56 めだま
目を閉じて歌を歌う。
噛みそうな複雑な発音をただの一度も噛む事無く歌い上げ、繰り返した。
時折目を開けて周囲の様子を確認したコスモスは顔を引き攣らせ声を詰まらせる。ぐるりと囲む黒の視界に無数の目が浮いて瞬きをしながら自分を見つめていたのだ。
ホラーゲームじゃあるまいし、と悪寒を感じながらも不安を打ち消すように声を上げた。
ただの気休めだとも分かっているし、これから状況がどう変化していくのかは知らない。けれども厄除けに効果がありそうな歌を歌う事により、維持し続けている防御壁が強化されるような気がしたのだ。
(軽く攻撃しても全て吸い取られてダメージを与えられないなんて……攻略法どこよ)
火の玉で焼かれた目も、氷柱で貫かれた目も暫くすればまた復活してしまう。再生しているのか新たに生まれているのかは知らないがキリがないことだけは分かった。
一撃必殺の効果的な手段がないコスモスにとって正に“詰み”の状況ではあるが、彼女は思ったほど落胆していない自分に気づく。
(まぁ、夢だからね。覚めればいいだけの話)
一人そう呟きながら何度も同じ状況に陥っては同じ言葉を口にしている気がして彼女は溜息をついた。気持ち悪い目玉はコスモスの一挙手一投足に注目し、ただ見つめ続けてくる。
何か言いたい事があれば言えばいいのに、と首を傾げて問いかける彼女の言葉に目玉たちは一斉に瞬きを始めた。
(揃ってないのかよ。バラバラってまた……)
揃っていたら揃っていたで怖いが、目がたくさんあるだけの個体なんだと思うことができる。だが、こうもばらばらに瞬きをされると複数の存在がいるようで落ち着かなくなった。
監視されているようで居心地が悪いとコスモスは目を瞑るように要請してみる。
「やだ、素直」
そうすると彼女を見つめていた無数の目たちはまたバラバラに瞳を閉じる。闇との切れ目が分からなくなるくらいに溶け合って再び周囲は黒一色に染まった。
いいと言うまで開けるなと言われた指示に従ってくれる辺り、都合のいい夢らしいと苦笑しながらコスモスは大きく伸びをする。
どこへ向かっているのか、どうなっているのかよく分からないが長い時間変わらぬ環境にいると慣れてくるらしい。自分が図太くなっただけかと首を傾げながらコスモスは不快も不安も感じず、心配すらそんなにしていない事に気がついた。
展開させている防御壁が消失した場合はパニックになりそうなものだがそんな事は無いと何故か確信を持って言える。
(やっぱり、夢だから?)
訳の分からない話の進行も、場面の切り替わりも。突飛な夢ならではの話と思えば一応理解できてしまうから恐ろしい。
困ったときは何でも夢のせいにしようかと考えながら彼女は小さく欠伸をした。
(それにしても、鮮明な夢見すぎでしょう私)
流されたりタモで掬われたりとロクな目に遭っていない事を思い出してコスモスは足を組んだ。
いい夢を見て爽快な気分で朝を迎えたいのは山々だが、色鮮やかな夢を見るたびに内容は決まってこんなパターンだ。
覚えていない夢のほうが楽しい気分で起きられるような気がして彼女は溜息をつく。
いっその事夢も見ずにぐっすり眠れたらどれ程良いか。マザーに特別に調合してもらった薬を飲んでも、護符を肌身離さずつけてもこの有様である。
(私の夢見が悪すぎるってマザーも心配してたからなぁ)
夢の中にいるだろう現状では対策のしようもないとコスモスは頭を左右に振って、後回しにする事に決めた。無事に起きたらまた夢での出来事をマザーに報告すればいいのだ。
そうすれば今度は新しい薬や護符をもらえるかもしれない。
(せめて、サンタさんに出会った時のような綺麗な夢が良かったんだけどなぁ)
どうしてこうもおどろおどろしい光景を目にしなくてはいけないのかと眉間を揉みながら、コスモスはアジュールと出会った時の事を思い出す。
