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いえ、私はただの人魂です。  作者: esora
道楽娘の家出
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63 うわさ

 薄暗い室内で手元の灯りを調節しながら男は開いていた本を眺めていた。

『見つかったか?』

『いいえ。突然消えたきり何も』

 頭の中に直接響いてくる声と会話しながら彼は相手の言葉を待った。

 静かなため息と落胆した気配に、それは自分も同じだと思う。

『気づかれた……事はないな?』

『それは無いかと』

 慎重を期して自然と懐に入れるように考えられた計画がそう簡単に破綻するわけがない。

 有り得ないとばかりに即答した彼に、相手は苦笑した。

『仮にもお前の主人だろうが。いいのか? そんな態度で』

『まだ仮ですからね。そして、私の主人はその程度の事で怒るような方ではありませんので』

 馬鹿にしているわけではないが、尊敬しているわけでもないらしい。

 淡々と告げられる言葉に、相手は頭が痛くなるほど笑い声を上げた。不快に顔を歪め、彼は話を変える。

『姫の様子は変わらず。ただ、彼女に関して大きく感情が揺れる傾向にあるようです』

『……また同調したか?』

『いえ、恐らく今まで欲しても得られなかった存在だからかと』

 同調したままであれば揺らぐことはないと付け加え、彼は本のページを捲る。

 室内に響くのは風が窓を揺らす音と本を捲る音くらいだ。

『あー。そうだったな。そのまま経過観察頼むぞ』

『私は別行動をしようかと』

『お前、折角そこまで潜り込んでかよ!』

『蝶の件も一段落しましたし、流石にこれ以上滞在するわけにも』

 ただの旅人と言うわけではない。国賓として招かれた以上、目立たず行動するのは難しかった。

 予想以上の収穫があったのだから、これ以上欲をかくわけにはいかない。

 ちょうどよい頃合いだと彼は冷めてしまったお茶を口に含んだ。

『そんな事言うなよ。お前なら何とかできるだろ?』

『……洞窟の件をお忘れですか? 私が対処しなければ外交問題に発展していたでしょうね』

『……』

 遠く離れた場所にいるのに、相手の表情が手に取るように判って男は顔を引きつらせる。

 感情の読めぬ顔をして目だけは冷たく光っている光景が頭に浮かび、軽く身を震わせた。そんな事を知らぬ彼は鳶色の目を細めて周囲の気配を探る。


 カァカァ


 外から聞こえてくる烏の声に前髪を軽く手で払った彼は小さく息を吐いて窓の外へと目をやった。

『悪かったって。しょーがねーだろ。弱い魔物しか居ない場所で王都に近い場所となりゃあそこが最適だったんだ』

『だからと言って、見つかってはどうしようもないと思いますが? 黒い蝶がたくさんいた様ですし?』

『おいおい、疑ってんじゃねーだろうな』

『それは無いです』

 数羽の烏が縄張り争いをするように派手に鳴き、嘴で突き合う。

 ねぐらに帰り損ねたのか、暫く煩い鳴き声を聞きながら彼はその様子を観察した。

 世の中は弱肉強食。自然界の生物も、魔物ですらその理を捻じ曲げることはできない。

 知恵のついた狡猾な者は力は弱くとも頭は強いのだから、弱者とは言えないだろう。

『お前、俺の事信じてくれてるんだな……』

『気持ち悪い。第一、貴方が黒い蝶を使って何かをしているのであれば、すぐに口外してしまいますよ。黙っていられませんからねぇ?』

『ちぇーっ、なんだよそれ。あー、でも羨ましいぜ。俺も見たかったなぁ』

『調査隊が持ち帰ったはずですが?』

 自分を驚かせるような存在はいないものかと思いながら彼は烏の喧嘩を最後まで見届けると、満足したように笑んだ。

 再び本に目を落とした彼は時折文章を指でなぞり、小さく頷く。

『お前が見た光景をだよ! お前ばっかずるいのな』

『フフフ。招待を蹴った貴方がいけないのかと』

『……こんな事になるなら行けば良かったぜ』

 今思い出しても興奮して血肉湧き踊るあの光景に彼は笑いが口から出るのを止められない。高笑いをしたいがそうもいかず、掌を口に押し付けて堪えるのだが目は爛々として体が熱くなってきた。

