と呟いたコスモスは軽く頭を左右に振って自分の目を手で覆ってくれたケリュケに礼を言った。

 彼女はにっこりと微笑んで腕に抱えたコスモスをそっと撫でる。

「はいはい、しつもーん」

「何だ急に」

「ババアやケリュケさんたちは、そいつが人型に見えるんだよな?」

「ああ」

 ゴンザレスの呼び方にピクリと目を鋭くさせたエステルだったが、話が進まなくなるので面倒くさそうに頷いた。彼は座っている頭蓋骨をバキバキ割りながら煎餅のように齧り、ケリュケの腕に抱えられているコスモスを見る。

「じゃあさ、そういう状態の時ってどうなってるわけ? 聞けばそいつも成人してんじゃん?」

「何を聞くかと思えば……くだらない」

「えー! くだらないって何だよ。気になって門番なんてやってる場合じゃな……すいませんでした」

 冗談でも言って良い事ではなかったと殺気の篭った視線を向けられたゴンザレスは、背筋を正して少女に頭を下げる。

 コスモスはその疑問を聞きながらそう言えば、と首を傾げた。

「状況に合わせ自由に姿を変化させておる。通常は本来の人型に、骨の中に入った時には人魂、そして私やケリュケに抱えられている時は人魂か人型だ」

「へぇー」

「……コスモス、お前自分でも気づいていなかったのか」

「いや、あまり意識してなかったですね」

 マザーでさえコスモスの姿は人魂にしか見えない。そう考えていた彼女は、それは本物のマザーなのか影武者なのかと眉を寄せた。本物ならば人型にも見えていそうだが詳しく聞いたことがない。

 そしてマザー以外でコスモスを認識できるソフィーアにも人魂として見えている様子だった。

 今まで人型に見える人物に出会った事がなかったコスモスは、急に自分の姿が気になって両手を見つめる。

「自動調節がなされていたのでしょうね。呼吸をするのと同じように、気にならないように状況に合わせて変化する」

「そうだろうな。今まで人型として見ていたのは自分自身しかいなかったせいで、余計に混乱してしまったか」

 首を傾げながら不思議そうに自分の体を見つめるコスモスの姿は、人魂になったり人型になったりと忙しい。その様子を眺めていたエステルは「落ち着かぬか」と背伸びをして人魂に触れる。

「姿形などどうでも良かろう。お主がお主として自己を認識できておるのならばそれで良い」

「え……でも」

「ケリュケに抱かれているお前の姿は幼子じゃ。私よりも幼い姿をしておるが、それもまたお前の過去の姿なのだろう」

 そうエステルに言われたコスモスの姿は先程と同じように幼い子供の姿になって落ち着いた。

 実年齢に見えていた自分の姿がその言葉で徐々に変化してゆく。

「何起こってんのかさっぱりわかんねーわ」

「心が純粋でなければ無理だからのう」

「なんだと! 俺以上のピュアピュアボーイがいるってのかよ!」

 似たようなやり取りを見たことがあると既視感を抱きながら、コスモスは幼い自分の姿を確認して驚いたように声を上げた。

「でも、ピカピカ色んな色に光ってんのは見えたぞ」

「光ってた!?」

「あぁ。何だお前、気づかなかったのか?」

 それはつまり精霊のように発光していたのだろうかとケサランとパサランを思い出してコスモスは自分の腹部を見た。人型には見えるが人魂は見えぬコスモスは眉を寄せながら胸や腹部を叩く。

(人魂ってどこら辺に見えてるんだろう。中心? 中心て鳩尾の辺り?)

 さっぱり分からぬコスモスは腕や足など関係ない部位まで叩きながら、ゴンザレスの視線の先を探った。

「?」

 とんとん、と綺麗な手が優しくコスモスの鳩尾の辺りを叩く。

 顔を上げた彼女にケリュケはにっこりと微笑んで、頷いた。



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