62 送還
黒い蝶について、口外してもいいだろう範囲でコスモスは説明する。
儀式の時に現れて、その後も成人したばかりの姫を狙うように襲撃し失敗したこと。
賊を捕らえたことを告げたコスモスに、エステルは軽く笑った。
「賊は逃亡したであろうな……」
「……」
コスモスは答えない。
マザーから賊がどうなったか聞いてはいるが、それを口にすることはできなかった。
黙るコスモスに苦笑したエステルは、言わずとも良いと呟いて頬杖をつく。
「今回成人を迎えた姫が精霊を得られぬのも知っている。ミストラルだけではなく、世界を揺るがす大事件だな」
「え……?」
何でもないことのようにエステルが告げるので、コスモスは大きく瞬きをしながら彼女を見つめた。
ソフィーアの異常を知りながらもエステルは平然としている。ケリュケも何も言わず同情したように眉を下げていた。
「しかし、妙だな。姫が狙いならば他に方法もあろうに、何故わざわざそのタイミングなのだ?」
「さあ?」
「……そうか。お主か」
最初から姫を拐うのが目的だったのでは、と首を傾げたエステルにコスモスは軽く肩を上下に動かす。
犯人は残念ながら黙秘し続けて姿を消したと聞いているので、彼は何をしたかったのか判らないことだらけだ。
「お主がいたから、容易に手を出せず一時退却したわけか」
「私がいなくても撃退されてしまうなんて、情けないですけどね」
ソフィーアからコスモスを離す方法はいくらでもある。常に傍にいるわけではないが、相手がそれを知らなかったら騒ぎを起こすなりして引き離すしかない。
調査に同行したのは、洞窟で騒ぎを起こせばコスモスも一緒に行くと予想してのことかもしれないが、あまりにも危険な賭けだ。
第一、コスモスが作戦通りソフィーアの傍から離れてもアレクシスに撃退されてしまっている。
「犯人は、お主を認識できたか?」
「いいえ」
それが何の意味があるのかさっぱり判らない。不思議そうに首を横に振るコスモスを見て、エステルは笑みを浮かべた。
小さな手を組み合わせ、見つめてくる彼女の瞳に自分の姿を見つけたコスモスは思わず眉を寄せる。
「それより、賊は姫に何をしたかったんですかね?」
「儀式の終盤に妨害したのを考えると、儀式の失敗を狙ったとは考えにくいな」
エステルの言葉にコスモスは頷く。黒い蝶を使って賊は何をしたかったのか、彼の気持ちになって考えてみても判らない。
ソフィーアに惚れていて自分のものにしたいのならば、他に方法があったはずだ。
儀式の前に拐う事もできたはず。
コスモスがいない時を条件にするとしても、儀式後に狙い時が現れるのだから焦る必要はない。
ソフィーアが襲撃された時にコスモスがいなかったように、上手く引き離すことはできるだろう。
「ソフィー狙いにしても、やり方が甘すぎます」
「うむ。お粗末としか言い様がないな」
「警備体制はともかくとして、狙おうと思えばいつでもできますもんね」
「しかし、都市は結界で守られているはず。手引きした内部犯がいなければ無理であろうな」
その言葉を聞いたコスモスは、結界らしきものを見たことがないと呟いて、エステルに大声を上げさせた。
「なんだと!」
「まぁ、結界すら通り抜けてしまわれるのですね」
ケリュケは相変わらず落ち着いた様子で口元に手を当てる。
エステルは可愛らしい両手でテーブルを叩くと、覗きこむようにコスモスを見つめた。
弾かれる感覚が無いと呟いたコスモスに、彼女はため息をついて額に手を当てる。
「結界に対する抵抗が無いのか。空気のように出入り自由ならここも例外ではないと……そう言うことか」
「つまり、結界に弾かれる条件には当てはまらぬのですね」
そう言われてもピンとこないコスモスは、困ったように笑うだけ。
ケリュケに小さく拍手された彼女は、照れた様子で頭をかいた。
「厄介だな……お主」
「え? あ、ごめんなさい」
よく判らない時はとりあえず謝る。コスモスの癖のようなものだ。
(そっか、結界はちゃんとあるのか。何で見えないんだろ)
見えなくても困らないので今まで気にすることもなかったコスモスだが、改めて言われると不思議だ。
それが自分に与えられた特有の能力なのだろうかと呟けば、エステルが笑う。