 ひらり、と黒い蝶が舞う。

 本物よりも薄い金色の光で縁取られた蝶は、彼の興奮する感情に合わせるよう一つ、また一つと増えてゆく。

『おい、大丈夫か?』

『……貴方がいけないのですよ? 思い出させるので』

『相変わらず気持ちわりぃのな。お前』

 魔力が増幅し、高揚感が駆け巡る。

 これはまずいと自覚するが制御するには遅く、彼は慌てるようにして引き出しを掻き混ぜ目的の物を取り出すとそれを見つめた。

 透明で薄い水晶の中に入っているのは何の変哲もない栞だ。

 白地に魔除けの刺繍がしてあるよくある栞だが、彼はうっとりとした表情でそれを見つめると上部をスライドさせ中身を取り出した。

『貴方は来なくて正解でした。あの方と契約するには私の方が適任でしょうし』

『そうは言ってもまだ仮だろうが』

『仮でもなんでも、関係は進展するのみですのでご心配なく』

『あぁ、まぁ……それはそうだな』

 ついでに、と渡された四葉をそっと指で撫でながら彼は匂いを嗅いで目を細めた。

 高ぶっていた感情はいつの間にか落ち着きを取り戻し、室内を飛び回っていた黒い蝶たちは影に溶けるように消えてゆく。

『違う意味で興奮しそうですね。これは困りました』

『困りましたじゃねぇよ。変態が』

『今日はこれを枕の下に入れて寝ることにしましょう』

『あぁ、あの栞と葉っぱか?』

 くだらないとばかりに呟く男の声に彼はゆっくりと瞬きをして、ブワッと殺気を放った。それでも室内だけに留まり外に漏れぬようきちんと対策をしている所が彼らしい。

『何と、言いました? もう一度お願いします』

『あーメンドクセ。お前の愛しいご主人様(仮)がお前の為に与えてくださった栞と四葉ですか?』

『はい、そうですよ』

 それらを貰った時にもしつこいくらいに聞かされた男はうんざりした声で言い直す。満足したらしい彼は気持ち悪いくらいの優しい声色でそう答えた。

『お前のご主人様になるやつには心底同情するぜ。よりによって、お前だもんな……』

『何か言いました?』

『いーや、何でも。後任はこっちで用意しとくわ。どこで何しようが勝手だが、連絡取れるようにだけはしとけよ』

『うるさいですね。言われずともその位は分かっております』

 安価で手に入れやすい栞と、野原ならば大抵見つけられるだろう四葉を見つめていた彼は溜息をついて本を閉じる。

 貰ったそれらを出来る限り劣化から防ぐ為に魔力を帯びた水晶を加工してその中に入れているが、見栄えが悪い。シンプルで中身の邪魔をしないのはいいのだが、細工を施せばきっともっと素敵なものになるだろう。

 今は簡易の物しか作れないが、もっとしっかりとした物を誂えようと頷いて彼は微笑んだ。

 




「ブェーックションッハー!」

「……何やら呪文みたいだな」

「ごめんなさい」

 豪快なくしゃみをしたコスモスにぎょっとしながらも笑うエステルは、女らしくないと呟く。自覚しているコスモスはケリュケから柔らかな紙を貰って鼻をかんだ。

 元の世界ではこんなに豪快にくしゃみをする事は無いんですとコスモスが言っても、エステルは興味なさげに髪を弄りケリュケは気にしていないとばかりに微笑む。

 環境の変化で性格や体調にも多少変化が、と諦めきれない様子で呟いていたコスモスにエステルが小さな指を前方へと向けた。

「黒い蝶が出現したのはあの辺りだと聞いておる」

「あの辺りって……地平線で何もないんですが」

 見渡す限り黄色い砂地ばかりで目印になるようなものが無い。周囲をもう一度よく見回したコスモスはどの景色も似たようなものばかりで顔を歪めた。

(方角って何? どっちがどっち? というよりもうここどこ?)

 祠を出て周囲を案内すると告げたエステルについて外に出たのは良いが、熱帯雨林を思わせる森を抜けた先は一面の砂漠でコスモスは反応に困ってしまった。

 よく目を凝らせば、砂浜に大きな骨のようなものが落ちている。過酷な環境と飢餓のせいでそのまま死に絶えたのだろうかと想像しているとコスモスの視線の先を見て頷いたケリュケが苦笑した。

「まぁ、あんな場所に散らかしていたのですね。食べ終わったら綺麗に溶かすようにと言っているのですけれど」

「は!?」

「あれは供物として持ってこられた魔獣なのです。栄養価が高く食用に最適なのですが、骨の処理に毎回困っていまして」

「だからああやって砂漠に投げておるのに……ゴンザレスのヤツ、好き嫌いしおって」

 それはゴミ場と変わりが無いのではと思ったが口に出せずにコスモスは散らばっている骨を見つめる。周囲を見てみれば同じような大きさの骨がゴロゴロとしていた。

「ゴンザレス?」

「砂漠に住む魔物の事です。祠への侵入者を防ぐ門番のようなものですね」

「ゴンザレスは何でも食べるからな。魔獣の骨には魔力も残っているから良いと言うに……食べ残しおって」

「エステル様が一度肉をお与えになったのがいけなかったのかと」

 食べている物よりも美味しい物を食べてしまったから口が肥えて、今まで食べていた物は受け付けなくなったのかとコスモスが納得すれば砂埃を立てて勢い良く何かがこちらへと近づいてくる。