彼の証言から想像するに、きっとこんな感じだったのだろう。そして、あの時目を開けていたらすぐに気を失う自信があってコスモスは小刻みに何度も頷いた。
彼女が気を失っていたら恐らくアジュールと出会える事は無かったのかもしれない。彼の声が耳に届いたからこそ契約が成立してしまった。
(怖がって、不安になって。そのくせ、しっかりこき使う酷い主人もいたものよね)
小憎たらしい態度を取るときもあるが、基本は従順で大人しいアジュールがいたからこそ今の自分がいるのだとコスモスは感謝している。
力不足で魔力もろくに扱えない自分をアジュールがフォローしてくれるので、攻撃を受けた時もあのくらいで済んだのだろう。
マザーのお墨付きを得るくらいにアジュールはコスモスよりも能力が高い。大人しく従っているのが不思議なくらいだと彼女ですら疑問に思っていたくらいなのだから。
いつあるか判らぬ下克上が怖いので、契約解除して独り立ちするか他の主人を探すようにとそれとなく言えばあの赤い双眸で睨まれたことを思い出した。
あれだけの能力を持っていながら、自分に隷属している理由が分からない。
何を思っているのか分からず不安になるのに、自分の情報は一切隠すことなく見せてきた性格も分からない。
(読めないなぁ)
いつ裏切られるか分からないと危機感を持つのは大事だとアジュールに褒められたコスモスは、得体の知れぬ獣のことを考えて眉を寄せた。
道具として好きに使えと言ったあの言葉に嘘があるとは思えない。
主人を倒して自由になれるだけの力はあるだろうに、何のために大人しく自分に従っているのか分からず気持ちが悪い。
(気にしないで利用するだけ利用すればいいって、マザーにも言われたけど)
攻撃力には欠けるがコスモスにはケサランとパサランがいれば充分だ。
アジュールの戦闘力が存分に発揮される機会などなければいい、と思いながら彼女は溜息をついた。
(従ってくれる限りは遠慮なく力を借りるか)
もし、自分の手に負えないような状況になればマザーを頼ればいいと楽観的に考えながらコスモスは首を傾げる。
チラチラと薄目を開けて彼女を窺う目が複数あったからだ。
「……」
無言でコスモスが見つめ続けていると目が合った目玉たちは慌ててその目を閉じてゆく。
「んー」
コスモスは頭を掻きながら暫く目の前を見つめ、少しの間を置いて勢いよく振り返った。
背後にもびっしりと無数の目玉が闇に浮かんでおり、どうやら彼らもコスモスを見つめていたらしく、彼女の予想外の行動に驚いた様子で慌てて目を閉じる。
僅かに体を傾けて目だけを動かし髪の間から後方を見たコスモスは、彼女が見ていないと思って目を開けている目玉たちに軽く肩を竦めた。
はぁ、と溜息をつく音にそろりと目を開けようとしていた目玉が彼女と目が合って慌てて閉じる。
「……可愛いと思ったら、末期だと思うの」
残念だがコスモスにこういったものを愛でる趣味はない。
それでも可愛いと思ってしまうあたり、感覚が麻痺しているのかもしれないと彼女は額に手を当てた。
黒い塊が発していた負の感情は目の前のものからは感じ取れない。
同一ではないのかと考えながら彼女は腕を組んで小さく唸る。
その声に反応するように恐る恐る目を開け始めた目玉たちは、興味深そうにコスモスを見つめていた。
(取り込めないからもっと攻撃的になると思ったけど、様子見してるだけかしらね)
あまり疲労していない自分を褒め称えながら防御壁を強化する。
彼女が歌うと目玉はトロンと眠そうな反応をして瞼を閉じるのが面白い。
一つの目玉がそう反応すると、他も同じような反応をし始める。彼らは皆黒い目玉をしており、コスモスが長時間見つめ続けると困ったように目を閉じてしまった。
監視しているのではないのか、と首を傾げながら体勢を戻したコスモスは外部からの攻撃もすっかり大人しくなった今が逆に言えば好機なのではないかと考える。
(いやいや、だからって脱出するにも手段がないわ)