「結界無効がお主の能力か。亡霊のような存在だけにぴったりだな」
「出入り自由でも特に嬉しくないですけどね」
「お主が男だったら、女の風呂や部屋を覗き放題だったのにのう」
「例え男でもやりませんよ」
ニヤニヤとするエステルにため息をついてコスモスは答える。
異世界だから、透明だからと言って調子に乗れるほどの性格だったらこの異世界生活を楽しんでいた事だろう。
それこそエステルが言う様に普段できない事をしては、テンション高く叫んでいたかもしれない。だが目覚めて早々、自分を認識できた人物は精霊に監視させるような人物だ。
あちこちに監視の目があると知ってしまえば行動も制限されてくる。
そんな事は関係ないとばかりに突っ走ってしまえるほどコスモスは若くない。
「なんだ、つまらん」
「どこで誰が見ているかもしれないのに?」
「……臆病者か。それならば仕方ない」
面白い話が聞けると思ったのにと呟きながら軽く肩を竦めたエステルに、コスモスはため息をついてカップに口をつけた。
「それで、黒い蝶ってこの辺りでもいるんですか?」
「いなければそんな反応はしない」
「ですよね。あ、でも幸福の蝶と勘違い……」
「ミストラルでの成人の儀に起こった事件を知っているのに、か?」
不機嫌そうに顔を歪めながら話すエステルの声は幼い見た目とは違って硬質だ。表情が僅かに険しくなったのを見ながら、コスモスはカップの底に転がる赤い実を見つめる。
(こっちでも黒い蝶か)
ミストラルが始まりだとばかり思っていたコスモスは、苛々した様子でテーブルを指で叩くエステルに首を傾げた。
「ええと、黒い蝶は一体何をしたんですか?」
黒い蝶にひどく反応した様子や、不機嫌な雰囲気から察するにいいことではなさそうだとコスモスは身構える。
コスモスも黒い蝶関係では良い思いをしていないのでつい警戒してしまうが仕方がない。
「ミストラルよりも先なのだ」
「え?」
「こちらで少々困ったことが起こりまして、どうしたものかと思っている内にミストラルでの出来事があったのです」
エステルの足りない言葉を補うようにケリュケが説明してくれた。それを聞いてコスモスは、ミストラルが後なのかと脳内の情報を書き直す。
「こんな事ならば私が出向いておれば良かったわ」
「無理だとおっしゃっていたではありませんか」
「分身でも何でもして見ていればこうも困らなかったはずだ。私も随分と耄碌してしまったな」
はぁ、とため息をついてもその姿は幼い少女そのものだ。嫌味を通り越して滑稽にしか映らぬ光景にコスモスは苦笑した。
神聖なる祠で他に人の気配は無いところから見るに、ここにいるのはエステルとケリュケたち数人なのだろう。
他にも誰かがいるような会話をしていたが、姿を見ていないので具体的な人数が分からない。
もっとも、もっと多くの侍女がいてもおかしくないとコスモスは思っていた。
「昔とは違うのですから仕方ありません。前よりも短気になられたと思うのは私の気のせいでしょうか?」
「嫌味か、ケリュケ」
「いえ。エステル様らしくもない、と思いまして」
ケリュケのその一言で眉を寄せ唸っていたエステルがピタリと止まる。幼い少女が「うーうー」唸る様子は見ていて楽しいのだが口には出せない。
大人しくお茶を飲みながら残ったお菓子を食べていたコスモスは、二人のやり取りをBGMに賊の姿を思い出していた。
(襲撃者と別って言ってたけど、同じように感じたのは気のせいか。未熟だから似たような恰好してるだけでそう思ったのかもしれないわね)
マザーは違うと言った両者の姿を頭の中で比較してみる。何度か目にして間近にすることもあった黒い蝶を扱った元凶の人物は、はっきりと思い出せた。しかし、魔法の練習中に乱入してきてコスモスを気絶させた人物についてはぼやけた状態でしか思い出せない。
二人とも似たような背丈で、黒いローブを羽織っていたというだけだ。声は賊の方が僅かに高く、襲撃者の声は一度聞いたら忘れられない感覚を受ける。
恐怖と嫌悪。
個人的に恨みがあるからと言えばそれはいきなり襲われたからでしかない。だが、それ以前に彼の声には楽しさしか感じられない事が怖いのだ。