 砂の中を泳ぐように背びれのようなものを立てた何かが目の前で大きく飛び出し、着地した。

「おう、幼女ババア。肉寄越せってんだろ。骨ばっか味気ねぇの食わせんじゃねえよ」

「うるさいわ! 誰が幼女ババアじゃ! 消すぞ!」

「ゴンザレス、身の程を知りなさい。貴方など、骨だけで充分です」

「ケリュケさん酷いー」

 現われたのはコスモスが想像していたような巨大な魔物ではなく、中肉中背の人型をした男だった。

 人間と違うのは、モヒカンが魚の背びれのように生えている尻尾まで続いている事と顔の両脇についている耳がヒレのような形をしている事だ。

 肌は褐色で上半身は鱗で出来たベストのようなものを素肌に身に着けており、カーキ色の迷彩柄アーミーパンツに黒の編み上げブーツというお近づきになりたくない格好をしていた。

(目を合わせたら駄目な人だ)

 思わず顔を逸らしてから自分が透明で人魂であることを思い出す。エステルやケリュケがおかしいだけで他の人に自分の姿は見えないのだと安心した彼女だったが、顔を上げた瞬間に目が合って縮み上がりそうになった。

「おい、幼女ババア。なんもねーぞ。とうとう耄碌したか」

「心が純粋でなければ見えぬのだ。阿呆が」

馬鹿にした口調と態度に目を細めた男は、ただでさえ強面の顔を更に凶悪にさせて何も見えぬ空中を睨みつける。彼に見えていないことを知ったコスモスは、安心しつつエステルの傍に移動すると彼女の隣で大人しくしていた。

「はぁ? 見えますけどぉ? 俺ってすっげーピュアボーイだからぁ?」

「ほほう。ならば何が見えたか言ってみろ」

「ケリュケさんの胸の谷ま……」

 最後まで言い終わらぬ内に鋭く飛んで来たケリュケの尾に打たれたゴンザレスは、抵抗する間もなく後方へと吹っ飛んでゆく。

 ゆらり、と揺れるケリュケの尻尾を見ていたコスモスは自分に絶対服従の従者の姿を思い出して郷愁に駆られた。

 早くミストラルに戻りたいと思っている辺り、こちらの世界での故郷はあの場所なのだなと一人笑う。

「ケリュケさん、お強いですね」

「いいえ。私などか弱いものです。コスモス様、お見苦しいものをお見せしてしまい申し訳ありませんでした」

「いえ。当然の事かと」

 思わず本音を漏らしたコスモスは慌てて口に手を当てたものの、二人の反応が好意的だったので安心して頷いた。ケリュケは口元に手を当てながら上品に笑う。

「理解していただけて嬉しいです」

「おい、ゴンザレス。伸びてないでさっさとここまで来い」

「……俺が、やられたら……誰が、ここの守りを……すると、思ってんだよ」

 ずるずると匍匐前進をしながら近づいてきたゴンザレスは荒い呼吸を繰り返し、ゆっくりと体を起こす。立ち上がり、ケリュケを一瞥した彼だが綺麗な笑顔に顔を引き攣らせると視線をエステルに移した。

「お前の代わりなどいくらでもおる。やられたらまた、作り直せば良い」

「おまっ! サイテー! サイテーだろそれ!」

「仕方があるまい」

 作り直すという言葉に引っかかったコスモスだが、二人のやり取りを眺めて歳の離れた兄妹の喧嘩のようだと微笑ましい気持ちになる。

 エステルの意外な一面を見たような気がして仲が良いとコスモスが呟けば、同意するようにケリュケも笑った。

「それに私の結界は完璧。破れる者など存在せぬわ」

「……そのコスモスってヤツは破って侵入したんだろ?」

 付き合いが浅いコスモスでも、そんな発言をしたらどうなるかなど容易に理解できる。それなのに長い付き合いのはずであるゴンザレスは不思議そうな顔をしてそう尋ねた。

 ぶわり、とエステルの髪が膨らんでゆらゆらと動く。

「とぉわぁけぇー!」

 怒りを孕んだ声と共にゴンザレスの体が再び宙を舞う。

 先程よりも遠くに飛ばされ、鈍い音を立てて落ちた彼の姿にコスモスは思わず目を覆ってしまった。



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