夢ならば一向に目覚める気配のない自分が恨めしい。どうしたら目が覚めるだろうかと色々な手段を試してみたがどれも空振りに終わった。
寝れば起きるかといつものように思ったものの、起きても360度闇に浮かぶ目玉に見つめられている光景が広がるだけ。
発狂しないのが不思議なくらいだと目玉たちを見つめ彼女はまた独り言を呟き始めた。
「帰り道知りませんかね?」
何度となく聞いた言葉に返ってくる声はない。
期待しているわけではないのだが、見つめている目玉があるのならばどこかに口もあるだろうと彼女は想像したのだ。しかし目玉たちはキョロキョロと視線を交して、瞬きを繰り返しコスモスを見つめるだけだ。
(やっぱり無理か)
万が一という場合を考慮し問いかけてみたがやはり何も変わらない。
自分の状況も周囲の様子も変化がないままゆったりとどこかに流されている感覚に溜息をついて、コスモスは自分が維持している防御壁に触れた。
彼女を包み込むようにしている球状の防御壁は相変わらず淡く発光し続けている。どれだけ攻撃を加えられても破れることのなかった壁を内側から叩けば、ふにゃりとその部分だけ形が変わった。
狙い澄ましたかのようにその箇所へ黒く尖ったものが飛来するが、突き刺さることはなく派手な音を立てて触れる直前で消滅した。
(硬質かと思ったけどそうでもない)
カプセルに入った玩具の気持ちになりながら、コスモスは素早く瞬きをする目玉たちへと視線をやった。どれだけ攻撃しても防がれてしまうというのに彼らもまた懲りずに隙あらば狙ってくる。
(こっちの言っている意味を理解しているってことは、話し合いができるって事だけど……口がないから答えられない?)
目を瞑れと言って瞑ったのは偶然だったのか。
それを確認する事をすっかり忘れていたコスモスは顎に手を当てて顔を上げると「注目」と少し大きな声を上げた。殆どが彼女に注目しているのだから改めて言う必要は無かったのは言ってから気づく。
それでも隣の目玉と会話をするように視線をコスモスに向けていないものも多く、彼らは聞こえてきた声に驚いた様子で慌てて視線を彼女へと向けていた。
「これから質問をします。“肯定”の場合はゆっくりと二回瞬き、“否定”の場合は黒目をゆっくり左右に動かしてください」
ぐるりと見回しながらコスモスがそう告げると、目玉たちはゆっくりと二回瞬きをする。
確認の為に理解したかと告げれば再び同じように瞬きをした。
(……意思疎通はできるみたいね)
「ここは私の夢ですか?」
目玉がゆっくり左右に動く。
コスモスは自分の夢だと思っているが彼らは違うと言う。面白い相違だと思いながら彼女は次の質問をした。
「貴方たちの役目は私を監視することですか?」
これもまた目玉は左右に動いた。
監視されているのでなければ何故こうも見つめられるのか疑問はある。まともに会話ができればいいのだがそうではないのでコスモスは小さく唸った。
(まぁ、彼らが本当の事を言っていると仮定しての事だけど)
その部分を気にしていたら何も出来なくなる。とりあえず話半分程度に聞いておく事にしながらコスモスは目玉たちとのやり取りを続けた。
何がしたいのか、何が目的なのか、ここはどこなのか。
肯定でも否定でもない場合は困ったように他の目玉たちと見つめ合う様子に、どちらでもない時は真っ直ぐに自分を見たままにするというのを付け加えた。
そうして再開したやり取りだが、そのほとんどが“わからない”という回答で正直コスモスは頭を抱えた。
もしかしたら活路が見出せるかもしれないと思っていた自分の判断は間違っていたのだろうかと問おうにも、相手がいない。
呟かれた言葉に反応するように目玉たちは視線を左右に動かしたのだが手で顔を覆っていたコスモスは気づかない。
「……ここからの脱出法はある?」
ゆっくりと二回瞬きをした目玉たちに目を細めたコスモスは、これに縋るほかなさそうだと苦笑した。