自分の力を理解し、虫けらでも見下ろすかのように喋っていた事を思い出すだけでコスモスは未だ寒気がする。
「コスモス、ここに来たのも何かの縁だ。私を手伝って欲しい」
「私にできることなら、できる範囲でお手伝いしますけど」
「またそういう言い方を。喜んでやらせていただきます! と言えばいいのだ」
それはいくらお願いされたとしてもコスモスには無理な相談だ。
そもそも、手伝いをしたところでメリットがないと思った彼女はあることに思いついて身を乗り出す。
「エステル様は、異世界人の事も最初から知っているようですが帰還の方法はご存知ですか?」
「それは当然、召喚主の願いを叶えることだろう」
「いえ、それ以外で」
それ以外の方法などあるわけがない、と呟いて眉を寄せていたエステルだが妙に真剣な表情で見つめてくるコスモスに「あぁ」と思い当たった。
不完全な状態でこの世界に存在している彼女が望むことと言えばそれしかないだろうに、とすぐに思い当たらなかった自分にエステルはため息をつく。
「それ以外となると、送還の術か……」
「久々に聞きましたね」
「あるんですか?」
久々だろうが異世界人を元の世界に帰す方法があるのだったら是が非でも聞きたい。その情報と引き換えに手伝えと言うのならば手伝おう、と顔を近づける勢いで身を乗り出すコスモスにエステルは困ったように頭を引いた。
「あるにはあるが、使えるものは存在しない」
「あるのに!?」
「良く考えてもみろ。異世界人召喚は、願いがあるからこそ行われる。そして、主の願いを叶えられれば帰れるのだぞ?」
それは良い召喚主に出会った場合の話だ。今まで数え切れぬくらい行われてきた異世界人召喚がそんな綺麗なものばかりではないだろう。
いい人ばかりだったら、そもそもコスモスはこんな形で存在しないのだから。
「……それって前から不思議だったんですけど、叶えられなかったら帰れないだけなんですか?」
「いや、原則は召喚主一人につき一人しか異世界人は召喚できない。だから、他の異世界人を呼びたかったら簡単な願いでも告げて叶えさせ、次を呼ぶしかないな」
それはそれで手間がかかる。
自分の願いを叶える人物が、想像通りの人物ならば良いがそうでなかった場合を考えると色々揉めていそうだ。次の異世界人召喚をするにしても、面倒で膨大な魔力を消費するとマザーが言っていた言葉を思い出した。
手軽にできない異世界人召喚だからこそ、呼び出した主の願いも深くひどいものだろう。
制御できなければ召喚主は死亡し、不完全な状態で呼び出された異世界人は自分の世界に帰ることもできずに彷徨う事になる。
(発狂せずに正常でいられる方が、逆に異常だわ)
それはつまり自分の事も指すのだが、コスモスは気づいた様子もなく召喚に関する情報を新たにした。
「まぁ、膨大な魔力と面倒な儀式をそう簡単に繰り返せる存在などいないがな」
「エステル様も無理ですか?」
「今の私では無理だ。もう少し早く出会っていれば、送還くらいしてやれたかもしれぬが」
無理ならば無理で仕方がないのだが、最後の言葉を聞くと頭を抱えて項垂れるしかない。やはりエステルはできたのだ、と嬉しい反面今はできないという非情な現実にコスモスは打ちひしがれた。
タイミングが悪いのは自分の運が悪いからなのか、と呟いて申し訳なさそうな顔をするエステルに慌てて首を振る。
「いやいやいや。他に方法あるかもしれませんし。諦めたら終わりですから……ね」
「そうだな。お主の求める情報については、私も探ってみよう」
「え? いいんですか?」
「気にするな。個人的に興味がある」
何か請求されるのではないのか、と怪訝な顔をするコスモスにエステルはそう告げて笑った。彼女は久々に目にした珍しい客人に随分と興味を引かれた様子だ。
「はぁ、そうですか。それでは、お願いします」
送還方法について協力してくれると言うのだからありがたく受け入れるしかない。気まぐれでもなんでも、見た目と中身が違う彼女ならば大きな力になってくれるはずだ。
マザーの事も知っているようなのでミストラルに帰った際に、彼女からエステルの事を聞いてみようと思ってコスモスは頭を下げた。




